鬼勿 つゆのまだひぬ
「お」
ふらりと日課の散歩中
草薙はさらさらと降る雨の中
咲き初めの淡い紫の花に目を留める
怪異のせいで年中雨のホタルビにも
それなりの四季はあるが
仄かに暗いこの敷地内では
この色の花は少々鄙びて見えてしまう
「お前さん達も健気だねえ」
もっと明るい場所で咲けば秋の色と愛でられように
暗い上に雨にけぶり
葉先からはたはたと雫を重たげに垂らし
風も無いのにふらふらと揺れる
戯れに傘を傾けたとて
慰めにもなりはしない
草薙は
つ、と手を伸ばしぱきりと茎を折る
だがそれは、
存外丈夫な皮のせいで
綺麗には手折られてはくれず
「あらら、…すまんね」
半端に折ってしまった花に謝り
雨と青臭い汁のついた手を
太もも辺りで軽く拭う
別にそう花が好きな訳では無いが、
これぐらいの些細な事でも喜ぶ友人がいる
野に置けと知っていながらも
付き合わせる人間の業よ
草薙は寮に一旦
鋏を取って、
また花の場所へと
肩に傘を預けてしゃがみ
ちょいとごめんよ、と
ぱつり、ぱちり
どうせ整えてくれると適当に鋏を入れて
片手一杯分程頂いて
よっこらと立ち上がり
榊のように
軽く振って雫を落す
そう言えば今日は部屋にいるだろうかと
今更の無計画
雨垂れが落ちるといけないので
ジャケットを脱いで花を包み
廊下を渡り
いるかい、と声を掛ければ
どうぞ、と返ってくる
さらりと障子を開ければ
加賀見は草薙が手にしているものに
それは?と首を傾げる
「らしくねえ魔が差しましてね」
魔と言うほどの事でもあるまいに
笑いながら加賀見は草薙から花を受け取る
「もうこんな時期なんだね」
加賀見は押入れから筒形の細い花器を取り出し
風呂敷を拡げ、花をそっと横たえる
てきぱきと
盥と水を用意して
葉をさくさくと落とし
水の中で茎を切り上げ
花器へと差していく
濡れたジャケットを出窓に引っ掛けて
ベスト姿の草薙は
加賀見がよどみ無く花を活けていく様を
座卓に肘を尽きながらぼーっと見ている
梨園で鍛えられたであろうその所作は
雑味が無くこちらも無心で見てられる
何にも考えなくていい、
こういう時間が好きなのだ
花の体を整えながら、
うーん、と加賀見は首を傾げる
「お、やっぱりきれいだねえ」
「でも、もう少し動きがあってもいいかなあ」
ススキが欲しいかもと一人ごちるので
あいよ、と草薙が立ち上がる
そういう意味じゃないよ、と
加賀見は慌てて手を振るが
「どうせその辺に生えてんだ」
と鋏を持ってさっさと部屋を出て
さっさと戻って来る
「こういう時、手入れをしてないと楽だねえ」
手入れの不精は
決して褒められた話ではないのだが
するりと伸びた薄を渡される
しらっと嘯いて
再び加賀見が花を整える様を見る。
草薙のそういう所が
とても楽なのだと
ぱちりと長さを整えながら
す、と笑う
鋏の入る音
畳を掠める音
秋には
秋の雨の香があるのだと
そう思う
「如何でしょう」
加賀見が草薙に花の面を向けて問う
「はあ、やっぱり手が入ると違うねえ」
見事なもんだ、と満足そうに笑う草薙に
加賀見はちょっと照れながら床の間に置く
「折角だから、お茶でもどうかな」
「お、いいねえ。頂きますよ」
片付けは俺が、と
草薙は挿花の残片を風呂敷ごと包み
水の入った盥と一緒に以って部屋を出る。
適当な所で、寮生はいないかときょろきょろと辺りを見回し
ざばっと廊下から盥の水を打ち明け
ばさっと風呂敷を拡げて中身を落す
手早く風呂敷を纏めるが
「アレ!!?伯玖クンっ!」
素っ頓狂な声が聞こえびくっっと肩を竦ませる
あちゃー、と振り返ると
咎めるようにちょっと目を吊り上げた殊玉がいた
「何と言う横着、寮生に見られたら示しがつかないよ!」
「大丈夫ですって、土に還しただけですから」
むむ?と首を傾げる殊玉に
加賀見の部屋を指を差しながら
いいもんがありますぜ、と言えば
常に創作の糧に飢えているこの男は
派手な顔をさらに輝かせながら
いそいそと草薙の後をついて行く
今日は一段と琵琶の音が冴えていただの
山の化粧いがどうだとか
殊玉が一人いれば
照明が要らないのではというぐらい
ぱっとこの場が明るくなる
「はいよ、ただいま」
「お邪魔するよ、昴流クン」
「おかえりなさい、そしていらっしゃい」
卓の上には赤褐色の茶器が並んでいる
「へえ、本朱泥かい」
「この間ね、色に目移りして選ぶのに時間かかっちゃって」
買うのに大変だった、と言いながらも楽しかったと
緩む目元が物語っている
「まるで紅葉のように鮮やかだねえ、君はやはりセンスがいい」
全くこの男は人を褒めるのに一切の躊躇がない
加賀見はありがとう、と照れながら
茶を淹れていく
やがて
部屋を浸す甘い茶の匂い
「昴流クン、あれは紫苑ではないか?」
「うん、伯玖さんが採ってきてくれたんだ」
殊玉はふんふん、と目を輝かせながら
床の間の花をあちらこちらと角度を変え
せわしなく眺める。
「ちょいと善治さん、落ち着いてみないと倒しますよ」
「何と言うナンセンス!僕は幽霊だから倒せないのさ!」
「そう言えばそうでした」
このうっかりさんめ、と失言を笑い飛ばし
懐の手帳を取り出して、何やら書き込んでいく
きっと彼の琴線に触れたのだろう
「いやあ、この奥ゆかしい佇まい、まさに秋の花だねえ」
殊玉は知ってるかい、と
紫苑の蘊蓄を滔々と語り出す
草薙は半分聞き流しながら
加賀見の淹れた茶を啜る
「あー…美味い」
「やっぱり、本朱泥だと味が違うかな?」
「うーん、昴流さんの茶は何時も美味いからなあ」
「…して、紫苑は忘れずの草として語られるようになったのだよ」
もう一杯のおかわりを飲み終わる頃に
賑やかな殊玉の
締めの語りが鮮やかに入ってきた。
「へえ、そうなんだな」
「絶対聞いていなかっただろう君は!?」
ぷんすこと怒りながら殊玉は
ぴしりと指を天井に向けながら
「その盆暗イヤーをかっぽじってよく聞き給えよ」
と、もう一度
最初から殊玉善治劇場を再演する
「善治さんは相変わらず博識だね」
「全く、この人がいればラジオもテレビも要らんね」
琵琶の弾き語りで鍛えられた
くどいぐらいに情感の籠った紫苑の物語
焼き締められた丹の器
ゆかしく笑う友
俺は
もし失ったら
忘れたいと思うのだろうか
忘れたくないと思うのだろうか
すらりと伸びた薄に添う紫苑
草薙は
鮮やかな友の語りに目を細めながら
その口元を隠す様に
横着な頬杖をついた。
終