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    うめこ

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    うめこ

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    【小説】2ndバトル前、和解前さまいち①

    #サマイチ
    flathead
    #ヒ腐マイ
    hypmic bl

    「落ち着いて聞いてください。イケブクロのバスター・ブロスが解散しました」

     左馬刻に最初にその報せを持ってきたのはチームメンバーである入間銃兎だった。

    「……あァ? 何言ってやがんだ、解散だぁ?」

     決して銃兎を信じていないわけではない。そもそも銃兎はこうした冗談を言う男ではないし、何より左馬刻とバスター・ブロスのリーダー、山田一郎との間に並々ならぬ因縁があることをよくよく承知している。
     そんな銃兎が敢えて左馬刻の地雷を踏みぬくような真似をするわけもなく、それが冗談ではないことなどすぐに分かった。
     けれど、疑わずにはいられなかったのだ。「あの」山田一郎が、あんなにも大切にしていた弟達とのチームを易々と解散するだろうか。それも、二度目のディビジョンラップバトルを目前に控えたこの時期に。

    「私も信じられませんよ。でもどうやら事実のようなんです」

     銃兎が差し出す端末に目を遣ると、一体どこから手に入れてきたのか、そこにはディビジョンバトルの予選トーナメント出場チームの一覧が記されていた。
     対戦表はまだ公表されていないはずだが、警察官のあらゆる権力を利用し各方面にパイプを持つ銃兎であればこの程度の情報を事前に掴むことなど造作もないのだろう。
     銃兎が指し示すイケブクロ・ディビジョンのリストには、確かにバスター・ブロスの文字がどこにも見当たらなかった。

    「チームメンバーを変えてエントリーしているのかとも思ったが、そもそも登録者名簿に山田一郎の名前が存在しない。弟二人も同じです」

     その言葉が俄かには信じられず、必死に「山田一郎」の名前を探したが、やはり銃兎の言う通り、ディビジョンバトルにエントリーしていないようだった。

    「はッ! 逃げやがったのか、あのドグソ野郎はよぉ」

     煙草をふかして白い煙を薄く吐き出し、嘲笑うようにそう言い放ってみたが、不思議なことに煙草のにおいも味もまるで分からなかった。

    「左馬刻。本当にあの山田一郎が逃げたと思っているわけではないでしょう?」
    「……」

     是と答えるのが癪でわざと目を逸らしたが、確かに銃兎の言う通りだった。
     前回の決勝トーナメントで一郎率いるバスター・ブロスは左馬刻のマッド・トリガー・クルーに敗れている。あの時、赤と緑の鮮やかな瞳に燃えるような闘志と悔しさをいっぱいに滲ませて「次は負けねぇ」と告げた一郎の姿を左馬刻ははっきりと覚えている。
     一郎は自身で一度決めたことを簡単に覆すような男ではない。それは過去、チームを組んでいた左馬刻が誰よりよく知っていることだ。
     何せ左馬刻はそんな一郎の気概を気に入って特別に目を掛けていたのだ。
     一郎は組の者でもなければましてや舎弟でもないただの不良の高校生。どんなに悪ぶったところでヤクザの世界に身を置く左馬刻にとっては青臭くつまらないただの「ガキ」のはずだったのだが、生意気そうなオッドアイの瞳に宿る強い意志が好ましいと思った。
     世界中が敵だといわんばかりに誰彼構わず睨みつけ、自分こそが強者なのだと剥き出しの敵意で威嚇する。
     目一杯背伸びするただの子どものはずなのに、なまじ能力があるせいで対等以上に大人と渡り合えてしまう。
     ヒプノシスマイクを持った一郎を誰も「子ども扱い」しようとはしなかった。守るべき幼い弟二人の存在がそうさせたのか、本人もそれを望んでいたし、あの頃の一郎は背伸びばかりしているように見えた。
     だから、自分だけはこの頑固な子どもを正しく「ガキ扱い」してやろうと決めたのだ。
     使いっ走りのようなことをさせて気紛れに駄賃をやった。何かと理由をつけては美味い店に連れて行き、食べ盛りの高校生の胃袋を満たしてもやった。いざという時、マイクがなくても身を守れるようにとケンカのやり方だって教えてやった。
     一郎は突然自分の世界に現れた「大人」にどう甘えればいいのか分からなかったようで、最初は警戒したり戸惑ったりしていたが、だんだんと慣れ始めるとすぐに人懐っこい笑顔を見せるようになった。
     左馬刻はそんな一郎をいたく可愛がり、いつも傍に置きたがった。
     あの頃はただただ全てが満ち足りていた。
     それもチームの不和とTDDの解散により結局は壊れてなくなったしまったわけだが、こうした経緯から左馬刻は山田一郎という男をよく理解している。
     恐らくは一郎に強い憧憬を抱くあの弟達よりも客観的に、そして的確に一郎の性質を捉えている自信がある。そして、かつての兄貴分としての自負も。
     だからこそ、あの一郎がディビジョンバトルを辞退したということがいまだに信じられないでいる。
     負けたままで終わるはずが……いや、終われるはずがないのだ。きっと出るなと止められたって這いつくばってでも勝負の場に立つだろう。
     あれはそういう男だ。

    「これは飽くまで噂ですがね…、警察(こっち)では『バスター・ブロスの三人が行方不明になった』だなんて話も出ているんですよ」
    「はぁ? 行方不明?」
    「山田二郎と山田三郎は学生でしょう。先週から学校に来ていない、連絡もつかないと学校から署に相談があったらしいですよ」

     こればかりは明らかにおかしい。
     あの一郎が溺愛する弟達にそんなことをさせるだろうか。
     例え本人達がそれを望んだとしても、一郎は絶対に許さないはずだ。

     ――俺、バイトばっかでろくに通えなかったから、アイツらにはちゃんと学校生活ってやつを楽しんで欲しいんスよ。

     どこか恥ずかしそうにはにかみながらそう話す過去の――まだ十七だったあの頃の一郎が脳裏をよぎった。
     自身の妹に同じことを願っていた左馬刻には当時の一郎の気持ちが嫌というほど理解できたが、そんな一郎だって学校生活を楽しむべき「子ども」のはずなのに端から諦めてそんなことを言うのが心底気に食わなかった。
     けれど、一郎の置かれている状況を知っていて「学生生活を楽しめ」だなんて浅はかなことを言う気にもなれず、歯痒い気持ちを煙草の煙もろともに吐き出したのを今でもよく覚えている。
     ……あぁ、くだらないものを思い出してしまった。
     まだ左馬刻が一郎の「世界」であった頃の、とっくの昔に擦り切れ、色褪せてしまったもの――。

    「……」

     思わず馬鹿げた感傷に浸りそうになってしまったが、とにかく、そんな風に話していた一郎が弟達の無断欠席を見過ごすはずがない。
     つまり、弟二人は学校に通えない状況にあり、一郎はそれを何とかすることができない状態なのだと考えるのが自然だ。
     恐らく……いや、間違いなくあの兄弟に何かが起きている。
     左馬刻の中で漠然とした予感にすぎなかったものが確信に変わった。
     けれど、一郎はもう同じチームのメンバーでもなければ、あの頃のように特別に目をかける弟分でもない。今はもう倒すべき相手であり淘汰すべき存在なのだ。
     だから、その一郎がどうなろうと左馬刻の知ったことではないはずだ。
     今の自分はそう在らねばならない。
     ただでさえ中王区に洗脳された大事な妹を取り返す算段で日々忙しくしているというのに、一郎などにかまけている場合ではないのだ。
     ひとしきりぐるぐると考えを巡らせてそう結論付けると、努めてつまらなさそうな顔をして目の前のチームメンバーに目をやった。

    「……で、銃兎。テメェはそれを俺様に言ってどうすんだよ?」
    「何も? ただ貴方の耳に入れておく価値のある話だと思っただけです」

     銃兎は左馬刻のこの反応も織り込み済みとでも言いたげに大袈裟な溜息を吐いてみせた。
     先ほどからまるで煙草の味が分からなくなってしまった左馬刻とは裏腹に、切れ長の目を俯かせた銃兎は新しい煙草に火をつけてうまそうに白煙を吸い込んだ。

    「これを聞いてどうするか……それとも『どうもしない』のか、勿論貴方の自由ですよ」
    「するわきゃねぇだろうが」

     ぐしゃりと煙草を灰皿に押しつけてそう答えた銃兎は「そうですか」とだけ静かに返すと左馬刻の事務所を後にした。

    ***

     ――おいガキ。
     ――ンだよ、ガキ扱いしないでくださいよ。
     ――あぁ? 一郎くんはまだ十七のガキだろうがよ。ガキをガキっつって何が悪ぃ。

     ぐしゃぐしゃと頭を撫でてわざと黒髪を乱す。すると、拗ねたような表情で恨みがましくこちらを見上げた一郎がくすぐったそうに笑ってみせた。
     口では「やめろよ」と拒むものの、左馬刻がガシガシと髪を撫でつけるたび、どうしようもなく幸せそうな顔をする。
     甘え方を知らない不器用な子ども。それも当然だ。
     三人兄弟の長男で、施設に預けられて育った一郎が年相応の子どもであることを許されたのは一体どれだけ僅かな時間だったのだろう。
     同情などしない。一郎は強い男だ。そもそもする必要もない。
     ただ、背伸びばかりを覚えたこの子どもの素顔を見たいと思った。
     これでもかと甘やかして年相応に笑っているのを見ると、なぜだかひどく気分が良かった。

     ――左馬刻さんは凄ぇよなぁ。
     ――あぁ?
     ――ちゃんと合歓ちゃんのこと守って、いい兄貴してるじゃないっすか。

     左馬刻にぐちゃぐちゃにされた髪を申し訳程度に梳きながら、そう呟いた一郎の声はらしくもなく少しだけ弱々しかった。
     自分自身がガキであることを本当は誰よりもよく知っている一郎は、時折こうして自身の無力さに弱音を吐くことがある。
     高校生のガキにできることの方が少ないだろうと言ってやりたいところだが、一刻も早く施設を出て自分の力で弟達を養えるようにとヤクザの真似事までして必死に金を貯める一郎は常に何かに焦っている様子だった。
     一郎はつい最近まで弟二人と折り合いが悪く、ある誤解が原因で兄弟仲は決して良いといえる状況ではなかった。
     ただ、それも当時一郎のチームが傘下に入っていた「天国ヘノ階段」のボス紫藤と鳳仙との抗争を機に解決したのだが、一度拗れたものを完全に元通りに戻すには時間がかかる。今はぎこちなくも兄弟仲を修復している最中といったところで、一郎はそのことに焦りや寂しさのようなものを感じているようだった。
     出会ったばかりの頃は人に懐かぬ狂暴な野良猫のように威嚇ばかりしていたが、それに比べれば
    こうしてその焦りを左馬刻に零せるようになっただけ目覚ましい成長といっていい。
     本当はもっと甘えていい。もっと頼ればいい。
     不安でどうすればいいか分からない、と泣いて縋って構わないのに。

     ――……。

     喉元までせり上がるその気持ちをぐっと飲み込んで、左馬刻はもう一度ぐしゃぐしゃと一郎の髪をかき混ぜた。

     ――バーカ。
     ――は!? だからそれやめて下さいって……!
     ――うっせ。クソつまんねぇこと言ってねぇで飯行くぞ。
     ――……っス。



     消し去りたいと思っていた過去の記憶。
     ふとしたやり取りや、くるくると変わる一郎の表情を今も夢に見ることがある。
     眠りから覚めてゆっくりと瞼を開けると、最初に映った事務所の天井に一郎の顔が浮かんだような気がして、思わず舌打ちをした。
     左馬刻の脳内に浮かんだ一郎は、色違いの鮮やかな瞳に憧憬をいっぱいに詰め込んだ十七の高校生ではなく、怒りと嫌悪を鋭く突きつける十九の青年の姿をしていた。
     うたた寝の合間に見る夢としてはあまりにも趣味が悪い。
     これもそれも、銃兎があんな話を持ってくるから悪いのだ。

    「……クソつまんねぇもん見ちまった」

     横になっていた事務所のソファーから気だるげに上半身を起こした左馬刻は、地を這うような低い声でボソリとそう呟いていた。
     もしここに舎弟がいたならば、きっと顔を青くして逃げ出していたことだろう。
     その時、まるでタイミングを見計らったかのようにソファーの隅に放ったままのスマホが鈍く震え、着信を知らせた。
     液晶に浮かび上がったのが「ある仕事」を任せていた舎弟の名前だと確認すると、まだ僅かに覚醒しきらない頭のまま急いで通話ボタンをタップした。

    「おぅ」
    『兄貴、ご苦労様です』
    「例の件か?」
    『はい。それが……』
    「見つからねぇのか」
    『はい。事務所周辺を張らせましたが、ここ数日は誰も姿を見せてねぇようです。イケブクロでそれらしい目撃情報もなし。行方不明ってのは本当かと』
    「そうか」

     決して銃兎に嗾けられたわけではない。ただ、納得がいかなかっただけだ。
     一度敗れたくせに、あのバトルの後も一郎の闘志は死んでいなかった。自分はまだ戦えるのだと、次は弟達と共に倒してみせると睨みつけたあの生意気な目が嘘だったとは思えない。
     それに何より、左馬刻には一郎との間にはっきりとさせなければならないことがある。

     ――合歓お姉さんがああなったのって、僕のせいだからね。
     ――僕が真正ヒプノシスマイクで彼女にマインドハックしたんだ。

     久方ぶりに再会した妹の合歓は、自らを行政監察局の副局長だと名乗った。そして兄である左馬刻を逮捕しようとした。
     どうやらそれは中王区の総意ではなかったようだが、あの時の合歓の様子はどう考えても異常だった。
     そして、その直後に乱数から明かされた真実も俄かには信じられなかったが、どうやら嘘ということでもないらしい。
     ならば、左馬刻がこの二年間抱え続けてきた一郎への怒りは何だ?
     一郎が招いたと思っていたものの原因が全く別のところにあると知ってしまい、苦しみながらも決して捨てることのなかった憎悪の行き場を突然失ってしまった。
     当然あの時はひどく動揺したし、今だってまだ気持ちの整理はついていない。

    『次は周辺の街を……』
    「いや、この件はもういい。苦労かけちまったな」
    『いいんですか? こりゃ本当にヤバいことに巻き込まれたんじゃ……』
    「組に関係ねぇ問題でこれ以上お前らを動かすわけにはいかねぇ。一郎は俺が探す」

     一郎を憎むと決めた。
     意地っ張りで強気で生意気で、あの頃きっとどの舎弟よりも可愛がっていた不良のガキを「敵」と見なすと決めたのは左馬刻自身だった。
     けれど、どんなに今憎しみを重ねてもあの頃抱えていた感情は一向に失せる気配がない。愛憎入り混じるとはよく言ったものだが、こんなにも憎い一郎への情を捨てきれずに、左馬刻はずっと苦しみ続けている。
     本当は恨みたくなどなかった。本当はあの頃のように見守っていたかった。
     十九とはいえまだ成人すらしていないのだから、左馬刻にとって一郎は変わらずガキのままだ。なのに、今もたった一人で弟達を養って、弱音を吐く場所もなく懸命に背伸びして立っているのだろうか。
     左馬刻はかつて、男なら家族を喪う以外のことで泣くな、と一郎を叱咤したことがある。過酷な環境に置かれている一郎にこそ、誰よりも強く生き抜く術が必要だと思ったからだ。
     以来、一郎はその言葉に違うことなく、容易に涙を見せることはなくなった。あの時、一郎が可愛いからこそ強くあれと諭したが、どうしても一人で立っていられなくなった時はには自分が傍で支えてやるつもりでいた。どうしても涙が抑えられないというのなら、それを拭って「男のくせに」と揶揄ってやろうと決めてきたのだ。
     けれど、左馬刻と一郎は袂を分かってしまった。一郎が弱さを見せられる大人はもういない。
     辛くて誰かに手を差し伸べたくなった時はどうしているのだろう?
     不安で恐ろしくて何もかも投げ出したくなった時はどうしているだろう?
     そんな一郎の姿を思うと、時折歯痒くて苦しくてどうしようもなくなる時がある。
     殺したいほど憎らしいはずなのに、同時に元気でやっているのか、一人で何か抱え込んではいないかといつまでも気にかかる唯一の相手。
     しかし、一郎への複雑な感情を持て余したまま二年もの時が過ぎた今になって、この憎悪の根元が誤解であったのだと知らされた。
     単純に「そうですか」と和解できるようなものでもないが、自分達の間にある誤解は何なのか、なぜそれを「強いられて」しまったのか、それをはっきりさせるために左馬刻には一郎と話をする必要があった。だからこうして探している。
     ただそれだけだ。
     それにしても、組の者が探してここまで足取りが掴めないというのはおかしな話だ。
     左馬刻が信頼する有能な人間を選んで事にあたらせたはずなのだが、それでもあの三兄弟の誰一人の情報も探し出せなかった。
     この「ゼロ」という結論から導き出せるものは一つ。
     H歴において圧倒的な権力を握る組織、言ノ葉党――つまりは中王区が絡んでいる可能性が高い。
     先日、左馬刻自身が危うく中王区に身柄を拘束されそうになった一件はまだ記憶に新しい。何とか逃げおおせたものの、奴らに目を付けられているのは確かだろう。そしてここに来てバスター・ブロスの兄弟が――山田一郎が失踪したのだという。
     左馬刻と一郎の共通点などただ一つだ。かつて伝説と謳われたTDDのチームメンバーだということ。
     何かが起きようとしている。
     胃の奥が騒めくような不気味な感覚に左馬刻は一人眉を顰め、電話帳に登録された「ある番号」を呼び出した。

    ***

     あれから数日。思い当たる場所を虱潰しにあたってみたものの、未だ一郎の居場所を突き止められないでいる。
     舎弟に見つけられなかった時点でイケブクロにはもう居ないのだろうと踏んでいたから、TDD時代によく過ごしたたまり場や公園など、左馬刻しか知りえないであろう他のディビジョンを中心に探してみたが、全て空振りに終わった。
     それどころか、左馬刻自身にも中王区の手が迫ろうとしているらしく、悠長に人探しなどしている場合ではなくなってしまった。

    『左馬刻、お前に中王区から逮捕状が出てる。今度は正式なやつがな』

     焦った様子の銃兎から電話でそのことを知らされ、どこか他人事のように「そりゃそうだろうよ」と呟いた。
     一郎にだけ手を出して「他」を放っておくはずがない。自分にも再び追手がかかることは想定していた。

    『理鶯のところに行け。あそこならまだ割れてないはずだ』
    「それも悪かねぇが、暫くはセーフハウスを使う。理鶯にはヤバくなったら匿ってくれとでも伝えてくれや」
    『大丈夫なのか? 今お前に消えられちゃ困る』
    「問題ねぇ。ありゃ組の人間にも言ってねぇからな、多少は時間稼ぎになンだろ」
    『……分かった。準備ができたら連絡する』
    「おう」

     左馬刻はヨコハマ・ディビジョン内に一つセーフハウスを持っている。
     自宅とは別に緊急時に身を隠すために確保した部屋で、それは自分に近い舎弟数人には場所も教えてあった。
     けれど、左馬刻が今回向かったのは、シンジュク・ディビジョンの外れにある古びたマンションだった。
     決して組の者を信用していないわけではないが、今回ばかりは複数人が場所を知るヨコハマのセーフハウスを使うわけにはいかない。何せ追手は中王区なのだ。
     左馬刻が人知れずシンジュクに借りていたその部屋はセーフハウスと呼ぶにはあまりにも長く放置されていた。記憶が正しければ、かれこれ二年は訪れていない。
     この部屋の存在を知るのは左馬刻自身と、それに山田一郎のたった二人きりだ。
     まだ左馬刻がTDDとして活動していた頃、このセーフハウスで幾度も一郎と時間を過ごした。終電を逃したとか、バトルで疲れて帰る気力もないから寝床にしただとか、とてもセーフハウスのあるべき役割を果たしてはおらず、おかげで部屋のあらゆるところに一郎との思い出が染みついていた。
     左馬刻が二年もの間この部屋に近づこうとしなかったのは、偏にそれを思い出すのが嫌だったというだけの理由からだった。
     我ながら女々しい思考回路をしていると辟易するが、背に腹は代えられぬ今の状況ではそんなことを言っている場合ではない。
     人に知られていないこの場所は身を隠すのに都合がいい。
     長い間使っていなかったから、きっと随分埃をかぶっているのだろう。けれど、きっと自分はそんな誇りまみれの部屋を見ても、一郎と過ごした日々を忌まわしいほど鮮明に思い出してしまうのだろう。
     そんな馬鹿らしいことを考えながら、憂鬱な気持ちで鍵をさし込み部屋のドアを開けた。
     真っ暗な部屋に一歩足を踏み入れると、目の前に一組の靴が脱ぎ捨てられているのが目に入った。

    「……!」

     黒と赤の運動靴。大きさからして間違いなく男物だ。
     まさか、もう既にこの場所も突き止められていたのだろうか。
     ヒュッと息を呑んで反射的に身構えたが、左馬刻を捕えようというならこんな場所に律儀に靴を脱ぐ間抜けがいるはずがない。
     それに、この男物の靴が妙に引っかかる。全く見覚えのない靴には違いないが、黒と赤はTDDで組んでいた当時、一郎が好んで履いていた靴の色だ。
     以前のディビジョン・バトルでは相手の靴など気にも留めなかったが、この靴はいかにも一郎が好んで選びそうなものだと思った。
     部屋の鍵は一郎にも持たせてある。決別して以降はあの耳のピアスと共にとっくに捨てたものだと思っていたが、まだ持っていたならこの部屋に入ることはできる。
     なにせあの時から部屋の鍵を変えていないままなのだ。

    (はっ、まさかな。今更こんな場所にあいつが来るはずがねぇ)

     冷静な自分が頭の中でそう言い聞かせているが、心臓はドクリドクリと高鳴るばかりだ。
     息を殺したまま素早く靴を脱ぐと、なるべく足音を小さくしてリビングの扉を開けた。
     すると、部屋の真ん中に鎮座するソファーに男が一人、うつ伏せにして横たわっていた。
     黒い髪に赤と青のジャンパー。襟元まで伸びた鬱陶しい髪の合間からチラリと覗く耳朶にはピアスの穴が残っていた。

    「……一郎」

     それは、ここ数日左馬刻が探し続けていた男。
     行方知れずになったはずの山田一郎だった。

    「オイ、テメェこんなとこで何してやがる」

     急いで部屋の電気をつけ、ソファーからはみ出た長い脚をトン、と軽く蹴り上げる。
     けれど一郎はまるで反応する様子がなく、ぐったりとソファーに倒れ込んだままだった。

    「返事しろや、クソダボ」

     ソファーの前にしゃがみ込んでもう一度声をかけてみたが、やはり反応はない。
     仕方なく手を伸ばしてうつ伏せの身体を仰向けに返すと、ようやく現れた一郎の顔色は真っ青だった。

    「っは……、っ……はッ……」

     息が荒く、額には汗が滲んでいる。額に手を触れさせてみると、驚くほどに熱い。

    「……このクソガキ」

     本人に届くはずもない悪態を吐くと、すぐに分厚いジャンパーを脱がす。中に着ていた薄手の白いパーカーは汗でぐっしょりと濡れていた。

    「ンでソファーで倒れてんだ。ベッドあんの知ってんだろが」

     自分と同じ体格の男、それも意識を失って力の入らない身体を運ぶのは相当に骨が折れる。それでもこの状態でソファーに放っておけるはずもなく、左馬刻は何とか一郎を抱え上げると奥のベッドルームへ運んでやった。



     自分は一体何をしているのだと何度問いかけたか知らない。
     一郎がどうなったところで知ったことではないと何十回と頭の中で自分に言い聞かせ続けた。
     けれど、それに反して左馬刻の身体はまるで言うことを聞くつもりがないらしい。既に警察から追われる身であるくせに深くフードを被っただけの簡単な変装で外に出て食料や薬を調達し、気付けば甲斐甲斐しく一郎の看病を始めていた。
     一体何があったのか知らないが、一郎はひどく衰弱しているようだった。どこかにあったはず、と部屋をひっくり返して探し出した体温計で熱を測ると、三十九度近い数値が表示されていた。

    「ンだこの熱はよ、ふざけんな」
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    うめこ

    TIRED【小説】サマへの好きを拗らせているイチと、イチが他の男を好きになったと勘違いしてるサマが2人で違法マイクを回収する話④
    ※H歴崩壊後
    ※名前があるモブ♂が出張ります、モブいちっぽい瞬間がありますがサマイチの話です。
    カーテンの隙間から薄い紫の空が見える。 まだ日は昇りきっていないが、どうやら朝になったようだ。
     のろのろと体を起こしスマホを手に取ると、時刻は五時を過ぎたばかりだった。
     隣で寝息をたてている一郎は起きる気配がない。
     昨晩は終ぞ正気に戻ることはなかったが、あれからもう一度欲を吐き出させると電池が切れたように眠ってしまった。
     健気に縋りついて「抱いてくれ」とせがまれたが、それだけはしなかった。長年執着し続けた相手のぐずぐずに乱れる姿を見せられて欲情しないはずがなかったが、その欲求を何とか堪えることができたのは偏に「かつては自分こそが一郎の唯一無二であった」というプライドのおかげだった。
     もう成人したというのに、元来中性的で幼げな顔立ちをしているせいか、眠っている姿は出会ったばかりの頃とそう変わらない気がした。
     綺麗な黒髪を梳いてぽんぽん、と慈しむように頭を撫でると、左馬刻はゆっくりとベッドから抜け出した。
     肩までしっかりと布団をかけてやり、前髪を掻き上げて形のいい額に静かに口付ける。

    「今度、俺様を他の野郎と間違えやがったら殺してやる」

     左馬刻が口にしたのは酷く物騒な脅 4404

    うめこ

    MOURNING【小説】サマへの好きを拗らせているイチと、イチが他の男を好きになったと勘違いしてるサマが2人で違法マイクを回収する話②
    ※H歴崩壊後
    ※名前があるモブ♂が出張ります、モブいちっぽい瞬間がありますがサマイチの話です。
    へまをするつもりはないが、失敗すれば相手の術中にはまる可能性だってある。家族を――二郎や三郎のことを忘れてしまうなんて絶対に嫌だ。けれど、自分がそうなってしまう以上に左馬刻が最愛の妹、合歓を忘れてしまうことが恐ろしいと思った。
     左馬刻は過去、中王区の策略によって合歓と離れ離れになってしまった。あの時は一郎もまたその策略に絡め取られて左馬刻と仲違いする結果になったが、一郎が弟達を失うことはなかった。
     それが誤解の上の擦れ違いだったとしても、あの時左馬刻にされた仕打ちはやはり許せない。けれど、あの時左馬刻が世界でただ一人の家族と離れ離れになってしまったのだと思うと、なぜだかこの身を引き裂かれるように辛くなった。
     一郎がこんなことを考えていると知れば、きっと左馬刻は憤慨するだろう。一郎のこの気持ちは同情などではないが、それ以外の何なのだと問われても答えは見つからない。
     左馬刻は他人から哀れみをかけられることを嫌うだろう。それも相手が一郎だと知れば屈辱すら感じるかもしれない。「偽善者だ」とまた罵られるかもしれない。
     それでも左馬刻が再び家族と引き裂かれる可能性を持つことがただ嫌だと思 10000

    うめこ

    MOURNING【小説】サマへの好きを拗らせているイチと、イチが他の男を好きになったと勘違いしてるサマが2人で違法マイクを回収する話①
    ※H歴崩壊後
    ※名前があるモブ♂が出張ります、モブいちっぽい瞬間がありますがサマイチの話です。
    「だから、俺が行くっつってんだろ!」
    「!? テメェになんざ任せられるか、俺様が行く」

     平日の真昼間。それなりに人通りのある道端で人目もはばからずに言い争いを続ける二人の男。
     片方はとびきりのルビーとエメラルドをはめ込んだような見事なオッドアイを、もう一方は透き通るような白い肌と美しい銀髪の持ち主だった。
     ともに長身ですらりとした体躯は整った顔立ちも相まって一見モデルや俳優のようにすら見える。
     そんな二人が並んで立っているだけでも人目を惹くというのに、あろうことか大声で諍いをしていれば道行く人が目をやるのも仕方のないことだった。
     況してやそれがかつての伝説のチームTDDのメンバーであり、イケブクロとヨコハマのチームリーダであるというのだから、遠巻きに様子を窺う人だかりを責める者など居はしない。
     もちろん、すっかり頭に血が上った渦中の片割れ――山田一郎にもそんな余裕はなかった。

    「分っかんねぇ奴だな! あんたのツラ明らかに一般人じゃねーんだって」
    「ンだと? テメーのクソ生意気なツラも似たようなもんだろうがよ!」

     いがみ合う理由などとうの昔になくなったというのに、 9931

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    もろごりら

    PROGRESS全然書けてないです。チマチマ進めます。
    左馬刻が両目右腕右脚を失った状態からスタートしますので身体欠損注意。
    何でも許せる人向け。
    左馬刻が目を覚ますとそこは真っ暗だった。真夜中に目覚めちまったかとも思ったが、何かがいつもと違っている。ここが自分の部屋ならば例え真夜中であっても窓は南向きにある為カーテンの隙間から月明かりがうっすら差し込んでいるはずだ。しかし今は何も見えない。本当の暗闇だった。

    なら、ここはどこだ?

    耳を澄ましてみる。ポツポツと雨の音が聞こえる。あぁ、だから月の光が届いていないのか。
    他の音も探る。部屋から遠い場所で、誰かの足音が聞こえた気がした。
    周りの匂いを嗅いでみた。薬品と血が混ざったような匂い。これは嗅ぎ慣れた匂いだ。それにこの部屋の空気…。もしやと思い枕に鼻を埋める。
    やっぱり。
    枕からは自分の匂いがした。良かった。てことはここは俺の家の俺の部屋か。ならばベッドサイドランプが右側にあるはず。それをつければこの気色悪ぃ暗闇もなくなるは、ずっ…
    押せない。スイッチを押すために伸ばした右腕は何にも触れないまま空を切った。おかしい。動かした感覚がいつもと違う。右腕の存在は感じるが、実態を感じない。失っ…?
    いやいやまさか。落ち着け。枕と部屋の匂いで自室だと勘違いしたが、ここが全く知らない場 6126

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