わざと焦らすエのデュエス 特に深い事情がある訳でもなかった。
「エース」
なんとなく、いつもより態度が柔らかかった日の夜。からかわれることも少なかった日の夜。
ただ、ちょっとそういう気分になって名前を呼んでみたら、押し倒されたのがこちらだったというだけで。
僕の腹を跨ぐように乗っかってきたエースは、逆光でもわかるくらいに唇の端をつり上げていた。
それを見て、身体が勝手に動きかける。形勢逆転したい。僕が、エースをシーツに沈めたい。これはもう、生物としての本能で、反射的なものだった。
だがそれは他でもないエースによって阻まれる。
ダーメ、そう言ってやんわりと手で制してきた。力はほとんど入っていない。少しばかり無言の圧があるだけ。
——まだ主導権はオレの。
するとこちらは迂闊に動けなくなる。なんとなく、雰囲気を壊したくないから。ここは無理にマウントポジションを取る局面じゃない。
黙って従うそぶりを見せると、エースはイイコ、とでも言うように目を細めた。それからひどく緩慢な動作で僕のひたいに手を伸ばし、そっと前髪をかきわける。ちょうど伸びてきた頃で、来週切りに行こうと思っていたのだ。やや鬱陶しい髪の束をどかされて、僕の表情がエースの前にあらわになった。
自分で自分の表情はわからないが、きっと思ってることが顔に出ているんだろう。エースが黙って僕の顔を眺める時間。なんてじれったいんだ。
「期待してる顔」
エースがいよいよ笑みを深める。そうだ、こいつは。いやこいつも。僕のことを見下ろすのが好きで仕方ないのだ。僕がエースを押し倒して、腕の中に閉じ込めるのと同じくらいに。
「ね、オレに何したい?」
まるで歌うような調子でささやいてくる。答えを求める質問じゃない。だって、言葉にしなくとも、これからたっぷり身体で伝えてやる。
要するに、目の前の男は僕の想像を掻き立てて遊んでいるのだった。どうせ数分後には余裕なんかなくなるくせに。わかっているから、なおさら綽々とほほえむ。
そして、僕の方だってまんざらでもないのが事実だった。狩りは獲物が強く魅力的なほど仕留めがいがある。これも、男の本能。早く、はやく。そう叫ぶ欲求を理性で押さえつけるほど、それは身の内で凶暴に育っていく。
でも、それも限界だった。エースがきまぐれに服の上から僕の身体をなぞる。触れるか触れないかの力加減に、そろそろ頭が沸騰しそうだ。もう充分、このもどかしい時間を愉しんだだろう。もう。
ちゅ。
とどめは可愛らしいリップ音。次の瞬間、白いシーツにぱさりとテラコッタが散る。今度は有無を言わせなかった。
「エース」
今こそ、頭の中で考えていたあれこれを行動に移すとき。余裕そうな笑みがとろけきった泣き顔に変わる瞬間をはやく見たい。それだけを楽しみに今の時間を過ごしてきた。
——もう主導権は僕のだ。
なのに、笑ったのはやっぱりお前だった。