【飯P】ぬるい水にあなたと 子供の頃、真夏のこんな暑い日は庭にビニールプールを出して遊んだ。円いかたちの青いプールで、壁面には賑やかな魚や貝の絵がプリントされていた。水ははじめ暴力的に冷たく、だが陽射しにさらされる内にぬるく温まっていく。ビニールの匂いがかすかに立ちのぼって、なんとも言えない「夏の気分」を掻き立てたものだ。
暑さからふとそれを思い出し、ぬるい水を溜めた浴槽は、ビニールプールとは様子が違っていた。手足の長いピッコロさんのために、この家の浴槽は大きいものを選んでいた(なのに、ピッコロさんは全く浴槽に浸からない。暮らしはじめてすぐ湯あたりしてから、シャワーで済ませるようになってしまった)。さりとてビニールプールの広さには遠く及ばず、白いプラスチックは無愛想で固かった。そんなものへせっせとぬるい水を溜めている僕を、朝から神殿へ出掛けているピッコロさんが見たら、きっと呆れただろう。
水着は大袈裟だが、裸だとただの入浴になってしまう。すぐに洗濯すればいいと、僕は着たものをそのままに水へ腰を下ろした。深さは腰ほどだが、それが却って「夏の庭先のプール」の風情を際立てた。
可能な限り脚を伸ばすと、水に浸かった部分から、身体に籠った熱が引いていくのが分かる。窓の外からは、蝉の声と濃い草いきれがかすかに運ばれてきた。
なかなか、悪くない。ビニールプールほどではないが。
「……何をしている?」
満足していると、突然後ろから声をかけられた。
「あ、お帰りなさい」
予定より、帰りが早かったらしい。既にマントもターバンも外しているところを見るに、家へ戻って真っ直ぐここへ来たというわけでもなさそうだ。浴槽の真横まで歩み寄って来ると、浅い水に服のまま浸かる僕を見て、心底困惑した顔をしている。
「ずいぶん早い入浴かと思えば、何だ……?」
「プールに入っている気分になりたくて」
「風呂だろう、これは」
「だから気分ですよ、気分」
どこから説明したものか迷い、結局、子供の頃のビニールプールのこと、暑さでそれを思い出したこと、一から十まですべて話した。
「……簡単にいうと、童心にかえりたかったんです」
説明している内に自信が湧き、胸を張って締めくくったが、ピッコロさんは呆れ返った様子で言った。
「服もそんなに濡らして……童心にかえるより、大人になれ」
僕はむっとして、無防備に立つピッコロさんの片手を掴んだ。
「ぬるい水に浸かる気持よさを知らないから、そんな風に言うんですよ」
「水に浸かったことくらいある」
「違うよ。流水じゃない、熱くも冷たくもない水!」
話しつつ、ピッコロさんの腰を横っ拐いに引いて浴槽へ引きずり込んだ。空間に余裕がなく、自然と、伸ばした僕の脚の上に跨がるかたちとなる。
「……狭い」
「狭いけど、でも、ぬるい水はいいでしょう?」
否定がないことが返事だった。炎暑の水風呂ほど、心地良いものは他にない。
急に引きずり込んだから、ピッコロさんは半身に水を被ってしまっていた。濡れた服地が、扇情的な身体の線をすっかり露にしている。俄に悪戯心が湧いてきて、向き合った身体を抱き寄せた。二人とも濡れており、裸で抱き合うよりも強く密着しているように感じる。抱きしめたまま肩へ額をつけていると、胸と胸の間に鼓動を感じることができた。
「……本当なら、毎晩こんな感じで、一緒にお風呂に入りたいんだけどなぁ」
「嫌だ。お前は湯を熱くしすぎる」
ピッコロさんは濡れた手を僕の背中へ当ててくれながらも、忌々しげに吐き捨てた。僕は思わず笑って顔を上げ、眇めた目に睨まれる。
「実家のお風呂が熱かったから、めいっぱい熱くないと物足りなくて。水風呂は、別ですけど」
ピッコロさんの背中に回していた手を、背骨に沿って撫で下ろす。道着の裾を引っ張り出し、直接肌へ触れると、濡れた服に体温を奪われいつもよりずっと冷たかった。布地が、手の甲へまとわりつく。
ごく近くでまなざしが絡む。狭い浴槽の中で身体は動かし辛く、唇を重ねることすら、普段と具合が違った。大体、ピッコロさんの方が長身なのに、僕の腿に座らせているのだ。僕が口腔を犯していても、鳥の雛が餌をもらうような姿勢だと思うと、可笑しかった。
窓からは、藍に近いほど濃い青空が見える。よく晴れた真夏の空は暑さを思わせたが、水風呂に浸かっている僕らは一時それを忘れることができていた。
不自然な姿勢のせいか、いつもより早くピッコロさんの呼吸が苦し気になってくる。唇を解放し改めて上体を抱きしめると、甘やかな吐息が耳を擽る。悟飯、と小さく僕を呼ぶ声は、しかし「そろそろやめろ」の響きだと分かった。
それでも背中を撫でているだけの間は、はっきり制されることはなかった。滑らかな肌が、しっとりと手のひらへ吸いつく。ピッコロさんは情欲の昂りを抑えるかのごとく目を伏せて、こちらを見てはくれない。だが僕の手が脇腹を下り、帯を緩めんとすると、途端に身を捩って逃れようとした。
「お前っ……こんな明るい内から……」
「だめ?」
水に浸かる脚の付け根へ手を忍ばせると、ほとんど反射のように肩が竦められ、ピッコロさんの手が僕の腕を掴む。
「あぁっ、悟飯……待て……!」
抱き合っているためよく見えぬまま、手探りでその部分へ愛撫を加える。小さく声が上がり、身じろぎが水面を乱す。
悶えつつも僕を押し返そうとする姿が健気で、一度その手に従った。大人しく見上げれば、瞳はすっかり潤んでいる。少し落ち着いたらしく、深くため息をついた。
「終わりだ」
「いいじゃないですか、明るかろうが」
「……童心にかえると、言わなかったか?」
「大人になれって、言いませんでしたか?」
ピッコロさんが言葉に詰まる。返事を待たず下肢に手を伸ばすと、今度は制する動きも逃れる動きも、なかった。本当に嫌がっているわけでは、ないのだ。
「……水風呂もいいけど、毎晩一緒にお風呂に入れたら、嬉しいのに」
「またそれか……断ると言っている」
ただ、とピッコロさんは勿体ぶる。声に微笑が滲んでいた。
「毎晩この水温なら、入らなくもない」
……本当に、嫌がっているわけでは、ないのだ。
さりとて、毎晩水風呂というのは流石に考えものだ。再度話し合う必要があると、帯を引き抜きながら、僕は窓から覗く夏空を見上げた。