その首に巻かれたもの夕暮れが地平線に呑まれる刻、ビリーは新エリー都の外れにある寂れたモーテルへと向かっていた。
古びた階段を上がり約束している部屋に足を踏み入れれば、すでにベッドの上に男が座っていた。
「どうも、パイセン」
「待たせたかライト」
「いえ、今来たとこなんで然程」
会話だけならば他愛のないものだったが、2人が今いる場所、そしてライトの首にあるモノが異常を示していた。
「…やるか?」
側に歩み寄ったビリーの指先がライトの首を撫でる。
その首にはいつも巻かれている赤いマフラーの代わりに、生々しい痣が薄らと刻まれていた。
それは誰でもない、ビリーの手によって付けられたモノであった…。
2人が異様な関係となったのは、最悪の偶然からだった。
それは数ヶ月前、野暮用を済ませたビリーが新エリー都の外れにて帰路についていた時のこと。
そこは中心街に比べて治安はあまり良くなく、寂れたバーやモーテルが多く立ち並ぶ地域だった。また逢引きなどにも適した場所として知られていた。
当然ビリーは別件でたまたまここを通り過ぎただけであったが……
(ん?なんでアイツが…)
日は沈みかけ薄暗い中だったが、モーテルの階段の下でひっそりと佇む男に見覚えがあった。それは間違いなく自分の後輩とも言えるカリュドーンの子のチャンピオン、ライトだった。
しかし一瞬人違いかとも思った。というのも彼が後生大事に身に付けている赤いマフラーが見当たらなかったからだ。
(こんなとこで何やってんだ?)
思わず反射的に建物の影に隠れ観察する。
邪兎屋に身を置いてからは何かと身を隠す癖がついてしまったようだ。
程なくしてライトに向かって行く1人の男が現れた。
ラフな格好ではあるが着ているものの素材は悪くない。またその立ち振る舞いもおおよそこの地域には似つかわしくないものだった。
恐らくそれなりの地位の者だ。
お忍びで特別な一夜を共にする相手を買う連中も少なくない。
その"特別"とは到底人前では晒すことのできない趣味を楽しむことであり、まさに此処はうってつけの場所であった。
この先の展開が脳裏をよぎったビリーはそれを追い払うかのように頭を振り、観察を続ける。
男は一言二言交わした後、ライトの腰に手を回し階段を上がり部屋へと導いた。
(嘘だろ…)
何をしてるんだ?何か事情があるのか?
勘違いであってくれと願うビリーの思考回路は路頭に迷う。
(オレはどうしたらいい?
何も見なかったことにして去るべきか……ムリだ、きっと一生忘れられない。次にアイツと会う時にどんな顔をすればいい?)
知る必要がある。だから待った。
その間は何も考えたくなく、手元のスマホで思考と時間をつぶす。
一体何を調べて何を見ていたかも覚えていない。
ただ無心でスマホの画面を見つめていた。現実を視界から追い払うかのように。
ギィ、と錆びた扉が開く音にビリーの思考は再び慄く現実へと引き戻される。
気付けば周りはすっかり闇に呑まれていた。
コツコツと階段を降りる音が聞こえてくる。
敷地の正面口で言葉を交わす2人を再び建物の影から観察する。これまた別人が話しているんじゃないかと錯覚させられた。
「楽しめたよ、ありがとう」
「それはなによりです」
「また連絡するよ」
「お待ちしおります」
端的な言葉だけで別れを告げ、男はすぐに暗闇へと消え去った。それを確認したライトは蹄を返し歩みを進めた。
凡人ならば気づかなかっただろうが、戦いに身を置くビリーにはお見通しだった。僅かだが身体を庇うようにして歩いていることに…。
ライトがモーテルの前を通り過ぎようとしたところで、建物の影から現れた男に立ち塞がれた。
「よぉ、ライト奇遇だな」
嫌でも見覚えのある赤いジャケットを着た機械人を前にし、ライトはサングラスの下で一瞬目を見開く。
(最悪だ…)
1番見られたくない人に見つかってしまった。
「……人違いじゃないっすか」
顔を背け、指でサングラスを持ち上げる。
無駄だと分かってはいるが、場は誤魔化せるかと思った。
「確かに、まるで別人のような喋り方だったなライト」
念を押すように名前を呼ばれ観念する。
「ちぃとビジネスの話でしてね…」
「ほーう、こんなとこのモーテルで2時間以上過ごし、体を庇うほどの依頼とは…さぞご立派なビジネスなんだろうな」
全て見破られていることを知ったライトはバツの悪そうな表情を浮かべる。その事の言及を避けたくいつもの調子で軽口を叩いてみせる。
「パイセン、ストーカーなんて趣味わりぃっすよ」
「たまたま見かけたから偵察しただけだ!それに話を逸らすな!」
「はぁ…」
流石に避けられないか、と小さくため息を吐く。
「ちょっとこっち来い」
このままでは埒があかないと思ったビリーはライトの腕を掴みモーテルの裏へと連れ込んだ。
「それで、何してたんだ?」
「……」
いつもの口車では誤魔化せないと悟ったライトはどうしたものかと思考を巡らせる。
結局のところ何をしていたか大体結論づいている者に、わざわざ説明する必要もないという考えに至る。
「パイセンが想像してる通りのことですよ……ただ、それだけっす」
「……何故だ、ライト」
その問いが1番困る。どう説明したものかと再び頭を悩ませる。できれば見逃してもらいたいのだが……。
しかしビリーにその気は無い。納得するまで逃すまいとライトを壁際に追い詰めている。
そんな面持ちの先輩を見て観念したライトは重い口を開いた。
「その、なんというか、自分の生活費はこれで稼ぎたいんで…」
ライトの歯切れの悪い返答にビリーは訝しげな表情を浮かべて首を傾げる。
上手く丸めこみ納得させる方法が今のところ思いつかず、どうしたもんかとライトも頭を掻く。
「どうしてだ?おやっさんからは十分貰ってんだろ?」
「…まぁ」
詰みだ。現場を見られた時点でどうしたって言い訳が立たない。
(何もかも吐かなきゃならねぇのか…)
ここまで来たら話しても話さなくても結果は同じだ。
(きっと幻滅されるだろうが、まぁいいか…)
ライトはどうにでもなれと半ばヤケクソに答える。
「正当な金は全部それに相応しく、必要としてる人に渡してるんで…俺が生きてく分の金は、こういうのでいいんすよ」
ビリーからの返答はない。きっと納得していないのだろう。
それでも言うべきことは言った。
機械人が泣くことはないが、ふと顔を上げたライトの眼に映るビリーは涙を流してもおかしくないほど悲しげな表情だった。
(なんでアンタがそんな顔するんすか…)
それを見て、もう今までの関係は保てないことを悟った。
先輩と後輩、友人、そして彼の後を継いだチャンピオンの立場も……。
「分かんねぇよ、なんでこんな稼ぎ方するんだ?……あぁ、そうだ、手が空いてる時はウチで仕事していかねぇか?オマエみたいな腕利なら親分も歓迎してくれるぜ」
一瞬見せた悲しげな表情など幻覚かのように、パッといつもの明るい振る舞いを見せ提案する。
「それもいいっすね…援助する金が増えてありがたいですし、ッ!」
同じくライトも調子良く答えたが、その内容はビリーの怒りを買ってしまったようで、胸ぐらを掴まれ壁に背中を叩きつけられた。
ビリーもライトの全てを知ってるわけではなかったが、借金を抱えていたことや、その金が誰のために使われているのかはなんとなく察していた。
そんな中でも背負いきれなくなった赤いマフラーを引き継いでくれた彼にに感謝していた。
だからこそ自分を大切にしてほしかった。
「もう、こんなことやめろ…」
「……すみません、これは誰かを護るチャンピオンとして二度と同じ過ちを犯さないための自戒で……こんな俺が生きるのに必要な罰なんすよ」
「そんなもん、もう十分償っただろ…オマエはチャンピオンなんだからよ、堂々と生きろ」
わずかな希望を持って、半ば懇願するかのように言い聞かせる。
しかしその想いは届かず、ライトの返答は悲観的なものだった。
「こんな汚れた奴がチャンピオンなんてパイセンも納得できないでしょう……」
ライトは目を伏せ静かに告げる。
「おやっさんや大将達には上手く言って姿消しますよ。アンタの前からも…」
「どんな罰だ」
「は?」
こちらの言葉など聞こえていないかのような的外れな問いに、ライトは素っ頓狂な声を漏らす。
構わずビリーは真剣に問う。
「いつも相手にする連中にどんなことされてんだ?」
「そんなこと知って、どうすんすか」
「どうするって?」
ビリーはライトの両腕を掴み、先程より強く壁に背中を叩きつける
「ッ‼︎」
そして逃げ場を奪うように身体を寄せ、耳元で低く囁く。
「パイセン直々に罰を与えてやるよ」
ビリーの突然の豹変ぶりに状況を把握しきれないライトの股間に、硬い脚が当てがわれる。
「まぁ大体何されてたか予想はつくけどな」
「パイ、セン…やめっ」
「罰だもんな、ちぃと痛ぇ方がいいよな?」
ビリーの脚が徐々に上へと持ち上がりライトの急所に食い込む。
「ひ、ぎッ!」
痛みから逃れようと踵を浮かせ本能的に身体を捩る。
「なぁ、ひとつ質問なんだけどよ…罰を受ける側がやめろって言ったら止めるべきか?」
「ク、っ…」
その残酷な問いにライトは小さく首を振る。
抗うのをやめ、呼気を震わせながら与えられる痛みを享受した。
萎縮したように見えるライトにビリーは優しい声で諭してやる。
「必要なら今度からはオレがしてやる。だから見ず知らずの奴にチャンピオンの身体を開け渡すんじゃねぇ」
さすれば素直に頷くライト。その表情を窺えば、その口は僅かに微笑んでいた。
「パイセン直々に罰してもらえるなら、光栄っすよ…」
震える声で答えるライトに複雑な想いがありつつも少し安堵する。
「あぁ、それでいい。だが加減してやれるか分からねぇぞ、そっちの方の痛覚は機械人のオレには分かり辛いかもしれねぇからな」
「しなくていいっすよ、正直人間相手じゃ物足りなかったんで……なんで泣いて許しを請うても、構わず罰っしてくださいよパイセン」
「本当にオマエって奴は…とんでもないモン背負ってんな…」
愚直な後輩に対して少々背徳感が生まれる。
(でもまぁコイツが救われるなら、いいか…)
申し訳なさそうにする後輩の手首を掴みモーテルへと引き連れて行った。
それからは時折こうして密会するようになった。
ベッドの上にどちらからともなく倒れ込む。
しかしライトに覆い被さるビリーは躊躇いを見せる。
ライトはそんなビリーの手をそっと掴み首の痣に重ねた。
「ありがとうございます、パイセン…」
穏やかな笑みを見せるライトを目の前に、ビリーは覚悟を決め両手を添える。
その首に課せられた重荷を少しでも軽くできるならば…
おまえが憂いなく生きてくれるのならば…
俺の側にとどまってくれるのならば……
その首に巻かれたモン、一緒に背負ってやるよライト
ビリーの鋼鉄の指がライトの首に力強く巻かれた。