… 場地圭介は口より先に手が出る男である。
自覚はしているし、周りから指摘されることも多かったので、歳を重ねるごとにそれをおさえるだけの理性と忍耐を身に付けてきたはずだった。
しかし、目の前の潤んだ金春色に映る自身の顔に、その理性も忍耐も今回は役に立たなかったことに気付く。
それでも圭介は努めて冷静に、動揺を悟られないよう踵を返した。
しくじった、という焦りと、ほのかに残って消えない柔らかい感触が圭介の体を熱くしていて、振り返ることができない。
圭介は転がっている小石を数えながらそのまま歩き出した。いつもなら半歩遅れてついてくる音が、少し遠くから聞こえる。圭介はほっとして息を吐いた。
よん、ご、ろく・・・・・・なな。
どんな表情をしているだろう。
はち・・・・・・きゅう、じゅう・・・・・・
突然の行為をどう思っただろう。
じゅういち。
「あの」
十一まで数えたところで後ろから聞き慣れた声に呼ばれ、圭介は立ち止まった。いつの間にか数えることに夢中になっていて距離を詰められたことに気付かなかったようだ。声の主は圭介のすぐ後ろにいる。
「場地さん」
圭介を苗字と敬称で呼ぶのは一人だけだ。
「学校、遅れるぞ」
相変わらず前を向いたまま、核心をつかれないように別の話題を振る。
「場地さん」
もう一度、今度は絶対に逃がさないという強い意志を持って名前を呼ばれた。諦めの悪いやつなのだ。それを忘れていた。
「なんだよ」
口から出たのはぶっきらぼうな返事だ。この先にどんな言葉が続くのか、緊張で体がこわばっている。
「オレ、ファーストキスだったっス」
声は淡々としていて感情がわからない。振り返ればきっと、何よりも雄弁な金春色の輝きが見られるだろうが、そうする勇気は今の圭介にはなかった。
「キスってすごいっスね。口と口くっつけるだけなのに、あったかくてドキドキして」
背中が暖かくなってきた。建物の影に隠れていた太陽が、圭介たちのいる道を照らし始めたのだ。
それに促されるように徐々に色を増していく声に、圭介はようやく声の主に体を向ける。
「場地さんと、もっとキスしたくなって」
色の抜けた髪が、陽を浴びて光っている。色素の薄い肌は血色良く色づき、大きな金春色の目は今にも溢れ落ちそうに水を張っていた。
それに吸い寄せられるように手を伸ばして触れた頬は、色づきとは逆にひんやりして滑らかだ。温めるように両頬を包み込み、少し下から見上げてくる目を見つめながら、期待に震える唇に触れる。
明確な意思を持って触れた二度目の唇は、一度目よりも更に柔く、甘い香りまでするようだった。
「場地さんて本当に、先に手が出るタイプっスね。・・・でも、言葉にしなくても伝わることってあるんスね」
初めて知りました、と、はにかむ顔がたまらなく愛おしくて、圭介はそのまま自分より少し小さい体を抱きしめた。今日は今年一番の寒さらしいが、二人の周りだけ春が来たように穏やかだ。
「千冬ぅ」
今なら言えるだろう。場地圭介は口より先に手が出る男だが、大切なことは言葉にして伝えなければならないということを知っているのだから。
――――――「金春色の君へ」