おいていかれたひと先程まで全身を蝕んでいた激痛がゆっくりと引いていく。
身体全体が鉛のように重い。
急速に冷えていく身体に無理やり頭を動かし下を向けば嫌な赤が眼下に拡がる。
視界がぐにゃりと歪む。
ふと世界が回りぐしゃりと遠くで音がした。
頬が、生暖かいものに触れる。
それが己の流した血溜まりに頭から倒れ込んだせいだと、分かった頃に何の感覚も感じなくなっていた。
死ぬってこんなものなのか。
ゆっくりと、暗闇に沈み込むような感覚に包まれた。
ꕤ︎︎
『カリュドーンの子、ライトが死んだ』
そんな根も葉もない噂を耳にした。
どうにもここ数日姿を見せていないこと、
カリュドーンの子のメンバーが忙しなく動いてること、
血塗れのチャンピオンを見た人間がいるとのこと、
その他諸々色々な情報やら想像やらで生まれたそれにギリ、と悠真は奥歯を噛み締めた。
ライトが倒れた。
これは間違いでは無い。
ライトは数日前にホロウ内で倒れている。
ライトが死んだ。
これは間違いだ。
ライトは死んでいない。
しかし的外れという訳でもない。
厳密にはライトはまだ死んでいない。
そんな状態だった。
初め連絡を貰ったのはカリュドーンの子メンバーのパイパーだった。
彼女は悠真とライトの関係を早い段階から知っていた。
というのも彼女は見た目の幼さと違い大人び達観した性格をしていた。
敵になれば手強いが仲間になれば心強い。
ならばと誠心誠意を込め娘を貰う婿の様に誠実さを込め話に行った。
そして結果として悠真はパイパーに認められ協力関係を築けたのだった。
そしてそんなパイパーからの連絡は簡潔的だった。
『ライトが倒れた、このままだと死ぬ。』
悠真はこのメッセージを読んだ時のことをあまり覚えてない。
気付いたら郊外まで来ていた。
待っていてくれていたらしいパイパーに連れられライトの元に行くと嗅ぎなれた消毒や薬品、血液の匂い、その中で血の気が全くない蒼白い顔、身体中を包帯に巻かれたライトが横たわっていた。
「ここじゃこの程度の治療が限度なんでぃ」
ただ死を先延ばしにしている。
郊外の設備ではそれだけしか出来ない。
そう伝えられたそれに悠真は困惑や不安を全て投げ捨てて頭をフル回転させる。
自分の知る限りの情報網を駆使し最先端の医療を最短で受けさせる。
絶対に死なせてなるものか。
急速に冷え震えそうになる指を1度握り締め動かす。
一分一秒と無駄にできない。
悠真はスマホを取り出し連絡帳を開いた。
結論から言うとライトは新エリー都でも屈指の医療施設に運ばれ命を取り留めた。
バイタルも次第に安定し今では正常値まで戻りつつある。
しかし一向に目が覚めないのだ。
検査の結果も、傷の治りも、順調に回復しつつあるにもかかわらず
ライトは全く目覚める様子がなかった。
そろそろ意識を取り戻してもいいだろうと、医者が言ったのは何週間前だったか。
はるか昔のことのように悠真は感じていた。
毎日見舞いに来た。毎日声をかけた。毎日力なく投げ出されている手を繋いだ。毎日、毎日毎日毎日毎日。
ピクリともしない瞼を見つめ、その下のペリドットに焦がれた。
先に死ぬのは自分だと、置いていくのは自分だと、当たり前の様に確信していた。
だから死んだ後も覚えていて欲しいと、幸せに生きて欲しいと、自分の望みを相手に押し付けた。
今考えれば自分はいつも置いていく側の立場でしか考えていなかった。
いつもどちらの立場にも立って考えられていると思っていた。
けれど実際は置いていかれた側の気持ちなんて真剣に考えられていなかった。
ライトに置いていかれそうになって悠真はその事実にやっと気づいた。
大切なものは失わなければ分からないという。
正にそうだと思う。どれだけ大切にしていたと思っても、どれだけ理解していると思っても。実際はほんの少しだって理解出来てない。
皆無いものばかり強請って、手元にある一等大切なものに目を向けない。
何の苦労もなく生きれていることが幸せだと思えない人間を嘲笑っていた自分も、結局同じ人間だった訳だ。
触れている手は温かい。目を瞑るライトはまるでただ眠っているようだった。
このまま起きなければ植物人間となるだろう。
そうなれば話すことなんて一生出来ない。
身体だって徐々に弱り細くなり、朽ちていく。
中身のない身体のみのそれを生きているというのだろうか。
握り締めた手を包み顔を寄せる。
そこに居るのに、どうしてこんなに遠いのか。
「帰って来て…ライトさん……」
震える声をどうしたって抑えることが出来なかった。
ꕤ︎︎
カリュドーンの子のメンバー、
RandomPrayの店長達、
邪兎屋の4人組、
他にも最近仲良くなった面々、
目の前で今までの記憶が蘇る。
これが走馬灯なのだろうか。ライトは朦朧とする中でぼんやりと見つめる。
ふと向こう側で傭兵時代の仲間達が笑っていた。
迎えに来てくれたのだろうか、俺はもうそちらに行くことを許されるのだろうか。
仲間の元に向かおうと手を伸ばした。
瞬間足が杭みたいに動かなくなる。
何故?やっとあちらに行けるのに、
喉が震える、怖い。まだ死にたくない。身体から生きたいと叫ばれる。
嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ。
ずっと死にたかった。ずっと、ずっとこの日を待ってた。
だのにいざ死ぬとなれば生きたいだと?
生きていたってしょうがないだろう、自分に生きる価値などないのに。
無理やり力を込め脚を動かそうとする、何度も繰り返していると僅かに脚が持ち上がる。
やっとだ、やっと行ける。
持ち上げた脚を前に進める。
その時くい、と腕を誰かに引かれた。
「僕が生きてる間は死んじゃダメだよ。」
自分の後ろから凛とした声が響いた。
「僕の命はそう長くないんだから良いでしょ?
僕が生きてる間はあんたの命を僕にちょうだい。」
軽薄に歪む口元、それと不釣り合いな程真剣な眼差しで言われたそれ。
「もし僕が生きてるうちに死ぬようなことがあれば地の果て迄追いかけて殴り飛ばすから。」
ゆっくり細められるレモンクォーツに目を奪われた。
袖を摘む程度だったそれは気づくとしっかり手を握られていた。
『帰って来て、ライトさん』
ゆっくりと引かれたそれに自然と足を踏み出していた。
ꕤ︎︎
ライトは死んだと、最近郊外では有名になってきたらしい。
そんな噂誰が信じるか。苛立ちでどうにかなりそうだった。
そんなことはある訳が無いと叫びたい、でも本当は1番自分が分かっていることだ。
ただそれを直視できていないだけだ。
避けているそれを他者からまるで突きつけられている様で耐えられなかった。
食事も睡眠もろくに取れずやつれていく悠真を六課のメンバーは心配していた。
店長の2人も、カリュドーンの子のメンバーまで悠真のやつれ具合を気にかけていた。
「これ、心を落ち着かせるのに良いんだよ聴いてみて」
アキラからは落ち着いたクラシックのレコードを貰った。
「これ、そーかくのお気に入りだよ!ハルマサも食べてみて!きっと嬉しくなるよ!」
蒼角からはお気に入りのお菓子を貰った。
「貴方まで倒れたらライトが起きた時にどうしますの」
ルーシーからは安眠に良いらしいお茶をくれた。
「ライトさん、見てよ。今日うちの子達が僕を挟んで寝てたんだよ。可愛いでしょ」
みんなのお陰で最近やっと周りに目を向けられるようになったんだ。
伸びてきた深緑色髪をサラリと撫でる。
「ライトさん、愛してるよ。早く帰ってきて」
今日も願いを込めてライトの瞼にキスを落とす。
ぴくり、
ふとライトの瞼が僅かに震えた。
その振動に気付いた悠真がバッとライトの顔を凝視する。
「ライトさん…?ライトさん!!ねぇ聞こえる!?」
振動を与えないように軽く肩を叩きながら声をかける。
「ライトさん、お願い…起きて……」
声が震える、喉が張り付いて上手く声が出ない。
それでも僅かに反応した。その希望を捨てたくなかった。
「帰って来て、ライトさん…僕の、僕達の場所に……」
祈るように握り締めたライトの手が反応するように僅かに動く。
うっすらと瞼が開きずっと隠されていたペリドットが除く。
「ーー、」
ゆっくりと視線を動かし悠真を見ると口が僅かに動いた。何か言ったようだがずっと使われていなかった声帯では声が出ないらしい。
それでも目覚めて自分を認知したのだと分かった瞬間悠真はライトを抱きしめていた。
急に動かすのは良くないかも、とか医者を呼ばなきゃとか頭の片隅では思ったがそれよりも、何よりもこの衝動を止められなかった。
溢れる涙と声にああ、自分もこんなに泣き叫ぶことが出来たのかともう1人の自分が感心する程悠真は泣いた。
悠真の泣き声を通りすがりに聞きつけた看護師から医者、関係者に伝わりカリュドーンの子や店長達がライトの元へ勢揃いした。
状況が理解出来ていないライトに皆して矢継ぎ早に話しかけ泣き、笑い、怒りと正にごった返しの状態に更に混乱したライトに医者と看護師以外全員追い出された。
そして体調の確認云々を済ませ医者からやっと面会を許可されたメンバーは順々に入っていくと各々小言やら喜びやら心配やらを伝えていった。
そして周りの気遣いからか最後に悠真だけが残った。
『大丈夫か?』
目元が赤く腫れた悠真にライトが声を出すのはまだ難しいからと病院から貰ったタッチパネルに文字を映す。
「それこっちのセリフなんですけど…」
鼻声のそれにライトの目尻が僅かに下がる。
『声も酷いぞ』
「あ〜もううるさいな…僕だってこんなことになる筈じゃなかったんですよ…」
からかうようなそれにむっとしつつもそんなライトにほっとする。
「…えらくお寝坊さんでしたね、もう帰ってきてくれないかと思いましたよ」
『悪かった』
「謝って欲しかった訳じゃないんだけどな…うん、僕すっごく寂しかったよライトさん」
ライトの手を握りそう言えばきゅ、と手を握り返される。
「…は、まさ…」
掠れた小さな声に弾かれたように顔を上げればライトの手が広げるように動く。
そのまま抱きしめるとゆっくり抱きしめ返された。
「た、だ…ぃま…」
耳元に微かに聞こえる言葉に収まっていた涙がまた溢れる。
「お帰り、ライトさん」