桜吹雪 マルチが一足先にベイカフェに向かい、少年二人が遅れてやってくる日のことだった。
二人は河川敷を歩いていて、彼等の頭上では桜が盛りを迎えている。桜の花弁が舞い降り神秘的な景観を生み出す中、二人は道を早足で歩いていた。エクスは相変わらず朝が弱く、バードに急かされてようやく床を離れ。二人は本来ならばゆっくり歩いていける道を、いつもよりハイペースな歩行で過ぎるしかないのだった。
その、なんということのない時間の中。花弁が吹雪となってエクスを包み込んだ。
「――エクス!」
恐ろしく、美しい花の嵐だった。
突風が吹き桜の花がぶわりとエクスを呑み込み、バードは弾かれたように手を伸ばす。桜に覆い隠されたエクスに目を見開き、バードは恐れおののいて大事な少年の名を呼んだ。叫んだ、と言って良い鋭い声で。桜吹雪に手を突っ込みエクスを助け出さんとする。エクスの白い腕が“ガッ!”と、バードの手で掴まれた。
「エクス…!」
鳶色の目の子供は焦りの色濃い声で呟く。苦しげな息が彼の唇から零れていた。
「どうしたの、バード」
「――」
どうということのない桜の花びらだ。目をまるくするエクスに、双眸を翳らせてバードが言う。
お前が消えちまう、って思ったんだ、と。
「――うん?」
突拍子もない言葉にエクスは首を傾げ微笑んだが、バードの顔には冗談の雰囲気が微塵も感じられなかった。
羽根頭の少年は空色の目の少年を離すまいと捉えたまま黙っている。鳶色の双眸は古傷が疼くような痛みを抱き、困惑するエクスに苦しい胸の内を語った。
「あの、……バード…?」
「なんていうか、その。
桜吹雪にさらわれて……お前が消えちまうかと思った」
あの時のように、と、バードは胸に苦味を広げながら振り返る。
仮面YとZの騒動の頃、エクスはバードの前から一時消えた。
一緒に居るのが当たり前の人間が居なくなって、バードは大慌てしたのは勿論、少なくないショックと不安を抱えた。キャンプのとき呼んでも居ないのについてきたエクスが、時に鬱陶しいと思える彼が居ない。マルチが寝込んでそれどころではなかったバードだが、ペルソナのリーダーとしての気負いがなければ自分も倒れてしまったかもしれなかった。彼は思う。唐突に居なくなったエクスがどれほど己にとって大切であったか。バードはあのときの不在により痛い程にわかってしまった。
バードは恨めしそうに桜を仰ぎ、儚く美しい花を見据える。桜は散り際が潔く花弁もまた清らかだったが、一方で恐ろしい一面を持つ花でもあった。桜の下には死体が埋まっている、とどこぞの作家が記したが、桜には人の本能に訴える恐怖があった。桜吹雪が止んだ後そこには誰も居ない――ふとバードにはそう思えて、たまらなくなって呟いた。
「お前がもし、消えちまったらって」
「消えるわけないでしょ?」
エクスは無邪気に目を細める。
「バードってば、変なコトを言うね」
エクスは親友の想像を否定し、無邪気に笑っている。つい先刻まで共に居た人が突然居なくなる。エクスは過去に龍宮クロムにそのような真似をしでかしていて、特に気にも留めなかった。子供は何処までも明るく、残酷で、他者に与えた痛みを意に介さなかった。バードの心境とはかけ離れた精神でもってエクスは笑う。色白の愛らしい顔は、バードの目にはとても綺麗に映った。
まるでナイフで胸を刺すような、鋭い痛みを感じさせるほどに。バードは思わず顔をくしゃりと歪め、明るく笑う友の前でうつむいた。
バードはエクスの腕掴む手を一旦離し、代わりにエクスの、柔らかで白い手に軽く触れる。掛ける力こそ抑えられていたが、バードの中でエクスの存在を感じようとする意志はむしろ強まっていた。大切な存在の熱と感触を存在を、手を通じて実感する。確かにここに居るのだと意識しながら、バードは苦し気に、まるで血を吐くように呻いた。
「もう少し……このままでいさせてくれ。お前がオレの前から消えないように。お前を失うことがないように、……」
「……バードってば、怖がりだね」
「そうだな」
色白の少年よりたくましい少年が、懇願するように手を握り続ける。
エクスは親愛なる少年の恐れを受け止めるよう、バードの手を優しく包み込んだ。