不変の道 石山は母親に頼んで手に入れたスイーツを、翌日ファランクスの二人と共に味わった。
「すっげー!」
「うまそうだな」
昨日バーンの部屋で拒んだ甘味を、この日石山は仏頂面ながら親しき者にはわかる上機嫌で堪能する。母親に電話したあのとき“一人で三つ食べてしまおうか”と頭をよぎったものの、彼はすぐさま思い直し三人で食することにした。予定の空いていた二人は報せを聞き、喜んで石山の家を訪れた。石山の住まいはとある賃貸物件の一室であり、そこはさっぱりと片付いて私物がさしてない場所だった。
十年間、無骨な男は簡素だが清潔な部屋で暮らしている。勝手知ったるファランクスの二人は用意されたスイーツに目を輝かせ、石山の淹れた紅茶と共に舌鼓を打った。その後は今後の予定やトレーニング内容を確認し、世間の話題にも触れる。彼等の話にはトーク番組の撮影やスタジオに乱入したカルラ、そして黒服への言及があった。
「あいつ等、気をつけないとな」
「不死原バーンには話しておいた」
脂汗を滲ませ語る陣内バリキに石山が相槌を打つ。
「近いうちに番組で注意喚起をするらしい。オレ達も可能な限り広めていくが、人気番組で周知する方が早いだろう」
「今度の講習会は来週だったな」
左葉ゲンリがアマチュアブレーダーを守ろうとぐっと拳を固くする。昔新人潰しとして悪名を轟かせていたファランクスは、今はベイブレードの将来を考え、自分でも出来る範囲で貢献しようと力を尽くした。紅茶を飲みながらアマチュア向けの講習会について意見を交わし、発言内容を吟味する。そうこうしているうちに時間が経ち、彼等の話し合いは終了した。
「じゃあな、石山」
「紅茶もモンブランも最高だったぜ」
二人を見送った石山は口元を綻ばせ、卓上の食器を片付ける。皿と茶器を棚にしまいほっと一息ついたとき、彼のスマホにメールが入った。送り主はXタワーの運営・B4、そして内容は――ペルソナとのバトルについてだった。
「……!」
ペルソナとのバトルは三度、そのどれも彼は仮面Xに敗れた。
因縁深き相手の名前とロゴを凝視し、石山はしばしスマホを手に、微動だにしなかった。
対戦相手が如何に強力なチームであろうと、石山タクミは己の戦い方を貫くのみだ。たとえペルソナであろうと石山の取る手段はただ一つ、鉄壁の防御で相手を退ける、それだけだった。彼はソリダスタワーで順調に勝ち上がるチームのリーダーであり、自身に厳しいブレーダーだ。彼は胸の中で決断を下し、直後十数分前に見送った二人と連絡を取った。
「ペルソナがバトルを申し込んできた」
アプリには複数の相手とやりとりする機能を持つものもある。スマホ越しに二人が息を呑んだのを石山は耳にした。
「そのことで話がしたい。悪いが戻ってきてくれ」
用件のみ伝え通話を終え、石山は険しい面持ちで押し黙る。眉間に皺を寄せたまま別室に足を運ぶ――彼の向かう先はベッドと簡素な机のある部屋だった。机の引き出しには長き年月を共にする愛機が納められている。ストーンモンブラン――彼は巌のベイを手にし、鋭い視線をじっと注いだ。
もう十年の付き合いになる相棒が無言ながら強く存在を主張している。石山のたくましい手の中で、使い手同様ベイがまるで持ち主を見つめ返すようであった。
石山は現在に至るまでの十年を、愛機と共に戦った歳月を振り返る。彼が歩んだ道は決して平坦ではなかった。
ここに来るまで様々な出来事があった。
十年プロを続けるもXタワーを上がれず、鬱屈した日々を送っていた。
新人潰しと恐れられていた頃、彼は風見バードのベイを破壊し打ちのめした。“弱い奴にベイをやる資格はない”と罵り、いたいけな少年を傷つけた。報いはすぐに返ってきた――チームペルソナのエース・仮面Xの実力は圧倒的であり、彼は当時まだ無名のブレーダーに大敗した。
(仮面……X……!)
再戦の機会はそれから大して時間を置かず訪れ、ファランクスは後がない状況で戦いに臨む。マウンテンラーメンの社長は横柄かつ冷淡であり、石山は屈辱にはらわたが煮えくり返る中社長の暴言に耐えた。背水の陣の心境で対峙した仮面は相変わらず凄まじい強さで、石山は結局のところ仮面Xの新ベイ披露の引き立て役として戦いを終えた。ドランダガーの前に石山の愛機は敗れ、彼は失意と共に戦場を後にした。その後不死原バーンに呼び出され――不本意ながら新たなベイを手にタワーを駆け上がった。
フェニックスフェザーの力は魅力的ではあったが、彼の心は晴れなかった。
胸中の迷いを見抜いていたのだろう、三度目の戦いで仮面Xはわざと引き分けに持ち込んできた。その気になれば瞬時に勝ちをもぎ取れただろう、だが仮面は敢えてそれを避けた。心ならず強力なベイに頼り、自分の信念を捻じ曲げてまで戦う己に仮面はベイをもって問うた。
“ボクはこのままドランソードでやるけど、タクミは?”
と。仮面の問いと、直後の寿司屋の大将の言葉が胸に刺さった。
長年ベイの聖地に暮らし、Xタワーを見守ってきた男が目に熱いものを滲ませて声を響かせた。
“もう一度問う。
石山君、本当にそれでいいのか”
自分の心と向き合い、石山は考え抜いた末に愛機を再び手に取る。勝敗よりも矜持を優先し彼は信念を懸けて戦った。
後悔はなかった。後日引退の危機に追い込まれ、大いに苦悩したわけだが。
(それでも踏みとどまれたのは……あいつが居たから)
けじめをつけようと、愛機を破壊しようとした過去を思い出す。相棒は砕け散る寸前、一人の少年によって救われた。
“自己満足に大事な相棒を巻き込むなよ!”
胸倉をつかみながら怒り、涙を滲ませながら叫んだ少年が居た。
風見バード。
少年は自身のベイを壊されたにもかかわらず、真摯に石山に向き合った。大勢居たアマチュアと一緒に嘲笑うことも憎悪をぶつけることも出来たはずだ。だが少年は決してそうはしなかった。善良でまっすぐなブレーダーは純粋にベイを愛し、不屈の精神で戦ってきた。たとえ一度も勝てずとも――その姿勢に石山もまた胸を打たれた。彼は少年の手を体格差に任せて退けはしなかった。
そして、不死原バーン。
“君はここで終わっていいブレーダーではない”
ベイの未来のため最速を求める青年もまた石山を認め、引退しようとする男を引き留めた。
“確かな技術、反骨心。そしてベイに懸ける想い。君のようなブレーダーがベイブレード界には必要だ”
青年は柔和な笑みの中に確かに信念を宿していて、なおも迷う石山の肩に手を置いて言う。“人は時に道を誤ることもある。しかし大切なのは未来だ”と。石山は過ちを謝罪し再び道を歩き始める。再起した彼はシャッフルバトルにて勝利を収め、その後も実力を上げていった。
彼の道は時にぬかるみ、時に暗闇に紛れて見えづらく。十年の歳月は苦難が少なくなかった。
防御一辺倒の戦いを貶める者、嘲る者。彼もチームメイトも辛酸を舐めた経験は数知れない。しかしバトルを通じ石山は多くを学んだ。過ちを認める勇気。誇り。自分なりの戦い方。そして――彼は自分が誰かに助けられ、ここに居るのだと知る。仮面Xももちろんだが、風見バードと不死原バーンは絶たれつつあった道を繋いでくれた。紅をまとう二人は年齢も性格もまったく違う、たがベイに懸ける想いはどちらも強固だった。
立場の異なる二人の笑顔が石山の脳裏に浮かぶ。少年の眩い笑みと青年の穏やかな微笑が石山の胸に温もりをもたらした。二人の顔が浮かび、消えて。次いで十年を共有したチームメイトが彼の胸をよぎった。
陣内バリキ。
左葉ゲンリ。
二人はまだ石山が少年と呼べる頃に出会い、苦楽を共にした。
十年間のうち彼等が認められた時間は決して長くなかった。特に派手なプロモーションがものを言いがちなスラッシュタワーでは彼等のバトルスタイルは疎まれ、数多のチームの中に埋もれがちだった。マウンテンラーメンが買収され、ユグドラシル製薬の傘下になってから彼を取り巻く環境は変化した。ソリダスという実力主義のタワーに飛び込み、バトルスタイルを貫いて。決断が正しいか否か迷い、不安を抱いた日もあった。だが前だけを見て戦い続け――そして今に至った。
現在ファランクスはタワーを駆け上がり40階という中堅の位置についている。50階を超えればトッププロの仲間入りを果たす状況で、彼等の立場は正念場と言えた。スターバトルでは最初こそカルラのチームに敗れたものの、その後は連戦連勝、着実に星を増やしている。昨日リタイアの危機に瀕したが石山の活躍によって敗退を免れた。まだやれる、と石山は思う。その折にペルソナとの対戦の話が持ち上がった。
(仮面……X……)
スラッシュとソリダスが交わる機会は通常なく、白星オメガという存在によって偶然対決の可能性が生まれたに過ぎない。石山はペルソナとは異なるタワーに移り、二度と相まみえることはないと思っていた。だが運命とは奇妙なもので、おそらくは最後になるだろう戦いの好機が設けられた。石山としては答は決まっている。ただ重要な決定を下す際は、チームメイトの二人にその場に居てもらいたかった。
バリキとゲンリは十数分後に再び石山宅を訪れ、この日に二度も石山と顔を合わせた。
「呼び戻してすまんな」
「気にすんな」
「いいってことさ」
詫びる石山にバリキとゲンリは笑顔で返し、直後すぐに真顔になる。
「ペルソナとのバトル……久しぶりだな」
現在ペルソナの星は11個であり、タワーの高階層にしては圧倒的に少ない数だ。バードがゴルディアスとのバトルで二連敗し、その後も敗北を喫した。スターバトルが始まる前だが長らく七色マルチが不在だったとの情報もある。仮面Xもまた以前ほどバトルに参加していない。ファランクスの目から見て最近のペルソナは以前より精彩を欠いていた。
「あまり調子がよくないみたいだな」
「あいつ等はこのままでは終わらん」
ゲンリの言葉を石山は間接的に否定する。ペルソナは、特に仮面Xは何も成せぬまま終わるブレーダーではなかった。
(巻き返しを図るために一気に攻めてくるはず)
「遅れを取り戻す為、星を大量に賭けてこちらの星を獲りに来るだろう」
「どうする」
「受けて立つ」
バリキの問いに間髪を入れず答え、石山は眉間に深い皺を寄せて宣言する。
「ペルソナがどんな手段をとろうとも勝ってみせる」
相手が如何なる手を取ろうと耐え抜き下してみせる。それが石山の、独自の道を進む者の戦い方だった。
“私は最速を極める。君は最遅を極めてはくれないか”
先日のバーンの言葉が胸に蘇る。相手を迎え撃ち、鉄壁の防御をもって退ける。多くのプロブレーダーが熾烈を極める戦いに試行錯誤を繰り返す中、石山は敢えて変わらず自身の道を邁進する。敵が不正を働こうとも何を企もうとも、石山は信念をもって不変の道を行く。
「いいぜ」
「お前の好きにしろ」
「ああ」
バリキとゲンリに背中を押され、石山はスマホ画面をタップする。大事なバトルへの承諾は、ほんの数秒の操作をもって終わった。戦いの舞台は美しい景観が人気の映えスポットである。ペルソナの一人は人気インフルエンサーであり、観客を盛り上げる術を熟知していた。
七色マルチはおそらく勝利の為、ペルソナを盛り立てる為に何かしらの手を打って来るだろう。例えば新ベイ披露といった――石山はシャッフルバトルフェスを思い出す。当時も七色マルチは新ベイを引っ下げ、ペルソナに皆の注目を集めた、此度の戦いにプロモーションは不要だが、インフルエンサーの性(さが)は抑えられまい。彼は相手の出方を読み切っていて、事実マルチはこの後、バトル直前に新ベイ完成の動画をアップした。
(仮面……、風見バード……!)
自分が今ここに居るきっかけを築いた人間のうち二人を胸に描き、石山は手をじっと見つめる。十年戦い続け腕を磨いた。武骨な手に視線を注ぎ彼は気合を入れる。
「必ず勝つ」
「「ああ!!」」
誰が相手であろうと、持てる力の限り戦おう。
決意を固め拳を固く握る。石山の手はたくましく、長き年月を耐え抜いた意志そのままに頼もしかった。