さににこ未満「あ、あのね、日光くん」
隣を歩く主が口を開く。敵襲の心配もないのだから後ろを歩くべきなのだが、どら猫曰く主は近侍に話し相手を望むから横に並ぶのがよいらしい。
それにしても妙に遠慮がちな口調である。
他の刀たちへの接し方を見るかぎり、付喪神という存在をそれほど恐れているふうではなかったが。新参者の自分が相手ではそうもいかないものか。
「何だ」
新入りの自分が主を待たせるのは好ましくない。即座に返答すると歯切れの悪いせりふが続く。
「えーと、その。しばらくこの本丸にいて気付いてるかもしれないけど、私はあんまりこう、堅苦しいのは得意じゃないんだよね」
「うむ」
それも既に知っている。
本丸を率いて数年となれば刀剣男士の扱いにも慣れているのだろうし、もともとおおらかで打ち解けやすい性質と聞いている。居並ぶ名刀、たとえば一文字一家の長たる山鳥毛を相手にしてさえ、まるで臆するところがない。だからこそなおさら、はっきりしない態度が気にかかる。
とはいえ主が身構える理由に心当たりはある。
そうした開放的な性質であれば、自分のように雑談できずも風雅な話題も持たない刀は扱いづらかろう。それでもこうして近侍を申しつけ、新たな刀と接する時間を設けようとする姿勢は好ましい。
どら猫の言い分に納得し、今代の主のやり方に従うと決めてしまえば、奇妙な習慣もさほど苦ではなくなる。今もこうして、本来ならば立ち止まって拝聴すべき主君の言葉を、主が足を止めぬからとそのまま聴いている。
「あなたは一文字の子たちの前では山鳥毛くんの片腕として、黒田家にいた子たちの前ではお兄さんとして振る舞っているよね。
頼もしいけどいつもあんな感じでは疲れてしまいそうだし、私のところにいるあいだはもっと気楽にのんびりしてくれていいんだよ」
ほんの数日のうちにこちらの動きをよく見ているものだ。
それはそうとして、気がかりなのはむやみに心細げな声が何を言いたいかである。事情を知らぬ者が聴けば懇願としか思えないだろうが、一国一城の主が刀に依頼などするものではない。
それともこの要領を得ない申し出は、戦のない時代に生まれた人にとっては別の意味を持つのか。
加えて今ひとつ気になるのは、自分が疲弊しているのではないかという主の推測だ。しかし主が何をもってそのように判断したかなど、近侍が詮索するべきではないだろう。
確かめねばならないことは一点で事足りる。
「それは主命か」
廊下を踏みしめる主の足音が乱れる。何をそんなに焦ることがあるのか。
「えっ。い、いや、命令ってわけじゃなくてお願いかな」
命令でないのならば必ずしも従う必要はない。
そう安堵すると同時に、これが事実として命令ではなく『お願い』でしかなかったことに驚愕していた。
「ならば良い。主の命といえど、聞いてやれぬものは如何ともしがたいのでな」
命令ならば是非もなく従うより他にないが、ただの願いであれば無理なものは無理と答えても問題はなかろう。そう理解していながら声音から動揺を消せない。
無理なことは無理と伝えるのも臣下のつとめであるのに、事実を口にするだけでなぜこのような不安が生まれるのか。
廊下のきしむ音がひどく耳障りだった。顕現してこのかた一度も気にしたことなどなかったものを。
「俺のどこを見てそう感じたのかは知らんが、常に緊張を切らさずにいるのは何ら苦ではない。戦士とはそうあるべきものだ」
何とはなしに腕を組んだのは判断に窮したため……というほどではないが、主の要求の意味をはかりかねての惑い故である。
「そ、そうなの?」
そうと決まっている。
が、戦場に足を運ぶ機会のない主に理解を求めるのは酷であろう。
そもそも、よりによって主の傍らにある折りに限ってこのような言葉をかけられることこそ心外だ。
「しかしこうして近侍を務める日は、時折それが緩みそうになる。主の傍らに置かれることに安堵するのは刀の本能か」
口にしてしまえばますます確信が深まる。
緊張を切らさぬのが戦士の性質と語った舌の根も乾かぬうちに、緩みかけているとみずから申し出るなど。
刀剣男士とはそういうもの、と開き直るのもおこがましい……もっとも今回については、主が望んでいるのだからそれで構わぬのか。
「……あまり好ましいことではないと考えていたが、主がそう言うのならば問題はないな」
口角を少しばかり上げてやれば主は満足するのだろうか、とふと思う。一方で、うかうかとその場しのぎを試みても見透かされるだけではないかとも考える。
であれば結局、何もせずに置くのが得策ではないか。応対を考えあぐねて視線を逸らした先に、都合良く目的とする部屋がある。
「さて、手入部屋だ」