動くに動けない、というシーンでする顔のお手本を左馬刻くんがしているな。のんびり思いつつ、違法マイクで心身丸ごと幼児にされてしまった波羅夷くんの診察を終える。彼を膝に抱っこしている左馬刻くんはといえば、柔らかそうな波羅夷くんの白い手に服を掴まれていた。
「先生、……マイクの効果はどれくらい続くんだ」
「長くても数日なんだけれど、最近被害報告があるもののようだね。もっと短いはずです」
左馬刻くんがおお、と唸る。波羅夷くんがそれに反応して左馬刻くんを見上げようとするが、のけぞりすぎると危ないので子供を診察する時に使うぬいぐるみで気を引いた。
「ねこ!」
発言も、身体付きも三、四歳程度に見える。子供服を着込んでいるせいでどこからどう見ても幼児だ。言ったら怒り狂う波羅夷くんがイメージできるので言わない。
「こんにちは、名前を言えますか?」
「はらいくーこーだ!」
「私は寂雷、と言います」
「おいしゃさん?」
「はい。今、何歳ですか?」
「せっそーはいつつだぞ」
思ったよりは自我がある年齢だった。そういえば、彼は小柄な部類だったなと余計なことを頭の中だけで考える。カルテに追記も済ませ波羅夷くんを膝に乗せている左馬刻くんに向き直った。
「記憶も、身体と一緒に逆行していますね。私のこともわからない様子ですが、このタイプの違法マイクだとよくあるんです」
そうやって犯罪に使われてしまうから困るのだ。警察が取り締まっていても波羅夷くんみたいに巻き込まれてしまったりする。
波羅夷くんを襲った集団を左馬刻くんが一蹴したのは不幸中の幸いだった。二人で出掛けていたのかな、と興味深く思うけれどプライベートだ。聞かないでおこう。せっかくシンジュクまで来てくれていた二人が被害に遭うのは悲しいと思いつつも、若者二人がデートにシンジュクを選んだのはなんだか誇らしい。
「空却くん、あなたを抱っこしているお兄さんの名前はわかりますか?」
「さまとき!」
「おや」
「びょーいんにくるまで、いっぱいあそんでくれたんだぜ!」
おや。これは覚えている、ではないのかな。懐いたが正しいようだ。一瞬左馬刻くんだけはわかるのかと都合よく考えてしまった。
波羅夷くんは柔らかそうな手で左馬刻くんの腕を叩いている。その所作だけ見れば普段通りだ。何もわからない場所で、知らない大人に囲まれる。多くの子供が嫌がる場面だ。病院という場所をよく思う子供が少ないのも理解している。注射される場所というイメージだろう。けれどストレスだらけのはずの波羅夷くんはニコニコしていた。その頬が柔らかい餅のように見える。
「左馬刻くん、波羅夷くんとどんな遊びをしたんですか?」
タバコを吸って落ち着くこともできない左馬刻くんが、大変複雑そうな顔をする。
あやとり、おはじき、しりとり。お手玉と折り紙も。動き回ってする遊びを省いたらそうなったと続けられる。妹さんがいる左馬刻くんは小さい子の遊びも一通り理解していて、尚且つ上手だ。女の子向けのコンパクトな遊びにも長けていた。紙が一枚あれば折り紙は余裕だというくらいだからヤクザとは、と面白くなってしまう。
「さまとき、びょーいんおわったらまたあそぼうぜ」
「おう、何してェんだ?」
「え。えっと、えっと」
「……ゆっくりその辺歩いて、公園でもありゃ遊んで行くか」
「っ、おう!」
「遅くなる前に夕飯作ってやっからよ」
「んー……っと、からあげ!からあげくいてぇ!」
「へーへー、公園の後に肉屋寄んぞ」
うん、微笑ましい。一生懸命会話しようと頑張っている波羅夷くんも、きちんと耳を傾け応じる左馬刻くんもだ。今の波羅夷くんの中の左馬刻くんは、たくさん遊んでくれる優しいお兄さんくらいだろうか。ヤクザという言葉を知っていそうな、知らなさそうな、五歳という絶妙な年齢だ。たとえば大泣きしていたら怒るなり、宥めるなり次に何をしようかと考えるのも容易いは容易い。
知らない大人の前でも笑顔の波羅夷くんが、唯一左馬刻くんからは手を離さない。不安だろうなと思うけれど言葉にはしない。それは、ここにいる誰もがだ。小さいのにえらいねと言うのは大人からしたらの話で、本人は本人のプライドに従っている。
十九の姿で見ていても柔らかそうだった赤い髪を左馬刻くんが大事そうに撫でて笑いかける表情が穏やかだ。手のひらを受け入れて笑う子供の顔はやはり、微笑ましい。
「怪我もないですし、もう大丈夫ですよ」
「せっそーかえっていいのか?」
「はい。お疲れ様でした」
「やった!」
さまとき!こうえん!こうえん!とはしゃぐ姿を見ていると、小児科の子供たちを思い出してしまった。二人が帰ったら少し顔を見に行っても許されるかな。直射日光みたいな波羅夷くんの真似は難しいけれど、話し相手だけでもと思う。
「波羅夷くん、左馬刻くんと手を繋いで気をつけて帰ってくださいね」
「おー!」
ぴょんと床に下りた波羅夷くんが左馬刻くんの手を引く。私はどうしても、彼らと顔を合わせる時間は少ない。ただ、こういう場面はたくさん見た。
「引っ張らなくても行くっての、慌てんなや」
「じゃくらい、またな!」
「はい、また」
手を振って答えれば波羅夷くんが左馬刻くんの足にペタリと身体をくっつけていた。あれをされるとやられた側は抱き上げた方が動きやすくなってしまうのがわかる。実際、左馬刻くんも抱き上げている。
「さまとき、せっそーがおおきくなったらよめにこい!」
「……っ」
吹き出しそうになったのを堪えた。咽せそうな看護師が部屋からそっと出ていく。判断が早いのは頼もしい、是非とも波羅夷くんと左馬刻くんを視界に入れつつ落ち着くまで頑張ってもらいたい。
「デカくなるまでは?」
「?」
「オメーが大きくなるまで、どっか行ってろってか?」
揶揄いをたっぷり含んだ声音は、幼児に向けるには意地が悪い。左馬刻くんなりの照れ隠しだろうなとわかるけれども。
波羅夷くんは抱っこされた腕の中で、月のような色合いの目をまんまるにしていた。不思議そうな子供の顔だなぁと、見ているだけでつい表情が緩むのは致し方ない。
「さまときもせっそーのいえで、いっしょにくらすんだぞ?」
「……あ、そ」
帰る患者さんへ必ずかける、お大事にの言葉は今回は無しにしよう。彼らが次回ここに来た時、今日の話の続きを聞くのが楽しみだ。