「……、左馬刻、縮んだなァ」
朝、シノギだと出かけて行った左馬刻が三、四歳くらいの子供の姿で帰ってきた。こんな阿呆な現象は違法マイクくらいしか思いつかないんだが、頻度がすごすぎて慣れてきた。
子供を見下ろしても楽しくもなんともないので目線を合わせるためしゃがんでみる。素直に言うと、ちっせぇ。いつものアイツだと見上げるしかない分新鮮さすら感じた。クソほどデカくてムカつくのにな、普段は。ちっさいと可愛いな。
うさぎみたいな赤い瞳がなにかを凝視している。拙僧の数珠が珍しいようだ。
幼児化させる系統の違法マイクが、最初から記憶をぶっ飛ばしたり少しずつ影響したりするのは知っている。正規マイク所持者っつー肩書は阿呆を引き寄せちまうモンだ。違法マイクってバカな物を持った阿呆どもを。その阿呆どもをぶっ飛ばしてりゃ傾向はわかってくる。心へも身体へも影響するその効果は、流石違法というだけあって危険だとニュースにもなっていた。
「ヨコハマも、暇な阿呆は絶えねェな?三日前も襲われてただろオメー」
柔らかそうな白い手が数珠へ珍しそうに触れている。ヤサに戻ってくる程度には頑張ったらしいが、どこかで記憶が身体に引っ張られちまったんだろうな。拙僧を新しいおもちゃと認識したらしい幼児を断りなく抱き上げる。普段から思ってたがこいつほっせェな。飯をちゃんと食っているのかと聞きたくなるケツの小ささと線の細さはこの頃かららしい。
それにしても生活が乱れないよう見張っても、外でしこたま危ない目に遭う男はどうすりゃいいんだ。いっそ心配だと正面切って言うか。調子に乗る左馬刻しかイメージ出来ねぇが。
「おしゃべりもできねぇ感じか?高い高いでもしてほしいンかよ」
「オメー力持ちだな!」
感想がガキだと言ってやりたいのと、やっと喋ったという安堵とで思考が急停止した。
このガキ、人の話聞いてねェわ。煽りも揶揄も通じなくてため息が出る。ガキが引きずり持ち帰った衣服を集め、その中にお守りだといつもつけている腕輪も無事に発見した。
「なあなあ、お前だれ」
「少し待ってろや。暴れてっと落ちんぞ」
腕の中で暴れる子供の喚き声も聞き流し風呂場へ連れて行く。いつも、左馬刻は帰宅したら着替えとともに手洗いもうがいも済ませる。なんなら洗濯物は洗ってしまうし自分自身も丸洗いしている。
こちらに拙僧が来ている間、東都の流行病だとかを浴びせたくない。そう言っていた。なら拙僧がナゴヤにいる間はどーしてんだと、いつかは聞いてみたいと思っている。聞いた時、どんな顔をするのか考えるだけで楽しい。澄ました顔ばっかしてるヤクザがちょっとでも感情を見せる瞬間というのは、本当に堪らねェんだ。
「風呂、一人で入れっかよ」
「オメーは?」
「あ?一緒に入りてぇのか?」
用意しておいた飯あっためたりしようと思ったんだが。今日は冷えているし野菜も肉もたんまり入れたスープを作ってある。一日シノギを頑張った左馬刻のためににんじんもピーマンも使っていない。せっかくだから、あったけぇ状態ですぐに出してやりたいんだよな。外で忙しくする人間ってのは、帰宅した時に誰かが自分のためにしてくれることを喜ぶのは知っている。朝、帰宅予定時間を告げて出かけた左馬刻もそういう心理があったろう。拙僧もなんだかんだ、こいつを甘やかすのは好きでついつい甘やかしてしまう。天下の碧棺左馬刻が、六つも年下の坊主見習いに全力で甘えてくるのだ。優越感だって恋しさだって、増す。
「なー、ダメか?」
揶揄う余地はあるんだろうか。かける言葉を迷いつつ、まず最初にダメではないと答える。拙僧の返事に左馬刻がわかりやすくホッとしたのがわかった。
「拙僧のことわか……、らねェよなぁ」
「せっそうっていう名前なのか?」
「ひゃは、名前な。空却ってんだ。言ってみろ」
「くーこー」
「そうそう、上手だな」
白にも見える綺麗な銀の髪を撫でて褒め、服を脱ぎ洗濯機に突っ込む。普段だと揶揄い半分にあいつが頭撫でてきて笑う事がよくある。だから、やり返すタイミングだとつい思った。撫でると目をキュ、と瞑って頭を差し出してくるガキの仕草は素直に可愛かった。猫か犬か、その辺りのちっさいのがやりそうな仕草だ。
何をするにもいつも通り家事をするのと同じで助かる。何より部屋の家主は家事の負担が減るなら安いと良い家電を揃えている。ここに滞在している間の家事が楽すぎて毎回びっくりするくらいだ。
「あ」
「?くーこー、お湯熱ぃ」
左馬刻が帰ってきたら、電球変えるのやってもらおうと思ってたんだ。リビングの明かりがチカチカしていて、だけれども天井が高すぎて諦めたことを思い出す。家事は自分でなんでもが主義だ。だが、左馬刻に甘える幅を残しておくとあいつはわかりやすく喜ぶ。
風呂の湯温を調節し直す間に互いの髪を洗った。シャワーで流す間に目を瞑ったりする仕草がとても幼児だ。何度も、ちっせぇな感じる。折れそうなほど頼りない首や腕は無防備で、片手で掴めそうで怖い。
「よし、あったまろうぜ」
「おう!」
小さな子供が湯に溺れないよう、背もたれ代わりになって浴槽に入った。成人したヤクザと坊主が使うには贅沢すぎるくらいで、ガキが入る浴槽としては広すぎる。何より子供が楽しんで入浴する環境でもなかった。組んだ両手で湯を弾き出す鉄砲の真似をしてみせると左馬刻は素直に喜んだ。
「なあ、左馬刻」
「ん?なんだ?」
顔に入りつく長めの前髪を後ろへ流してやって露わになる輪郭が幼かった。目もまんまるで、兎みてぇだ。
「明日は、拙僧も一緒に出かけるからな」
「おう?」
「怖い奴らが近寄ってきたらすぐ言えよ。ぶっ飛ばしてやっから」
「わかった!」
「……」
「くーこー?」
真っ白い背中にも、腕にも足にも怪我は見つからない。
痛い思いをせずに左馬刻が帰ってきてよかった。怪我がなくてよかった。
背もたれになっているおかげで、こっちの顔が見えなくてよかった。
子供の身体を支える手が、指が、震えないように気を配って呼吸を整える。子供ってのは大人の心の揺らぎに不安を覚える。左馬刻を不安にさせたいわけではないのだ。
「髪の毛乾かしたら夕飯にしようぜ」
明日の朝も小さな姿のままだったら子供が好きそうなモン作ってみるのも悪くない。オムライスくらいなら、まあスマホでレシピを探せる。
拙僧が来る時は必ず冷蔵庫の中身がバッチリ補充されている。肉も野菜も卵もだ。贅沢に使った食材たちが、最近値段上がってるってニュースで聞いた覚えはあった。ま、天下の若頭サマにゃ影響ないんだろう。
湯船から左馬刻と一緒に引き上げ、脱衣所で身体を拭う。真似してみろと言えばすぐにやってみせるところがとても素直だ。その素直さを違法マイクの被害に遭った時も発揮して被害報告してくんねぇもんかな。そうしたら、こいつに突撃かました阿呆をぶん殴れるのによ。
銀の髪をドライヤーで乾かして乾き具合を確かめていると左馬刻に抱っこをせがまれた。
「眠くなったか?」
「う……ん、まだ」
「寝とけ寝とけ」
飯がまだとかそういうのは別にいい。拙僧が起きている間に目を覚ましたらスープを温め直すし、朝は朝で朝食を作るだけだ。三日前の違法マイクはたった数時間で効果が切れていたが今回はどれくらいかかるかと考える。入間か、神宮寺あたりに聞いたら教えてくれるかもしれない。
寝間着代わりのTシャツを纏ったガキをベッドに転がす。寝かしつけるため隣に寝転ぶと当たり前のように身体を寄せられた。まあ、今日は寒ィしな。抱き寄せて背中を撫でると左馬刻が顔を上げた。
「左馬刻?どうしーーーー」
唇が押しつけられる感覚が、脳内でむちゅ、という擬音になった。
こちらが驚いていることなど知らないんだろう。子供はさっさと寝落ちている。風呂場で寝落ちなかっただけ偉い。
体力の限界まで外で駆けずり回ってくるのは褒めたくない。だけれど、ちゃんと帰ってきたから今回はよしとしてやる。まあ、ただいまのキスはやり直しだ。恋人がきちんと元に戻ったらやり直しさせてやる。左馬刻が、拙僧の反応を見てなくてよかった。ガキに見せるツラじゃないのは鏡を見ないでもわかるってもんだ。
「ったく、心配かけやがって」
明日のことは明日決める。ただ、それはお前の隣でだ。左馬刻が笑っているのを眺められる特等席でが良い。柔らかい銀髪に鼻先を埋めるとミルクみたいな子供の匂いがした。拙僧も少し休憩しよう。ガキに寝間着を握りしめられてて動けねェしな。
「早めに元に戻れよ、左馬刻。……まだおかえりは言ってやらねェぞ」