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    最終回直後の月島と鯉登の二人。うっすら「雪に紫煙〜」と繋がっていますが単体で読めると思います。

    海、夕日、涙、笑み。 月島は、何十回目かの捜索に繰り出しながら、波の音を聞いていた。
     五稜郭、機関車の中での戦闘から治療に数ヶ月、病床から起き出して、海に出るようになってから更に数ヶ月が経つ。鶴見中尉が海に沈んだと聞かされてからの時間間隔は酷く曖昧で、海に出るようになってからの日々の感覚はいっそう不透明だ。
     治療の間は、痛みに耐えて過ごせば一日が終わっていったが、日常に放り出されてからはそれが酷く長い。どうやって一日を終えていたのだろうか。何かをしなければいけないという切迫感と、何をすれば良いのかわからない不安感で押し潰されそうになる。世界が変わると思っていた戦場は、いったいどこにいってしまったのだろう? 月島は無力感と焦燥感を抱えながら、今日も海へと出ていく。
     ――波の音が自分を責め立てているように聞こえるのだ。
     どうしてこの手に何もないのだろうか。どうして鶴見中尉殿がひとり海に飲み込まれなければならなかったのか。自分達は負けたのだろうか。間違えたのだろうか。どうしてあの子は、海に沈まなければならなかったのか。いや、沈んでいないのだろうか。もう何も、わからない。
     何が本当で、自分に何が起こっていたのか、全てわかっていた人がいなくなってしまったのだ。自分にすべてを与えてくれた人が、何も知らないうちに消えてしまった。どうしてそれを信じればいい? そんなことを考えながら、海に立つ。
     波の音は変わらない。変わらず、月島を責め立てる。
     どうして俺が死ななかった?



     少し山を登るぞ、と言われて声を上げなかったのは、しばらく人と話すことを忘れていたからだと思う。月島が鯉登少尉の言葉に呆気に取られているうちに、その背はずんずんと歩き始めていた。
     しばらくぶりの再会であったが、鯉登少尉は変わらずまっすぐだった。まっすぐに、月島の目を見て言う。「私のちからになって助けてくれ」と。自信満々に呼ばれたものだから、すぐにでも旭川に向けて出発しろと急かされるのかと思っていた。いくら月島が時の流れから目を背けていたといっても、自分が悠長にしていた自覚はある。港をさらっていた時間はどれほどの逃避だったかと、鯉登少尉には攻める権利があっただろう。
     しかし、鯉登少尉は何も言わない。何も言わずに、函館山を登るという。函館山はいくつかの軍施設が建設されてから、機密扱いで一般の人間は立入禁止になっていたはずだ。軍服を着ている鯉登少尉はともかく、野良着のままの月島は果たして許されるのだろうか。
     そんな心配と裏腹に、鯉登少尉の歩みには迷いがない。港に向かって碁盤状に整地された真っ直ぐな道を、函館山の方面に向かって歩いていく。そして不意に大路から函館山の麓、招魂社の方へと向かっていった。
     木々に囲まれた森を背景に、山から函館の街を見下ろすような場所に招魂社は立っていた。戊辰戦争で戦死した政府の人間を祀っているという。社殿へと向かう階段を登りきった先、開けた境内はひっそりと静まり返っていた。
     鯉登少尉はそのままひとりで進み、社殿に手を合わせている。その後姿を、月島はただぼんやりと眺めていた。
    「……ここには、旧幕府の為に戦った者達は祀られていないそうだ」
     口を開いたのは、鯉登少尉だった。間もなく日も暮れようという時刻だ。辺りには誰もおらず、二人の息遣いだけが響く。
    「おかしなものだ。同じく日本人同士で争った戦いであったのに、かたや路傍に打ち捨てられ、かたやこうして神社までこしらえて祀られている」
    「はぁ、そういうものでしょうか」
    「私達はこれから中央に賊軍として裁かれる。中央の命で金塊を探し、日本のためになると信じて戦っていたのに、だ」
     ざあざあと、風が木々を揺らしている。まるで波の音のようだと、月島は思った。鯉登少尉にも同じように、聞こえているだろうか。
    「杉元達は、つよかったなぁ……」
     しみじみと、感じ入るような声音だった。鯉登少尉は車内で、土方歳三と刀を交えたと聞いた。月島自身も、牛山相手に苦戦を強いられた。生身の人間相手に、手榴弾を使わざるを得なかったのだ。それは間違いなく、強すぎる相手との戦いだった。
    「はい」
    「ここはな、父の船に打ち込まれた砲弾がどこから来たのかを探る途中で、改めて見つけたんだ。ほら」
     鯉登少尉の言葉に、月島は顔を上げる。
     夕日が、函館の街を照らしていた。森が切れて、人家の向こうに港町が広がっていた。月島が幾度となく出た海だ。函館山の向こう側に日が沈むから、残照だけが街を橙に染めている。五稜郭も、函館駅へとむかう線路も、この景色の中にある。戦場はこの中にあった。けれど海の向こうには、夜がある。青く深い、闇へと迫る中空に、遠く光る金の星。
    「美しいだろう」
     鯉登少尉の言葉は、自身に言い聞かせているようでもあった。しかしそれは月島の耳に、間違いなく響いていた。
    「……はい」
    「我々は戦ったのだ、この場所で。多くのものを失った。しかし私達は、生き残った」
     鯉登少尉が振り返る。まっすぐな、変わらない瞳。そして何かを手渡すように、月島に言う。
    「生きちょりゃよか」
     その瞳が、欲しかったのだと月島は思った。生きていればそれだけでいいのだと、誰かがそうして語りかけてくれる。その瞳だけで、月島の生命を肯定してくれる輝き。
    「生きていれば、良い。父は、その言葉を私にかけてくれた。私はそれを生涯忘れないだろう。そうして、同じ言葉をかけて部下達を守ってやることが、生き残った私の役目だ」
     国の為に死ねとは、私にはもう言えない。自分は生き残ってしまったから。そうこぼして、鯉登少尉は力なく笑う。
     月島の視界が揺れる。歪んだ景色は、すぐに滲んでわからなくなった。月島は泣いている。痛みに耐えるでもなく、こんな風に泣いたのはいつが最後かわからない。失って、生き残った、月島に道が示されている。
    「私とともに来てほしい。お前となら、私は立っていることが出来る。どこにいっても、生きていける。背中を預けられる月島が必要だ」
    「はい」
     月島は力強く、返事をしていた。涙を拭う。海での作業に荒れた手は、涙が滲みてひりひりと傷んだ。そんな月島の濡れた手を、鯉登少尉が握る。その手はかさついて、ささくれがたっていた。
    「また手が乾燥しているではないか。少しは身なりに気を使え」
    「少尉こそ、いまは人のことが言えないでしょう。良いです、戻りましょう。軍服のポケットに、馬油でしたっけ? ありますから」
    「なに? 持ち歩いていたのか?」
    「それは、まあ。あって困るものでもなさそうでしたから」
    「ふふ」
     笑って、鯉登少尉も自身の胸ポケットに手をやった。そしていつかの、油脂の入った小物入れが出てくる。
    「私も持っている。忘れていた」
    「それほど、忙しかったのでしょう。ご苦労をおかけしました」
    「全くだ! ようやく事後処理も佳境なんだ。月島にはしっかり働いてもらうからな」
    「はい」
     二人して、荒れきった手をいたわる。油脂に匂いはなく、ただ肌触りの心地よさだけが残っていた。傷はまだ癒えない。涙も滲みる。けれどいまは手当をして、あとは時に任せるしかない。
    「行こう。明日から、忙しくなる」
     日が暮れてしまえば、闇が辺りを覆ってしまうのはあっという間だ。そしてすぐに、朝が来る。
     鯉登少尉は一度だけ振り返ると、迷いなく一歩を踏み出した。月島軍曹も、後を追う。
     波の音は、もう気にならなくなっていた。
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