『気になるあの子』その日焼け跡に気付いたのは日本に戻って来て数日経ってからだった。
自慢じゃないが、あの子の変化に世界で一番敏感なのは俺だ。
前髪を5m切っただけでも気付ける自信がある。
それなのに彼の日焼け跡にすぐ気付かなかったのは、組織の残り滓どもが馬鹿な騒ぎを起こして俺と彼の仕事を増やしやがったのと、この天気のせいだ。
梅雨を迎えた空は朝から夕方まで雲が多く、ミルクティー色の肌にうっすらと残る日焼け跡に気付くのを遅らせた。
ああ、また降って来た。
煙草を買いに出たタイミングで降られるなんてツイてない。
長くは降らないだろうと店先で空を眺めていると、透明のベールに包まれた美人が俺の前を通りかかった。
「奇遇ですね」
「やあ。君も休憩か?」
「そんなところです」
美人は傘を畳むと静かに雫を振るって傘立てに差した。
そんな所作さえ美しいのに、俺の目はやはり彼の左手の薬指にできた日焼け跡に吸い寄せられた。
「もしかして傘がないんですか?」
「ああ……」
「じゃあ、庁舎まで入れて行ってあげますよ」
「助かるよ。君の買い物が終わるまで待ってるよ」
「……はい」
俺は降谷くんに続いて店の中に戻った。
「何を買うんだ?」
「うん、まあ、いろいろ……」
「ここは俺が支払うから好きなだけ買ってくれ」
「いや、そういうわけには!」
「なぜ?もしかして恋人に差し入れかな?」
俺の指が左手の薬指の付け根にわずかに触れただけで、降谷くんはパッと顔を赤くした。
「図星?」
「ちがっ、僕は、部下たちにそこの豆大福を買いに来たんです!!」
そう言うと彼は陳列されていた豆大福とやらをいくつか掴んでレジへと向かった。
「早く、払ってください」
「仰せのままに」
会計を済ませて店を出ると、雨はさっきよりも強くなっていた。
傘を開くとビニールに無数の水滴が乗る。どちらも透明だというのに傘の中から外が見えないほど雨足は強くなっていた。
「いつそれに気が付いた?」
「……日本に帰って来て、ちょっとしてから」
「油断したな」
「だって!普段日焼けなんてあまり気にしたことなかったから……」
傘を握る手が恥ずかしそうにたじろぐ。
俺との約束を守ってビーチで指輪をはめていた手だ。
二人で初めての旅行だった。俺がプロポーズするから休みを取って欲しいと頼み、朝焼けに燃える海の前で予告通り「結婚して欲しい」と伝えたんだ。
旅行を承諾してくれた時点で返事はわかっていたようなものだが、俺はどんな難事件に遭遇した時よりも緊張した。
彼の指にリングを嵌めるとき、手汗で滑りそうだったのは一生の秘密だ。
「仕事中は着けられない」
そう宣言していたのに、まるで指輪をつけているように彼の指には日焼けの跡が残っている。
「絆創膏つけたほうがいいかな……」
「そのほうが目立つだろう」
「そうですよね」
嘘だよ。君が俺のものだって、みんなに知らしめたいだけだ。
もちろん、俺だって君のものだ。その証拠に利き手の薬指に証を付けているだろう?
コンビニから庁舎までは約500m。お忍びデートはすぐに終わってしまう。
もっと遠くのコンビニまで行けば良かった。
「迎えに来てくれてありがとう」
「……気付いてたなら『何を買うんだ?』なんて意地悪なこと聞くなよ」
「ごめん」
左手を取って、日焼け跡にキスを落とす。
誰もいないエントランス。雨の音。君の匂い。
「そんな風に謝れるんですね?」
降谷くんは笑って俺の手を取ると、指輪の存在を確かめた。
「俺は君の前では素直なんだ」
「よく言う」
「本当だよ。なあ、もう帰らないか?ふたりでゆっくり旅を振り返ろう」
「はいはい、お仕事しましょうね〜」