『隠して、ねぇ隠して』サウナのような街を歩きながら、やっぱり車で行けば良かったと後悔した。
青すぎる空を睨むように顔を上げると工藤探偵事務所の屋根が見えた。
空との境界線がゆらゆらと揺れている。
うちは蜃気楼になってしまったのかもしれない。
こうも暑いと非現実的なことを考えて逃避したくもなる。
夏はひとを馬鹿にするのだ。
そう確信したのは事務所のオフィスの扉を開けた時だった。
「赤井さん、それ……」
咄嗟になんと表現すればいいかわからなかった。
事務仕事を片付けると言って事務所に篭っていた赤井さんの体が、俺が出掛けた時よりだいぶ膨らんでいるのだ。
もっと詳細に言えば、上半身の前側が。
「おめでたですか?」
なんとか絞り出したユーモアに、赤井さんの膨らんだ部分が身動ぎした。
「いや、もう生まれてる。天使みたいなベイビーだ」
見るか?と聞かれて俺は首を振った。
だって、そのジャケットの下にいるのはどう考えても降谷さん以外にあり得ない。
俺がいないのをいいことに、事務仕事をしている赤井さんの膝に降谷さんが座ってイチャイチャしていたのだろう。急に帰ってきた俺からパートナーを隠すためにジャケットを被せた、この推理で間違いないはずだ。
優秀すぎるビジネスパートナーの働き方にとやかく言う気は毛ほどもない。
彼のことだから、今日クライアントに提出しなければならない報告書はもう出来上がっているのだろう。
「アイスティーを作っておいた。冷蔵庫の中にある」
「わぁ、ありがたいです。もう喉がカラカラで」
キッチンでグラスにアイスティーを注ぐ。一杯目を一息で飲み干して、もう一度アイスティーでグラスを満たした。からん、と氷の溶ける音が耳に沁みる。
オフィスに戻ってみると「天使みたいなベイビー」の姿はもうなかった。
玄関から出ていったのだろうが、一切物音はしなかった。
昔からそういうことが得意な人だったが、出会ってから十年とちょっと経ち、ますます磨きがかかっている。
「明日から夏休みですよね」
「そうだな」
「待ちきれなかったんですねぇ」
「くく、そうらしい」
喉を鳴らすように笑う赤井さんの首には薄いピンク色の跡が残っていた。
隠す気はサラサラないようで、上機嫌で帰り支度を始めている。
こっちはアイスティーを飲んで涼しくなった頬がまた熱を持ち始めているというのに。
「赤井さんと降谷さん、付き合って何年でしたっけ」
「十四年だな」
「ふうん」
そのうちの十年、二人は遠距離だった。
俺は付き合う前から今までの二人を垣間見てきた。
危うい時期もあったようだが、今日の様子から考えるに必要な通過点だったのだろう。
とはいえ、二度とそんな事態は起きてほしくない。
たとえばもし今回の休暇中に二人が大喧嘩をしたら…………考えるのも御免だ。
そんなふたりに関わり続けられて嬉しくはあるのだが。できることなら、このままずっと。
「熱いっすねぇ」
「ああ、今季一番の暑さらしい」
赤井さんは俺の言葉の意味をわかっているくせに、そう言ってわざとはぐらかした。