【将参】気づかないで純情「自由になった暁には、きっと貴方を殺すでしょう」
「そうか。まあ、殺されそうになってから考えるとしよう」
そんなやり取りを経て、彼が将校の部下となることが決まった。
正式に将校の部下となって以降、参謀はやけに大人しくなってしまった。仕事は変わらずよく出来たが、それ以外は、黙ってじっと虚空を見ていることが多くなった。
将校は、事件以前の朗らかな彼と、獄中の陰鬱に荒んだ彼とを知っていたが、今の彼は、そのどちらとも違うみたいだった。この態度が、元の主人と離された事による虚脱感からなのか、将校への嫌悪からなのか、はたまた彼の素であるのかは、未だ判然としなかった。
出自が奇妙で、しかも賢すぎるとなると、大抵仲間内で孤立してしまうのがお決まりである。だが垣根を越えることを知った将校は、その点で強かった。彼の働きかけで、この黒衣の参謀も不気味に思われこそすれ、そこまで邪険にはされていないのが今の所であった。
参謀が将校の下に就いてから分かった事だが、彼は賢いだけでなく、技術者としても大層器用であった。仕事場の印刷機を、修理のついでに倍以上の効率で動くよう改良してしまったのは序の口で、町の電灯の位置を計算して主要な道から暗闇を無くしてしまったり、乗り心地がよく馬の負担も少ない馬車を手慰みに作ってしまったりした。
薬を作るのも上手かった。彼自身としては、こちらの方が得意なつもりらしかった。彼の調合する薬はよく効いて、それに味も香りも良かった。良薬口に苦しの教訓などまるきり無視のこれは、必要な人に必要なだけ施され、喜ばれた。
「良い拾い物をしたものですね」
将校は何人かにこう言われたが、その度に、微かに口角を上げつつも、悲しげに目を伏せるのだった。今まで参謀の才が日の目を見なかったのは、それがかつての主人である大臣のためだけの物だったからだ。大臣の仕事と、謀略と、快楽に、それはひたむきに費やされていた。拾い物と言われようと、部下が認められているのは確かなのに、その過去を思うと将校の胸の内は暗く、寂しくなるのだった。
さて、かつての宣言通り、参謀は度々将校を殺そうとした。
一番多いのは、毒であった。色も香りも、もちろん味も申し分ない、見事な毒入り紅茶を彼は何度も将校の前に出した。だが、不思議と将校はそれを見破って、絶対に飲むことがなかった。森の民と交流する内、彼らの勘の良さでも移ったかと参謀は疑った。
手を変えて、自作の菓子に毒を盛ったこともあった。こちらも我ながら美味しそうな自信作だったのに、何故だかやはり将校には分かってしまった。それで、物を処分しながら必ずこう言うのだ。
「丹精込めて作っただろうに、勿体無いな」
それを聞いた参謀は、決まって小さく舌打ちをするのだった。
次によくあるのが、事故に見せかけての殺害未遂だった。これは将校が体と運に物を言わせて回避した。大岩を落としても間一髪で避け、馬を暴走させれば逆に押さえ込み、毒蛇を鞄に仕込めば咄嗟に掴んだ握力で蛇を気絶させた後、洒落た飾り紐と勘違いして玄関先にちょうちょ結びにする始末だった。視察の際に崖際で心中覚悟の体当たりをした時など、がっしり受け止められた後「もしや目眩でも起こしたか」とひょいと抱き上げられて、そのまま町まで運ばれてしまった。道行く人の生ぬるい視線が痛かった。
しばらくして、参謀はとうとう自らの手を汚す決意をした。こういうのはいっそ、極限までシンプルな方がいい。そこで、鋭く研いだナイフを携えて、寝込みを襲うことにしたのだった。
決行は、朧月の夜。寝室へ造作もなく侵入した彼は、よく眠っている将校の顔を甘い瞳で見つめた。ああ、忌々しい寝顔も今は返って愛おしい。ほろり、と一粒の涙を餞別に、ついに妖しく光る刃を振り上げ、彼の首筋へ、一息に立てた──と思ったら、そのナイフは何故か枕を貫いていて、将校の頭はてんで違う方に移動していた。はて、狙いを誤ったか。気を取り直して今度は心臓を突いたが、次はベッドの枠に刃が立っていて、やっぱり将校は全然違う場所に寝ていた。何という事はなく、将校は、吃驚するほど寝相が悪いのだった。
半刻程度は彼も粘ったが、結局慣れない仕事にへとへとになってしまい、刃こぼれしたナイフを放り投げて、自身も目の前のベッドにぶっ倒れてしまった。寝ている間に何度か脇腹を蹴られたが、それに怒るほどの気力もなかった。翌朝、隣で具合悪そうに眠る部下と穴だらけのベッドを認めた将校の困惑は、言わずもがなである。
今日も今日とて、二人は一緒に仕事をしていた。
「何故私を側に置いているのですか」
てきぱきと書類を纏めながら、参謀は将校に問うた。
「言ったはずだ。お前と共に居たいからだ。……ついでに、お前がすこぶる有能だからだ」
書面にサインをしながら、将校は答えた。参謀は、納得いかない様子だった。
「私は貴方を何度も手に掛けようとしています。有能だと思うなら、尚更警戒していいはずです」
「ん、そのことか。良いのではないか。この通り、私はまだ生きているしな」
それを聞いた参謀が不機嫌そうに眉根を寄せたのにさっぱり気付かず、彼は太陽みたいに明るい瞳を、親愛なる部下へたっぷりと注いだ。
「それに、私を殺したいという事は、お前もまた自分を見失わずに生きているという証だ。それは何よりなことだ。違うか」
参謀は何も言わなかった。将校は苦笑して視線を書面に戻した。
「そういえば、こんな噂があるな。森に、古を生きた錬金術師の亡霊が出るのだと」
「妖精の悪戯でしょう」
「彼は何を訴えるでもなく、気まぐれにそこに現れて、綺麗な金色の目でじっとこちらを見てくるのだそうだ。なんだか最近のお前に似ているじゃないか。なあ」
「悪戯です」
ばさ、と新たな書類の束をすげなく机に置けば、将校がやれやれと溜息をついた。
その日のノルマをこなした後は、二人きりのささやかなティータイムとなる。庭がよく見えるテーブルに、丁寧に淹れられた紅茶と、ちょっとした菓子が広げられた。
「このクッキーは、お前が焼いたのか」
「何か文句でも」
「いいや、結構なことだ」
将校が程よく焼き色の付いたそれを一口齧ると、シナモンの香りが、バターの風味に混じってじんわりと鼻に抜けた。美味しいので参謀に笑いかけたが、彼は相変わらずじっとしていた。
「してこの紅茶は、アッサムか」
「…………」
「…………アッサムでいいのか?」
「何か文句でも」
「そうか。ふむ、お前はこれが好きなのだな」
参謀が眉を顰めた。別に好きで出すのではなく、味が濃いから毒を仕込みやすくてよく淹れるだけだった。また大抵の人はこれにミルクを入れてしまうから、それでも誤魔化しが効きやすかった。だが将校は最初の一杯はストレートで飲む人だったし、今これに口を付けたのも、今回はたまたま何も入っていないからだった。一切合切、思惑と噛み合わない男である。
将校が、もう一つクッキーを摘んだ。赤いチェリーが可愛らしい、特別美味しそうなやつだった。口元に持っていくと、誘い込むような、花の蜜のような香りがした。
──果たして、参謀は自分で気付いているのだろうか。彼の作る〝とっておき〟は、菓子でも紅茶でも、いつだってこんなに素晴らしい、将校への感情ではち切れんばかりの逸品なのだ。こんなの、気付いてくれと言っているようなものではないか。将校は顔を綻ばせた。
「勿体無いな、本当に」
そう言って、彼は手に持ったクッキーを自分のソーサーに大事そうによけた。参謀が、小さく舌打ちをした。