1992年5月22日「三木ヱ門ってオシャレだよなー」
休み時間、隣の席で鏡を見ながら髪の毛を直している友達を見ながら守一郎は言った。
「そうか?」
「こんなに髪の毛を気にしてるやつ、引っ越してくる前の学校に居なかったもん。かっこいい!」
「お前それ、僕のことバカにしてんじゃないだろうな」
色素の薄い瞳にギロリと睨まれて、慌てて訂正する。
「なんで!?褒めたつもりだったのに」
「髪の毛気にして女々しいって言いたそうだぞ」
「そんな事ない!」
三木ヱ門の良いところを指折って語ろうとすると、もういい!声がでかいんだよ!と口を塞がれた。
以前居た山奥の学校では在校生徒も少なく、中学1年は守一郎がひとりだった。小学校も含めた子供たち全員兄弟のようにあけすけな関係を築いていたから、少し都会の中学に引っ越してきた今、先回りする繊細で気を使うやりとりが守一郎にはなんとも難しい。
「ところでさ!今日洋服買うの付き合ってくれない?」
オレ、そういうのよくわかんないから…と甘えると、三木ヱ門はやぶさかでもない様子で頭をかいた。
「いいよ、放課後に駅ビル行くか」
「ほんとに!?」
「守一郎、お前お金持ってんだろうな?こないだみたいに貸す金ないぞ」
「大丈夫、今日はちゃんと持ってるから!」
守一郎は誇らしげに机の横にかけたカバンを叩いた。この間、参考書を買いに付き合って貰った時に手持ちがなくて、三木ヱ門の持ってるギリギリの金額まで借りることになった時は申し訳なくて焦ったからだ。それから、なにか物入りになった時に困らないように、財布には少し多めの金額を入れている。
…いや、正確に言えば、三木ヱ門と急に出かけるようになっても困らないように、である。
守一郎は、中学2年生になる春、ここに転校してきた。
親の仕事の関係だった。
転校初日。
緊張して黒板の前で挨拶をしてから先生に指された席は、窓側の1番前の席。クラス中の視線に気圧されながらも、おずおずと座った。60くらいの目が、一気にこちらを見ていた。慣れない。
話では、1年生からのクラス替えはなかったようで、新学年からの転校とはいえ、守一郎だけがこの場での新顔らしい。
「おい田村、最初は助けてやるんだぞ」
先生の声がけに「はぁい」とやる気なさげに返答した隣の席の人は、守一郎に涼し気な視線だけを寄越して、そっけなく「どーも」と軽く会釈した。
守一郎は、さらに緊張した。
なぜって、サラサラっぽい髪の毛、なんだか目立つ目鼻立ち、とかなんとか色々。彼が、テレビで見ている若いアイドルのような見た目だったからだった。
性格もクールそうに見える。一言で言えば、たいへんに都会的な雰囲気を醸し出していた。正直に言ってとっつきにくそうでしかない。ぐるぐると心配していたが、ホームルームが終わって鐘がなったあと、それもすぐに杞憂に終わってくれた。
「ねぇ、どこから来たの?」
右隣からの声である。
「えっ」
慌てて横を向くと、頬杖をついたアイドルっぽいやつが目を丸くして、キョトンとした表情でこちらを見ている。まつげなげぇー。なんて思って固まっていると、そいつがぱちぱちと瞬きしてもう一度言う。
「引っ越して来たんだろ?どこから来たの」
「オ…オレ?」
にゅっと口角を上げる。冷たい印象が、一気に気安くなった。
「お前以外に誰がいるんだよ」
「し、滋賀だよ」
「ふぅん…」
アイドルっぽいやつが、面白そうにアイドルっぽく微笑む。守一郎はドキッとした。多分、知らない人と話すことに、慣れていないからだ。
「田村三木ヱ門」
「えっ?」
「僕の名前だよ」
「あ、オレは浜守一郎!」
「それは知ってるって。黒板に書いてあるし」
お前、声でかいな。三木ヱ門が笑った。その笑顔は案外普通だった。
それから、2人は友達である。
「この後、本屋寄っていいか?」
洋服屋をぐるっと見たあと、三木ヱ門が了承を得る前から本屋の方向に歩き出しながら言った。
「いいよ」
何買うの?と、肩にショッパーをひっかけた守一郎が聞いた。最近流行ってるらしいシルエットのTシャツと腰にも巻けるチェックのシャツを、とりあえず友達に言われるまま買ったものが入っている。
「新しい欲しい本が出たから立ち読みで軽くチェックしたくてさ」
「ファッション雑誌とか?」
「いや、物理学の本」
三木ヱ門はポッケに両手を入れてかっこよく歩きながら言った。この男は、こう見えて物理の教科に長けているので、勉強が少し遅れていた守一郎は、三木ヱ門によく物理を教えて貰っている。
「三木ヱ門って顔に似合わず勉強家だよね」
「顔に似合わずってなんだ!失礼だな」
「うーん、勉強してなそうなくらいかっこいいってことだよ」
「なんだよそれ」
三木ヱ門が普通に笑った。相変わらずアイドルみたいだけど、守一郎は友達が普通に笑うのがなんだか好きだった。
放射線物理学のなんとかかんとか、とかいう分厚い本を手に取ってパラパラとめくりながら、三木ヱ門は何の気なしに言った。
「守一郎って滋賀出身だよね」
「うん、そうだよ。今もひいじいちゃんはそっちに住んでる」
「えっ、そうなの?」
「たまに帰ってるよ、それこそ先週とか。母ちゃんと車で!」
隣の隣の県なので、母親がちょちょいと運転して家族の様子を見に行くことはそこまで難しくなかった。守一郎もひいじいちゃん子だったので、用事がなければ一緒に帰っている。
特に変な会話ではなかったのに、ふと見ると本を見る手を置いた三木ヱ門がものすごく真剣な表情でじっとこちらを見つめていた。整った顔だちの真顔は怖い。なんだかちょっとびびる。
「……守一郎」
「な、なに?」
ずいっと顔が近付いた。
「……………守一郎、お願いだ。一生のお願い」
「一生のお願い?」
赤茶色の大きな目が見開かれる。
「そうだ!一生のお願い!一緒に…」
「一生、一緒…?ぶはっ!!」
ツボの浅い守一郎は、自分でもなんでこんな面白くない事で笑ってんだと思いながらも笑いが止まらなくなる。本屋の棚の間でヒーヒー言っていると、業を煮やした三木ヱ門が肩パンを食らわせてきた。
「笑い事じゃないんだよ!バカ!!一緒に、再来週の金曜日滋賀まで連れてってもらえないか?」
「っはは……え?再来週の金曜日?」
出てきた生理的な涙をぬぐいながら、少し落ち着いて守一郎は首を傾げた。
「うん」
「学校あるよね?」
「ある!だから、一生のお願いだって言ってんだよ。わかんないかな、もう。頼むよ!守一郎のお母さんに連れてってくださいって、頼めないかな?」
何でもするから!お願い!この通りだ!と突然必死に頭を下げられるから、訳が分からない。
「えっと…なんで?再来週の金曜日に何かあるの?」
「発破だよ!爆破解体があるんだ!」
「ばくはかいたい?」
「そう!大津で…!!」
三木ヱ門は突然早口になって、捲したてはじめた。
「守一郎は木の岡レイクサイドビルって知ってるか?」
「あー、幽霊ビルって呼ばれてるやつかな?なんか暴走族集まってるんだって」
「そこだぁ!!!」
いつもの若干クールな印象がらなりを潜めて、胸の前で両手を握った三木ヱ門はいまにも飛び跳ね出しそうな様子で言った。
「再来週、そのビルを爆破解体するんだ。日本で爆破解体を見る機会なんてそうそうないから…どうしても、見に行きたくて…でも、学校もあるし、そもそも大津まで行く金がないから諦めてたんだけど…」
「爆破解体ってそもそも何なの?」
「ダイナマイトを使って、建物を壊すんだ!」
「そんなの見に行ったら危なくない!?」
「だから、それを危なくないように爆破するのを見に行くんだよ!」
「ふうん…?」
「そもそも建物が密集してる日本では爆破解体はほぼ行われなくて…小規模な爆破というか、静的破砕剤注入工法が行われるのが基本なんだけど…あ!静的破砕剤注入工法っていうのは、コンクリートに…」
何やら爛々とした目で熱く語りかけられてしまっているが、守一郎には何がなにやらサッパリわからない。
「…その亀裂を発生させたところに……」
「ええと、とりあえずだけど!」
さらに長くなりそうな話を、慌ててぶった切る。
「要するにすごく珍しいってことだね」
「あー、そうだな。そういうこと」
「珍しいから、見に行きたい。ってことだね」
「そう!!そうなんだ…」
お願いだよしゅいちろぉ…と両手を取られる。
「本当に…本当になんでもする!日本で大規模な爆破解体なんて、もう見れないかもしれないんだ…!お願いだ!」
整った顔立ちの真顔はやっぱり怖い。三木ヱ門がじっとこちらを見ている。うーん、まつげ、なげー。心臓がバクバクしてきた。
「…うん、わかった!」
「ほんとに!?」
「ダメかもしれないけど、母ちゃんに頼んでみるよ」
「うん、もちろん頼んでくれるだけでいい!ありがとう!」
行けると決まったわけでもないのに、三木ヱ門は泣いて喜びそうに握った両手をブンブン上下に振った。
母ちゃんには最初は渋られたけど、三木ヱ門には転校してから全部のことに世話になってることを話したら、案外すんなりと車を出してくれることになった。三木ヱ門の親は、あまりそういうことに頓着したい方らしく、守一郎の親がいいのならとすぐに許してくれたらしい。
学校には示し合わせて病欠ということにして、当日は金曜日の早朝に出発しようということになった。
「あら、ほんとに綺麗な子ね!」
母ちゃんが三木ヱ門を見て、開口一番で言った言葉だった。玄関前で待っていた私服の三木ヱ門は少し緊張した面持ちで目をパチクリさせたが、隣の三木ヱ門の綺麗なお母さんは慣れたように微笑んでいる。多分、言われ慣れているのだろう。
「今日は、うちの子がわがままを言って本当に申し訳ありません…」
「いえいえ!むしろいつも守一郎がお世話になって…」
三木ヱ門のお母さんが差し出してくれたとても高そうなお菓子の箱は、母親同士の手の間を何往復かした後に守一郎の母親の手に落ち着いた。
「ともかく、早く行きましょう!」
乗って乗って、田村さん。と、守一郎の母ちゃんに促されて、三木ヱ門は後部座席の守一郎の隣に収まった。
「そうだ。守一郎、いつもの米米CLUBのCD流す?」
「いいよ!気、つかわなくて!」
普段の母親とのやりとりを見られるのがこっ恥ずかしくて、チラリと三木ヱ門を見るとこっちを見てニヤニヤしている。肘で小突くと、さらに小突き返された。
母ちゃんはあまり後部座席を気にせず、結局は自分の好きな昔の歌手のアルバムをかけはじめた。
建物の解体に守一郎は特に感慨などなかったものの、現地についてみれば大勢の人がカメラやビデオ、双眼鏡などを片手に集まっていた。爆破に興味のある人ってこんなにたくさんいるんだ、と守一郎は思った。
「この辺でいいか」
「水上から見れたらよかったけど、もう船はいっぱいだったし…こんなものか」
人混みをかき分けて、建物がよく見える場所に運良く移動できた。母ちゃんは車で待っているからと駐車場で別れて、手元に写ルンですを持った三木ヱ門と二人だった。
「かむばっく…れっかーずぅ?」
おやつに持って来たポッキーを食べながらコンクリートの巨体に意味のよくわからない文言が書いてあるのに首をかしげていると、そんなことは関係ないというように、顔を紅潮させた三木ヱ門に腕をつかまれる。
「なぁ〜、これが爆発して壊れるんだぞ。すごくないか?」
甘えるように言われるが、いまいちまだ実感がわかないのでふんわりと頷くだけにとどめる。
「夢みたいだ…」
「なぁ、ポッキー食べなよ」
夢見心地でぶつぶつ言う口元に一本つっこんでやると、こっちも見ないし礼も言わずにポリポリと食べ始める。
何だか手持ち無沙汰で、自分と隣の男の口に一本ずつつっこみ続け、5本目を咥えたあたりで三木ヱ門がこちらを向いた。
「なぁ、これチョコ溶けてないか?」
「え?ほんと?」
「あー…お前が箱握りしめてるから」
守一郎の体温高いし、と数本加えたポッキーを一気にボリボリと噛み砕きながら顎で手元を指される。
「俺って体温高いかな?」
「隣にいると暑い」
吐き捨てるように言われるが、唇に溶けたチョコがついてるから全然怖くない。
「自分じゃ…」
会話を続けようとしたところで、群衆が何やらどよめき始めた。
「おい!はじまるんじゃないか?!」
「う、うん」
「そういや、新聞で開始は1時頃って言ってたな…」
三木ヱ門は神経質な様子で腕時計を確認すると、写ルンですのフィルムを慌てて巻き始めた。
「あぁ〜…ビデオは持ってこれなかったけど、せめて写真は撮らないとだ!」
「頑張って!!」
「あっ!そうだ。守一郎、爆発の瞬間を撮ったあと、僕とビルの写真を撮って欲しい!」
「うぇ!?俺が!?大丈夫かな」
「大丈夫だよ。写真、初めてでもないだろ?とりあえず写ってればいいからさ。頼む」
「わかった!」
意気込んで頷くものの、遠くから責任者の拡張機の音が聞こえて、今度は殺気立った目で「静かにしろっ」と小突かれる。ここまでついてきたのに、本当に傍若無人な奴だから酷い。でも、こいつのこういう遠慮のないところが気に入ってるんだよな、と守一郎はぎゅっと口をつむって思った。
3!2!1!
ファイヤ!!!
大きく割れた拡張機の声がして、すぐに
ドドド、ジュッ、ドン!
と、何ともいえない轟音が響く。
音に驚いている暇もない隙に、巨大なコンクリート塊は砂塵を巻き上げながら琵琶湖側にのんびりと倒れていく。
何度も通った道だったので、あの建物が一瞬で消えてしまうとは…とさすがに圧倒されてポカンとしていると、隣からシャッターを切る音と、フィルムを回す音が何度も交互に聞こえてきた。
「うわー!うわー!うわーっ!すごいぞおお!!!」
周囲の大人達も歓声を上げて喜んでいる中で、三木ヱ門が目を涙でいっぱいにして、いつもの守一郎よりも何倍も大きな声で言った。
「あれ、壊れたぞ!守一郎!!」
「そうだね!」
「すごかったな!!」
「すごかった!」
横からものすごい力で抱きつかれて体をシェイクされるが、言葉があまり思いつかなくて、おうむ返しするしかない。すごいものはすごいしとしか言いようがない。ハッとしたように三木ヱ門がフィルムを回して手元の写ルンですを手渡してきた。
「守一郎!砂がたってる間に!!写真とってくれ!早く早く!」
「わ、わかった!」
勢いに気押されて、緊張してレンズを覗く。
顔の横でピースサインをして待っている姿に急かされた気持ちになり、慌てて1回分のシャッターを切る。しかし、切った後に、三木ヱ門の口元にはさっきのポッキーのチョコがついている事に気がついてしまった。
「三木ヱ門!口元にチョコついてる」
「え?ほんとか?!言えよ!」
慌てて手のひらで拭うが、うまくとれない。
「とれた?」
「ううん」
「あぁー!もう一枚写真撮ってもらわないと、さすがに恥ずかしいよ…とれた?」
「ううん」
「ま、まだぁ?」
明らかに興奮で普段の冷静さを失った三木ヱ門は、焦った様子で守一郎に顔をずいっと近づける。
「守一郎!とってくれ!!どこについてる?」
「え?あ!うん!わかった」
ハクハクした気持ちで唇の端についたチョコを指で拭ってやろうとするが、何かで濡らさないと無理そうだ。三木ヱ門は早くしろという圧を出して目の前の瞳をじっと見た。早くしないと、早く…!わけがわからないまま、気がついたら守一郎は三木ヱ門の口の端を舐めていた。
「…は?」
「あ!とれたよ!ほら!!早くポーズとって」
「え?は?あ…うん……?」
三木ヱ門はさっきとは違う魂が抜けたような顔をして力ないピースをすると、守一郎はしっかりとビルと三木ヱ門を画角に入れてシャッターを切った。
「多分、うまく撮れた!!現像してみないとわからないけど」
「…あぁ、うん…」
「……三木ヱ門?どうしたの?」
「……」
「み、みきえもーん…?」
急に黙って、俯いてしまった三木ヱ門の肩をツンツン触っていると、少しだけ見えている耳元が真っ赤になっている。
「…真っ赤だけど……」
「…………バカッ!!言うなー!!!」
周りの大人達がびっくりしてわっと二人を見るものの、またすぐに倒壊したビルの方に視線を戻す。
「ど、どうしたの三木ヱ門!?」
「どうしたもこうしたも…な、な…なんで……したんだお前っ!」
「え?…した?」
きょとんとしている守一郎の腕を痛いほどつかんで、耳元で誰にも聞こえないような怒号を含んだ囁く。
「キ…キ…キスだよ!!!!」
「…え?」
「写真とるまえ!しただろ…!」
「いや、あれは……だって………あ……」
たしかに、人の顔って舐めないかも。
今更、自分のしたことを思い出して青くなった守一郎は、今度は一瞬触れた肌のやわらかさを突然思い出して顔に血液が集まるのを感じた。さっき真っ赤だと思って見ていた目の前の顔よりも、今は自分の顔の方が真っ赤になっていると思う。
そんな守一郎を見て、フン、と三木ヱ門が突き放すように掴んでいた腕を離すと、真っ赤な顔のまま眉間に皺を寄せて彼を睨みつけた。
「…お前、責任とれよ!絶対」
「え…責任って…?」
「知らん」
「どうとればいい…?」
「知らないってば!」
自分で考えろ、と目線を逸らした三木ヱ門は不思議な表情をしている。怒ったり喜んだり、拗ねたり、そのどれでもないような、そのどれでもあるような…。
横顔を眺めるのに忙しくて、周囲の喧騒のことなんてもう耳には届かなくなった守一郎は、あぁ、やっぱりこいつ、まつげなげー、と思った。
おわり