君を知らずに100年生きるより⑥ 美味しいものを食べると食べさせてあげたくなるとか、いいことを聞くと教えたくなるとか、そういうものは誰にでも感じることだけど、「これは好きじゃないかもしれない」とか「何が好きなのを知りたい」、それから、その人の好きなものが何となく好きになっていくことまである。最近になって、この気持ちは「恋」と呼ぶらしい、ということを知った。
「恋をした」という訳では無い。だって、その人のことを考えて、嬉しくなったり、寂しくなったり、でもやはりとても大切で「俺の」同室であるということがとても大切に思えることが恋だというのならば、きっと自分はずっと、もしかしたら浜守一郎はひと目みた時から、田村三木ヱ門に恋をしていたかもしれないと思うからだ。
「恋」であっても、なのか「恋」だからこそなのかは定かでは無いが、守一郎は思い悩んでいた。
というのも、最近うっかり聞いてしまった同級生の会話の中で三木ヱ門が漏らした「私は守一郎に、誰かと幸せになって欲しいと思ってる」という言葉がずっと引っかかり、頭をぐるぐると巡っていたからである。
好きな人に、自分の幸せを願われている、それはとても素敵な事なはずなのに、彼がその未来にいない言葉がひどく苦しい。でも男なら、忍者になるのならば、きっと三木ヱ門の望みの方が正しいということもわかっている。それでも、受け入れるのには痛みが伴った。
「守一郎、おい、守一郎」
「あ、はい!!なんでしょうか、食満先輩!」
「さっきから呼んでいたが、どうした?大丈夫か?」
「あ、あはは、少し、ボーッとしていまして……」
磨いていた手裏剣を箱に戻して、誤魔化すように頭を搔くと、納得していない様子の留三郎は向かいに座って、手ぬぐいを広げた。
「あ、食満先輩、手裏剣磨きは私の仕事ですので、そんな」
「いや、させてくれ、他の仕事も今は終わっているんだ。」
「それじゃあ…よろしくお願いします!」
よし、と爽やかに笑って箱から手裏剣を取りだし磨き始めた留三郎は「手裏剣は立派な武器だ」と切り出した。
「?はい。」
「だから、扱う時に気をつけなければならない。怪我をするぞ。」
「はっすみません!」
「はは、次から気をつけたらいい」
「はい……」
優しく、ただしきちんと注意を受けて守一郎は慌てて謝罪をした。それを笑って励ましながら、反省をして肩を落とした守一郎をみて留三郎はおもむろに切り出した。
「俺も、ぼんやりと思い悩んだ事がある。同じぐらいだったかもなぁ。」
「…食満先輩もですか?」
「ああ、自分の気持ちや、将来について考えたりしていた。」
それから、ひと呼吸を置いて、彼は手裏剣を戻して、「どうしたんだ?」と真っ直ぐに守一郎を見た。素晴らしい先輩だと思う。憧れているし、この人のようになれたらなと思う。敬愛という言葉はこの人に向いている。
でもやっぱり、三木ヱ門へ感じる気持ちは、他とは違うのだと強く自覚させられた。
「食満先輩…実は」
ぽろ、と言葉がこぼれ落ちる。出会ってから今までの優しい気持ち、大切な思い出、初めてのことと、それから、三木ヱ門の気持ちについて。
三木ヱ門は、守一郎が学園に来てから沢山のことを教えてくれた。学園のあらゆる施設の場所、生徒の一人一人、それから友人と過ごす毎日も彼と過ごして身をもって知った。だんだんと、彼も少し変わっているらしいことに気づいたけれど、それでも守一郎にとって三木ヱ門はたくさんの初めてを教えてくれた人だった。
「私は、三木ヱ門といられて幸せだと思ったんです。でも、それを、三木ヱ門は違うと思ってる。」
「守一郎は、それを正しいと思うのか?」
「わかりません。俺にはまだ、知らないことばかりだから。でも……」
「でも?」
「でも三木ヱ門が私を大切に思いやってくれていることはわかるんです。」
三木ヱ門が、自分の将来を考えてくれている。誰かとの、未来を。それは恋ではなかったとしても深い愛情だということが分からないほど幼くはなかった。だから、その一粒だって無下にはしたくない。
「それに、三木ヱ門は私より世の中を知っているから、それが正しいのかもしれないと考えたりしています。」
そうか、と留三郎は返した。それから、言葉を選ぶようにうーん、と唸ってから、守一郎に向き直った。
「正しさはおいて、お前はどう思ったんだ?」
「私が?」
「そうだ、納得や理解などは置いて、どう感じたんだ?」
感じたこと、その時を思い出して、その瞬間迷子みたいに歩き方を忘れた感覚がまたぶり返すようだった。それから、そういえば、と言葉を吐き出した。
「私は、三木ヱ門と幸せになりたかった」
「そうか」
言葉と一緒にぽたり、と涙が出た。せっかく拭いた手裏剣に水滴のあとがついてしまう、と思っても、考えとは裏腹にぼたぼたと大粒の涙が溢れてくる。
「三木ヱ門がそうじゃなかったのが、寂しい。それから、それを捨てるのが、苦しくて、痛いです。」
「捨てるのか?」
「だって…」
だって、俺は、幸せになりたかった、他でもない三木ヱ門と。でも、三木ヱ門が幸せではないのならば、それは叶うことはなくて、ならばこの思いを捨てて三木ヱ門が幸せでいた方が自分も幸せに近づけると思った。ならば、三木ヱ門が望むように、「誰か」と結ばれて、「誰か」と家庭を築いて、それを見て三木ヱ門が笑ってくれたらきっと自分も幸せを感じられると思う。
初めて、ひとりで籠城を始めた晩、寂しくて仕方がなかった。でも次の日、また次の日となるうちにその気持ちは霞んで、鈍くなって、慣れていった。だから、きっとこの思いも切り離してしまえば、痛いのは最初だけだろうと思う。
(でも、死にそうなほど、苦しい)
「守一郎、俺も同じ頃に悩んだことがある」
「……食満先輩もですか?」
「ああ、俺にとっても、相手にとっても、将来はないと思ったんだ。」
偉そうにも、わかる、と思ってしまって、まだ涙は止まらなかった。正しくない思いを、先輩も抱えていたのだという安心感もあったのかもしれない。
「でもな、二人で崖から落ちてボロボロになって、死ぬかもって思ったんだ。」
「えぇ!?大丈夫だったんですか!?」
「大丈夫じゃなかったかもなぁ、あはは。」
そう言いながら目を細めて、誰かをいつくしみ思い出すような表情は、形はなくともそれが「恋」だとあまりに雄弁に語っていた。
「変な話だけど、二人で落ちて良かったと思ったんだ。あいつが一人じゃなくて、それから俺も一人で待っていなくて、心底良かったと思ったし、それが何だかおかしくて。」
「そんな…」
「将来とか関係ないとは言わない。でも、あいつに出会わないぐらいなら、想わないぐらいなら、恋をして不運でいた方が、ずっと幸せだと思った。」
変な話じゃないです、と言おうとしたけれど、言葉を飲み込んだ。だって、それはすごく変なことだと思ったから。そしてその変な話は身に染みるほど、理解出来てしまったから。
「俺が正しいとは言わない。でも、田村が正しいとも、俺は思わない。」
「はい。」
「そしてそれは、お前が選ばなきゃいけないことだ。」
そうか、自分はまた逃げていたのかもしれない。「恋」だと誰かに肯定してもらってそうだと信じようとした。三木ヱ門の言葉で次の展開を決めようとした。自分の向かうところさえ、常識に嵌め込んで良しとしようとした。
まずは自分に向き合わないといけない。そしてそれから、受け入れるだけではなく話し合って、自分のことも伝えないといけない。
(ごっこなんか、嫌だよ、三木ヱ門。)
約束の日は、明日に迫っていた。