現代で生活してるみずきゅ(蛟九)神々の住まう美しき御山。
そう呼ばれたのも今は昔の話。
人間たちの森林開発により山は削られ、多くの神々や妖怪たちが住処を奪われ、その姿を隠してしまった。
それは、山で悠々自適に暮らしてきた「九尾の狐」たる俺も同じ。
あの日、山の主として人間たちに怒り狂う「蛟」を無理やり背負って山を下り、今では人間に化けて六畳一間の安アパートで暮らしているのであった。
「つっかれた」
玄関の扉を閉めた瞬間、俺はスーツを弛めて抑えていた尾と耳を出す。
人間の今の服は窮屈で仕方がない。まったく、なんだってこんな西洋かぶれの格好をしなくてはいけないのか。
冷蔵庫からビール瓶を取り出し、牙で王冠を食い千切るとそのまま一気に煽る。
労働に疲弊した体に、人間用の淡い酒精が染み渡る。すぐに飲み干してしまった瓶を放り、次の瓶を取り出した。
「おう、ただいま。めんたいこは今日もいい子にしてまちたか〜?」
声をかければ、部屋の隅に置かれたペットゲージの中から、のそのそと「肉の塊」のようなものが這い出てくる。
「めんたいこ」と名付けたそれは、親とはぐれた触手族の幼体だ。山を降りるときに偶然見つけ、一緒に連れてきたのだ。
犬用の缶詰を開けて、めんたいこの前に置いてやれば、もそもそと食べ始める。濡れた犬のような匂いがして、そろそろ風呂に入れてやるかと考えていると、風呂場からビタン!と床を打つ大きな音がした。
「テメェ!ふざけんな高杉、風呂壊れるからそれ止めろって何万回言えば分かるんだゴルァ!」
「テメェこそふざけんな、なに俺を無視して、先にめんたいこに餌やってんだ!」
「労働を終えて帰ってきた俺に労いの言葉もおかえりも言わねェ男に掛ける言葉なんざねェよ!」
狭い浴槽にミチミチに詰まっているのは、鱗に覆われた蛇のような下半身。
かつて蛟と呼ばれたその男、高杉は、濡れたように艶やかな黒髪をかき上げて、もう一度苛立ったように尾の先でタイルの床を打つ。
「テメェがここまできて『ただいま帰りました』って三指置いて挨拶しやがれ」
「ふっっっざけんな!!ドライヤーでピカピカに乾かしてやろうかだいたい何で俺だけが働いてるんだ!テメェも働けこのヒモ杉が!ただでさえ水道代がやばいってのに、今月は電気代もやばいんだぞ!」
「はあ?なんで俺が人間なんかの中で働かなくちゃいけないんだ」
「このボンボンがぁ〜〜」
当然のように言い放つ傲慢な態度の高杉に、俺はギリギリと拳を握り締めることしかできない。
人間社会のなかを渡り歩いてきた妖狐と違い、生粋の神たる蛟は働くということに圧倒的に向いていない。というか、そもそもそういう発想すらないのだろう。
しかしながら、人の世というのは何をするにも金がかかる。
妖術でお金を作ろうとしたこともあったが、今の時代では人の目はごまかせても機械の目はごまかせない。
偽金がバレるといろいろとめんどくさいことになる。ひっそりこっそりと暮らしたい俺は、結局のところ清く正しく汗水垂らして金を得るしかなかったのだ(就職するための戸籍やらあれこれは妖術で誤魔化した)。
「腹減った。飯」
尊大にそう言う高杉に、俺は海よりも深いため息を吐きながら「へいへい」と応えて台所に向かう。
冷凍庫から魚を取り出し、流水で解凍しながらまたひとつため息をつく。
「はあ……」
かつて翡翠の宝石があったはずの高杉の左目は、今はかたく閉じられている。
人間たちに御山を侵略されていたあのとき。垂れ流される鉄の毒によって、高杉の目は犯された。焼け付くような痛みは、御山の怨嗟の声だった。
その衝動のままに怒り狂い暴れようとする高杉を無理やり引きずり、迫り来る人間たちから逃げたあの夜のことは、未だに鮮明に覚えている。
「離せ銀時!せめてあいつらに一矢報いてやる」
「俺はこの山の主だ。山が死ぬなら俺も死ぬ!」
そう吠える高杉を必死に押さえつけ、
「頼むよ高杉。俺は……俺はテメェとまだ生きたいんだ」
そう頼み込みながら、山を駆け抜けた。
この男は、あの山と一緒に死ぬつもりだったのに、俺のワガママで生かしてしまった。
怒っているのだろう。
世界にも、俺にもーー己にも。
解凍した魚を適当な皿にのせて風呂場に戻る。
いつかテレビで見た水族館のペンギンの餌やりのごとく、高杉に飯をやる。
「お前なぁ、もっとうまそうに食えよ。冷凍とはいえ、いい魚なんだぞ。働かないくせにグルメ舌の誰かさんのためによォ」
「は?飯以前の問題だ。こんなクソ狭いところに押し込められてご機嫌になれるわけねェだろうが。もっと広い部屋を用意しろ」
「仕方ねェだろ!俺の安月給じゃ、この六畳一間の安アパートが限界なの金がねーの俺一人でテメェとペット養ってるの!」
「なんだ、金があればいいのか?」
「そりゃそうよ!あーあ、一億円とか十億円とかあれば、プール付きの高級タワマンとかにも住めるのによォ」
「金ってのはこれか?」
「あ?」
そう言って高杉が俺に見せたのは、高杉名義の通帳だ。
「なんでテメェがこんなもの持ってんだ」
「この間辰馬の野郎が来て、必要だろうからって作らされた」
「辰馬が?」
辰馬は少し離れた山に住んでいた龍神だ。その山も今はもう崩されてしまったが、生粋の人好きであった辰馬はあっけらかんとした態度で、「仲間」を集めて「会社」をつくり、あっという間に人間社会に溶け込んでしまった。
なんだかんだと俺たちとの付き合いも長く、今では人間社会のことを教えてもらったり、引きこもりとなった高杉にもしょっちゅう会いに来ている。
受け取った通帳を開いて、俺は思わず目をむく。
「て、てめぇなんだこれ……この額……え?」
「このスマホってやつで株ってやつをしてたら、数字が増えた」
「株」
「辰馬が教えてくれた。準備は整えてやるから、暇なら手慰みにでもやってみたらどうだと」
「え、これ、ゼロが何個……え?」
「なんだ銀時。テメェこんなのが欲しかったのか?もっと早く言えよ」
今までの努力はなんだったのか。
泡を吹いて倒れる俺を見ながら、高杉が呆れたようにため息を吐いた。
次回!タワマン最上階にお引越し
俺の部屋よりめんたいこの部屋が広い編
お楽しみに!