過去に戻って高杉に頬にチューしてもらわないといけない話(高銀)自慢ではないが、恨みをかった覚えは腐るほどある。
そういう生き方をしてきたと思うし、〝そういう〟可能性をまったく忘れたわけではなかった。
だが、一言言わせて欲しい。
家の中にケーキがあったとして、それが机の上に堂々と置いてあったとして、そこに「万事屋さんへのお礼です」と書かれていたら。
食べるだろ。
速攻で食べるだろう。
甘い生クリーム。ふわふわのスポンジ生地。甘酸っぱいイチゴの果肉。
家の中に新八や神楽、定春の姿はない。
手を出さない理由がない。
いや、俺は堂々と言う。
「家にある俺宛のケーキ食って何が悪い」とな。
例えその直後に、脈絡もなく窓から飛び込んできたヅラに「意地汚い!」と罵倒されながらボディブローを受けようとも。
「ぐふぅ!」
「くっ!遅かったか!」
突然現れては理不尽に人を床に沈めながら、ヅラことロン毛アホボケは頭を抱えて大袈裟に嘆き始めた。
「な、何しやがるんだ……テメェ」
胃液を吐きながら打ち上げられた魚のごとく跳ねる俺の体にドスドスと近づくと、ヅラは追い打ちをかけるように、懐から取り出した謎の瓶の中身を俺の口から胃の中に叩き込んできた。
「げっぼ!」
思わず吐き出しそうになるそれを、ヅラが俺の口を抑えて飲み込ませる。
「バカは貴様だ!今お前に飲ませたのは毒の中和剤だ!」
「ど、毒……?中和剤」
あまりに物騒な単語の羅列に、俺は目を白黒させるしかない。
いやだって、俺はただ家にあったケーキを食べてただけだぞ。
「実は前々から、星芒教の残党どもに怪しい動きがあってだな。調査をしていたら、やつらとんでもないものに手を出していたことが分かったのだ。それが、このケーキに混入された毒……〝時空消滅内服液〝だ!」
「じ、じくう?え?」
「これは先の大戦で天人がこの星にもたらしたものの、あまりにも〝恐ろしい効果〟のために闇に葬られた暗殺用の毒薬だ」
「暗殺用だと……?」
「これはただの毒ではない。肉体ではなく、因果律に影響し、飲んだ者とこの世との間「縁」を断ち切ることで、その者が元々いなかったことにしてしまうのだ」
「もともと、いなかったことに?」
「つまり、これを飲んだものは生まれなかったことになってしまうのだ」
「なっ!」
思わず言葉を失う。
「奴ら、先の戦の失敗の要因をこうして消すことで、未来を変えようとでも考えたのだろう。ふん、浅はかな連中だ。因果とはそんな簡単なものではない」
「なんかもう、ついていけねぇんだけど……」
あまりに荒唐無稽な話に頭を抱える。
だが、ヅラはときにひどい方向に妄想癖のある変態だが、基本的には生真面目なリアリストであり、タチの悪い冗談を言うような男ではない。
「貴様に飲ませた中和剤の効果で、貴様は今からゆっくりと時間逆行をしていく。この毒薬を無効化する方法はひとつだけ。貴様とこの世の縁を強めることだ」
「時間逆行?縁を強める」
そうは思いつつも、ポンポンと出される単語の羅列にまったくついていけない。
「てかあれ、なんか……」
手と足が透け始めて……。
透けている
「ぎゃーーーー!」
「くっ!時間がないので端的に言うぞ。今から24時間前までに強く印象に残っていることはあるか?」
「え……あ、あるといえば、ある、けど……」
「そうか。ならば、過去に行ってそれを再現するのだ!そうすれば縁が強化され、貴様はこの世から消えずに済む」
「再現無茶言うんじゃねぇよ!だってーー」
体がぐんっと引っ張られる感覚に、視界が歪む。
再現だって!
できるわけがねぇ!
だって、だってーー!
グラグラ揺れる脳で思い出すのは昨晩のこと。
「げ」
あの戦いの後、無事に知らないケツから成長し、記憶まで取り戻した高杉は、なぜかふらりと万事屋を訪れるようになっていた。
そしてーー、
「高杉ィィィィ!」
「ちっ!しつけェ犬どもだ」
彷徨とともにバズーカが唸る。
破壊音に、やんやんやと囃し立てる人々の声。
追いかける真選組を嘲笑うかのように、派手な羽織をひるがえして街の中を駆け巡る姿は、もう新しい歌舞伎町の一種の名物だった。
じつは高杉は表立って指名手配こそされていないが、未だに過去の諸々の事件に関わった重要人物としてお尋ね者なのだ。
まあ、要人暗殺やら宇宙海賊とつるんだときにしたらしい数々の悪さやらを考えれば、致し方あるまい。
とはいっても、先の戦いでの功績と新政府の意向などを考えれば、一度捕まって恩赦が与えられることもあるだろうが、高杉も鬼兵隊の連中もそんな甘っちょろいことは考えてはいないようだ。
まったく、難儀なやつらである。
そもそも高杉なんぞ、一度は表向きしんだことになっているのだ。(いや、本当に死んだんだけど、傷をえぐるのでこれ以上は割愛)
そのまま雲隠れしておけばいいものの、記憶が戻った途端に俺のところに来るもんだから、なんだかんだと腐れ縁のある真選組にも生きてることがバレちまった。
まあ、積極的に捕まえるというよりは、見つけてしまったからには見過ごせない、というやつだろう。
近藤あたりは、高杉にもろもろと清算させて、再び日の下を堂々と歩けるように(罪を憎んで人を憎まず、今の政府ならそう悪いようにはしないだろう)、と考えているようだが、奴にとってはまあ余計なお世話なのだろう。
それにどうやら高杉は真選組……とくにマヨラーこと土方が非常に気に食わないらしく、なにがそんなにムカつくのか知らないが、ときどきわざとおちょくるように煽っている。
しかも、俺がいる時に限ってそうなるものだから、とばっちりも程々にして欲しい。
とにかく、そのそれがますます土方の癇に障ってしまい、激しい逃走劇を演じるに至っているのだ。
ちなみにヅラも未だにお尋ね者のままだ(ヅランプは別人だし)。あいつはあいつで、新政府が人道を外れた時には再び天誅を下すものとして、馴れ合う気はないようだ。
と、まあ話がだいぶ逸れてしまったが。
とにかく、昨日は高杉が真撰組に追われていて、建物の屋根の上を走り抜けていて。
そんで奴が飛び降りた先に、運悪く……本当に天文学確率で、そこに俺がいて。
空から降ってきた高杉とガッチンコして、押し倒されて。
そんで、まあ。
その勢いで、高杉の唇が俺の頬に触れたのだ。
「ーーっ!」
思わず息が詰まる俺に対して、高杉はなんでもない様な顔で「邪魔くせぇぞ」と吐き捨てると、そのままそそくさと去っていってしまった。
「え……え、今の、ええ……?」
俺は言い返すこともできずに、ただ呆然と高杉の唇が触れた頬を撫でる。
いやいや、痛いって。
やめろって、俺。
あのさぁ、三十路近い男が、ずっと片思いしてる男に、頬に事故チューされて喜ぶってお前……。
そういうのは中学生で卒業だろ……。
「うわっ!」
ポンと体が宙に投げ出される感覚の直後に、背中を床に強く打ち付ける。
「ぐげっ!」
気がつけば、見覚えのない……いや、かすかに記憶の隅にかろうじて残っている風景。
古い、朽ち果てる寸前のような木造の壁と床。
確か、攘夷戦争のときに一時期、それでもそれなりに長い間拠点にしていた古寺で……。
「おいおいおいおい!」
近くにあった埃を被った姿見にすがりつくように自分の姿を確認する。
明らかにピチピチになった俺の顔。
白い羽織に額当て……鏡の中には、かつて白夜叉と言われていた俺の姿が、そこにあった。
「時間逆行……って、マジで?」
てか、本当に?
マジで俺はこれからこの時代の高杉に「頬にチュー」してもらわなければいけないわけかそうしないと、消えちゃうわけ
いやいやいやいや!
自分からするのであれば……後先考えなくていいのなら無理やりに襲って奪っちまうことも不可能ではないだろう。
だが、高杉からしてもらう。
しかも頬にって!
いったいどういうシチュエーションだよ!
「ぐああああ!」
「なに一人で悶えてんだテメェは」
「げっ!」
あまりにも無理ゲーなミッションに頭を抱えて床を転げ回っていると、聞きなれた声が降ってきた。
恐る恐る振り向く。
攘夷時代の高杉が、呆れた顔でそこにいた。