悪夢を見ている古の高杉遠い鈴虫の声を聞きながら、高杉はこれが夢だと知っていた。
風が冷たく月は青い。膝の上にある温もりは、いつかこの手に抱いたこともある男の頭だった。
寝乱れた銀髪を指ですく。絡まった髪の柔らかさも、高杉がよく知るものである。
しかし、これはやはり夢なのだ。
まだ十七になったばかりの少年の顔はあどけなく、安らかな寝息を立てている。
甲高い鈴虫の声にかき消されてしまいそうなほどささやかなそれに耳をそばたて、高杉はふっと自嘲の笑みを浮かべた。
左目が熱を持って疼く。ぼたりぼたりと、涙の代わりに血を流す。
「銀時」
名を呼びながら少年の「首」を掲げる。体は無い。首だけである。頬に赤みはあるが、唇だけが青い。
「銀時」
その唇に口付ける。薬のようないやに苦い味がした。
そのまま頬に舌を這わし、鼻先を舐めまわし、瞼を甘噛みする。
唾液で濡れた銀時の首はただ、静かな寝息を立てたままだった。
「君にそんな趣味があったとはね」
低く穏やかな男の声に顔を上げる。
そこには、かつて師と仰いだ人がいた。
首を落とされたはずのその人は、生前と変わらぬ姿でそこに立ち、首のない少年の体を横抱きにしていた。
埃に塗れた白い羽織は、まるで白装束のようにその痩せた体を包んでいる。
「この体を返して欲しいですか?」
高杉は頷く。
そうすれば、きっとこの愛しい少年が目を覚ますと思ったからだ。
「晋助。これが君の選んだ……君が決めた未来です」
そう言って、その人が首のない体を高杉に渡す。その瞬間、今度はごろりとその人の首が落ちた。
血飛沫が畳に鮮やかな赤い花を咲かし、高杉と少年の顔に降り注ぐ。
ゴロゴロとその首は転がっていき、闇に溶けていく。首を失った師の体が眼前で倒れるのを高杉はただ呆然と眺めることしか出来なかった。
「なんでだ……」
絞り出すような声だった。
「落とすなら……この首を落とせばいいだろっ!」
それは怒号であり、悲鳴であった。
気がつけば、腕に抱えていたはずの少年の首も消えていた。とっさに部屋を見渡すも、そこにあるのは少年と師の首のない身体が倒れているだけだった。
「所詮、君は何も守れない」
うるさいほどの鈴虫の声の向こうから、師と同じ声が響き渡る。
「無様に守られて、全てを失うだけだ」
二枚の羽を擦り合わせる音が、頭が割れるほどにがなりたてられる。耳を塞いでも手のひらを突き抜けて鼓膜を震わせ、高杉を貫いてくる。
「君もまた、虚ろになるでしょう」
嘲笑い、哀れみ、憂う声だった。
高杉はこれが夢だと知っていた。
しかし、覚める術は知らずにいた。
「三千世界の烏を殺し……」
自らの声も分からないほどの音と慟哭の本流の中で、高杉はそれでも言葉を紡ぐ。
「主と朝寝がしてみたい」
閉じた左目に、愛した少年の顔を映す。
開いた右目には、殺したい男の顔を映した。
世界が白み始めて、夢の世界が終わる気配がした。
首を失った二人の体と、叶わぬ願いを夢に残して、高杉晋助はそっと瞼を開いた。