蛟と狐と高杉のトライアングル(高蛟九)「蛟ー!助けてくれよ蛟!」
キャンキャンと泣く情けない声に、蛟は仕方なく湖から顔を出した。
そこでは、幼なじみの九尾が自慢の九つの尾を興奮のために逆立てながら、顔を赤くしてピーピーと泣いている。
「朝っぱからうるせェな」
言いながら、蛟は煙管を取り出して口に咥える。今までの経験上、どうせこのあとにろくでもない言葉が吐き出されるのは明らかだった。
少しでも気を落ち着かせようと、蛟は煙を肺に吸い込む。
「俺、人間に求婚されちゃった!人間と結婚ってどうやったらいいの」
「」
バキッと蛟は手に持ってい煙管を思わず、へし折った。
山の主である龍の化身、蛟。
目の前のあほ面を晒している九尾には、絶賛千年以上の片思い中であった。
聞けば、事の発端は三日ほど前だという。
山の中で滑って怪我をして動けなくなった人間の男を、九尾が助けてやったのだという。
耳や尾を隠して人間に化けた九尾は、自分よりも若干背の低いその男の傷に薬を塗ってやり、そのまま抱えて山を降りてやったのだという。
生来、人間嫌いの妖の中でも珍しく人好きでお人好しの九尾である。彼がそういう行動をとることは容易に想像できた。
しかし、問題は人間の男である。
あろうことか、その男は九尾に向かって「テメェに惚れた。嫁に来い」と言い放ったのだ。
「人間なんかとっとと、ふっちまえばいいだろうが!」
「でも、でも……すっっっごい!顔がタイプだったんだもん!」
九尾はギャンギャンと騒ぎながら、蛟にすがる。
「あ、あれから毎日森に逢いに来てくれるんだ!でもでも、アイツ俺のこと人間だと思ってるから……!俺が本当は妖だって知られたら嫌われちゃうかも!婚約破棄されちゃうかも!」
「されればいいだろう!てか、テメェまさか結婚する気なのか」
「だって求婚されたし!顔タイプだし」
蛟の尾をポカポカと叩きながら、思春期の女子よろしくビービーと泣く狐であるが。泣きたいのは蛟も同じである。
稚魚と小狐のときから一緒におり、素直になれない性質ゆえに千年もの間こじらせた片思いの相手が他の男との結婚を望み、その相談をしている。
こんなにひどい状況があるだろうか。いや、ない。
「そ、それに接吻もされちゃったし……」
「」
ぽっと顔を赤らめて言う九尾に、蛟は怒髪天を突く。千年毎日のように一緒にいた蛟でさえ、昼寝をしているときの九尾の頬にこっそり唇を押し付けたことしかなかったというのに……!
「九尾……テメェ……それは、まうすとぅーまうすか?」
「は、はじめて舌を……その、きゃっ!言わせんなよ、このスケベ!」
ドン!ガラガッシャン!ド・ドドンパ!ザーザー!
蛟の心境を具現化したかのように空から雷がなり、豪雨が降り始める。
「な!蛟テメェ、なにしやがる!ふざけんな!」
突然の雨に全身をぐっしょりと濡らす九尾が怒りの声を上げるも、蛟には聞こえていないようだった。
その目は虚ろで、口元は怒りに震えている。
まさしくBSS(僕の方が先に好きだったのに)。蛟の心は生まれて以来感じたことのないほどの強いストレスに晒されていた。
「そ、それで人間と結婚する方法なんだけど」
「馬鹿言うな。人間と結婚なんざ、不幸になるって決まってるもんだ」
「おいおい、いつまでそんなお堅いこと言ってんだよ、そんなんだから千年も生きてきて年齢=恋人なしの童貞なんなだぞ、テメェは」
「それはテメェもだろうが」
「お、俺は婚約者できたし……!って、だから雷鳴らすな!なんなんださっきからテメェ!」
そのとき、背後からガザガサと草木をかき分ける音がして、二人の視線が向く。
「探したぜ、こんなところにいたのか」
「あ、高杉!」
九尾の耳が緊張したようにピンと立つ。
そこにいたのは、片目に艶やかな黒髪をした色男だった。
「テメェを探していたら突然降ってきてな。参ったぜ」
そう言って高杉と呼ばれた男が濡れた髪をかきあげる。その色っぽい仕草に九尾はあかさらまに顔を赤くしたあと、はっとした様子で頭を抑えた。
「こ、これは違うんだ」
妖の証である耳と尾を隠そうとするも慌てているせいか、うまく化けられない。
段々とクゥンと涙目になっていく九尾に、高杉は平然と近づいてその肩を抱き寄せる。
「構わねェよ。テメェが人間じゃねェことくらい気がついてたさ」
「え……」
「こんな森の中に住んでるなんざ、そりゃ普通の人間じゃねェだろうとな。それに、アンタに助けられたときーーあんまりにもアンタが綺麗なもんだから、まるで女神か天使かと思ったぐらいだ」
「な!女神とか天使とか、おおおおれはそんなたいそうなもんじゃ……」
「可愛い耳とシッポじゃねェか。もっとよく見せてくれよ」
「な、そんな勝手に触って……えっち!」
「おっと、そいつは悪かったな」
目の前でイチャイチャしはじめる二人に、蛟は呆然とする。
蛟の知っている九尾はもっとガサツで、だらしなく、正直惚れている自分でさえどうかと思うほど堕落したダメ狐だ。
それが今の目の前にいるのはなんだ。
恋に恋している様子で、恥じらい、ときめき、分かりやすくぶりっこしている。
こんな九尾を見たのははじめてで思わず目眩を起こす蛟を横に、高杉は九尾の顎にキザったらしく手を添えながら、その耳を撫でながら甘く囁いた。
「小狐は何匹欲しい?きっとアンタ似の綺麗な毛並みをしたのが生まれるんだろうなァ」
「な!そんな……小狐なんて……、まだ早いというか、てか、おおおおお前意味わかってんのかよ」
「ああ、俺はそういう意味でアンタを好いてると、結婚したいと伝えたはずだぜ?」
「ん……」
「言葉だけで足りねェなら、体で語らうってのも俺はいいと思ってるがな?」
「かかかか体そ、それってーー」
「騙されんな九尾!こいつは結婚詐欺だ!そういう古の路地裏の匂いがするぜ!」
今まさに唇が重なろうとしたところに蛟が割って入る。
「は?いにしえ?ろじうら?なにそれ?くえんの?」
「ククク、テメェに食われんのも悪くねェな?いったいどこで、どうやって俺の事を食ってくれるんだ?」
「え……あっ」
「離れろ人間 今すぐこの山を出て二度と来るな人間!九尾に近づくんじゃねェ!」
再び蛟が割って入ると同時に、ピシャンと大きな雷がまた落ちた。
人外に睨まれているというのに、高杉は不敵な笑みを浮かべたまま、蛟と対峙する。
「そいつはできない相談だな。俺はコイツに惚れて嫁にすると決めた。それにコイツも満更じゃねェ様子だ。山を降りるなら、俺はコイツと一緒に降りるぜ?」
「そんなこと許すと思っているのか?」
ピリッと蛟と高杉の間に火花が飛び散る。
「おい蛟!テメェには関係ねェだろ!」
「うるせェ!ある!」
「はあ」
「だいたい!テメェが見ているのはこいつの上っ面だ!本当のこいつはもっと死んだ魚みたいな目をしてて、毛並みだって手入れをサボってすぐにゴワゴワにするし、人間が河原に落としたエロ本やらジャンプやら拾ってきてはガキのあやかしどもに高額転売するがめついやつだし、俺へのお供え物の饅頭をこっそり食べて腹壊すような卑しいやつだぞ!」
「なっ!テメェ喧嘩売ってんのかコラ!三枚におろされてーかうそ!うそうそ!嘘だからな!」
ギャーと爪を剥き出しにして九尾がキレながら威嚇する。それでも蛟は止まらない。
蛟はすっかり頭に血が上ってしまっていた。
それこそ、千年間一度も言えなかった言葉が、ポロリとこぼれる程度にはーー。
「それでもーーそんなどうしようもないアホのコイツとーー九尾と結婚するのはこの俺だ!俺は千年前からコイツのことを好いてたんだ!」
「え」
「ほぉ」
その言葉に、まさしく初耳ですとばかりに口に手を当てて本気で驚愕する九尾と、面白そうに口角を上げる高杉。
「ならテメェは恋敵ってわけだ」
「自惚れるなよ人間風情が」
どちらも、一歩も引かない恋のトライアングルと飛び散る火花。
いきなりのカミングアウトに思考停止している九尾がどちらをら選びーーどちらが勝利するのか。
それはまだ、誰にもわからなかったーー。