園芸家と無粋者「宿題でわからないところがあるから教えてくれないかな? 今度の休みなんてどう?」
手帳を開いて確認すると俺もその日は空いていた。幸村は数学が得意で俺は国語が得意なので、こうして助け合っている。
その日玄関で出迎えてくれたのは幸村本人だった。
曰く、
「妹が遊園地に行きたいって言うから俺を置いてみんなで出かけちゃったんだよ」
ひどいよね、と言いながらもどこか楽しそうだった。気持ちはわかる。我が家も祖父と兄家族と同居する大所帯なので、家に一人残されて留守を任される若干の心許なさと抑えきれない高揚感には覚えがあった。
「誰もいないし、ダイニングテーブルを使おう」
先に行っててとの指示に従い、庭に面したリビングへ行く。まだ日が高いため照明はついておらず、それでもレースカーテンを透かして入る外からの光で部屋はじゅうぶんに明るかった。
リュックサックから教材と筆記用具を取り出していると、ポットとカップを手にした幸村がやってきた。
「今日のお茶はハーブティーにしてみたよ」
幸村は茶に凝っている。日本茶も好きだが、輸入ものの紅茶や中国茶が好きらしく、幸村家の戸棚には美しい缶や筒や紙箱がぎっしりと並んでおり、俺がお邪魔するといそいそと茶葉を選んでは花について語るのと同じようにとうとうとその特徴を説明しながら茶を入れるのだった。
「ハーブティーか。初めて飲むな」
「本当? じゃあ楽しみにしててよ。今日はとっておきのを選んだからね」
そう言われても蒸気でかすかに曇ったガラスのティーポットを見つめて俺はぎょっとした。
「なんだ……これ、この……」
率直な感想を述べるほど馬鹿正直ではない。舌先まで出かけたものをぐっと飲み込んで、蜂蜜色に透き通った湯にぷかぷかと浮かんでいる得体の知れない葉っぱを見つめた。
ハーブと先に知らされていなかったらこれが何なのか困り果てていただろう。
「……この、湯に浮かんでいる黄色い苔玉は、何だ」
「毒じゃないよ」
「そ、そこまでは言っとらん。……健康にいいのか気になっただけだ」
「悪かったら出すわけがないだろう? ただのカモミールティーだって」
「カモミール……」
なんとなく聞いたことのある名前だが、その程度ではまだ警戒を解くには足りない。
「心外だなあ」
幸村は呟くとぱっと背を向けた。幸村がカーテンを引き折りたたみ式の窓を開くと幸村家の庭で息づくさまざまな草花がふわりと香った。
庭先につっかけか何かを常備しているのだろうか、幸村はさっと庭に降り立つと向こうの方へ姿を消した。そしてすぐに引き返しきて、その手には白い小さな花のついたすっきりと細長い茎が握られていた。
「ヒナギクか?」
黄色いふかふかした部分を中心に切れ長の白い花びらが集まっている。
「ああ、知ってるんだ。たしかに似てるけど、こっちがカモミール」
「ふむ」
そう言えば以前幸村に、タンポポとそっくりのブタナの見分け方を教わったことがあった。今回もそのようなことなのだろう。俺にはわからんが幸村にはわかる類の。
「まあ要するに、花を煮出した湯というわけだな」
「またそういうこと言う」
幸村の口もとにはいつものような微笑みが浮かんでいたが、呆れたように寄せられた眉根と目つきから拗ねていることがわかった。そうしていると、わけ知り顔が上手くなったこの頃よりもずっと幼く見え、出会ったときの天真爛漫で万華鏡のようにくるくる変わる表情を俺に思い出させた。
「お前にとっては花で草かもしれないけど、俺の庭でとれた自慢のハーブなんだよ」
手を洗って戻ってきた幸村はぶつぶつ言いながら俺が遠巻きに見ているポットの蓋を取る。うっとりするような甘く心和ます香りが湯気とともに立ち上ってきた。
「芳しいな」
まぶたを閉じてしばらくその香気を味わう。再び目を開いたときには満足げにこちらを眺める幸村がいた。
「さ、召しあがれ」
「いただこう」
にこにこと笑顔の幸村からあたたかいカップを受け取ると、俺も笑みを返した。