それは、伸びやかな。
とても綺麗な、セットアップフォームだった──。
卒業式だから部活は休みだと言われていたけれど、なぜだか帰りがたかった俺は、一人体育館に続く渡り廊下を歩いていた。式が終わって、校庭に出てくる先輩たちに花束と色紙を渡して。すでに何度目になるかわからない「ありがとうございました」を贈って。ほとんどの在校生の姿はもうほとんどなくて、先輩たちもとっくに打ち上げのために移動していると思っていたのに、体育館から、ボールを弾ませる音が聞こえてきた。
ガタガタと扉が開いて、俺を見つけたその人は、嬉しそうにニンマリと笑う。
「良いところに来たね、矢巾」
ニンマリと笑ったのは、ボタンというボタンを引きちぎられたすでに制服とは呼べない代物を身につけている及川さんで。
後ろでは、岩泉さんが「わりぃな」って顔の前で手を合わせている。
「矢巾は、及川さんの頼みを聞いてくれるもんね」
嫌とは言わせない圧を笑顔にのせてプレッシャーをかけてくる。ほんと、俺、この人の後釜務まるのかなって思うのは、こういう時だ。
「……仕方ないっすね」
ため息まじりにそう告げれば、
「だって、岩ちゃんがボタンはいらないからトスくれって言うんだもーん」
ウヘペロってお得意の表情で及川さんは笑う。そんなの聞いたら、断れるわけがない。
だって、ずっと。この二人がコートに立っている姿を見てきた。その背中に憧れて、勝ってほしくて。敵わないと思いながら、負けたくもなくて。そうやって、色んな気持ちでコートに立つ姿を見てきた。
その二人が、俺たちの主将と副主将が、卒業式の後に二人きり、体育館でバレーボールをする意味を、俺はたぶんきっと、わかっているから。地球の裏側──アルゼンチンに、及川さんが行ってしまうから。だから──。
俺が感情的になってどうすんだって、思わず自分の頰を抓る。
俺のその姿に及川さんも岩泉さんも目を丸くして、それから優しく笑ってくれた。
「矢巾がいてくれて良かったわ」
って岩泉さんが言うから、なんだか俺はものすごく嬉しくなる。
「ボール、あげればいいんですよね?」
俺の問いに、
「よろしく」
って及川さんがボールを投げて寄こした。俺はそれを、練習の時と変わらず──いや、たぶん練習の時以上に想いを込めて──及川さんに、あげる。
及川さんは柔らかく膝を使って伸び上がりながら、ボールをセットアップする。その口元が、岩泉さんにあげる時に嬉しそうに緩むのを、俺はいつも見ていた。及川さんの口元が小さく動く。試合の時のように、「いけっ」と。
それを打ちぬく岩泉さんのスパイクフォームも、綺麗だった。羽根が生えたみたいに高く舞い上がって。勝ち誇ったように口角が吊り上がる。エースとしての自信と、セッターへの信頼。
強い音とともに、ボールは体育館の床に落ちた。
その後に響いたのは、パシンという、手と手が合わさる音。及川さんと岩泉さんは、無言のまま向き合ってハイタッチをする。ハイタッチしたまま、手を高いところで握り合って、数瞬見つめ合った。
二人とも、何も言わない。だけど、瞳と瞳で通じ合う何かがあるのだということを、俺は知っている。きっと、これからの長いお別れのことを、二人は言葉にせずとも語り合っているのだろう。その姿を見ていた俺の視界が、なぜだか歪んでいく。
俺が泣くのはおかしいから、すぐに拳で瞼を擦った。
次に見た二人は、今度は手を離して、晴れ晴れとした表情をして見つめ合っていた。
「覚えてんだろうな」
「もちろん」
きっと二人にしかわからない、何かの約束なんだろう。互いにニッと笑うと、拳をコツンとぶつけ合う。その光景は、俺なんかが入っていってはいけない、神聖な空間のように思えた。
だけど、二人はすぐにこっちを見ると、
「矢巾ー、ラーメン食べて帰るでしょ?」
「及川の奢りだってよ」
「なにそれ言ってない! 岩ちゃんが奢るんでしょ」
「主将に花を持たせてやってんじゃねぇか」
「もう主将じゃありませんー!」
なんて、いつもみたいに小学生みたいなやり取りを繰り広げるから。
俺は、恩着せがましくこう言うしかなかった。
「仕方ないですね、俺が奢ってやりますよ」
とても綺麗なセットアップとスパイクフォームを見せてもらったお礼に、という言葉は、飲み込んだけれど。