【再掲】水戸くんは寒がり茹だるような夏が終わり、肌寒い秋を迎えた頃、水戸にちょっとした変化が起きた。
まずやたらと寒いと言うようになり、学ランの下にパーカーを着こみ、背中を丸め、両手を摩り、日が暮れて気温が下がるにつれて、外では目に見えて口数が減っていった。
凍えるような冬が到来すると更に大きな変化が起き、ちょっとした話題となった。
すっかり寒いが口癖となり、学ランの下に来ていたパーカーは以前に比べて分厚い起毛タイプに変わり、肩肘張ってのなんぼのツッパリにあるまじき猫背が定着し、両手はポケットから出さず、そのポケットの両サイドにカイロが仕込まれている。
元々朝に弱いのに寒さも相まって布団から出られなくなり、最近じゃ遅刻ギリギリまで布団の中にいるものだからトレードマークのリーゼントをやめてしまった。
本人はそれを前髪があると額が温かい、とさも新発見のように言うのだから面白い。
秋の内はまだどうにか我慢をして自分が車道側を歩く、と男前を気取っていたくせに冬真っ盛りとなると向かい風を恐れてか、パーカーのフードを深く被った状態で風除けとする俺の背後にべったりくっついて歩く姿は誰が見ても不審者そのものに違いない。
寒がりなのだろうとは察していたが、あまりに寒がる姿に俺は少し不安を覚えた。
だから本人の居ない場で桜木達に水戸のあの寒がりようは異常じゃないか、大丈夫なのか、何かそういう病気なら隠さずに教えてくれないか、と相談をしてみた。
すると連中はあれでこそ冬の洋平だと笑い、そもそも中学の頃は秋から冬にかけては全員で迎えに行き、布団から引っ張り出さない限り学校には来ていなかった、とのこと。
続けて桜木からそんな洋平が何故一日も休まずに毎日登校していると思うかねと問われ、俺はあの驚異の寒がりが俺に会いたいがために最も苦手としているのであろう寒さに耐えてまで布団から這い上がる姿を想像して嬉しくなってしまった。
あくまでも俺の想像でしかないが、その可愛さと健気さに感動してつい財布の紐を緩め、カシミア素材の赤をベースとしたタータンチェックのマフラーをプレゼントした。
朝練終わりに校門前で水戸を待ち伏せ、サプライズで渡してみるとあいつはその場で開封するなりこれでこの冬は無敵だ、と笑いながら首に巻き付けていた。
あれから二週間。何処で見かけようと水戸は必ずあのマフラーを身に着けている。
体育の授業ですら頭から首を頭巾のように包んでいるものだから俺のクラスメイトからは三井の赤頭巾ちゃん、などと呼ばれているなんて本人は知りもしないだろう。
体育に限らず、同じクラスの桜木の話によれば通常の授業では当然のようにストーブの前の席を陣取り、マフラーをブランケットのように膝へ掛けているか、もしくは肩に羽織っているようで、今ではどの教師も当たり前の光景としてスルーしているらしい。
全校集会ですらしっかりマフラーを巻いている姿を目にした時は流石に我が目を疑った。
まるで安心毛布みてえだ、と笑えばいや、マフラーだけどと水戸は首を傾げていた。
翌日。強烈な冷え込みに心が折れた水戸は朝の内から今日は保健室で寝て過ごす、と宣言したのでこっそり様子を覗いてみると枕の上へ折り畳んだマフラーを重ねて熟睡していたのでやっぱり安心毛布じゃねえか、と俺は笑いをかみ殺すのに必死だった。
何であれ、水戸がそれだけあのマフラーを気に入ったのは良いことだ。
本人としてはマフラーの手放せないこの季節が憎くてたまらないだろうが、俺は新たな水戸の一面を知るのが楽しく、また冬限定の水戸が可愛くてたまらなくなった。
放課後の部活は外から覗くには厳しいと判断し、靴を脱いで体育館の隅で練習を応援するようになったので自宅で余らせていた電気ストーブを譲ってやった。
それを他の連中とは本気で取り合いをするのに、マネージャーなど、女子生徒には当たり前のように特等席へ優先的に座らせてやるあいつのそういう優しさが俺は大好きだ。
もっと言うなら自らいいよいいよとストーブの正面を譲ったくせに、女子生徒の背後から少しでも暖を取ろうと諦め悪く苦戦している姿を見るのも大好きだ。
唯一の欠点はと言えば秋同様日が暮れ、気温が下がるにつれて口数が減ることくらい。
冷気で表情筋が凍るのか、難しそうな顔のまま相槌もままならないほどだ。
ん、もしくは、んーん、という喉を鳴らすような返事しかせず、頷きもしない。
そんな愛想の無い対応をされていながらも可愛い、と思えるのは全て寒さが原因だとはっきりしているし、何よりそれだけ寒さで弱体化していながらも欠席も早退もせずきちんと登校しているのが俺に会うため、という事実に俺の心は喜びで温まる一方だ。
もう一つ。この冬季限定弱体化水戸洋平くんには恐ろしく可愛い特徴がある。
なんとあの水戸がこの俺に甘え、ワガママを言うのだ。
例えば下校中、自販機で温かい缶コーヒーが欲しくなった時。
決まって水戸は自販機の前で立ち止まり、欲しい缶コーヒーと俺を交互に見る。
両手をポケットから出し、財布の中の冷たい小銭に触れてまで缶コーヒーを買うのが億劫でたまらない水戸が編み出した究極のおねだり方法だ。
そんな可愛いことをされたら俺は喜んで自販機に小銭を投入し、缶コーヒーを取り出すと少しでも水戸の無駄な作業を減らしてやろうとプルタブを上げてから渡してやる。
そこまでされてようやく受け取った水戸は猫舌のくせに火傷も恐れず一気に飲み干し、じわじわと体が温まると固くなっていた表情が和らいであったけえ、と笑うのだ。
そして空になった缶を当然のように俺へ渡し、再びポケットに両手を突っ込むと体が温まっている内に一秒でも早く帰宅しようと俺を置いてでも前へ前へと先に進んで行く。
渡された缶を捨てようとゴミ箱を探している間に水戸が消えた時は笑ってしまった。
周囲からは甘やかし過ぎだと言われても俺達はこれでバランスが取れていると思う。
水戸が冬の寒さに弱いように俺は夏の暑さに弱く、異常気象とも言えたこの夏の猛暑を無事に乗り越えられたのは水戸のサポートがあってこそだった。
夏場の俺なんて暑さを理由に何もかも投げ出しがちになり、唯一集中出来るバスケですら風の無い日には熱気で蒸し風呂のようになった体育館の暑さに死を覚悟した。
それでも倒れずにいられたのは休みの日でも体育館へ足を運び、バテてまともに腕も上がらなくなった俺の口元までドリンクを運んでくれたり、塩分タブレットを食わせたり、休憩中にうちわで扇いでくれたりという水戸による手厚いサポートのお陰だ。
もしも水戸の居ない日に倒れようものなら思いやりに欠ける後輩たちによって乱暴に外へ運ばれ、生温いバケツの水を浴びせられるという非情な扱いを受けたに違いない。
そのサポートへの御礼だと思えばワガママの一つや二つ、どうってことない。
昼休みになれば全員で屋上へ集合していたのに今じゃそれもしなくなり、俺が譲った電気ストーブを持って空き教室で過ごしているのでたまに顔を出せば背中が寒いから足の間に座らせろ、というワガママも今となっては当たり前のようになってしまった。
言われた通りストーブの前で両膝を立てて床に座れば水戸がいそいそと俺に背中を預け、制服越しでも背中に貼られたカイロの熱が伝わって俺も温まるから一石二鳥だ。
俺の機嫌など窺うことなく如何に自分が暖を取るかだけを優先している勝手な水戸を見ているのは面白いし、滅多にワガママを言わなかった恋人に甘えられて悪い気はしない。
今までは俺が泊まりたいと言っても親御さんが心配するだろ、と良き彼氏面で週一でしか泊まらせてくれなかったのが俺を湯たんぽにしたくて泊まれ泊まれと駄々をこね、挙句の果てには自分が凍死しても良いのか、と馬鹿げた脅しをする姿なんて相当貴重だ。
熱意に負けて急な泊まりとなった際、水戸の家へ向かうまでにドラッグストアへ寄ればいつも必ずとある商品棚の前でどれが良いとわざと俺に選ばせるという悪趣味な遊びをしていたのに今じゃ自分で使い慣れたものをぽいとカゴに放り込むだけ。
そのかわり種類豊富なカイロが陳列された棚の前ではどれがより温かく、より長持ちするかを比べようとあれこれ手に取っては真剣に考え、迂闊に声をかけようものなら素人は黙ってな、と助言の一つも許さないのだから大したものだ。
泊まったら泊まったで部屋が温まってからもまだ寒いと言ってべったりとくっつき、便所へ行こうにも中々離れようとしないのだから先ずは説得から始めなくてはならない。
布団の中でも全く離れず、特に冷えた夜は俺のトレーナーの中に潜り込もうとした。
気分次第では寒い寒いと白々しい言葉と共に服の裾へ当たり前のように腕を忍ばせ、散々激しい運動をしたあとは布団の上で裸のまま暑い、と言える度胸だけは認めてやろう。
といった感じで、秋からの水戸は寒さを理由にめっきり弱体化したかのように思えた。
けれど俺に会いたいがために寒さと戦いながら登校する水戸はデートの日となれば更に己を奮い立たせ、マフラーはおろか、カイロさえも封印し、水戸本来の姿を取り戻す。
「お前なあ…せめてカイロは貼って来いよ」
「はデートでカイロとかダサいじゃん」
久しぶりに外でのデートとなった今日。今までの弱体化がまるで嘘のように振る舞う水戸はトレーナーの上にスカジャンを羽織るだけで、カイロもマフラーも何も無し。
しっかりと整ったリーゼントで額を出し、スカした態度や表情はもはや懐かしく感じる。
寒さそんな子知りませんけどと懸命に強がってはいるものの、寒さで鼻や耳が赤く、次第に背中が丸くなりつつあるのでそろそろお得意の寒い、を言う頃だろう。
だからしっかり防寒しろと言ってもダサい、の一点張りで、聞く耳を持たない。
ダサいと気にするくらいなら日頃からそうしてろよな、と言ったところで無駄だろう。
水戸には水戸なりの美学があるようだし、重症とも言えるほど寒がりの水戸がデートならばと気合を入れて彼氏らしく見栄を張ろうとするのは嬉しいことだ。
その頑張りを賞して休憩しようと提案し、良さそうな店を見つけたのが十分前のこと。
あれから十分。俺達はまだ店の中にも入れず、行列の一部となったまま。
今日はこの冬一番の冷え込みに誰もが寒いと嘆き、休日の昼時なこともあってどの店もオアシスを求めた客でごった返している。
寒がりな上にパチンコ以外の行列を嫌う水戸を気遣って他の店を選ぼうにも見えるのは行列ばかりで、移動するよりは大人しく並んでいた方がまだ早く店内に入れるだろう。
そう判断して待ち続けている間、水戸は寒さを誤魔化す為に身を揺らしたり、その場で飛んでみたり、両手を摩ったりと試行錯誤を繰り返した末、ついに最終兵器である俺と手を繋ぎ、そのまま俺のロングコートのポケットに腕を突っ込んで来た。
体質とは言え、同じ人間とは思えないほど冷え切った掌に触れると可哀想にも思える。
だからポケットの中で片手だけでも温めてやろうと握ったり摩ったりと血行を良くするためのマッサージをしてやるが、効果は微妙でいよいよ水戸が鼻を啜った。
大勢と激しい喧嘩をしたのであろう直後もケロリとしているのに、気温が下がっただけこれほど弱体化するなんて弱点を喧嘩相手に知られたら大変だ。
それを考えると冬の間だけリーゼントを封印するのは合理的なのかも知れない。
リーゼントに限らず、ぱんぱんに着太りするほど厚いトレーナーを着こみ、顔を深くマフラーに埋め、とどめがあの猫背となれば誰も一目で水戸だとは分かるまい。
仮に分かったとして、それでも喧嘩を仕掛けるとしたらよほどの恨みがある奴だろう。
「大丈夫だとは思うけどよ、不要な恨みは買うんじゃねえぞ」
「なに急に。俺の日頃の行いのせいで冬が寒いとでも言いてえの」
ついに大きなくしゃみまでした水戸へ忠告すると怪訝そうに俺を見上げ、鼻を啜った。
いよいよ寒さで機嫌が悪く、つい先日のように空へ向かって怒鳴りそうだ。
そうなるとデートどころではなくなるし、このままだと水戸が風邪をひいてしまう。
「まあそう怒るなって。今日一番のデートスポットに案内してやるから」
「…成程、一名お願いします」
「はい一名様ご案内」
手をほどき、コートを左右に開けばすぐに意味を理解した水戸が笑顔となった。
素早く俺の腹に背中をくっつけるとコートを閉じるよう肘で腹を突いて急かし、望み通りにしてやると最高のデートスポットじゃん、と今日一番の誉め言葉を頂いた。
彼氏としての見栄などとっくに投げ捨て、あったけえを連呼しては春までずっとこれで良い、とまで言うのだから本当にこの防寒方法を気に入ったようだ。
万が一を考え、親父のとっておきのロングコートを密かに持ち出したのは正解だった。
ただ一つ失敗だったのは俺達のこの光景を店内に居たらしい赤木と小暮に見られてしまい、翌日の学校で甘やかし過ぎだろう、とこっ酷く叱られることだった。