【再掲】あの襲撃事件から随分と時が経ち、首謀者であった三井寿がすっかりスポーツマンとして定着したこの最近。
どういうわけか俺はやたらとクラスメイト、同級生、はたまた学年どころか顔も名前も知らない生徒にまで
「洋平くんってあの三井先輩と友達なのあの人元不良なんでしょ恐くないって言うか距離近くない」
「水戸ってあの三井先輩に喧嘩で勝ったんだよなそれで仲良くなったのかって言うか距離近くねえ」
「お前があの三井を負かした水戸って一年小さいのにすげえ度胸あんじゃん。って言うか距離近いな」
といったような言葉を度々受けるようになった。
派手に喧嘩したと学校中に噂される俺達が親しくしている姿に疑問を持つまではまあ分からないでもない。
ただ、何だよその、距離が近くないかだって
近いか近くないかで言えば、確かに近い。近過ぎる。
ほぼべったりと密着し、常に耳打ちするような距離に顔があるのはあまり一般的な距離とは言い難いだろう。
でもそれがどうした。距離感なんて人それぞれだろ。
当人同士が良しとしているのに、外野が口を挟むなよ。
という本音は見せず、俺はいつも笑って誤魔化すだけ。
周囲がどう思ったところで俺とミッチーはわだかまりを残すことなく先輩後輩として上手く付き合えているし、相手が誰であろうと仲が良いに越したことはない。
逆に、俺達がいつまでもギスギスしていると同じくバスケ部員である花道が窮屈な思いをするかも知れない。
つまり俺達が親しくすることは何のデメリットにもならないし、寧ろバスケ部にとってはメリットしかない。
だから他人の意見など必要ないし、言いたいことがある奴は好きに言わせておけばいいだけのことだ。
しかし今日、何故だか大楠、高宮、忠の三人までもが
「なあ、洋平とミッチーの距離感おかしくねえか」
「分かる。何であんなにくっついてんだ磁石かよ」
「あれはちょっと見ていてゾッとするものがあるぜ」
などと言い、俺をジッと見つめて返答を促した。
場所はバスケ部の練習終わりの、校内が真っ暗になりつつある午後七時過ぎ、部室棟の出入り口前にて。
四人で花道とミッチーを待っていると突然話題を振られたものだから俺は驚き、そして呆れもした。
何を言い出すかと思えば本当に何を言っているのやら。
好奇心から俺達を探ろうとする第三者の台詞ならいざ知らず、三人はこれまでの経緯を全て知っているはず。
それなのに、距離感がおかしいゾッとするだって
「お前ら勝手なこと言うなよな。俺とミッチーの距離感なんて別にどうだっていいだろ。また揉めてるわけでもなし…逆に俺としてはああいうことがあったからこそ近けりゃ近い方がいいと思うね。変に警戒されたり感謝されるのも面倒だろあの人だって罪悪感や嫌悪感を持ったままだとバスケに集中出来ねえじゃん。二年もグレてた分後悔もでけえだろうし、俺は今からでも残り少ない高校生活を楽しんで欲しいってだけ。別に他意はねえよ。分かるだろいや、分かれよ」
なと同意を求めても三人は怪訝そうに眉を顰め、お互いの顔を見合わせると大袈裟に溜息をつき、大楠が
「すげえ必死に喋るじゃん。もはや供述レベル」
なんて的外れなことを言い、高宮と忠の二人までもが
「これは最近流行りの…理解ある彼くんってやつか」
「いや違う。洋平はシンプルに彼氏面してるだけだ」
と、悪ノリするから俺はやれやれと首を左右に振った。
言うに事を欠いて、俺が彼氏面をしてるだって
馬鹿馬鹿しい。何で俺がそんなことをする必要が
俺とミッチーはただの親しい先輩後輩であって、それ以上の関係でなければ、それ以下の関係でもない。
しかし、三人はきっと納得しないだろう。
つまりは…
「俺とミッチーってそんなにお似合いお前らが言うってことはよっぽど俺が彼氏に適任ってことだよなって言うか俺以外の適任者は居ないよな絶対」
そういうことに違いない、と確信した俺が念の為に確認をとると三人が口を揃えて藪蛇だった、と嘆いた。
「真面目な話、俺のどんなところがミッチーの彼氏っぽい参考にするから一人十個以上は教えてくれよ」
「彼氏っぽいじゃねえ。彼氏面してる、だ。馬鹿野郎」
「そうだぞ。お前が勝手に彼氏面してるだけだからな」
「俺達の意見をもとにより彼氏面しようとするなよ」
手帳を開いて真剣にメモを取ろうとすると三人が次々と口を開き、あくまでも俺のは彼氏面、だと強調した。
なんとまあ失礼かつ薄情な連中だろうか。嘆かわしい。
他者との違いに敏感な年頃である以上、親しい友人が自分より先に恋人を作る劣等感は分からないでもない。
が、長年続いた友情をこんなところで壊してどうする。
俺とミッチーが誰の目にも止まるお似合いのカップルだという事実から目を背けず、受け入れてこそ友情だ。
そんな簡単なことも分からないからこそ恋人はおろか、好きな人の一人も居らず寂しい思いをしているんだ。
「どうしたんだ睨み合って。喧嘩でもしたんか」
ここで俺の唯一の味方。桜木花道のおでましだ。
ミッチーはと聞けばまだ部室内で話し込んでいるらしく、先に帰ってていい、と言付かったとのこと。
それを聞いてじゃあ帰るか、と言って真っすぐに校門へ向かって歩き出そうとするのが三人の悪いところだ。
こんな時間に、あの人を置いて先に帰るなんてどの立場の人間から見ても絶対に有り得ない非常識な選択だ。
特に最近は暗くなるのが早く、駅までの僅かな距離でも辺りを警戒して歩かなくてはならないし、部活終わりでヘバっているあの人を一人にするなんて言語道断。
という純粋にあの人を心配する気持ちから俺が
「じゃあ俺がミッチーと一緒に帰るわ。また明日な」
と、その場に残ると意思表示をし、四人に腕を振ればこれは罠だったらしく、三人が同時にニタリと笑った。
「ほらほら出たぞ。彼氏面の洋平は送り狼狙いか」
「やだやだ恐いわ。真っ暗な夜道で何をする気かしら」
「まあまあ許そう。洋平くんもお年頃なんだからな」
そら見たことか。連中は俺をからかいたいだけだった。
ここぞとばかりに全員で俺を煽る中、事前の会話を知らず、また彼氏面という聞き慣れない単語に首を傾げている花道の存在がどれほど俺の救いとなることか。
「聞いてくれよ花道。こいつら、俺があまりにもミッチーの彼氏として完璧だからって妬んでやがんだぜ」
「洋平がミッチーの彼氏って…それはねーだろ」
「な、本当にそれはねーよ………は」
花道は自分の顎を摩りながら考えこみ、次にはまさかの否定をしたので俺は驚きのあまり鞄を滑り落した。
てっきり俺は花道が三人を叱るとばかりに思っていた。
何故なら、俺とミッチーの関係が良い方向へ進展していくのを誰よりも近くで見ていたのは花道だし、俺の方からも花道には事細かく詳細を伝えていたからだ。
赤の他人である部外でさえ俺を彼氏だと言うのだから、花道の目から見ても、俺は間違いなくミッチーの彼氏に見えるだろう。
そう信じて話を振ったのに、これはどうしたことか。
例えば復帰直後のミッチーが他校の不良に絡まれているのを助けてあげただの、コンビニで買ったからあげを食べ歩きしようとしたところで野良猫の集団に襲われていたのを助けてあげただの、ヘバっているからポカリを差し入れただの、体育館でのことを気にして気まずそうにしているからあえて優しくしてやっただの、かと思えば全部許された気になって速攻で懐いてしまっただの、あんなことをしておきながら俺は先輩だぞ、と偉そうにするところが可愛いだの、可愛さについ目尻を下げた矢先に妙な色気を見せるから困るだの、元々人との距離感がおかしいから俺のスキンシップも全て受け入れられて助かるだの、今では俺の左肩がミッチーの顎置き場になっただの、土砂降りの中でも徒歩で帰宅しようとするから俺の家に連れこ…いや、雨宿りに泊まらせてやると一気に親睦が深まっただの、最近じゃすっかり俺を信用し、更には甘え切っているからこれが嬉しい悩みだだの、俺は全て報告してきた。
勿論こんなものは俺とミッチーの甘い思い出の一割にも満たず、語れと言われれば一晩中語っていられる。
それら全てを知った上で、何を根拠に花道は無いと否定するのか、俺は全く理解が追い付かず混乱した。
「洋平のそれは彼氏っつーより…保護者面だろ」
「いやいや花道、出たなお前の天然が。よく聞けよ」
花道の発言により、背後の三人が盛大に吹き出し、腹を抱えて笑い始めたがそれを叱る気になれなかった。
今はそれよりも花道の誤解を正す、これが最優先だ。
流石は天下一のピュアさを誇る男とでも言うべきか。
好きな娘と一緒に登下校することを夢見るピュアな花道にとって、恋人と保護者の違いが難しかったようだ。
「いいか花道、俺の方がミッチーより年下なんだぜだからこの場合、保護者より彼氏の方が自然だろ」
「自分の期待してた反応が貰えねえからって強引にでも彼氏の方向へ持っていこうとするのは自然か」
「やめてくれよ…お前の正論、一番心にクるわ…」
純粋な瞳に覗き込まれると叱られた方がマシで、拾い上げた鞄で顔を隠しながら返事をするのがやっとだ。
おかしい。これはおかしい。絶対におかしいぞ。
俺の計画では花道が真っ先に俺をミッチーの彼氏だと認め、周囲にそれを伝える役目を担うはずだった。
それなのに、肝心の花道が否定してどうするんだ。
「なあ花道、お前も散々見てただろ俺とミッチーってすげえ仲良くねえ誰がどう見ても俺がミッチーの彼氏に見えるだろそもそもあんなワガママなミッチーに尽くせる奴が俺の他に居ると思うかいいや、居たとしても今更このポジションは譲れねえよ。しかもいつもあの距離感だぜ校内だろうと校外だろうとべったりぴっとりくっついて…初心なお前でもあのイチャつきようはバカップルだってくらい分かるだろ」
「洋平が周りにそう見せたくて元々距離感のおかしいミッチーを利用してるだけだろ。バカップルじゃねえ」
「な、なんなんだよ今日のお前…熱でもあるのか」
いつになく賢い花道にその場に居る全員が動揺し、熱だ、熱があるに違いない、と全員で額へ腕を伸ばしてみたが、触れた額からは微熱さえ感じ取れなかった。
では花道の身に…と言うより、脳に何が起きたのか。
バスケ部へ入部してから早くも半年、確かにこいつはバスケを通して賢くなり、知恵もつけただろう。
だがしかし、それでも桜木軍団の先頭を走る男だ。
突然賢くなられちゃ困る、いつもの花道に戻ってくれ、一緒に馬鹿騒ぎをしよう、正論なんて考える脳みそはさっさと捨てちまえ、と全員で必死に説得していると
「どうしたんだよお前ら。桜木の調子でも悪いのか」
話題の中心人物、ミッチーこと三井寿が来てしまった。
「花道は大丈夫だけど…ミッチーこそ話し込んでたにしても遅かったじゃん。体調悪いとか大丈夫無理に家まで帰るより俺んちに泊まった方が良くねえ近いんだし、着替えも前回のがあるから遠慮すんなよ」
めあてのミッチーが来た以上、連中にもう用は無い。
だからミッチーの隣を陣取り、話かけながら散れ散れと手首を振れば花道までもが悪ノリし、四人で横一列になって正面から俺達二人のやり取りを観察し始めた。
しかも、何か言いたげにニヤけた面を下げて、だ。
それに気付いたミッチーが不思議そうに四人を見たあと、俺に何事か、と首を傾げる仕草の可愛いこと。
天使と悪魔が同時に存在する、とはまさにこのことだ。
「あいつらのことは無視していいから。それよりミッチーの体調はどうあ、まさか他の部員と口論になってたとか俺は正直バスケのことは分かんねえけど…それ以外なら何だって力になるから任せてくれよな」
「いや単純に話してただけで何もねえよ。心配性だな」
「あんたすぐ無茶するからさ、そりゃ心配もしたくなるって。何かあってからじゃ遅いんだし、少しでも困ったことがあれば一番に俺を頼ってよ。ほら、約束」
ほら、と小指を差し出すとミッチーはガキみてえと笑いながらも、しっかりと自分の小指を絡めてくれた。
どうだ。誰がどう見ても俺は完璧な彼氏で、これが保護者に見えるのならば花道には再教育をしてやろう。
きっとアンケートをとれば百人中百二十人が俺こそがミッチーの彼氏だと認め、賞賛の拍手を送るだろう。
そう自分を誇らしく思い、いい加減に帰ろうと促せば
「ミッチー的には洋平のその彼氏面はどうなんだ」
まさかの花道が一石を投じ、三人がよくぞ言った、と褒めちぎり、続けてそうだそうだと野次を飛ばした。
成程、どうやら本当に俺を怒らせたいようだな。
百歩譲って俺のこの甲斐甲斐しさが彼氏面だとしよう。
それで何か問題が迷惑している奴でも居るのか
いや、居るわけない。そりゃあそうだ。居てたまるか。
ミッチー本人がこの距離感を当たり前として、今も当然のように俺の肩を抱き寄せると疲労しきった全身の体重を預け、左肩へ顎を置いて笑っているくらいだ。
どうって言われてもなあ…と言葉を濁すあたり、彼氏面という言葉の意味すら理解していない可能性がある。
疲れているだろうから早く帰らせてやりたいのに、俺をからかいたいが為に無駄な時間を取らないで欲しい。
「まあお前らも含めて水戸には借りがあるからな…本人が楽しいならそれでいいんじゃねえの俺も水戸のことは嫌いじゃねえし、尽くされるのは悪くないしな。あと何より一緒に居るとすげえ心強いってのもある。あ、それからお前らが一番よく知ってるだろうけどこいつの飯、美味いよな。それからあとは…ああ、彼氏面するって言っても心配性なくらいだし、手を出すほどの度胸は無いから無害だぜ。そこは安心していい」
「ねえごめんミッチー、俺のこと殺そうとしてる」
彼氏面。その言葉を理解していないどころか、ミッチーは俺の気持ちすら分かっていたようで、急にべらべらと並べられた言葉は深く俺の心に突き刺さった。
咄嗟に謝っても褒めてやったのにと心底不思議そうな瞳で覗き込まれ、普段ならば嬉しいはずの近距離にある綺麗な顔が今だけはまともに直視出来なくなった。
この半年、あの手この手でようやく手懐けたと思っていたのに実は接待でした、なんて本当に笑えない。
しかもこの距離感を許されているのは信頼の証ではなく、俺が手も出せないヘタレと侮ってのことらしい。
…まあ、そこに関してはあえてノーコメントでいよう。
あまりの衝撃に頭痛を覚え、目の前でカエルの合唱のように大声で笑う四人を気にしている余裕も無い。
いっそ眩暈すら覚えると元凶であるミッチーがいつもと変わらぬ甘えるような声でみとと俺の名を呼び、益々顔を近付けるものだから悲鳴を上げたくなった。
今の今まで、俺にとってのミッチーはグレもしたが、基本的は人を疑うこともない純粋な心の持ち主であり、心を許した相手にはとことん甘える寂しがり屋で、自分のワガママは全て許されるものだと信じている、そんなちょっと手のかかる困った小悪魔的存在だった。
そのはずが俺の気持ちをちゃっかり利用するどころか、それを本人に打ち明けるほどの傲慢ぶりで、更には
「やっぱ今日は水戸んち泊まるわ。疲れたし、何より今のこんな状態の水戸を見てるのも楽しそうだしな」
なんて追い打ちをかけ、硬直した俺の耳たぶから顎下にかけてゆっくりと撫ぜるように人差し指を這わし、なんと夕飯はしゃぶしゃぶで、とリクエストまでした。
マジかこの人。どこまで俺を弄ぶ気でいるんだ。
こんな悪魔のような男に俺が一人で太刀打ちできるはずもなく、応援を要請しようと顔を上げると四人は既に遠くまで脱走した後で、俺は友情の脆さを痛感した。
「俺マジで理解が追い付かないんだけど…ミッチーさ、俺の気持ち知ってて彼氏面なんてさせて楽しい二個も年下の俺が可哀想だとか思わないわけ酷くねえ」
「それはお前の頑張り次第だろ。な、彼氏候補くん」
そう言って俺の鼻先を指で突き、降参を示して深く項垂れる俺に高らかに笑うこの男は根っからの魔性だ。
俺の彼氏面など比にならない女王様気取りのこの男に、俺は一生敵わないだろうと覚悟するしかなかった。