【再掲】今から四時間ほど前のこと。
俺が一人暮らしをしているこの狭い狭いアパートの一室にて、三井寿スポーツ推薦おめでとう会が開催された。
集まったのは主役である三井さん、花道、そして宮城さんに俺達桜木軍団というきっと二度と無いであろう特殊なメンツだ。
夏のインハイ後、同じ怪我をした者だからこそ力になってやりたいと甲斐甲斐しく見舞いに通う三井さんに恩義を感じた花道は今こそ恩返しのチャンスだとはりきり、まるで幹事のように皆のスケジュールを確認したり予算を決めたりと奮闘した。
そんな親友の姿に俺は成長したなあと感動し、会場として部屋の提供を快く引き受けた。
主役以外の全員で金を集め、育ち盛りゆえに質より量を優先して食材を買い込み、鍋の用意が整ったのは開始時刻の十九時少し前。
どうにか部屋の片付けも間に合い、そろそろだろうというタイミングで少しばかり照れくさそうにした三井さんが現れたと同時に全員で一斉にクラッカーを鳴らして出迎えた。
日頃から溜まり場と化しているので長方形のサイズに余裕のある炬燵を持ってはいたが野郎が七人も集まるとなれば流石に窮屈で、俺と花道の間に挟まれた主役は狭い、邪魔だと文句を言いながらも随分と嬉しそうだった。
今日までに大勢の人間から祝われているだろうにまだ慣れないのか、誰かがおめでとうと祝福の言葉を口にしては瞳が揺れ、涙を零さないよう天井を見上げていた。
その我慢も一通り腹を満たし、全員で金を出し合ったプレゼントを受け取る頃にはすっかり意味が無くなり、受け取ったばかりの赤い大袋に顔を埋めて泣いている姿は中々見物だった。
そうして楽しいひと時が過ぎ、一生の思い出になるであろうこの会が無事に終わるのかと思ったら大間違いだ。
一体どのタイミングかは不明だが、誰かが三井さんへ酒を飲ませてしまった。
いや、もしかすると本人が誤って口にしたのかも知れない。
どちらにせよ、念願の推薦を手にした矢先に未成年飲酒は非常にまずい。これは事件だ。
発覚したのはそろそろお開きにしようかという頃。
やたらと三井さんが俺に絡むようになり、抱き着き、頬を寄せ、みと、みと、みと、と名を口にしながら乱暴に俺の頭を撫ぜ始めた。
元々スキンシップの多い方でもこんな風に接してくるのは珍しく、はて、と不審に思えば顔にかかった吐息から明らかなアルコールの匂いがした。
その瞬間俺の体温はマイナスまで下がり、全員に事実を告げると流石の花道でさえ事態の深刻さを理解し、顔を青くした。
すかさず鬼キャプモードに切り替わった宮城さんが容疑者である大楠、高宮、忠の三人を横一列に並べて尋問をしたものの、全員グラスは手元から移動させなかったの一点張り。
次に三井さん本人へ誰のグラスを手にしたのかと聞けば俺にべったりと抱き着いたまま、何とも可愛らしい笑顔で
「水戸に酔った」
などという嬉しい…いや、反応に困る返答をするだけで、今のこの人に何を聞いても無駄だろうとなった。
しかもその返答にまるで呆れたように俺以外の連中が口々にごちそうさまと言い、ろくに片付けもしないでそそくさと帰ろうとしたのだ。
特に逃げ足の早かったのは現バスケ部主将で、電光石火の名に恥じぬ逃走ぶりを見せつけたかと思えば玄関のドアを閉める直前で立ち止まり、この状態の三井さんを絶対に外へ出すなと釘を刺して帰りやがった。
その切り替えの早さに呆れ、立ち尽くす俺に相変わらず抱き着いたままの三井さんは自分がトラブルの原因とも知らずヘラヘラと笑い、ご機嫌に自分を見捨てた部員へ手を振るほどだった。どうなってんだ。
次に大楠、高宮、忠の三人が無言で逃げ出すのは想定内で、事件現場と化したこの部屋に唯一残ってくれたのは花道だけだ。
流石は大親友。薄情な連中と違って本当に頼りになる。
バスケを通して花道は大人になったのだ。
と、感動したのも束の間。
「洋平、無理矢理は駄目だからな。紳士じゃねえ」
俺の最終兵器、花道さえもが俺を見捨ててくれた。
という出来事が十五分ほど前に起き、酷く散乱した部屋には重大責任を押し付けられた俺と酔っぱらいの三井さんだけ。
二人きりという滅多にないチャンスなのに喜びよりも困惑が勝り、人の気も知らないで寒いからと炬燵に潜って眠っている呑気な寝顔に座布団を投げつけたくなる。
とは言え不可抗力で酒を飲んでしまったのだろうし、いつもの癖でテーブルへ酒を並べてしまった俺にも非はあるので責任はきっちり取らせてもらおう。
朝になれば酒も抜けるだろうからとにかく一晩、この人を部屋の外へ出さなければいいだけの話だ。
不幸中の幸いとして、俺まで酒を飲まなくて本当に良かった。
酒に弱いというほどではないが、無防備となった意中の相手と一晩二人きりという状態で俺まで酒で判断力を鈍らせるのはあまりにも危険だ。
きっと俺がシラフだから花道達も無茶はしないだろうと二人きりにしたのだ。
なんて前向きな考えは捨てて、単純に面倒事を押し付けられた現実と向き合おうか。
「三井さん、寝るなら布団に行きな」
「…なあ、お前って何でそんなに優しいわけ」
「っわ、なに…もしかして狸寝入り」
「質問に質問で返すなよ」
「えー…マジでなに俺が優しいと不満」
片付けと言うよりは邪魔なものを全て部屋の隅へ追いやり、布団を敷いてから三井さんへ声をかければパチッと目が開き、寝起きとは思えないほどはっきりとした声で、それも若干怒り気味の言葉を向けられた。
当然驚くし、すぐには状況が飲み込めずに混乱してしまうのは当たり前だ。
けれどそれすら許さない傲慢の男三井寿は偉そうに寝転んだまま肘枕で俺を見上げて
「すっげえ不満。不満しかない。不満だらけだ」
と、その言葉に見合った不満気な表情で捲くし立てるものだから俺は益々混乱し、ニコニコ笑ってはべったりと俺に抱き着き、俺に酔ったとまで言っていた可愛い可愛い三井寿は幻覚だったのかと自分の脳を疑った。
「良いか水戸、よく聞けよ。俺の大好きな水戸は確かに優しい。でもな、その優しさは俺を油断させる為の優しさなんだ。こんな都合の良い状況で俺を襲わねえで優しく布団を勧めるなんて間違った水戸のやり方だ」
「間違った俺のやり方ってなに」
「普通の水戸は寝てる俺に強引なキスをしてだな」
「俺の知らない俺の話…いや、待って。え俺今告白されたされたよなえ両思いキスされてえの」
「やめろよ水戸の口から両思いとか聞きたくねえ」
「アンタ無茶苦茶だよ」
「お前が俺を無茶苦茶にするんだよ」
「ごめん、本当に一つだけ教えて。まだ酔ってる」
「最初から一ミリ足りとも酔ってねえ」
「…でも酒の匂いしたじゃん。飲んだだろ」
「冷蔵庫にあったビールを一口だけ含んですぐに捨てた。折角貰った推薦まで捨ててたまるかよ」
「………じゃあ今この時間はなに」
「据え膳になった俺を襲わなかったお前を叱ってる」
「酔っ払い…じゃあねえけど、寝てる人間襲うわけなくない付き合ってねえし。片思いと思ってたし」
「水戸の口から片思いとか聞きたくねえ~」
「いや本当にマジでなに面倒くせ~」
「だから何で俺を襲わなかったんだって話」
「だから何でそんなことになってんのって話」
「お前俺を好きなくせに何でも何もねえだろうが」
「アンタまで俺を好きとは思わなかったんだって」
「俺がお前を好きかは関係ねえだろヘタレ野郎」
「襲われるの期待して寝たふりするなマゾ野郎」
「………表情も合わせて八十九点」
「やめろ馬鹿妙な採点をするな」
「でも俺を襲えるチャンスを棒に振ったから失格だな」
「襲うとかさあ…そんなこと好きな子にしないって」
「好きな子とか言うな。水戸はもっと冷酷であれよ」
「アンタ架空の俺と恋愛してない大丈夫」
思わぬ形で俺達二人の両思いが発覚したものの、手放しで喜べない状況に俺は頭を悩ませた。
初対面となったあの日に殴り過ぎたせいなのか、理想として求められる俺は現実の俺とはあまりにもかけ離れている。
俺としてはあれで恐がられているとばかりに思っていたからこそ優しくしていたのに、それは三井さんを油断させる仮の姿だと思われていたらしい。
どうしてそうなるんだ。
誰の目にも俺が三井さんにベタ惚れしているのは明らかなくらい優しくしたし、冷酷な印象を持たれるような言動は一つもなかったはずだ。
じゃあどうしてそんな理想を持たれるのかと言えば三井さんにMっ気があるからだろう。
これは正直想定外だ。
けれどこの人なら有り得そうだなとすんなり受け入れ、早急に理想の俺を忘れて現実の俺と向き合ってもらうにはどうしようかと対策を考える自分の順応性に驚いた。
そもそも俺の好意に気付いていたなら自分も、と言ってくれたらこんなことにはならなかっただろうに。
「本当は言うつもりなんて無かったんだけど…アンタが好きだよ。絶対に大切にするから付き合おうよ」
「水戸はお伺いなんて立てねえ」
「なあ、ちょっとはムードとか考えられねえのアンタが好きな俺が告白してんのになにその態度」
「俺の好きな水戸は散々こっ酷く俺を抱き潰したあとに気絶した俺へ弱々しい声で好きだよって呟くんだ」
「だから架空の俺と恋愛するなって」
「じゃあお前はお前は俺への理想とかねえの」
「………」
「ほらあんじゃねえか。言えよ。隠すのは無しな」
「………どうか、どうか…」
「何で土下座なんだよ十五歳の妄想力末恐ろしいな」
「妄想って言うなよ。アンタと同じ理想だって」
「言えないほどの理想はただの犯罪思考だろ」
「違うね。恋人同士となれば何だって合法だから」
「その思想のお前と付き合うの流石にこえーよ」
やだ、絶対無理、と言って三井さんは頭まで炬燵に潜り、背中をヒーターにぶつけたらしく熱っ、と声が上がった。
そんな間抜けな姿も可愛い、と思う俺の寛大な心を無視してさも変態のように扱うのは失礼じゃないか。
俺が持つ三井さんへの理想なんて大したものじゃないし、今この場で口にしないのは三井さんを恐がらせないよう配慮によるものだ。
何より本人へ告げた通り、告白する気も付き合える気もさらさら無かったのだ。
諦めから開き直った青春真っ盛りな十五歳が妄想兼期待を膨大に膨らませるのは当然のことだろう。
「酔ったフリで全員帰らせてまで俺に抱かれる気でいたくせにやだとか絶対無理とか酷くない」
「推薦のご褒美にそのくらい期待しても良いだろ」
「じゃあとりあえず出ておいでよ。両思いなんだし、折角の二人きりなら恋人らしく過ごしたいじゃん」
「あ、そういうの結構です」
「いや本当に何で」
布団を捲り上げ、説得を試みるもシャッターのように内側から布団を下ろされた。
どうせ五分もすれば熱いと勝手に出てくるに違いないが、両思いを無かったことにされるのだけは絶対に避けたい。
となると俺が冷酷な人間となってこの人をこっ酷く抱かなければならないらしい。
そんなの無理。十五歳にはハードルが高過ぎる。
「アンタのMっ気も理想も理解したからさ、慣れるまでは普通の恋人らしくいようよ。最初から飛ばすのは良くないって。俺も期待に応えられるよう頑張るから」
「………約束だからな」
意外にも早く三井さんが顔を出し、下からジッと俺を見上げたので何度も頷いてみせた。
説得に応じると言うよりは炬燵が熱くて出る機会が欲しかったようだ。
「約束するからにはアンタも俺の理想を叶えろよな」
這うように炬燵から出てくるのを両手で抱き上げ、恐がらせないよう優しく微笑んでみせたのに、どうしてか三井さんは悲鳴を上げて再び炬燵へ潜ってしまった。