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    horizon1222

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    horizon1222

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    アカデミー時代のキスディノ/次で完結です
    【その1】https://poipiku.com/1141651/5710189.html
    【その2】https://poipiku.com/1141651/6011677.html
    【その3】
    https://poipiku.com/1141651/6186622.html

    アカデミー時代のディノがキースを金で買う話【4】 その日、会計を済ませて帰っていった客の座っていたテーブルの片付けをしていたキースの耳にその会話が聞こえてきたのは、本当に偶然だった。
    「あれって……やっぱり、噂通り……」
    「写真より……よっぽど……」
     庶民的なダイナーにはやや似つかわしくない、小綺麗な服装をした若い女性の二人組。少し離れたテーブルの様子を伺いながらひそひそと話しているその目線の先には、幾人かの男たちが笑いながら酒を飲み交わしていた。狭い店で酒も提供しているから、何かの拍子に男女の間でやりとりが始まることはそう珍しくはない。けれどもここはムードのある店でもないし、地域柄若者が一夜の相手を引っかけるには他にもっといい場所があるはずで、そういう意味でも女たちのやりとりに何かひっかかるものを覚えたのだった。
     浮かれたやりとりは今のキースには空虚なものにしか感じられず、こっそりため息をつく。人が集まって距離が縮まれば、何かしらの感情が生まれる。誰とも関わらずに生きていけるような場所、とんでもない僻地の山奥や無人島で暮らせればこんな煩わしさからも解放されるだろうかと考えて、田舎の山育ちで友だちが少なかったと話していたディノの顔が浮かんだ。
     ディノに無理矢理キスしたあの日から、糸がぷつりと切れたように会話はなくなってしまった。どうコンタクトを取ろうか決めあぐねているうちにお互い相手を避けるようになってしまい、完全に関係を修復するタイミングを見失ってしまった、というのが現状である。
     修復、すべきなのだろうか。
     どう声をかけたものか悩んで、無理やり迫られたディノは不快なだけでなく怖い思いをしたかもしれないと気づき、声をかけずにいた方がディノはむしろ安心なのだろうか、という考えに行き着いてしまった。今までだって少しギクシャクした空気になったことはあったし、この間ブラッドのことで言い合いになった時もディノが先にキースに声をかけてきた。それが今回、ディノはずっとだんまりだ。つまりはそういうことなのかもしれない。
     これが逃げだというのはキース自身にもわかっている。しかし、謝ろうにもどう切り出していいのかわからないというのが正直なところだった。突然あんなことして悪かった、というのは簡単だ。けれども、なぜ?と問われてディノへ返す答えをキースは持たない。突然同級生の同性の友だちに衝動的に口づけたその理由は到底上手く本人に説明できそうになかった。
     最近は一事が万事この調子で、一人で部屋にいるとひたすら考え込んで時間が過ぎていってしまうので、キースはいつもより長く寮の門限ギリギリまで働かせてもらうことにした。体を動かしていれば、少しは余計なことを考えずに済むし金が入る。
     努めて無心で皿を洗っていると、追加のオーダーの声がかかった。呼ばれた先はちょうどさっき女性達が熱い目線を送っていたテーブルで、応対しながら彼女達の目当てはどの男なのだろう、とこっそり観察する。
    「よろしくな! 少年!」
     オーダーを復唱すると、そのうちの一人が上機嫌な様子で声をかけてくる。すっかり出来上がっているのか、緩んだ顔は赤い。その人懐っこそうな笑顔がまた今避けている相手を連想させて、キースは適当にごにょごにょと返事した。幸い、料理を運んでからはそのテーブルに近づくこともなかった。



    「キース。あのお客さん、世話してやってよ」
     閉店間際。一人また一人と客が帰っていく中声をかけられ、店の片隅を見やればテーブルに突っ伏して酔いつぶれている客の姿があった。近くまで来て、さっき声をかけてきたあの男だと気づく。声をかけても反応がない。
    「お客さん。もう閉店ですけど」
     軽くゆすって再度声をかけてみると、ううん、 とうめき声が漏れた。立てます? と聞けばタクシー、と返事があったので、この調子では店の前の階段を登ってタクシーを拾うのも難しかろうとキースは肩を貸してやった。立ち上がってから会計、と気づくが、その人最近毎日のように来るから次来たときでいいよ、と言われキースは自分より頭一つ大きい男を引きずりながらなんとか店を出た。
     拾ったタクシーへ押し込むも、運転手に行先を訊かれてキースは慌てた。反応のなかった男を問い正す。
    「う……セントラルまで、たのむ……」
    「は? セントラルのどこだよ」
     困り果てて、何か手がかりになるものはないかと思わず男の上着のポケットに手を突っ込むと、手帳状のものに指先が触れる。藁にもすがる思いで、手にとったそれを取り出してキースは目を見開いた。
     小さな革張りのそれには、【HELIOS】のエンブレムがあしらわれていた。アカデミーの授業でも見たことのあるそれは、【HELIOS】の職員の中でも実働部隊のみが携帯されることを許された証――
    (マジかよ……あんな飲んだくれのおっさんが……)
     夜の街に消えていったタクシーを何とも言えない気分で見送って、キースは看板を片付けた。市民の憧れのヒーローも、仕事が終わればただの酔っ払い。当たり前と言えば当たり前の現実に、冷静にそりゃそうだよな、と思い直す。ヒーローだって生きた人間だ。華々しく活躍して市民からもてはやされるのは彼らの人生のほんの一部分なのだ。
    「すまない、この間は迷惑をかけたようだったな」
     介抱をした翌日のその翌日、例の飲んだくれヒーローは再びやってきた。照れたように笑う顔が大の大人の癖に子供のようなあどけなさを感じさせ、人好きのする男だとキースは感じた。別に、と小さく答えれば、昨日謝りたかったんだが君がいなくて、と言うので本当に毎日通っているのかと色んな意味で感心する。そんなに毎晩飲み歩くほどヒーローは暇なのだろうか。ネットで【HELIOS】の広報を調べてみたが、今期のセクター担当ヒーローの顔ぶれにはいなかったから、別部署配属なのだろう。
     ダイナーでのバイトを増やしたので、自然とその客と顔を合わすことが増えた。何ということはない、特に会話をしたりということもなく、キースはああ今日も来ているな、と思っていただけだったが、向こうはキースの顔を覚えたようで、来店した時や会計の時に挨拶していくようになった。一人で食事している時もあれば誰かと楽しそうに盛り上がっていることもある。どちらかと言えば後者の方が多かった。
     ディノほどではないがそれなりに田舎育ちのキースにとって、現役ヒーローと身近で触れ合う機会などこれまでほとんどなかったから、ニューミリオンの顔とも言える存在が自分の生活の一部にいるのはなんだか不思議な気分だった。ヒーローたるもの市民を守り模範となるものだ、としょっちゅうアカデミーでは言われていたが、ダイナーで過ごす彼は間違いなく群衆の中のただの一般人の一人で、よく食べよく飲み、誰かと笑いあっていた。ヒーローというと、今までブラッドのように高潔で完璧で非の打ち所がない人物がなるものとばかり思い込んでいたが、彼らは決して崇高で特別な存在ではなく、日常の中にいる隣人なのだと実感したキースは、何となく親近感のようなものを抱くようになっていた。そう、あの日までは。



     その日、キースは珍しくレッドサウスの倉庫街に向かっていた。店主の男性が体調を崩しダイナーを臨時休業するというので、突発的に見つけた単発のバイトにやってきたのだ。
     時間の空きがもったいないが、さすがに前日の夜では仕事を見つけることもできない――しかし諦めきれず、スマホをいじっていて辿り着いた日雇いの仕事を仲介する掲示板で見つけた仕事は、運ばれてきた荷物を選別し、また別の運送のトラックに乗せるというものだった。平日の午後というのがネックだったが、仕事内容の割に給料が良く募集人数も少なかったので、キースは即決で応募したのだ。
     キースと同様に集められた十数人の作業員は、概ね日雇い労働者や定職を持たないような者ばかりだった。当たり前だ。普通に職に就いている者は前日の夜に募集された仕事になぞ来られない。キースも今日は午後からアカデミーをサボって来ていた。
     複数のトラックから降ろされた積荷を数え、ダンボールに書いてある記号を確認し種類別に分類する。記号は多岐に渡り量も多く複雑だったが、中身は生活雑貨とのことでさほど重くもなく、運搬はそれ程苦でもなかった。小一時間程度で分類が終わると、今度は分類した物から規定の量を積み込むトラックの荷台へ運び込む。ダイナーのバイトと違って誰かとしゃべらないのは楽でいい、キースがそう考えて黙々と作業をしていた時だった。
    「おわっ」
     荷台の中に乗り込んで荷物を積んでいた時だった。後で整えればいいと横着して適当に置いた積んだダンボールに足が引っかかり、思わずキースは転びかけた。転んで手にしている積荷を潰すまいと、ついそばにもう積み上げてあったダンボールの山の天辺を思い切りつかんでしまった。抱えていた荷物こそ何とか無事だったが、掴んだ方のダンボールに指が食い込み厚紙がひしゃげる感覚に、ああ、やってしまった……とキースは己の失態を悟る。
    (やべー……とりあえず、中身が無事ならギリ大丈夫か?)
     恐る恐る、破損した箱の中身を覗いた。緩衝材らしき紙をどけた先に出てきたのは、サブスタンスを細かく砕いた粉末剤の袋だった。その辺りからゴロゴロ出てくる低レベルのサブスタンスを砕いて作られたそれは、冷暖房等のエネルギーの増幅剤として広く普及している消耗品の一種だ。見慣れたそれは特に破れたり包装が傷ついているようなことはなく、キースはひとまず胸を撫で下ろす。しかし外箱が破損したことには間違いないのでとりあえず報告するか、と荷台を降りようとしたその時だった。
    (……おかしくねぇか。なんでこんなモン民間の業者が扱ってんだ?)
     不意にアカデミーで習ったことがキースの頭によぎった。この粉末剤は広く普及しており、ニューミリオンなら一般家庭でも購入するものではあるが、こういったインフラに関わるサブスタンスは政府公認の業者のみが扱ったり専門店へ卸したりすることを許可されているはずだった。ましてやこんな風に、雑多に他の生活雑貨等と一緒に取り扱うことなどあり得ない。
     割のいい仕事だと思っていたが実はヤバい案件なのではないか、ということにキースはようやく気づいた。給料が高いのは急な募集の為だと思っていたが、そもそもこんな大規模に荷物の運搬を請け負う業者があんな小さい掲示板で募集を出すことが不審すぎる。
     恐る恐る、いくつか他のダンボールを開けてみる。衣服や消耗品、乾燥食品、日用品など、扱うものジャンルは余りにバラバラだった。この荷物は一体、どこへ行くのだろうか。
    「すんません、ちょっとトイレ」
     声をかけて抜ける。キース達作業員をまるで見張るように、等間隔で配置についている運送会社の人間たち。よくよく意識して見てみると、倉庫の角にも、更に向こうの角にも同じ作業着の人影が見えた。なんだこれは。まるで、作業をきちんとしているか見張るというよりも、抜け出す者がいないかどうか見張っているようだ。
     寒くなってきた背筋を意識しないように、努めて冷静を装いながらトイレの個室に入る。今すぐ逃げ出したいが、財布やスマホが入っている鞄は最初に説明を受けた時に集められた倉庫に置いてきてしまっている。貴重品を置きっぱなしにして逃げて身元がバレるのはなんとしても避けたかった。そうだ、考えすぎかもしれない。これまでだって何度か危ない橋を渡って来てはいるがこうして無事ににやってきたのだ、下手に疑って報酬を逃すなど、時間を割いて仕事して馬鹿をみるだけではないか。キースが考えあぐねていたその時、トイレに人が入ってくる気配がした。思わず身構え、息を潜めた。
    「そろそろ終わるか?」
    「どうだろなぁ、今日の奴らはおっさんばっかだからもうちょいかかるんじゃねえの」
    「逃げる奴がいないか見てるだけなんてヒマでしょうがねえよ。大体よ、こんな仕事にくる奴なんて金は欲しいくせにまともに働きもしねえ奴らなんだから、説明したら案外ホイホイ乗ってくんじゃねえのか?」
    「たしかに。寝床があって三食保証されてるなんて天国みたいなもんだよな。まあ行くのは地下なんだけどさ」
     水音がして、話し声が遠ざかっていく。今度こそ恐ろしい事態に直面していることが杞憂ではなく確定的になり、キースは頭を抱えた。何とかして逃げなければ。あるいは助けを呼ぶか。いずれにせよ、このままトイレに閉じこもっていては事態は好転しない。キースはしばらく便器に座っていたが、意を決して立ち上がった。
    「遅かったな」
    「すみません……ちょっと腹下しちまったみたいで。う、いてて……」
    「なんだ、大丈夫か? 横になって休むか?」
    「平気です。オレ、腹が弱いんでよくあるんですよ……薬持ち歩いてるんで、ちょっと取ってきていいですか?」
     トイレから出てきたキースは、腹をさすりながらいかにもしんどそうな様子で訴えた。作業着姿の監視役は少し考え込むような仕草を見せたが、いいだろうと許可を出した。しめた、とキースは密かに拳を握りしめた。荷物の置いてある倉庫に向かって最初はゆっくり、人目がなくなってからは早足で歩き出す。
     逸る手を抑えて静かに扉を閉めて、慌てて自分の鞄のジッパーを開いた。財布。スマホ。貴重品の類は最後に手放した時と変わらずそこに収まっており、勝手に没収されたりしていないことに安堵する。あとは電話で助けを呼べば。そこでキースははたと固まった。助けを呼ぶ、誰に?
     警察に通報するとして、なんと説明したら良いのだろうか。サブスタンスの違法な取り扱いについて? 誘拐について? 長々と説明している時間はない。今すぐ来てくれと自分のような子供が訴えて、信じてもらえるのか?
     迷ったキースの頭に浮かんだのは、なぜかディノの顔だった。冬の入り口、イエローウエストの繁華街を二人で手を取り合って逃げたあの日のことが走馬灯のようによぎって、すぐに頭を振って打ち消す。そんなことできない。第一、ディノとはしばらく話してもいないのだ。キースの着信に、ディノは応えるだろうか?
     その一瞬の迷いが命とりになった。
    「おい、大丈夫か?」
     背後からかけられた声に思わずびくりと身が竦んだ。キースの戻りが遅いことを気にかけた監視員が来てしまった。
    「あ、はい。薬飲んだんでもう平気です」
     とにかく動揺を気取られるのはまずい、とキースは作り笑いをして振り向いて――そして、固まった。
    「無理はいけねえなぁ、キース?」
     そこにいたのは、かつての仲間の一人だった。あの日、ディノと振り切ったはずの古馴染みの一人。作業着を着たそいつは、ひどく酷薄な笑みを浮かべていた。



     心臓が破れるかと思う程早鐘を打っている。キースは必死に、追いつかれまいと走っていた。倉庫の中で、顔見知りを何とかのしたまではよかった。昏倒させた相手の制服を拝借しようと悪戦苦闘していたら、キースの戻りが遅いことに気づいてやって来たまた他の監視員に運悪くばっちり目撃されて一瞬でバレた。状況を把握しないまま不思議そうな顔で等間隔に並んだ監視員達の横を走り抜けているうちに、「捕まえろ」だの「追え」だの怒号が響き、キースを追いかける監視員の数はあっという間に増えた。なんとか倉庫街を適当に逃げてはきたが、このままでは捕まるのは時間の問題だった。
    (ヤバいヤバい、とりあえず適当に逃げてきちまったけど、ここはどこだ……⁉︎)
     場所が見慣れたイエローウエストではなく、慣れない倉庫街ということも災いした。どこを見ても似たような風景ばかりで、とにかく追っ手を振り切ろうと必死に逃げてきたからここが倉庫街の奥なのか入り口の近くなのかすらわからない。繁華街ほど雑多に物が置かれていることもないので隠れられそうな場所も少なく、どの道人海戦術でしらみ潰しに追い詰められたらキースに勝ち目はなかった。角を曲がり、ジグザグに走る。更にもう一つ角を曲がったところで、たまたま扉の開いた倉庫を見つけ、イチかバチかと飛び込んだ。扉の影に隠れて、追いかけてくる追手をやり過ごす。
     騒がしい足音が過ぎ去り、こちらへ戻って来ないことを確認して、キースはようやく息を吐き出した。間一髪ではない、何も窮地を逃れてなどいない。ここからどう逃げるか算段をつけなければならなかった。しかし、呼吸を整える今このひとときくらいは休んでもいいだろう、と肩の力を抜く。
    (つーか、都市伝説だと思ってたんだけど……マジな話だったんだな)
     ダイナーの酔っ払いに聞いたのだったか、ディノが喋っていたのだったか、はたまた教室で耳にした噂話だったか。このニューミリオンの繁栄の影には地下世界があり、定期的に地上から人を攫って連れていくのだ――まことしやかに囁かれる噂。集められた物資も人間も、まとめて裏社会への補給品ということだ。一体どこから横流しされて具体的にどう地下へ行くのかは不明だが、それを明らかにするのは今のキースのやるべきことではなかった。とりあえずはここから逃げなければ。
    (この状態じゃとても自由に動けねぇし。何とかなんねーかな)
     さっき叩きのめした相手の服を奪えなかったのは痛手だった、とぼんやりキースは考えた。あの制服があれば少なくともパッと見は怪しまれずに動き回れる。場が混乱している今なら尚更だ。あの後すぐ見つかってしまったのがつくづく悔やまれる。
    (一人でいるやつを見つけて、先制できれば何とか)
     そんなことを考えて、こっそり隠れている場所からキースが顔を出したその時、少し離れたところから叫び声のようなものが響いた。思わずキースが身構えると、何らかの衝撃音、銃声のような乾いた音が続く。人の言い争うような声も聞こえてきた。もしかして、とキースは微かな期待を抱いた。騒ぎを聞きつけた通行人が警察に通報でもしたのだろうか。しかしまだ状況が好転したとは限らない。キースは辛抱強くその場に隠れたまま、その時を待った。
     やがて遠くから呼びかける声が聞こえてきた。次第に近づいてくるその声は、隠れている者に無事と安全を知らせ出てくるように促すもので、キースは心底安堵した。何という幸運だろうか、本当に何者かが救助に来てくれたのだ。キースは疲れきった体に鞭打ち、立ち上がる。倉庫を出て、声の主がいるであろう大きな開けた路地に出ようとしたその時だった。
    「⁉︎」
     すごい勢いで襟首を引っ張られ、油断していたキースは尻餅をついた。慌てて、自分を引き倒した人物を仰ぎみる。
    「お前――」
    「キース、お前だけは絶対に逃さねぇよ」
     さっき昏倒させられたせいでまだ意識がはっきりしないのか、フラつきながらキースの古馴染みは血走った目でこちらを見下ろしていた。驚愕のあまり動けないキースを尻目に、相手は腰の辺りから何かを取り出す。
    「今更まともな生活しようったってそうはいかねぇ」
     建物の影の中とはいえ、昼ののどかな空気の中で取り出されたナイフの放つ鈍い光沢は、まるで芝居で使う小道具を間違えて取り出したかのようにちぐはぐでそぐわなかった。状況を把握しきれないキースが呆然としていると、相手はそれを躊躇なく振り下ろしてくる。直前で我に返り、すんでのところで何とかそれを避けた。
    「クソ、やめろっ!」
    「逃げんじゃねーよ!」
     完全に安心感から力が抜けてしまっていたから、立つこともままならず何とか反射で避けているような状態だった。必死に身を捩り避けていたが、ついに壁際に追い詰められてしまう。肩に鈍い痛みが走った。相手がキースを踏みつけ、今度こそその体にナイフの切っ先を沈めようと大きく振りかぶる。やられる、キースが観念して思わず目をつぶった時だった。
    「おいおい、刃物はいかんだろ」
     どこか間延びした声が響いた。
     目を開いて、キースは息を呑んだ。後ろに立った誰かが、ナイフを持つ男の手首を掴んでいる。背後を取られた男もキース同様、驚いたようだった。
    「くそっ! んだお前、放せ!」
    「放せと言われて放せる状況じゃないだろう。とりあえず、先にその物騒なものを捨てようか」
     暴れようとする男に構わず、手首を掴んだ方の男はのんびりと答えた。そのまま、掴んだ手をひねり上げるようにすると、取り押さえられている男は慌てたようにうめき声をあげた。
    「痛っ、やめ、やめろ! 放す、放すから!」
    「あ、アンタ――」
     そこにいたのは、キースの顔見知りだった。ダイナー常連の、飲んだくれのヒーロー。ここ数日ですっかり見慣れた顔が、全く別の表情を浮かべていた。ヒーローは、暴れる男にもすっかり固まっているキースにも全く構わず、男から刃物を奪うと更に厳重に拘束しようとした。
    「ん、いいな。そうしたら、手をこちらへ」
    「! おい!」
     その時、ヒーローの死角になる位置から男を見ていたキースは、不審な動きに気づき思わず声をあげた。
    「邪魔すんじゃねえよ!」
     男は、自由な方の手で隠し持っていたもう一本細身のナイフを取り出し、勢いのままヒーローへ突き立てようとしたのだった。キースの体が硬直する。しかし、受け止めた方はびくともしなかった。
    「っ! ……ああ、クソ。油断したな」
     鋭い刃を握ったその手からはじわりと血が滲み出す。手袋越しとは言え、刃物を思い切り握って傷ついたのは明らかだった。ぽたりと地面に落ちた鮮やかなその色に、思わずキースは言葉を失った。当の本人はといえば、眉間に少し皺を寄せたかと思うと、空いている方の手で躊躇なく相手の鳩尾に拳を入れた。うめき声と共に崩れ落ちる相手から再度ナイフを奪う。自分が傷ついたことはまるで気にしていない様子で没収したナイフを眺めていたかと思うと、ようやく固まっているキースに気づき、声をかけてきた。
    「君、もう大丈夫だぞ。 ……ん? なんか見たことある顔だな」
     キースは、一連の成り行きを眼前にしてただただ固まっているしかなかった。



     保護されたキースと他の労働者は、倉庫の一室に集められていた。キースが危険を察知して逃げ回っている間に、作業を終えた他の者は薬で眠らされそうになっているところを突入した【HELIOS】のヒーローと警察によって救助されていたのだった。意識が朦朧としている者もいる中で、はっきり話せるキースは怪我の手当を受けながら、助けてくれたヒーローに事情を聞かれていた。
    「それで、ええと。どこまで聞いたんだったかな。裏サイトの高収入募集バイト記事でこの仕事を知ったんだったか?」
    「いや、別に裏サイトって程じゃ……ネットじゃよくある個人の仕事斡旋掲示板みたいなとこで見つけたんだけど」
    「そうか。そんなところで堂々と募集をかけるとはな……」
     キースの頬の擦り傷に消毒液を塗っていた男性が、腕組みをして考え込むヒーローの独り言に答えた。
    「しかしネットの書き込みならログが残ります。そこから当たってみれば」
    「ん、そうなのか。なら至急司令に報告して、そちらの調査にあたるように進言してくれ」
     テキパキと周りに指示を出す目の前の男性の姿を眺めながら、キースはボソリとつぶやいた。
    「……おっさん、本当にヒーローだったんだな」
    「なんだ、失礼だな。俺の活躍目の前で見ただろう」
    「今まで飲んだくれてるとこしか見たことなかったし……なんでこんなタイミングよく居合わせたんだ?」
    「君、なかなか言うなぁ。あれも仕事の一環というか……今日のこれも偶然じゃないぞ」
     いわく、ここしばらく行方不明者が増えており、別件のサブスタンスの横流し事件との関連も認められた為、【HELIOS】と警察は合同で捜査にあたっていたとのことだった。手口は様々だが、そのひとつに日雇い労働者や身寄りのない者を何らかの口実をつけて集め、そのまま連れ去るというものがあったそうだ。パトロールを強化し、元々治安が良くない倉庫街には目をつけていたらしいが、極秘裏に入手した情報から今日の取引を知っていくつかの場所に目星をつけていたところ、キースの逃走騒ぎが起こったことで突入が早まったらしい。
    「君が働いている店。あそこだけじゃないんだが、あの一帯の店にその拉致事件に関わっている者が出入りしているという噂があってな。情報を掴むために出入りしていたんだが……俺が決定的な情報を掴む前に、現行犯で捕まえることになってしまった」
    「ふぅん……」
     実際のところ、あの辺りにキースの昔馴染みがうろついていたのは事実なのでそこまで誤った情報とも言い切れない。程度の問題はあろうが、毎日来店していたのは【HELIOS】のヒーローとしての職務の一端であったことは間違いなかった。あの自然体にしか見えない態度で用心深く周りを探っていたと思うと、これまで踏んできた場数が察せられる。
     それに比べて、もう危ない橋は渡らないと決めていたのに結局これまでにないピンチに陥ってしまった自分の甘さを改めて認識し、キースはこっそりとため息をついた。ヒーローどころか一般人として危機管理がなっていないと怒られても無理はない。
    「まあ大きな怪我がなくてよかったよ。これに懲りたら、美味しい話にはホイホイついてかないように」
    「……肝に命じるよ」
     話しているうちに、【HELIOS】の他の職員がキースの持ち物と鞄を持ってきてくれた。
    「すまない。念の為持ち物をあらためさせてもらった。警察立会の元で行ったし、勝手に何か押収したようなことはないから安心してくれ」
     頷いたキースが少ない中身を鞄に戻していると、その手元を眺めていたヒーローが声を上げた。
    「あれ、君もしかしてアカデミーの生徒なのか? ヒーロー志望?」
     彼はキースが惰性で持ち歩いていた生徒手帳に気づいたらしかった。制服はまずかろうと上から上着を羽織っていたので、服装では気づかなかったらしい。どことなく後ろめたい気分でキースが適当に返事をするとはああ、とどこか嬉しそうに顔を綻ばせた。
    「なるほどなるほど。俺は未来の後輩を助けたってことか。これはすごい手柄を立ててしまったな」
    「いや、気が早いって。実際なれるかどうかわかんねえだろ」
    「そんなの他の子だって一緒だろう。ヒーローの卵に大きな怪我がなくて本当によかった」
     いやあ、街中で見かけることはあったけど実際話すのは初めてだな、などと呟きながら何が楽しいのかキースを見てニコニコと笑顔を浮かべている。やっぱり変なおっさん、とどこか一歩引いた目でキースがその様子を眺めていると、そのどこか冷めた視線に気づいたのか慌てて取り繕うように表情を引き締めた。
    「君、アカデミーに通ってる子とはちょっと雰囲気が違うよな。今日もてっきりガラの悪い連中のケンカしてるのがヒートアップしたのかと思ったじゃないか」
     なんてところに居合わせたんだってびっくりしたけどな、と笑いながら言われ、思わずキースは目を見開いた。
    「は? じゃあオレを助けたのは単なるケンカの仲裁のつもりだったってのかよ」
    「君を襲っていた奴は他の者と違って作業着の上着を脱いでいたからパッと見わからなかったんだ。突入してからそれなりに時間が経っていたから、犯行グループのメンバーは概ね捕まえたとばかり。まだ残党がいるとは、俺も油断してしまったな」
     肩をすくめて頬をかきながら話してみせる目の前の男の、なんてことないと言いたげな話ぶりとは裏腹に、キースは告げられた事実に固まっていた。急に微動だにしなくなったキースの態度に気づいたヒーローは首をひねっていたが、すぐに合点がいったとでも言いたげな顔になり、付け加えるように口を開いた。
    「ああ、これくらいの怪我、気にすることはないぞ。こんな仕事だからな、大なり小なり負傷はつきものだし。それにヒーローは傷の治りも早い。サブスタンスの効果だな」
     目線が自分の傷ついた左手にいっているものと勘違いしたようだった。心配をかけまいとしたのかにこりと歯を見せて笑う彼に、キースはようやく我に返る。
     この人は、目の前のヒーローは、自分が傷つくことを恐れず赤の他人を身を挺して助けた。任務だとか顔見知りだとか関係なく、目の前に困った人間がいたから助けに入ったのだ。
     器が違う、とキースは感じた。いくら身体がサブスタンスで強化されていて傷の治りが早いからといって、傷ついて何も痛みを感じないわけではないだろう。しかも危険な任務中だ。いくら敵との交戦中でないにしろ、自分に直接関係ない一般市民の小競り合いを意図的に見逃したとて、誰にも責められるものではないというのに。少なくとも、これまでキースが生きてきた世界では考えられなかったことだった。
     目の前の男性が、ダイナーで過ごす姿を見てキースは自分と同じだと思っていたのだ。【HELIOS】のヒーローであっても、普通の市民と同じように笑って、食べて、誰かと話して、時には渋い顔をしている時だってあったし、深酒をしてひどく酔い潰れていたこともあった。けれども、違う。目の前の彼は、まごう事なきヒーローだった。自分の損得勘定抜きで困っている誰かに迷わず手を差し伸べた彼と、自分は将来同じ地位を目指しても許されるような存在だろうか。
    「もうこんな危険なことはやめておけよ。色々事情があるだろうが、君はまだ若い。友だちや周りの人を大切にしろ。もちろん、君自身もな」
     事情聴取が終わって解放されてからも、どこかぼんやりとした気分のままキースはフラフラと街を歩いていた。大変な事件に巻き込まれたせいでももちろんあったが、頭の中を巡っているのは、初めて直に触れたヒーローの言動だった。彼はたしかに完璧完全な人間ではない。しかし、英雄の呼称に恥じない立派な人間だった。これまで自分が食べていく為とはいえ、手を汚すことも他人を傷つけることも厭わなかったキースとは比べるべくもなかった。
     友だちを大切にしろ、という別れる時の彼の言葉に、自然とディノの顔が浮かんだ。キースの友だち、キースを大切に扱ってくれた大切な人。ディノはいつだって、自分を顧みずにキースに寄り添って、助けてくれた。それが慈善事業や打算からくるものではなく、ディノ自身がキースと一緒にいたいという意向ゆえの行動なのだということは知っている。けれどもキースに手を差し伸べてくれたのはたしかにディノの優しさからくるもの違いなかった。
     そんなディノに、自分は何をした? いかに自分が酷いことをしてしまったのかということをはっきりと自覚する。何度も傷つけた。ひどいことも言ったし、子供のように癇癪を起こして突き放したこともあった。あの日の、キースを突き飛ばした時のこちらを見てくるディノのひどく傷ついたような顔がありありと蘇る。あんな風に、相手の合意も得ず無理矢理キスするなんて暴力を振るったのと同じだ。
     橋の上に差しかかった。立ち止まって見下ろす冬の川辺は寒々しく、暗い水面は底が見えない。
     絶対に、あんな風にはならないと思っていたのに。暴力で一方的に虐げられて力で押さえつけられる苦しさをキースはわかっていたはずなのに、あれほど嫌っていた父親と結局は同じところまで落ちてしまった。ロクデナシの子はロクデナシ。否応なしに突きつけられた事実に、このまま川底に沈んでしまいたい気分だった。
     寮の自室へ戻っても何もする気にはなれず、キースは長いことベッドに横たわっていた。次第に日が落ちて部屋が薄暗くなってくる。のろのろと立ち上がると、鍵のかかる引き出しを開けた。
     そこには、ディノから貰った封筒が何枚も納められていた。金自体は銀行に預けていたから封筒に入っていた現金はわずかだったが、キースはまるで大切なものに触れるように、そっと封筒の束に触れた。
     ディノの渡す封筒には、最初は何もなかったが、そのうち様々な書き込みがされるようになっていた。何か動物が描かれたもの。先週は寒かった、というような他愛もないメッセージ。何かの有名人の格言のようなもの。どれも些細なものだったが、見るだけで受け取ったその時のことがキースには昨日のことのようにまざまざと思い出された。
     どこから、間違った? どうすれば、よかった?
     あの時、キスなんかしなければ。ブラッドのことを受け入れていれば。買い物の約束なんかしなければ。部屋に入れたり休みの日を一緒に過ごしたりしなければ。バイト先に来てもすぐ追い返していれば。あの日、ディノの申し出を受け入れなければ。
     選んでいれば変わったかもしれないターニングポイントを振り返ることは、ここ数ヶ月のディノとの思い出を振り返ることと同義だった。しかし、無意味な仮定はキースの胸を抉るだけで、何物ももたらさなかった。
     やり直すにはどうしようもなく手遅れで、けれどもこのままでいるわけにもいかない、それだけはわかった。
     キースは一つの決意をして、スマホを手にとった。



     ぼんやりと、ディノはモノレールに揺られながら車窓から沈みゆく夕日を眺めていた。ニューミリオンの各エリアを繋ぐモノレールからの見通しはよく、太陽がゆっくりと水平線へ近づいていく様子がよく見える。少し前まで住んでいた山奥の家ではこんな景色はなかなか見られなかったが、今となってはこの景色にもすっかり見慣れてしまったから不思議なものだった。
     燃えるような深い色の、しかしどこか寂しい夕陽を見送る。太陽を飲み込もうとする海面は遠目には穏やかで、幾ばくもしないうちに光を見失った街は夜の帳に包まれるのだろう。ぽつぽつと人工の光を宿し始めた街、あの灯りの中のひとつに、キースのバイト先もある。その連想から、ここ数日ディノの中に幾度となく浮かんだ疑問が再び浮上した。
     なぜ、キースはあんなことをしたのだろう。
     考えても考えても、ディノの中で答えはでなかった。
     直前にどんな話をしていたのだったか。きっかけはブラッドに告白した女の子がキスしてほしいとせがんだのを目撃したことから、キースにキスの経験があるのか聞いたことだった。ただの世間話、年頃の少年なら当たり前にするような他愛もない会話のはずだったのに。何がどうなって、こんな風になっているのか。
     あれからあっという間に一週間以上経ってしまった。その間まともにキースと話していない。正面から顔を見て、いつものように笑って話したい。けれども。
    (なんて言えばいいんだろ……)
     キスされたことに驚きはあっても嫌悪感はなかった。キースの唇が触れた時には何が何だかわからず、伝わってきた温かさと濡れた感触にドキドキはしても、気持ち悪いだとか負の感情は湧いてこなかった。
     けれども、あの時のキースはまるで何かに突き動かされているように焦っていた。こちらを見ているようで見ていなくて、その目がディノを通り越して何か他のものを見ているようで、ディノはそれが怖かった。
     いつだってキースはディノに歩幅を合わせてくれた。物理的な話ではない。ディノは、キースのこれまでを知らない。どんな生活をしてきて、どんな思いをして生きてきたのか知らないし、想像もつかない。きっと知らずに傷つけたり無神経なことを言ってしまったこともあるだろう。それでも、時折呆れたような視線を向けることはあっても、キースは決してディノに対して声を荒らげたり無知を責めるようなことはなかった。そのキースが、まるでディノのことを顧みずにあんなに強引に迫ってきたことが信じられなかった。ディノの知らない顔で、知らない場所へ無理矢理引っ張っていくような、そんな乱暴さを感じた。なぜ。
     そもそも、ここのところのキースはおかしかった。それが自分がブラッドを引き合わせたことに起因していることはディノもなんとなくわかったが、ブラッドと話さなくなっても、時折キースは何かに脅かされているように不安げな顔をしていた。
     飄々として大人びた顔をしているキースがごくごくたまに見せる子供のように素直な表情がディノは好きだった。それはディノの突拍子もない発言に思わず噴き出す顔であったり、安心したように眠りこけている顔だったり、どこにでもある日常のほんの一瞬のことだったが、いつもなんでもない風に取り繕っているキースの素顔を見れたような気がして、嬉しかった。けれども今となっては、いつもどんな顔をして話していたのかすらあやふやだ。
    (キースが何を考えているのか知りたい)
     知らなくては、応えられない。
     その時、モノレールが市街地に差し掛かり、窓にビル群が入り込んだことで景色が遮られ、ディノははっと我に返った。程なくして寮の最寄り駅に着くことを知らせるアナウンスが響く。慌てて立ち上がったディノは、傍らに置いてあったデイパックの外ポケットに入れてあったスマホに通知が表示されていることに気づいた。何気なくメッセージを開いたディノは目を見開き、食い入るように画面を見つめた。興奮と焦りで震える手で返信すると、寮に向かって一目散に走り出した。
    『話がしたい。寮の裏手の物置小屋の前で待ってる』
     キースからのメッセージ。
     早く、早く。気ばかり急いて、上手く足が動かない。ディノは必死に走った。

     ディノが寮に着いた頃には、もうすっかり日が沈みきっていた。門を通り抜け、入り口ではなく、建物の裏手に向かう。敷地の端には、掃除用具や庭の手入れの為の道具を入れる物置小屋があった。普段は鍵がかかっている為、中に入ることはできないし、大して面白いものがあるわけでもないので用がなければ誰も寄りつかない場所だった。息を切らしてそこに辿り着いたディノは、呼吸を整えながら辺りを見回す。見渡せる範囲には人影はまるで見当たらなかった。
    「キース?」
     不安になって思わず呼びかけると、建物の影からのそりとキースが姿を現した。もう輪郭でかろうじてキースだと判断できる程の明るさしかない。
    「その……急に呼び出して悪いな」
     キースはディノの方を見もしなかった。長い前髪に覆われて目元が見えなかったので、ディノの方からはどんな表情をしているのか窺い知れない。
    「ううん、俺もキースと話したかったから、平気」
     逸る気持ちを抑え、穏やかな声でディノは返事した。しかし、ここからどう話したものかとディノは我に返った。キースから話がしたいと連絡が来たのを見て、モノレールを降りてとるものもとらず来てしまったが、どうするつもりなのか全く考えがまとまっていなかった。ディノが逡巡しているうちに、キースが再び口を開いた。
    「ディノ、お前には本当に感謝してる」
    「え、うん……?」
     キースはそれっきりまた押し黙ってしまったが、何か言葉を探しているようだったので、ディノは辛抱強く待った。吹き抜ける風が冷たくて、思わずディノがクシュンと鼻を鳴らすと、その音にハッとしたようにキースが顔をあげる。一瞬悲しそうに表情が歪んだような気がしたのは、ディノの見間違いだっただろうか。キースはまた目を逸らすと、口を開いて、ゆっくりと話し始めた。
    「金のこともそうだけど、色々声かけてくれなかったら毎日こんな風に過ごせなかった。お前は変なヤツだけど……オレにはもったいないくらいだと思うよ」
    「……キース」
    「ありがとう。お前がいてくれてよかった」
     その言葉に、ディノは鼻の奥がつんと痛むのを感じた。キースが口で言うほど自分を邪険に思っていないのはもちろん感じてはいたが、こんな風に素直に言葉にして伝えてくれるとは思ってもみなかったのだ。思わず、ディノはキースへ一歩踏み出した。
    「キース、俺も」
     ディノの動きを制するように、す、とキースは右手を差し出した。視線で追った先、その手に握られていたのは、見覚えのある銀行の封筒だった。
    「だから、もうこれで終わりにしてくれ」
    「え……」
    「金は返すから、友だち契約はなかったことにしよう」
     言葉が出なかった。
     キースの一連の言葉は、手切のものだったのだ。
    「なんで……」
     必死に絞り出した声は、縋るような問いかけになってしまった。目の前のキースは、さっきとは打って変わって虚ろな目をしていた。その表情からは何も読み取れない。
    「言っただろ。お前はいいヤツだよ。オレなんかに構うのはもうやめろ」
    「だって、キースだって一緒にいて楽しかったって」
     目の前が真っ暗になった気分だった。今さっきまで温かい毛布に包まれていたような気分だったのに、まるで唐突に崖から突き落とされたような、つないでいた手をいきなり振り払われた気分だった。
    「それとこれとは話が別だ。そもそも金で友だちを買うなんて頭狂ってるだろ」
     ディノとしても、たしかにおかしな事をしている自覚はあった。良識のある人間なら耳を疑う話だろう。しかしキースは非合法な手段を使ってでも金を欲していたし、ディノはどんな手を使ってでもキースを放ってはおけなかったのだ。
     どうして、どうして。ディノの頭の中は、キースの取り付く島もない答えに対する疑問でいっぱいだった。
    「俺……俺がいけなかった? 毎日鬱陶しかった? 無理矢理ブラッドと引き合わせたから? 無神経にキースのこと、色々聞いたからか?」 
    「おい、ディノ」
    「俺はキースと友だちになれて嬉しかったし、楽しかったのに。キースは違ったのか? 俺のこと、嫌になったの?」
    「ディノ、」
     だんだん涙声になってきて、キースが困惑しているのがわかる。困らせたくないのに。子供みたいに泣いてしまったら、きっと迷惑で鬱陶しく思うに決まってる。
    (俺が、俺がいけないから)
     そしてディノはひとつの可能性に思い当たり、混乱のあまり浮かんだ考えをそのまま言葉に乗せてしまった。
    「キースは俺が嫌いだから、あんなことしたのか……?」
     その言葉に、キースの目が見開かれた。



     思わず、ずっと正面から見る事を避けていたディノの方を向いてしまった。ディノは、ぎゅっと拳を握りしめて、泣きそうな顔でこちらを見ていた。大きな目は今にも涙が溢れそうに潤んでいる。
     あんなこと、とはもちろん無理矢理キスしたことだろう。
     愛情に溢れたキスなんて知らない。キースにとって、キスは情欲を煽るためのもので、奪うものだった。それでも、キースにとってディノは特別な存在で、あのキスだって雑念がなかったと言えば嘘になるが、誰にでもするものではなかった。
     ディノにとって、自分がそういう人間だと認識されたのが辛かった。相手の気持ちも顧みず、面白半分、嫌がらせで相手を傷つけるための手段としてそんなことをする奴だと思われたのが悲しくて、思わず違う、と叫びそうになるのを、すんでのところで思いとどまる。
     実際のところそう大差がある話ではないのかもしれない、とキースは思い直した。自分は、元々金の為なら何でもやるような性根のねじ曲がった人間で、何でもできるブラッドに嫉妬して腹いせにその苛立ちをディノにぶつけた。ディノの認識とそう変わらない。そこを正すことに大した意味はないように思えたし、もう何もかもが辛い。
     キースを襲ってきた昔なじみは、道を踏み外せば同じようになる未来のキースの姿に違いなかった。誰かから奪い、誰かを傷つけることでしか生きていけない、そういう人生。ぼんやりと感じていた不安がリアルな形となって眼前に現れ、キースは恐ろしくなったのだ。そうなってしまうかもしれない自分に、そして、隣にいる誰かを危険に巻き込んでしまうかもしれない可能性に。
     もう決めただろうが、とキースは自分に言い聞かせる。自分のようなどうしようもない人間がディノのそばにいていいはずがない。友だちでいていいはずがない。そもそも住む世界が違う人間が一緒にヒーローを目指すなんて、あってはならないのだ。どんなにキース自身がディノのことを大切に思っていても、きっとまたディノのことを傷つけてしまう。どうしようもなく手遅れになる前に離れることが自分を大切に扱ってくれたディノにできる唯一のことなのだ。
    「……そうだよ」
     ディノから離れたい今、この状況はむしろ好都合と言ってよかった。これ以上ディノの悲しそうな顔を見るのは心苦しかったが、憎まれ役を演じればディノは二度とキースに近寄ろうとはしなくなるだろう。
    「もうお前のめんどくさい言動に振り回されるのはこりごりだ。オレは、お前が金出してまで友だちやるようなヤツじゃないよ」
     わかったら、さっさと受け取れよ。
     ディノの手を掴んで、無理矢理封筒を握らせる。これまで渡してもらった全額には到底足りないが、不足している分は後日別の手段で返せばいい。今は、金を確実にディノに受け取らせて契約の打ち切りを飲ませることの方が重要だった。
    「やだ、やめて、キース」
     悲鳴じみた声をあげて、ディノが身を捩ってキースに掴まれた腕を振りほどこうとする。そんな意図はないのだろうが、まるでキースから渡される金が汚いもののように感じているように見えて、思わずキースは舌打ちした。
    「ディノ、いい加減に」
     その時、不意に人の足音と声が響いた。
    「おい、誰かそこにいるのか?」
     聞こえてきたのは、あの副寮長の声に違いなかった。人目につかない場所を選んだつもりだったが、騒いでいるうちに耳に止まってしまったようだ。キースは、ディノに封筒を押し付けて身を翻した。二人で逃げれればよかったが、ディノはとてもそんな状況ではなかったし、キースはあの副寮長には警戒されている。このまま二人見つかってしまうよりはマシだという判断からだった。
     キース、というディノの呼びかけを無視して、キースは素早くその場を去った。
    「おい、お前そんなところで何をしてるんだ」
     背後でディノに呼びかける副寮長の声を聞きながら、キースは部屋へたどり着いた。これでいい。もう、ディノの為にもキース自身の為にもこれ以上関わらない方がいい。
     机の上に広げられた、何枚もの封筒を見やった。ディノがキースを案じてくれた気持ち。ディノからの気持ちがたしかにそこにあった証だった。金は返すが、これだけは返さなくたっていいだろう。キースは封筒に触れて、真っ暗な部屋の中で密かに涙した。



     その日から、キースとディノが一緒にいることは無くなった。当たり前だ。二人はもう友だちでないのだから。
     無理矢理に決別した次の日、ディノは寝込んでアカデミーを休んだらしかった。らしかった、というのは偶然寮で耳にした会話から得た情報で、キースはディノの存在を意識しないように努めていた。うっかり見かけてディノを視界の端に入れることすら辛かった。
     ディノだけでない、キースは極力誰とも関わらないようにしていた。もうディノのように誰かと仲良くして傷つくのも、一方的に嫌われて遠巻きにされるのも嫌だった。朝はギリギリまで寝て、授業が終わったらさっさと教室をでる。放課後もダイナーでのバイト以外にもバイトを入れて、極力門限ギリギリまで寮に戻らないようにしていた。
     その日も、そうやって足早に教室を抜けたすぐ後のことだった。
    「キース。先週の課題をまだ出していないのは貴様だけだそうだぞ」
     唐突に、ブラッドに話しかけられたのでキースは内心動揺した。しかしそれを気取られないよう努めて正常心を保つ。一瞬速度を落としかけた足を、しかし意識して止めることはなく、キースは背中越しに投げやりな返事を放った。
    「悪い。急いでるから、午後の講義が終わったら直接提出しに行くわ」
    「わかった。俺から伝えておく」
     この場からすぐに逃れたいというキースの見えすいた嘘をどう感じたのか、意外にもブラッドはあっさり引き下がった。それは拍子抜けしたキースが反射的に足を止める程で、思わずキースはそのまま振り返り、ブラッドの顔をまじまじと見つめてしまった。当然、こちらに向けられていた鮮やかなマゼンタピンクと真っ直ぐ視線がぶつかり合い、キースは自ら隙を作ってしまった事を後悔した。
    「なんだ。何か俺に言いたいことでも?」
     腹が立つくらい尊大で、しかし堂に入った口調でブラッドは静かにキースに問いかけてきた。キースとディノの様子がおかしいことにはもちろん気づいているだろうに、その表情からは何の感情も読み取れない。キースはますます戸惑い、迷った挙句に口を開いた。
    「……言わないのか? オレとディノのこと」
     言ってから、至極つまらない事を言ってしまった、とキースは自分の頭の回転の悪さにうんざりした。ブラッド相手だとどうにも調子が狂う。いつでもヘラヘラ笑顔を浮かべているのも好きではないが、ブラッドのように表情からまるで感情が伺い知れないのも得意ではなかった。特に今は、ブラッドが自分とディノの間の出来事をどこまで把握しているのかというやましさのようなものもあり、余計に容赦ない視線に居心地の悪さを感じる。
    「何か言って欲しいのか?」
     返ってきた面白みのない返答に、キースは舌打ちしたい気分だった。
    「そうだな、お前はそういうヤツだったよ」
     どうせ、自分に直接関係ない同級生達のトラブルに首を突っ込むなど非効率だとでも思っているのだろう。そう思い、今度こそキースはその場を去ろうとした。
    「お前とディノの問題だろう」
     キースの背中を追うようにかけられた言葉はまるで謎かけのようでもあり、キースの心の声でもあった。そう、これはキースとディノの問題だ。ブラッドのせいではないし、散々ブラッドを遠ざけていたキースが、今更彼に何を求められただろうか。



     逃げるようにその場を離れ、キースはそのままフラフラと校内を彷徨っていた。もちろん、急ぐ予定などない。しかしバイトまでは時間があって、アカデミーを出るには早すぎる。食堂か図書館で未提出の課題をやって時間を潰すべきだったが、今はとてもそんな気分になれなかった。
    「ん? キース、キースじゃないか」
     名前を呼ばれ反射的に振り返れば、今しがたすれ違った何人かの上級生達、その最後尾の学生がキースの方を向いていた。
    「やっぱりキースじゃないか。一人でどうしたんだ? これから昼か?」
    「あ、いや……」
     声をかけてきたのは、寮長だった。普段から頻繁に話すわけでもない上級生に唐突に声をかけられて、キースは戸惑った。
    「アカデミーで会うの珍しいよな。なぁ、ちょっと時間いいか? ちょうどお前と少し話したかったんだ」
    「……はあ」
    「お前も忙しいしだろうし、そんなに時間は取らせないから。ほら」
     一緒にいた学生達に先行っててくれと声をかけ、寮長は適当に手近な空き教室に入っていった。その有無を言わさない様子に、キースもつられて渋々ついていく。
    「……何すか、話って」
     今日はまだ一度も使われていないのだろうか、入った部屋はひんやりと冷たく、静かだった。寮長は適当にその辺りの机に荷物を置くと、自分もその隣の机に軽くもたれた。
    「お前、ディノと何かあったのか」
    「…………」
    「少し前まで仲良さそうにしてただろ、どうしたんだ」
    「……別に。少し一緒にいたらつきまとわれるようになって鬱陶しくなったから、ちょっと強く言ったら、向こうが勝手にショック受けただけで」
     話しながらふと、ディノと友だち契約を結んだあの日、話したのがまさにこの部屋だったことをキースは思い出していた。あの時、ディノにこれ以上関わると色々なものがめちゃくちゃにされそうだと確かに思っていたのに。金につられてまんまとこのザマだ。自分の失態にため息が出そうだった。
     仔細を語ろうとしない頑ななキースの言葉に、ふむ、と寮長は考え込む仕草を見せた。
    「俺にはそんな風に見えなかったがなぁ」
    「あの、何なんすか」
     てっきり、金のやりとりのことを副寮長から聞いて問い詰められるものだとばかり思っていたから、キースを責めたてようとしない寮長の態度は逆に居心地が悪かった。
    「ああ、すまん。ここのところ、お前達がどうにもギクシャクしてるように感じたから、何かトラブルになってたなら少し話を聞きたくて。いや、ただの喧嘩ならいいんだ」
    「はあ……」
    「キース、友だちは大切にしろよ。お前は入学してからずっと一人でいたから心配してたんだが……最近ディノといるようになってから随分表情が明るくなったと安心してたんだ」
     そう言って笑いかける寮長の顔は朗らかだった。人望に厚くて、おそらく成績も悪くなくて、それでいて気取ったところがない。目の前の彼は、ブラッドとはまた違うリーダーの資質を持つ男だった。キースのことも本心から気にかけていてくれて今もこうやって声をかけてくれるのだろう。ふと疑問が湧いて、キースは問いかけた。
    「なんでオレみたいなのに声をかけるんだ?」
     キースの声に、今度は寮長が不思議そうな顔をした。まるで、初めて聞く言語で話しかけられたような顔だった。そんなに不思議なことを聞いただろうかと訝しみながらキースは付け加えた。
    「オレはあんたの同級生でも友だちでもないし、親切にしたからって別に何か得になるようなこともない。寮長だから責任があると思ってるのかもしんねえけど、オレみたいなやつが何か問題を起こしたって、あんたに責任を問うやつはいねえだろ」
     寮長も先日のヒーローも、なぜここまで赤の他人である自分に構うのかがキースにはわからなかった。キースのような者に自分の時間を割いて、あるいは身体を張って救いの手を差し伸べるなどなんの得にもならないというのに。
    「うーん……」
     キースの言葉を聞いて、やっと意味するところを理解したらしい寮長は、しばらく腕組みをしながら悩んで、そうだなぁと漏らした。それから、ややあっておもむろに逆にキースへ問いかけてきた。
    「キース、ヒーローに必要なものって何だと思う?」
    「……は?」
     今度はキースが面食らう番だった。しかし譲る気のない顔の寮長に促され、渋々口を開く。
    「色々あるだろ……知識もそうだし、体質も……サブスタンス適性がないと、なろうと思ってもなれないし」
    「そうだな、言う通りだ」
     キースの言葉にうんうんとのんきに頷く仕草に、若干なんなんだ、と呆れが湧いてくるが不思議と苛立ちはしない。これがこの人の良さからくるものなのか、キースはどうにもこの上級生を無視出来ずにいるのだった。
    「正解は人によって違うと思うし、ひとつではないと思う。俺はな、前にこの質問を現役ヒーローにしたことがあるんだ」
    「……その時は、なんて……」
    「うん。その人は、ヒーローには力と正義が必要だと言っていたよ」
    「…………」
     シンプルでわかりやすい答えだ。
    「けどな、これって実は結構抽象的な言葉だと思わないか?」
     キースは行き先の見えない話の展開に、思わず黙りこくった。沈黙からその戸惑いを感じたのか、寮長は頷きながら続けた。
    「力はまあ、色々連想できる言葉だが、単純に考えればヒーロー能力とか体力、戦闘能力のことを指しているのだと解釈できるな。そして、正義の方だが……」
     正義。これもまた、具体的に何を指すのかは広範囲にわたる単語であるといえよう。ただし、ヒーローとしての正義、となるとある程度限定される。
    「サブスタンスの回収に励み、市民を守り、ニューミリオンの発展に寄与せよ。これがヒーローに課せられた職務であり目標だな。従って、これを守ることがヒーローの正義と言えるだろう。だが、本当にそうだろうか?」
    「え」
     予想外の言葉に思わずキースが目を見開くと、目の前の彼はにこりと微笑んだ。悪戯に成功した子供のような笑顔で、キースが話に乗ってきたことを喜んでいる。
    「状況によっては相反することもあるだろう。たとえば、傷ついている市民の救助を後回しにしないと貴重なサブスタンスが回収できないとか。あるいは、技術の発展の為に公共性の高いサブスタンスを研究の為に独占するとかな」
    「そんなのは」
    「そうだよな、そう思うよな。それが、お前の正義だよ」
     つまりな、と寮長は続けた。
    「今の例は極端だったから、大多数の人間はお前と同じ意見になるだろうな。だが、そうじゃない奴もいる。それは、そいつの中での正義だ。正義は人によって違うんだ」
     その言葉にはキースも納得いく部分があった。アカデミーに入る前は、他人を傷つけてでも生活の為の金を稼ぐことがキースにとっての最上、正義だった。
    「ヒーローである以上、それが社会的に正しい行いであることは求められるだろうがな。正義ってのは、単純に善行に励めという意味でなくて、自分の信条を持つことだとその時俺は思ったんだ。それで、話は戻るんだが……俺は、お前のことを放っておくと、多分今夜寝れない気がする」
     至極大真面目な顔でいう寮長に、ついにキースは言葉を失った。元々変な人だとは思っていたが、話の展開が突拍子もない。
    「今お前のことを見ないフリをするのは簡単だ。けど、夜ベッドに入ったら俺は絶対思い出すと思うんだよ。どうなったかな、明日聞いてみようか、やっぱり今日声をかければよかった……きっとそんな風に考えて、寝付けなくなる。そんなのスッキリしないだろ」
    「つまり、あんたは自分の為にオレに声をかけたって言いたいのか」
     ご名答、と歯を見せて笑う相手に、キースはついに頭を抱えた。
    「いや何の授業が始まったかと思ったけどそんなオチかよ……結局、あんたが底抜けのお人好しだってだけだろ」
     げんなりしたようなキースに構わず、さも大事なことを言うように寮長は大真面目な顔で言った。
    「結局のところそんなもんだろ。ヒーローたるもの、損得勘定抜きで時には身体を張って戦うことを求められるだろうが、自分がそれを納得できるかどうかは大事だと俺は思うぞ」
     キースは、自分が本当にヒーローになれるとは微塵も思っていなかった。それはまあ、なれたら願ってもない僥倖だ。身体を張る仕事だがその分高給取りだし、何より安定した職業だし。しかし、今寮長のしている話はそんな表面的な話ではない。ヒーローになれるかどうかは関係なく、彼は生き様の話をしているのだ。
     あのヒーローもそうだったのだろうか、と考える。そんなにたくさんの言葉を交わしたわけではないが、彼の人となりはなんとなく察せられた。彼はきっと、目の前で市民が傷つくのを見ていられなかったのだろう。たとえ任務中であっても、自分の職務に直接は関係なくとも、刃物で斬りつけられそうになっている少年を目にして、思わず助けに入らずにはいられなかった。その結果自分が傷ついても、何の得にもならなかったとしても、その選択を悔やむようには見えなかった。
    「俺は、たとえ今日お前に声をかけたことがなんの得にならなくても後悔はしないよ。それが俺の信条だからな」
     なあキース、お前はどうだ?
     正面から真っ直ぐに問いかけられる。その質問に、ついぞキースは答えられなかった。
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    horizon1222

    DONEモブ女は見た!!新婚さんなあのヒーロー達!!
    という感じの(どんな感じ?)薄~いカプ未満の話です。一応キスディノ
    ディノにお迎えにきてほしくなって書いたよろよろとモノレールに乗り込み、座席に座ったところで私はようやく一息をついた。
    月末。金曜日。トドメに怒涛の繁忙期。しかしなんとか積み上がった仕事にケリをつけられた。明日の休みはもう何がなんでも絶対に昼まで寝るぞ、そんな意識で最後の力を振り絞りなんとか帰路についている。
    (あ~色々溜まってる……)
    スマホのディスプレイに表示されているメッセージアプリの通知を機械的に開いてチェックし、しかし私の指はメッセージの返信ボタンではなくSNSのアイコンをタップしていた。エリオス∞チャンネル、HELIOSに所属のヒーロー達が発信している投稿を追う。
    (しばらく見てなかったうちに、投稿増えてるな~)
    推しという程明確に誰かを応援しているわけでないし、それほど熱心に追っているわけではない。それでも強いて言うなら、ウエストセクター担当の研修チーム箱推し。イエローウエストは学生の頃しょっちゅう遊びに行っていた街だからという、浅い身内贔屓だ。ウエストセクターのメンター二人は私と同い年で、ヒーローとしてデビューした頃から見知っていたからなんとなく親近感があった。
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