Recent Search
    Create an account to secretly follow the author.
    Sign Up, Sign In

    horizon1222

    @horizon1222

    ☆quiet follow Send AirSkeb request Yell with Emoji 💖 👍 🎉 😍
    POIPOI 34

    horizon1222

    ☆quiet follow

    アカデミー時代のキスディノ/完結しました
    【その3】
    https://poipiku.com/1141651/6186622.html
    【その4】
    https://poipiku.com/1141651/6555463.html

    アカデミー時代のディノがキースを金で買う話【完】 日々は残酷に過ぎて行った。寝て起きて、アカデミーでの授業が終わったらバイトに行く。クタクタに疲れきって戻ってきて、泥のように眠る。その繰り返しだった。
     ディノとはあれから一言もしゃべっていない。キースが意識して避けているから寮でかち合うことはないし、アカデミーでも顔を見かけることはあっても向こうから話しかけてくることはなかった。まるで、この数ヶ月のことは何もなかったかのようだった。
     それでいい、とキースは考えていた。ディノにとってもキースにとっても、その方がきっと幸せなのだ。
     けれども、ふと手を止めた時に考え込んでしまうのだ。これでいいのかと。そしてすぐにどうする余地があるのかと考え直す。その繰り返しだった。

     その日もキースの帰りは遅かった。寮では通常ならもう食事が終わり、順にシャワーを使う時間だった。
     のそりと忍び込むように入り込む。ディノはもちろんのこと、他の寮生に見られて怪訝な視線を向けられるのも面倒で、なるべく人目につかないように静かに自分の部屋へ向かう。
     階段を上がり、談話スペースの前を横切ろうしたその時、誰かの話し声に気づいた。連れ立ってシャワーブースへ行こうとする学生達だ。キースはこっそり耳をそばだてた。
    「まだ行かないのか?」
    「俺は……もうちょっと後にするよ」
    「ふぅん。今日は副寮長しかいねえから時間にうるさいぞ。あんまり遅くなると使えなくなるから気をつけろよ、ディノ」
     耳に届いた名前に、思わず心臓が跳ねる。ディノと別れてこちらに近づいてくる学生達を廊下の反対側の曲がり角に隠れてやり過ごし、こっそりと談話スペースを覗いた。入り口の壁は一部ガラス張りなので、入らなくても中の様子が伺える。
     ディノは、ソファーの上に膝を立ててちょこんと座っていた。テーブルにいくつか置いてあった雑誌を手に取ってパラパラと眺めていたかと思うとすぐに手放し、今度は自身のスマホを取り出して眺めている。しかしどれも手遊びといった感じで、特段熱中しているようには見えなかった。
     アカデミーや寮の中で遠目に見かけるディノは、今までと何も変わらない様にみえた。少なくともキースはそう思っていた。けれども、一人でいるディノは驚くほど寂しげな印象だった。思えば、一人でいるディノというのをあまり見かけたことがないかもしれないと考えて、ふとキースはあの夜のことを思い出していた。キースのバイト先にディノが忘れ物を届けてくれた日のことだ。
     あの時、路地裏で話した時見せたディノの顔があまりに別人のようだったから強烈に印象に残ったことを覚えている。けれども今となっては、あの時も今のどこかやるせない様子も、ディノの一面に過ぎないと確かに感じられるのだった。
    (オレ、何やってんだろ……)
     物陰からこっそり覗くなんて完全に不審者だ、と考えていたところで、再び廊下の向こうからやってくる足音に気づき、キースは身を隠した。談話スペースに入って行ったのは、寮で学生の食事や身の回りの世話をしている、キースも見知った顔の中年の女性だった。
    「あらぁ、ひとりぼっちでどうしたの?」
     時間的に遅番を終えて帰るところなのだろう。ディノが一人でいるのが目に留まり、声をかけたといったところだろうか。何を話しているのか細かいところまではキースには聴き取れなかったが、会話は弾んでいるようだった。二人が会話に気を取られているうちにこっそりと前を通り過ぎてしまおうと、キースは再度中を覗いた。
    (……笑ってる)
     久々に見たディノの朗らかな顔にどこかキースはホッとし、同時に胸が痛んだ。会話に合わせてコロコロと変わるディノの顔を一番近くで見ていたのは、ついこの間までは間違いなくキースだった。
     だがこれでいいのだ。今となっては、キースではディノを笑顔にすることはできないのだから。一歩踏み出そうとする度、最後に話した時の心底傷ついた泣きそうな顔のディノが頭に浮かんでキースの足を重くさせるのだ。
     やがて、二人が一緒に談話スペースから出てきた。キースは三度物陰に身を寄せて、二人が反対方向へ並んで歩いていくのを見送る。そうして、今度こそ誰にも会うことなく自分の部屋に戻り、疲れきって思わずベッドへ横になった。ここ数日のハードワークのせいもあり、あっという間に心地よい睡魔が襲ってくる。何も考えずに、寝て忘れてしまいたい。そう、ディノへの執着だって寝れば忘れられる。今は無理でも、何度か繰り返せばそのうちにきっと。今までだって、そうだったじゃないか。
     キースは欲望に抗わず、意識を手放した。

     微かに声が聞こえた気がして、キースは目を覚ました。思わず手元のスマホで時刻を確認するが、まだ寮に戻ってきて一時間程度といったところだろうか。喉が乾いた、と体を起こし部屋を出たところで複数人の話し声が耳にとまった。その時、そちらへ足が向いたのは本当にたまたまだった。あるいは、虫の知らせというやつだったのかもしれない。
    「俺は知らないなあ」
    (ディノ?)
     声の出どころは、先ほどの談話スペースだった。近づくにつれて予想以上に人が多く集まっているのがわかる。この階のほとんどの生徒がいるのではと思わされる人だかりだった。
    「本当か? ディノが最後だったろ」
    「俺がここを出た時にはもう何もなかったよ」
    (なんだこの状況)
     人の輪の端まできて、どこか妙な空気だということにようやくキースは気づいた。何か張りつめたような張感。ディノと向き合う学生のやりとりが衆目を集めている。
    「何?」
    「なんか、ここに置き忘れた封筒がないって」
    (封筒? それで何でこんな騒ぎに)
     近くにいた他の学生達がひそひそと話す声にこっそりと耳をそばだてる。続く言葉を捉えた瞬間、キースの血の気が引いた。
    「金が入ってたらしいぞ、しかもそれなりの額だとか」
     ディノを問い詰めている学生は、さっきキースが戻ってきた時に談話スペースを出てきた者だった。話の流れから察するに、談話スペースに来た時に持っていた封筒がないとその場を離れてから気づき、戻ってきた時にはもうなかったというところだろうか。
    「ディノ、あの時俺達が出て行った後も一人で残ったよな。何してたんだよ」
    「何って……理由なんてないよ、ただ何となく」
    「じゃあ、お前がここを出る前に入れ替わりで来た奴はいるのか?」
    「いや……俺が最後だから、灯りを消して出たよ。その時テーブルの上を軽く片付けたからそこに何もなかったのは覚えてる。俺がここを出た時には、もうなかったと思うぞ」
     じわじわと、場の空気が嫌なものになりつつあることにキースは気づいていた。非常によくない流れだ。
    「……本当か?」
     シン、と静まり返った後に響いた声は、猜疑に満ちていた。その声に、ようやくディノは不穏な雰囲気に気づいたようだった。
    「ディノ、お前何か知ってるんじゃねえの」
    「どういう意味?」
     ここまでくれば、もう明白だった。ディノは窃盗を疑われている。
     ディノの顔を見れば、まるで身に覚えがなさそうなことは明らかだったが、相手にはその邪気のない声は白々しく映ったようだった。
    「しらばっくれるなよ」
     その時の事を必死に思い出しているのだろう、考え込むように眉間に皺を寄せていたディノが、相手の低い声にびくりと身じろぎしたのが、キースからも見てとれた。
    「はっきり言ってやろうか。お前以外に盗れるやつがいるのかよ」
    (違う)
     ディノじゃない。
     ディノが他の学生達と別れて一人になった時、そして談話スペースから出て行った時。キースは一部始終を覗いていたのだから。目を離したのは従業員の女性が来た一瞬だけだが、人目を憚って盗みを働くならば女性が来る前、キースが覗いていることに気づいてなかった時しかタイミングはないはずなのだ。そして何より、ディノは他人の金を盗る程金に困ってはいないし、そんなことをできるような性分でないことをキースはよく知っていた。
     ここへ来てディノは自分の窮地にようやく気付いたようだった。身を守るように腕で体を抱え、助けを求めるように周囲を見回す。けれどもその目は落ち着きを失っているようで、周りの人間の顔を正確に捉えられてはおらず、人影に隠れるように立っているキースにも気づかないようだった。実際のところ、取り囲む学生の大半はディノを断罪しようという意思などなく、詰問している学生の勢いと空気に戸惑う者ばかりだった。無理もない。その場を見ていた者など当人ら以外にほぼいないのだから、真相を知るべくもなかった。そう、キース以外は。
     思わず、キースはごくりと唾を飲み込んだ。ディノの為に声を上げられるのは自分しかない。けれども。
     この状況で自分が声を上げることの異質さを、キースは誰よりも理解していた。そして、ディノの潔白を証言することは自分がディノを見ていたこともまた本人の知るところになってしまうということがまた、キースの足を竦ませていた。あんな風に突き放しておいて、なぜと思われる。それだけで済めばまだいい方で、事実を知ったディノが不快そうな顔でもした日には、一生忘れられないだろう。激しい葛藤に苛まれ、キースは一歩も動けずにいた。
    「なあ、お前の持ち物を見せてみろよ。さっきの今だ。部屋を探せば出てくるんじゃないか」
     キースがほんのわずか躊躇している間にも、事態はどんどん悪い方へと進展していた。やりとりの声は一層厳しくなり、空気は重くなっている。
    (まずい)
     ディノが自分の返した金をまだ持っていたら。もしくは、自分に渡す為の友だち料をまだ持っていたら。ディノの顔が引きつったことに気づき、キースは自分の悪い予感が的中したことを察した。真実はどうであれ、この状況でまとまった金が見つかれば言い逃れはできない。ディノの動揺は相手にも伝わったらしく、確信めいた表情を浮かべている。
     キースは観念して、とうとう口を開いた。
    「待て。ディノじゃない。……ディノは、盗ってなんかない」
     その瞬間、集まっていた人間の視線が瞬く間にこちらを向いた。心臓が早鐘を打つ。必死に圧に耐え、キースは続けた。
    「俺はお前らがここから出てくのを見てた。その後、ディノが一人でいたとこも。おかしな素振りはしてなかったし、ここを出る時もディノは手ぶらだった」
     思いもよらない人物からの告白に、ざわめきが広がった。さっきの戸惑いとは異なる困惑が、伝染するように集団に広がっていく。
     キースは下を向かないでいるのが精一杯だった。人だかりの向こう、声を上げたことでようやくキースの存在に気づいたのであろうディノと目が合う。発言の内容よりも、声を上げた人物がキースであったことに心底驚いている顔だった。キースはキースで、意を決した発言によって多数の人間から注目の的になることに耐えることに必死だった。
    「やっぱり……違う……ディノじゃ……」
    「なあ、そもそも……なんで最初から……決めつけ……」
    「証拠もないのに……思い込み……一方的に……」
     その場の誰もが判断に戸惑い、次第に視線は糾弾していた側へと向かった。自分に集まる幾つもの目に、今度はディノを問い詰めていた学生が慌てたように口を開いた。
    「そんな都合よく目撃者がいてたまるかよ。おいキース、他に誰も見てたやつがいねーからって都合いいこと言ってんじゃねえのか」
    「俺はちゃんと見てたよ。お前は、シャワーは後にするって残ったディノに使用時間に気をつけろって言って出てった」
     その会話に覚えがあったのか、キースの言葉に今度は相手が目を見開く。その反応が何よりも真実を物語るものに違いはなく、当事者同士しか知らない事実を挙げたことでいよいよキースの証言は確かなものとして認識されつつあった。何とかなりそうだ、思わずキースがほっと胸を撫でおろしたその時だった。
    「ちょっと待て」
     その時、背後から響いた冷たい声に、思わずキースの身が竦んだ。現れたのは、あの副寮長だった。騒ぎになっていたせいで誰かが呼んできたようだった。
    「黙って見てれば……おい、ちょっと単純すぎやしないか。それでもお前ら、ヒーロー志望のアカデミー生か?」
     眼鏡のフレームを押し上げながら、副寮長は苛立たしげに口を開いた。三度、困惑の空気が広がっていく。
    「そいつが一部始終を見ていた。当人らしか知らないはずの会話を聞いていたことからもそれは間違いないだろう。だがな、それが仕組まれたものだったらどうだ?」
     収まったかのように見えた場の空気が混沌としていくのをキースは肌で感じていた。副寮長の言葉の意味を測りかねた者たちが再びざわめきだす。
    「真実を話していても、それが偶然でないなら話は違ってくるよな。そいつとディノがグルだったらどうだ?」
    「そんな――」
     声を上げたディノの顔は、みるみる青ざめていった。恐れていたことが起こってしまった、とキースは唇を噛む。その点を指摘されるリスクが頭をよぎらなかったわけではないが、これ以上躊躇している余裕はなかった。違和感のないように上手く発言を取り繕う余裕がなかった。
     二人の様子を見て、勝ち誇ったように副寮長は尚も淡々と続ける。
    「なぜそこにいたのに、他の者はお前を見かけていないんだ? そんなに長い時間、声もかけずに突っ立って何をしていた?」
     いくつもの視線が容赦なく刺さってくる。先程までの単純な注目ではなく、それは明確に疑いの念を含んだものだった。覚えのある、しかし耐え難い不快感を催すそれに、キースの胸元まで吐き気がせりあがってくる。副寮長の発言はもっともで、しかもキースはそれに対抗する論を持たなかった。キース以外の誰にも、キースがそこに居合わせて覗いていた意味を推し量ることは不可能だった。
    「盗みを働くなら、いつ誰が来るかわからないような場所は危険だ。だが、見張り役がいれば? 共犯者がいるなら不自然な話ではない」
     副寮長は、そこで一旦言葉を切って周囲を見回した。キースに視線が集まったのを確認し唇を歪ませると、もったいぶったように再び口を開いた。
    「そもそも、そこにいるキース・マックスは普段こんなことに口を挟むやつか?」
     その一言に場は恐ろしいほど静まり返る。沈黙は肯定以外の何ものでもなかった。
     金のためなら、犯罪じみたことも平気でする。集団生活に馴染もうとすらしない、アカデミーの鼻つまみ者。それが、キース・マックスの評価のすべてだった。
     キースはもう、欠片も動くことができなかった。自分の身体は自分のものでないようで、全身に絡みつく視線は呪いの鎖のごとくキースの動きを縛っていた。絶対絶命。そんな言葉が頭をよぎる。自分はどうだっていい、けれども――
    「副寮長、発言していいだろうか」
     凛とした声が沈黙を破った。キースへ向いていた視線が一斉に引き寄せられる。人ごみをかきわけて中心に立ったのは、ブラッドだった。
     視線を集める彼は、不信感と嫌悪感が蔓延る空気など物ともしないような堂々とした仕草で、ディノをかばうように立った。もう寝る直前だったのだろうか、いつものセットされた髪型でなく服装もラフな部屋着だったが、そんなことに問題が全く感じられない程に、堂々とした振舞だった。
    「ブラッド・ビームスか……発言を許可する。なんだ?」
     不機嫌さを隠そうともしない声で、副寮長は応えた。ブラッドはそれに全く構わず、感謝する旨を述べて、口を開いた。
    「先程、貴方はキースの証言は仕組まれたものだと言ったな。ディノとキースは共犯で、だからキースはディノをかばったのだと」
    「そうだ。何もおかしいところはないだろう? 現にこいつらはここ最近急によくつるむようになった。それに……お前らは知らないかもしれないがな、ディノと、そこにいるキース・マックスは、金銭トラブルを起こしてたんだよ。ディノは一方的に金を巻き上げられてたんだ」
     物騒な単語にザワリとどよめきが広がった。キースは心の中で舌打ちした。直接的でないにしろ、この副寮長には金のやりとりを何度か見られている。やはり迂闊だった。事実はどうあれ、ディノとキースの間には金銭のやりとりがあったことには違いないのだから。
    「言いなりになって金を払っていたものの、金が底をついて今度は脅されて盗みを働くようになった。自然な流れじゃないか?」
    「! ――テメェ」
     キースの頭に瞬時に血が上る。
     友だち契約を一方的に打ち切るまで、ディノはキースと一緒にいることを特別隠したりすることはなかったから、二人が友人関係にあることは周知の事実だ。そのせいで陰でディノが悪く言われることももちろんあったが、こんな風に公然と侮辱されたことに対して怒りが沸いた。
    「キース、落ち着け」
     ブラッドの張りのある声は、副寮長の方を向いて今にも掴みかかりそうになっているキースを制した。黙っていろ、と言わんばかりのブラッドの有無を言わさぬ視線を受けて、キースは渋々己を律した。ブラッドはディノを詰問していた学生に向き直る。
    「現金を封筒で持ち歩いていたのは何故だ? 恒常的にある行動なのか?」
    「えっ、その……明日食堂の回数券を買おうと思って、昼間下ろしたんだよ。テキストとか課題を鞄から出した時に、一緒に出しちまったみたいで」
    「つまり、今日現金をおろしたのも、持ち歩いていたのもたまたまと言うことだな」
     ブラッドは殊更強い口調で尋ねたわけでもなかったが、答えた側は明らかに怯んでいた。
    「偶然が重なりすぎている。そもそもが狙って盗むのは相当難しいはずだ」
     そんなもの、と副寮長は吐き捨てた。
    「二人で組んでやっているんだ。チャンスがあればいくらでも手を出せるだろう」
     副寮長の反論に、今度はブラッドがそうだ、と続けた。
    「片方が盗み、もう片方が見張りと証言役を兼ねる……たしかに、それならある程度リスクを冒しても盗むかもしれない。しかし、ディノが疑われているというこの状況が既におかしい。二人組になるメリットは疑われるリスクを少しでも減らすことだろう。本当に疑いが向かないように気を配るなら、こんな風に疑われやすい状況で事を起こすことがそもそも妙ではないか?」
     ブラッドの発言に、その場は水を打ったように静かになった。
    「複数人がここで過ごしていて、ディノ一人が大した理由もなく残って、そこに置き忘れた現金がなくなる。ディノの行動は自分を疑ってくださいと言っているようなものだ。おまけにキースの証言はあまりにも一方的にディノに都合が良すぎる上に、自身の行動が不自然すぎる。さっき貴方が言ったように、共犯だと疑われても言い逃れる術がない」
     全く乱れていない呼吸を整えるように、ブラッドはそこで一拍置いた。
    「本当にキースがディノと共犯なら、『ディノが一人になった後、自分もすぐここに来たがテーブルの上には何もなかったし、ディノも何かを隠しているような素振りはなかった』とでも言う方がよっぽど自然だと思わないか? この二人の行動は、窃盗事件の犯人としてはことごとく不自然が過ぎると思うのだが」
     ブラッドの弁説は、まるで立板に水が流れるかのように鮮やかだった。背後のディノ呆気に取られてブラッドを見つめていた。詰問していた学生も、その傍らの学生達も似たり寄ったりの反応だった。ブラッドは、明確にこの場の支配者だった。
    「……まあ、お前の言うことには一理あるな」
     だが、と副寮長は続けた。
    「お前の推論は全てこいつらがやっていないという前提ありきだ。現時点で一番容疑者として怪しいのは違いないだろう? お優しいのは結構だが、俺達はいずれヒーローになったらサブスタンスを悪用するような狡猾な犯罪者とも戦わないといけないんだ。そんなことでは先が思いやられるな」
    ――ここまでだ。
     キースは唇を噛んだ。ブラッドに制されてからずっと、黙って周囲の反応を見守っていたが確信した。このやりとりは、ブラッドに圧倒的に不利だ。副寮長が口を挟みはじめた時点での、ディノとキースを弾劾するかのような雰囲気こそだいぶ覆ったものの、指摘された通りブラッドの説はあまりにキースとディノが白だという前提に寄りすぎている。加えて相手は上級生で、副寮長だ。寮のような閉鎖的な縦社会で、僅かな年の差、肩書がどれだけ発言力に影響するのかは経験上キースは身にしみてわかっていた。事実、ブラッドは眉間に皺を寄せて黙りこくってしまっている。
     副寮長の決めつけは不愉快甚だしいものだったが、考えてみればキース一人が泥をかぶれば済む話だ。ディノは否定するだろうが、金はキースが指示して盗らせたものだとキース自ら認めれば、少なくとも一方的に窃盗犯に仕立て上げられるよりはマシだろう。もちろん、そんな顛末を迎えた暁にはキースはここにいられないだろうが。
     もういい、キースがそう口を開こうとした時だった。
    「なぜいけないんだ」
     ブラッドの声が静かに響いた。まるで、独り言のようだった。
    「なぜ二人が犯人でないという前提から入ってはいけない? 俺は最初から不思議だった。なぜ、貴方ははなから二人がやったに違いないと決めつけてかかるんだ。確かにキースとディノの行動に不審な部分が多いのは事実だ。しかし、こんな風に大勢の前で槍玉にあげるなど私刑も同然ではないか?」
     淡々と話す声にはしかし、無視できない力強さがあった。キースはもちろん、ディノも、周囲の学生も、副寮長も、その場の誰もがじっとブラッドの発言に聞き入っていた。
    「ヒーローの仕事は人を裁くことではない。ましてや、ここにいる者は何らかの志を持ってヒーローを目指してここに来たはずだ。そんな大切な仲間を、犯罪者と同列に扱うのはいかがなものか」
     長い沈黙の後、最初に口を開いたのは、その場の誰だったろうか。
     そうだよな、と言う声がどこからともなく漏れ出た。
    「なあ、やっぱり勘違いかもしれないだろ。もう一度よく探してみよう」
     糾弾していた学生の傍にいた少年が声を上げた。連れ立って談話スペースを出て行った者の一人だった。
    「そうだよな、少なくともこんな風に疑ってかかるのはよくない」
     その声につられるように、別の声が上がった。場の空気が和らぐ。明らかに風向きが変わった。それを感じて緊張が解けたのか、ディノがほっと眉間を開いたのが見てとれた。
     ディノを一方的に責め立てていた学生は、罪悪感からかひどくバツの悪そうな顔をしていた。無理もない。元々、声の大きいところはあるが年相応に素直な性格の少年だ。騒ぎが大きくなり引っ込みがつかなくなった部分も大きいのだろう。傍にいる学生に促され、彼はディノに謝罪した。ディノはそれを受けていいよ、とあっさりと相手を許す。なくしたと思って、パニックになっちゃったんだよな。大丈夫、わかってもらえたなら、俺は平気だから。そう言って笑うディノは、もういつもの顔だった。
    「俺も一緒に探すから。移動した場所を一つずつ見てみよう」
     あれだけ一方的に攻撃されて自分から声をかけるディノの器の大きさには恐れ入るが、おそらく相手の気まずさを軽くしてやろうという気遣いなのだろう。ディノはそういう奴だった。
     ぼんやりとその様子を遠目から眺めていると、ブラッドが人混みを抜けてこちらへ歩いてきた。キースが思わず身構えると、彼はキースの目の前を通り過ぎて背後の背後の副寮長へ話しかけた。
    「すまない。俺たちが至らぬせいで貴方に無駄に手間取らせてしまった」
    「……もういい、好きにしろ。ただし、見つからなかったらきちんと報告しろよ」
    「承知した」
     二人の穏やかなやりとりを耳にしながら、キースはのろのろと歩き出した。人の輪を抜けて、素早くその場を後にする。一刻も早く一人になりたかった。
    「キース」
     自分の横を通りぬけた姿を目に留めたディノが声をかけてきたが、キースはそれを意図的に無視した。足取りは次第に速くなって、逃げるように廊下を進んだ。階段を一段飛ばしで降り、最後の方はもう全速力で玄関のドアを開けた。
     外に出て、真っ暗な敷地内を走って、息が切れて何が何だかわからなくなったところでようやくキースは足を止めた。無我夢中でぐちゃぐちゃに走ってたどり着いたそこは、いつか三人でサンドウィッチを頬張った中庭だった。



     真っ暗闇の中で深く息を吐き出すと、緊張で冷え切っていた指先がようやく温まってきた。一人になって安堵と同時に湧いてきたのは情けなさで、どうしようもない無力感に思わずキースは目を瞑った。
     何もできなかった。
     ディノを助けるどころか、逆に窮地へ追い込むところだった。ブラッドが助けに入らなければ、間違いなくディノは、キースは、部屋中を引っ掻き回されて犯人扱いされていただろう。そもそもブラッドの助け舟だって弁舌こそ巧みだったが、あのブラッド本人の謎の説得力がなければ明らかに空気を覆すことは難しかった。それくらい、キースの行動は客観的に見て不審で説得力を持たなかった。
     自分が思っていた以上に、自分に信用がなかったことが身に堪えた。
     それが自身のみならず、自分の大切な人にまで累を及ぼす羽目に陥ったことが、どうしようもなく悔しかった。
    ――友だちや周りの人を大切にしろ。
     ディノを見捨てるのは簡単だった。けれど、キースは無視できなかったのだ。あの時、戸惑い怯えて誰かに助けを求めるディノを。もしかしたらキースが口を挟まなくても、ブラッドが上手くやって事なきを得たかもしれないが、それでもキースは同じ場面に遭遇したら何度だって同じ選択をするだろうと思えた。もう友だちでなくたって、かつて掛け値なしに自分を信じてくれて、危険を冒して助けてくれた相手を見捨てることなどできなかった。
    「キース……」
     追いかけて来たらしいディノの控えめな声が聞こえた。うんざりして息を吐き出す。
    「……なんだよ。こっち来んな」
    「でも」
    「お前の顔なんか見たくないんだよ」
     声が震える。暗がりでよかった。顔を背けているから、きっとディノはこちらの様子を伺い知ることはできないだろう。そう思っていたのに。
    「キース、泣いてるのか……?」
     もういい加減、楽になりたかった。
     ディノといると面倒なことばかりだ。騒がしくて忙しなくて、その度に笑ったり慌てたり怒ったりして疲れる。目が離せなくて、鬱陶しいと思うのに離れがたくて、気づかないで欲しいことに限ってめざといし、放っておいて欲しいのに一人にしてくれない。ディノのことを忘れたら、一緒に過ごした思い出ごとなんの未練もなく手放せたら、きっと楽になれる。それはわかっているのに、自分からあんな風に突き放しておいて、結局のところキースの心はどうやったってディノから離れることを望みはしないのだ。
    「あの……助けてくれてありがとう。俺、」
    「やめろ。お前のこと助けようなんてしてねぇよ」
    「でも、キースがあの時言ってくれなかったら」
    「オレは何もしてない!」
     思わず大きな声が出て、キースはまた自己嫌悪に陥った。ああ嫌だ。なぜこんな風に、相手を傷つけてしまうとわかっていながら、恫喝するような強い口調でしか話せないのだろう。自分が心底嫌っているはずのロクデナシの血が流れていることを否が応でも実感させられて絶望的な気分になった。
    「オレは何もできなかった。それどころか、下手に口出ししたせいで余計に疑われるようになって、それで、お前まで他のヤツらに同類みたいに見られて……わかってんのか、おい。下手したら退寮どころじゃすまなかったかもしれないんだぞ。それもこれも、オレみたいなヤツと関わったせいで」
    「キース」
    「もう友だちじゃないって言っただろ。ああクソ、なんでオレに構うんだよ。お前はこんなどうしようもないクズと一緒にいたらダメなんだよ。なんで、なんでわかってくれねえんだ、どっか行けよ、いっちまえ……!」
    「キース!」
     ぐい、と引き寄せられた。
    「キースは俺の友だちだよ」
     温かい温度。背後に迫ったディノに抱き締められている。
    「う、やめろよ……ひっ、お前なんか、ともだちじゃない……うぅ」
    「誰がなんて言おうと、キースは俺のこと助けてくれたヒーローだよ。ありがとう。本当に嬉しかった」
    「ちが、ちがう、くっ、ぐ……ふ、やめろ、離せ……」
     嗚咽を漏らしながらしかし、それでもこちらを押し除けようとするキースに、ディノは必死で抗った。キースの衝動的な抵抗すら包み込むように、頑として離そうとしなかった。次第にキースの腕から力が抜けていく。ついにはされるがままになって、正面から向き合う形でディノの腕がキースの背に回った。
    「大丈夫。誰も見てないよ」
     穏やかな声に、堰き止められていた水があふれるように止めどなく涙が頬を伝った。
    「う、うう……うぁ……!」
    子供のようにしゃくりあげて泣くキースを、ディノは何も言わずずっと抱き締めていた。涙を流す度に、泥水のように濁りきった心が澄んでいく。伴う痛みが、苦しさが、キースの心を優しく洗い流すようだった。
     やがて、ズビ、と鼻を鳴らすとキースは口を開いた。
    「ずっと、あやまりたかった」
    「うん」
    「ひどいこと、いっぱい言ってわるかった。ディノは、お前は、いつもオレにやさしくしてくれたのに」
    「うん」
    「お前に、置いていかれるのがこわくて」
    「……何があっても俺はキースの味方だよ。一人にしたりしない」
     拙い謝罪と、何の根拠もない言葉だ。しかし、自身の思いをやっと素直に吐き出したキースは胸の支えがとれたように落ち着いた気分だった。
     いつしか二人は寒空の下抱き合っていた。ディノの息遣いが、体温が、すぐ近くにあることが何よりもキースの心を安堵させた。吐き出す白い息が微かに立ち上っては霞のように消えるが、寄せ合ったこの身は消えずにたしかにそこにあった。満ち足りた思いで少し低いところにあるディノの頭に顔を寄せれば、「くすぐったいよ」とディノは少し笑うようにささやいて、けれどもキースから離れようとしなかった。
     どれくらいそうしていただろうか。やがて、建物の影から微かな灯りが現れた。人工的なそれは、ふらふらとさまよいながら、キース達へ近づいてくる。
    「……こんなところにいたのか」
     灯りを持って現れたのは、ブラッドだった。屋外を含めて方々を探し回っていたのか、鼻の頭が若干赤かった。
    「ブラッド……」
     ブラッドは、抱擁を解いて並んで立つ二人を見ても何も言わなかった。
    「筒が見つかったぞ。中身も無事だ」
    「えっ⁉︎ あっ俺、一緒に探そうって言ったのに……どこにあったんだ?」
    「談話スペースのマガジンラックの中だ。雑誌と雑誌の間に挟まっていた。置き忘れていたのを気づかれないまま一緒に片付けられたんだろう」
    「あっ」
     ブラッドの言葉に、いかにも心当たりがあるといったようにディノが声を上げた。ディノと、一緒に部屋をでた女性が片付けたものに違いなかった。つまり、正真正銘事件ではなく不注意と不慮の事故だったというわけだ。
    「結局オレは余計な口出ししただけってことか……」
    「そんなことはない」
     即座に否定をしたのは、驚いたことにディノではなくブラッドだった。その表情は、いつもの仏頂面だったが、不思議と今まで感じていたような腹立たしさはなかった。
     言うべきことと、言わなくていいこと。キースの中で様々な感情がないまぜになる。思えば、ブラッドと話す時はディノが間に入っていることばかりで、キース自身は正面からきちんと向き合ったことがあっただろうか。
    「何でオレのこと、助けてくれたんだ?」
     口をついて出たのは、シンプルな疑問だった。
    「トラブルが起こっていたから仲裁に入っただけだ。礼を言われる筋合いはない」
    「それでもあんな、情に訴えかけるような言い方つーか……お前にしては珍しいだろ。オレのこと、同じヒーロー志望の仲間みたいな言い方して」
    「事実だろう。理論的に訴えるよりも、あの時はああ言う方が効果的だと考えた」
     珍しいことに、ディノは黙って二人のやりとりを聞いていた。キースのブラッドに対する口調や態度がこれまでになく穏やかだったので、見守ってみようという気になったのかもしれない。会話は途切れ、そこからしばらく沈黙が続いた。けれどもそれは相手の出方を探り合う嫌な緊張状態ではなく、お互い言葉を探している、そんな時間だった。
    「……お前が」
     口火を切ったのはブラッドだった。さっきの皆の前での淀みない話し方とはうって変わって、彼にしては滅多にないことだが、言葉尻を濁すような喋り方だった。
    「ディノもそうだが、お前が、助けて欲しいという顔をしていたから」
     思いもよらない言葉に、キースは目を見開いた。
    「え、オレ、冷酷無慈悲のブラッド・ビームスに同情される程情けない顔してたか?」
    「誰が冷酷無慈悲だ。茶化すな」
    「いやでも……正直助かった。情けない話だけど、オレの話ってだけで耳を貸す価値も無いみたいな扱いされちまったからな」
     それは、自嘲も卑下もない、フラットな自己評価だった。自分がこのアカデミーの集団生活の中で浮いているという自覚はあったが、実状はそれ以上だったということが可視化され、思い知らされたのだった。
    「お前が前に言ったこと、今なら少しだけわかったよ。日頃の行いっての? こういう時に、影響してくんだなってさ」
    「…………」
     少しはオレもお前を見習うとするかな、と付け加えれば、ブラッドはしばらくそのまま黙っていた。かと思うと、しばらくしてからおもむろに真剣な顔でこちらへ向き直った。ゆっくりと口を開く。
    「キース。お前には目標が必要だ」
    「は? 何だ急に」
     それはひどく唐突な申し出だった。キースは思わずぽかんと口を開く。そんな様子に構わず、ブラッドは続けた。
    「これまでそんなことを考える余裕はなかったかもしれないが、人は本来目標を決めて、なりたい自分になれるよう日々努力するべきだ。損得勘定抜きに物事に真剣に向き合う姿勢こそ他人は見ている。……それがそのままお前の評価にも繋がるだろう。望むなら俺が手を貸してやる」」
     ブラッドの言わんとしていることは、おぼろげながらもキースにもわかった。つまり、研鑽を積んで信用される人間になれ、と言いたいのだろう。
    「今の環境なら、自身を高める為の手助けになるものがいくらでもあるだろう。このままアカデミーに残るなら、ヒーローになるならないは一旦置いておいて、考えろ。――お前は、どうなりたい?」
     あまりにも唐突な問いだったが、ブラッドが決して同情や冗談で言っている訳ではないと言うことはその目を見ればわかった。そう、偉そうだとか、お高く止まっているとか言われがちだが、ブラッドはいつだって誰よりも真っ直ぐに正道を行く、それだけの話なのだ。
    「オレは……」
     こうしなくてはならない、ではなくて、こうしたい、なんて考えたこともなかった。
     ぼんやりと見上げた冬の空は冷気のせいか、星の輝きが冴え渡るようだった。心なしか、いつもバイト帰りに見上げるイエローウエストの夜空よりも更によく見える。そうだ、あの夜もこんな風に星がよく見えた。そんなことを考えていたら、自然と口が開いた。
    「オレは、やっぱりヒーローになりたい。信じてくれる人に恥じないように、困ってる奴がいたらちゃんと守れるように、強くなりたい……」
     吐き出された言葉は、白い吐息と一緒にふわりと立ち上って、夜の空気に儚く消えた。頼りげのない、何の確証も保証もない言葉。けれど、それでいいのだと思えた。先の話は、何もかもが未確定なのだから。
     キースの手が温かいものに触れる。隣から伸びてきたディノ手が、キースのそれを優しく包んだのだった。正面に立つブラッドは表情を崩して、何か優しいものを見るような目をした。



     次の日の放課後、食堂のテーブルにキースとディノを並べて座らせ、向かいに座ったブラッドは、簡潔にのべた。
    「特待生を狙え」
     同時に、一冊の薄い冊子を差し出す。
    「あのな特待生……って、無理だろ。自慢じゃねーけど、オレはお前と違ってお勉強は得意じゃねえし、とても特待生って柄じゃないだろ」
     面食らったキースの反論に構わず、ブラッドは冊子を開くよう促してくる。パラパラとめくってはみたが、中身は細かい文字ばかりでキースには内容がイマイチ把握できなかった。
    「狙うのはこっちだ」
     キースがあるページにたどり着いた時、ブラッドは途中の一箇所をトントンと指で示して見せた。
    「実技特待生……?」
     隣から冊子を覗き込んでいだディノがつぶやいた言葉が思わずハモる。
    「そうだ。正確には、準特待生実技枠。ヒーローには身体能力の高さは必須条件だからな、そこが特に秀でた者は優遇措置を受けられるということだ。特待生は全額授業料が無料だが、準特待生は半額になる。破格の待遇のはずだ」
    「半額」
     なぜかキース本人よりもディノの方が驚き、思わず椅子から立ち上がっていた。声が大きい、とたしなめるようにブラッドに見つめられ、ディノはごめん、と子供のように小さな声で謝って着席した。
    「どうだ?」
    「どうだ、って……そりゃ、話が本当なら願ったりかなったりだけどよ、そんな簡単になれるモンでもないんだろ?」
    「そうだな。実技というだけあって、これは実技試験がある。加えて、直前の学期末の試験ももちろんそれなりの点数以上でないとお話にならない。貴様は元々身体能力はそれなりに高いようだが、もちろん訓練して備えなければならないだろうし、座学の方も努力する必要があるだろうな」
    「…………」
    「だが、何事もやってみないことには結果はでない。どうだ」
     なんとなく、ここでやるとキースが答えれば「手を貸してやる」という昨日の言葉通り、きっとブラッドはとことんキースの面倒を見てくれるのだろう、という気はした。いいのだろうか。
     昨夜の一件の後、ディノと揃って何もかも洗いざらいぶちまけてから、一日も経たないうちにこれを探し出してきたブラッドの手腕に舌を巻くと同時に、何とも言えない申し訳なさのようなものが沸いてくる。多忙だろうに、キースの為にどれくらいの時間を割いてくれたのだろうか。これ以上自分のせいで他人の時間を奪うことへの罪悪感。同時に、そこまで手を煩わせて期待に応えられなかったら、という恐れがにわかに湧き上がってくる。
    「どうした。そこまでの根性はないのか?」
     黙りこくって応えないキースにブラッドが静かに声をかけてくる。
    「キース、何か迷ってるなら正直に話してみてよ」
     こちらを煽るようなブラッドの物言いには少々カチンときたが、心配そうにこちらを覗き込むディノに促され、渋々キースは口を開いた。自分の心情を、しかも弱い部分を素直に他人にさらけ出すのは不安で、落ち着かない気分になる。けれども、ここま真剣に向き合われてこの二人に下手に隠し立てするのも薄情な気がした。
    「……そんなことか」
     キースの話を聞いたブラッドは、心底くだらない、とでも言うようにため息をついた。
    「そんなこととはなんだよ、オレは真剣に」
    「その程度、俺にとっては些末なことだと言っている」
     尚も言い募ろうとしたキースの言葉を、ブラッドはピシャリと跳ねのけた。伏せられていたまぶたが上げられ、鮮烈なピンクがギラリとキースを射抜く。その眼光の鋭さに思わずキースは息を飲んだ。
    「貴様に付き合うのが時間の浪費だなんだという話は、今更だと言っているんだ。大体、他人に配慮している余裕は今の貴様にはないだろう。独学で勉強して、実技も学科も合格する見込みがあるのか? 今の申し出は無謀で非効率だと言っているんだ」
    「そうだよ、ブラッドの言う通りだぞ」
    「もっと他人を頼ることを覚えろ。それから利用できるものはなんでも使え。もちろん、法や倫理を逸脱しない範囲でだがな」
    「そうだそうだー!」
    「おいディノ。お前なんでさっきからブラッドの腰巾着みたいなことばっか言ってんだよ」
    「話を逸らすな」
     思わず苦し紛れに隣にいるディノにツッコんではみたものの、ディノには全く通じず首を傾げられ、正面のブラッドからには注意されてしまった。
    「わかったよ。やる。準特待生枠、とってやるよ」
    「やったー!」
     何が楽しいのか、大喜びで今にも駆け回りそうなディノと裏腹に、ブラッドはフンと鼻を鳴らした。いかにもつべこべ言わずに最初からそう言っていればいい、とでも言いたげな顔は癪に障らないでもなかったが、キースは改めて二人に向き合う。
    「お前らには色々迷惑かけると思うけど、頼む。協力してくれ」
     向かい合って、頭を下げる。人に頼るなら、最低限礼儀を尽くすべきだと思ったからだった。
    「キース、一緒に頑張ろうな!」
     顔を上げれば、満面の笑みのディノと、薄く微笑むブラッド。二人の笑顔を正面から受け止めるのがどうしても気恥ずかしくて、くすぐったかった。



     その日から、キースの猛勉強の日々が始まった。
     幸いここ最近はわりと真面目に授業には出席していたので、入学当初ほど内容に全くついていけないということはなかった。しかしそれもせいぜい赤点は回避できるだろうという程度だったので、ブラッド指導の元徹底的な日々の授業の予習復習が始まった。加えて、試験に向けた準備。どこから探し出してきたのか、ブラッドが持ってきた過去問題の束をキースはひたすら解いては見直し、苦手な部分は戻っては勉強し直し、を繰り返した。
    「いいか。丸暗記しようとするな。暗記はある程度科は必要だが、まず理屈を理解すれば負担は随分減る」
    「とにかく繰り返しやれ。反復だ。体に動きを覚えさせるように、頭に問題の解き方を覚えさせろ」
    「時間は有限だぞ。闇雲にやって勉強した気になるな。一度間違えたものは二度と間違えないという気概を持って集中して取り組め」
     ブラッドは能動的に取り組むノウハウを惜しみなく伝えたので、キースは勉強にも効果的なやり方があるのだということを初めて知った。これまで学ぶという行為は自分には縁のないものだとばかり思っていたが、一定ラインを超えるとやった分が確かに点数に反映されるようになっていったので、キースはいつの間にか次第に問題を解くのが楽しくなってきていた。
     一方、朝は寮の朝食の時間より早く起き出して、ランニングや筋トレをして基礎体力作りに取り組んだ。朝が苦手なキースの為に、ディノが毎朝目覚まし代わりに部屋を訪れて、そのまま一緒に運動に付き合ってくれた。早起きはしんどかったが、憂鬱で仕方なかった朝に、一番にディノの顔が見られるというのは密かに嬉しいことだった。時にはブラッドも交えて三人で早朝トレーニングに励んでいると、そのうち周囲の反応が変わってきた。
    「最近頑張ってるらしいじゃないか」
     教師にわからないところを質問しに行った時だった。ブラッドは不在で、ディノと一緒に復習をしていて、どうしてもわからない部分が出てきた。先生に直接聞きに行ったらどうかな? とディノが提案してきたのだった。教師がいる準備室をノックする時の緊張感と言ったらなかった。何か言われたら俺が出るから、とついてきたディノの存在が情けないがありがたかった。ドアを開いて、ノックの主がキースだと知った教師は意外そうな顔をしたが、質問しに来たと知ると、丁寧に教えてくれた。別の教師は、キースが実技特待生を目指していると知って、実技教官に口利きをしてくれて特別に時間を割いてもらえることになった。
    「俺も一緒に走ろうかな」
     朝のランニングを終えて戻ってきたキースとディノを見かけた寮長のぼやきを聞きつけたディノが、勝手に返事した。
    「大歓迎です!」
     一人、また一人といつの間にか、朝寮の周りを走る集団ができていた。気晴らし、元々体を動かすのが好きな者、体力作り。目的は様々だったが、一緒に過ごす時間が増えるにつれて何となく連帯感が生まれて、自然とキースはディノやブラッド以外とやりとりしたり軽口を叩く機会が増えていった。
     もちろんこれまで通りキースにいい顔をしない者もいたし、簡単に上手くいかないこともたくさんあった。けれども、挫けそうになってもすぐ傍に自分に応えてくれる存在がいる。その心強さたるや、これまでの人生で得た何物にも代え難い。心からそう思えた。
     こんなに充実した日々がこれまであっただろうか。目まぐるしくて、忙しくて、けれども疲れすら心地いい。本当はもっと、悲壮な覚悟で臨むべきものなのかもしれなかったが、信じられる仲間と共に走り抜けるこの毎日はどこまでもキラキラと眩しくて仕方なかった。通知の入った封筒を受け取ったその日のことを、キースはきっと一生忘れないだろう。



    「いやー……やっちまったわ。失敗失敗」 
     トボトボと、二人の元へ歩いてくるキースの姿を見てブラッドはあからさまに眉間に皺を寄せた。ディノも揃って信じられない、とでも言いたげな目を向けてくる。二人の期待を裏切ったという実感があった分、非難がましいそれに居心地の悪さを感じ、思わずキースは言い訳した。
    「いや、なんだよその目。ラスト三連続ストライクなんて無理に決まってんだろ!」
    「それにしてもガーターはないだろ! ガーターは! せっかくブラッドとここまで連続ストライク二週目まで来たのにー!」
     カコンカコン、とどこかの客が投げた球が、ストライクを出した軽快な音が響いた。
     キースが晴れて特待生に合格したお祝いに、三人はイエローウエストのボウリング場に来ていた。お祝いパーティーというとどうしてもピザパーティーになってしまうので、ちょうどダイナーの客にもらった半額券を使ってパァっと遊びに行こうということになったのだった。
    「大体お前らさ、祝う気あんの? オレの合格祝いだろうが」
    「むっ、キース。それは聞き捨てならないぞ。キースの合格ももちろんだけど、俺達三人の頑張りを称える慰労会にしようって話だっただろ」
     硬いベンチにドスンと腰を下ろしたキースに、不満げなディノが隣のブラッドを乗り越えて口を尖らせて抗議をしてくる。
    「俺はともかく、ブラッドは忙しい中協力してくれたんだから」
    「あーうん……そうだったな」
     キースの隣に座るブラッドは既にいつもの調子に戻り、感情の読めない顔をしていた。しかしなんとなくその表情はキースの言葉を待っているようにも見える。キースは観念すると、パンと膝を打って深々と頭を下げた。
    「あーえと……本当に世話になった。こうしていられるのも、ひとえにお前らの助けあってのことだと思ってる。ありがとな」
     恐る恐る頭を上げれば、満面の笑みでこちらを見つめるディノと、相変わらず眉一つ動かさないブラッドがいた。
    「改まって礼を言われるようなことではない。ああするのが一番効率がいいと思ったまでだ」
    「お前って、本当に人が下手に出ても可愛げの欠片もないのな」
     思わず口をついた悪態に、ディノがまあまあ、と間に入った。しばらくそうやっていつもの調子で三人で話していたが、やがてディノが飲み物を買ってくるというので、その場にはキースとブラッドの二人が取り残された。
     しばらく、二人の間にはなんの会話もなかった。最早少し会話が途切れたくらいで気まずいような関係でもなかったが、キースはあえて口を開いた。
    「あのさ……結局お前がオレを助けたのって、どういうわけなんだ?」
    「? さっきも言っただろう、お前が確実に合格するには、ああするのが一番いいと思ったからで」
    「いや、それは聞いた上で訊いてるんだって。そもそもお前個人がオレにこんなに肩入れする理由はなんだって訊いてんの」
     試験勉強の指導だけでなく、ブラッドはディノと交代でキースの代わりにダイナーのバイトにまで入っていたのだ。面倒見がいいだとか、効率云々の話を越えている。
     キースの問いに、ブラッドは一瞬面食らったような顔をしていたが、少し考え込むような素振りをして、おもむろに口を開いた。
    「そうだな……」
     ボウリング場の喧騒をBGMにブラッドは淡々と話し出した。
    「俺の家は代々政府の高官を勤めていてな。俺の父も外交官で、自然と俺も幼い頃から会食だパーティーだのと連れ歩かれた。両親は、家庭教師を通じて俺にマナーや色々な決まり事を教え込んだが……口をすっぱくして言われたのは、感情を軽々に表に出すなということだった」
     コイツ、マジモンのいいとこのボンボンかよ、と思わずキースはブラッドの横顔をガン見した。キースの視線に気づいているのかいないのか、ブラッドは話を続けた。
    「別に、無表情無感情でいることを強いられたわけではない。行儀よくしていろと言われただけの話だ。両親の立場を考えれば当然のことだ。聞き分けのない子供は大人の世界には連れてはいけないからな」
     話しながら、ブラッドはどこか遠い目をしていた。
    「最初のうちは難しくはあったが、何度かこなしているうちに慣れた。俺が言いつけを守れば両親もいい顔をしていたし、そのうち弟も産まれたからな。自然と、歳の離れた兄としてしっかりしなければと感情に任せた振る舞いをすることが減った。何より、俺自身が効率的で都合がいいと思った。気心の知れない相手に感情をむき出しにして良いことなどないと学んでいたからな」
     なるほど、とキースは納得した。ブラッドのこれは、彼なりの処世術、世渡りの為に身につけた手段なのだとわかると、そのブレのなさにも合点がいこうというものだった。作り上げられた完璧は、最早染み付いて彼の地になってしまったものなのだった。
    「成長すると、同年代の子供達も似たり寄ったりになった。他人の顔色をうかがって、自分を隠して他者と交流する。当然だな。そうやって、ある程度は自分を抑えないと社会には溶け込めないのだから。だから、ディノと初めて話した時は驚いた」
     そこで、ようやくブラッドはキースの方を向いた。整った顔を前にしても、キースは以前ほどは感情をかき乱されることなく向き合えるようになった。
     ふと、ブラッドの表情の起伏の少なさは向かい合った者の感情を映す鏡のような作用をもたらすのかもしれない、等と考える。
    「あんなに素直に自分の感情をさらけだして、しかも他者を気遣う心を持ち合わせているような奴は初めて見た。ディノには、不思議なパワーがあると思った。少なくとも、俺には無いものを持っている」
     ブラッドの話は、キースにも覚えがあるものだった。自分には持ちえないものをもち、それでいて、キースに寄り添ってくれたディノ。だからこそ、キースはディノに惹かれたのだから。
    「ディノは、きっと俺と貴様は仲良くなれると言っていた。お前が俺のことをよく思っていなかったのは、なんとなく気づいていたが……」
    「やめろやめろ。今更蒸し返すな」
     ディノにもだが、ブラッド相手にも散々子供のように癇癪を起こしたり挑発的な言動をとってしまっていたことが、今となっては恥ずかしい。いたたまれなくなってわしわしと頭をかくキースに構わず、ブラッドは続けた。
    「ディノとお前と、三人で過ごすのは楽しかった。貴様がいなくなるのもディノがそれで悲しむ顔も見たくなかった。お前に協力した理由はそれだけだな」
    「お前さあ……」
     思わず、キースはブラッドの顔をまじまじと見た。結局のところ、ブラッドも自分も、方向性は違えどストレートな愛情表現ができない不器用さを持ちあわせた者同士なのだと思い知らされただけだった。
    「お待たせー!」
     その時、ディノが飲み物の乗ったトレーを持って戻ってきた。ちゃっかりピザも調達してくる辺り抜け目ない。
    「何の話してたんだ?」
     早速ピザにかじりつきながら二人の間に入ろうとするディノの無邪気な笑顔に、キースはコーラをすすりながら答えた。
    「くだらないことだよ。ラブアンドピース星人にはかなわねぇって話」



     久しぶりに実家に顔を出すというブラッドと途中で別れて、キースとディノは寮へ戻る為にモノレールに揺られていた。
    「なあ、キース。もう少し時間あるか? 少し寄り道していかない?」
    「いいけど……ピザはごめんだぞ」
    「違うって! すぐ済むから、付き合ってよ」
     どこへ行こうというのか。時間はあるが、目的地は見当もつかない。

     ブラッドに全てを打ち明けてから程なくして、キースはディノから受け取った友だち料を全て返還し、あの契約書を破棄した。
     ルーズリーフに書かれた、契約書というのも大仰な他愛もない約束。けれど、ディノとキースの関係を保証するたしかな証であるそれを破ろうとしたその時、ほんの少しだけキースの胸には痛みがはしった。けれど、信頼関係をもう疑わないと決めた二人にはもう不要なものなのだ。
     こうして、歪で不思議な友だち関係は、終了した。
     ところでキースはディノの金の出処に着いてずっと気になっていたのだが、ふとした拍子に、ディノに聞いたことがあった。
    「お前ん家ってすごい田舎っていうけどさ、実は金持ちなんじゃないの?」
     ディノの祖父母へのクリスマスプレゼントを選んでいた時のことだった。ディノが手にとったのは、鮮やかな柄のふかふかのブランケットで、手触りのいいそれはたしかに素敵な代物だったが、都会で選んだ資産家の老夫婦への贈り物としてはいささか庶民的過ぎるのではないか。そう思ったのだ。
    「お金持ち? なんで?」
     キースの質問にキョトンとした顔でディノは首を傾げた。
    「え、金持ちだろ。赤の他人のオレにポンとあんな大金出せるほど小遣いもらってんだから」
     ディノが提示した友だち料は、毎週の都度払いとはいえとてもはした金とは言えなかった。なので、キースは実家の祖父母からさぞかしたんまり仕送りしてもらっているものと思い込んでいたのだ。キースの答えを聞いたディノは、ああ……と合点がいったようだった。
    「あれはたしかに俺のお小遣いから出したお金だけど……そんなにお金もらってるわけじゃないよ。俺の実家、すごい田舎だからお小遣い貰っても遊んだりするところがないから、あんまり使い道がなくて。そのうちアカデミーに出ることは決まってたから結構長いこと貯金してたんだ」
     思わぬ答えに、今度はキースの方が面食らった。
    「あと、俺がヒーローになる為に勉強することを応援してくれてる人達がいて。毎年生活費とか貰ってたみたいなんだけど、おばあちゃんがそこから少しずつ積立してたみたい。都会暮らしは入り用だからって入学する時に貰ったんだ。でもうちは多分貧乏じゃないと思うけど、すごいお金持ちかって言うと違うと思うなぁ」
    「お前さぁ……」
     ケロッとした顔で言い放つディノに、キースは呆れた。
    「そんな大事な金、ポンと人にやるなよ。ガキの小遣いとばあさんのなけなしの貯金搾取してたと思うと気分悪いだろ」
    「え、何搾取って! いいだろ、俺のお金を何に使うかは俺の勝手じゃん!」
    「いや、まあそうなんだけど……」
     たしかにそれはそうなのだが、使い道が同級生に払う友だち料とかいうイカれたものなのはさすがにどうなのだろうか。
    「いいじゃん、俺はキースにアカデミーからいなくなってほしくなかったし、結果的にキースは助かったんだし。win-winってやつだろ?」
     なんとも言えない気分のキースだったが、にひ、と笑った顔にまあいいか、と考え直す。ディノが手段を選ばず、キースの助けになりたいと思ってくれた気持ちは嬉しく、たしかにありがたいものに違いはなかったからだ。



     ディノに促され降り立ったのは、セントラルのとある駅だった。クリスマスシーズンの街は華やかに飾り付けられ、行き交う人々の姿もどこか浮足だっているように感じられる。普段あまり立ち寄らない場所にキースは目移りしながらも、先導するディノになんとか着いていく。
    (デート……とは言えねえよなぁ)
     キースのことは気にしつつも、足取りも軽くずんずんと先に進んで行くディノの後ろ姿を眺めながら、ぼんやりと考える。結局、ディノにキスしたあの日のことはなんとなく有耶無耶になってしまっている。キースとしても殊更話題にしたいことでもないので、話をふってこないディノに甘えてそのままにしていた。
    ――ディノに告白しないのか。
     脳裏に、ついさっきのブラッドとの会話がよみがえる。
    ――そんなこと言える立場じゃねえよ。
     ディノを想う気持ちを捨てたわけでもないし諦めたわけでもないが、当分は今の関係でいいと思っている。もちろん自分と同じ気持ちでいてくれたら嬉しいけれども、友だちという立場で今は充分なのだ。少なくとも、ヒーローになるディノの隣に立つことに恥じないような人間になるまでは。
    「キース、見て!」
     目的地に着いたディノは、キースの方を振り返った。寒さで鼻の頭が赤くなっている。
    「お、おお……なんだこりゃ?」
     到着した先は、大きな陸橋の上だった。すぐ傍の何かの工事現場が近くに広がっている。
    「あそこ! 【HELIOS】の本部を建設してるんだ」
    「本部?」
    「今はサブスタンスの研究所とかヒーロー達の訓練所とか色々バラバラだけど、でっかいタワーができて、ここにぜーんぶ入るんだって」
    「へぇ……」
     それはさぞかし大規模な物になるに違いない。キースには想像もつかなかったが、タワーと言うからにはさぞ高層の建造物になるのだろう。ニューミリオン中見渡せちゃうかもしれないな、というディノに大袈裟だろと返すが、既に出来上がっている部分はそれだけでもかなりの高さがあった。あながち不可能でもないかもしれない、と思いなおす。
    「俺達がヒーローになる頃には、完成してるかな?」
     いずれニューミリオンにそびえる摩天楼の土台を見るディノの目はキラキラしていた。まるでディノ自身の未来にワクワクしているようだ、とキースは思った。その顔に、あの夜路地裏で見た憂いの感情は微塵も感じられない。
    「間に合うかはわかんねーけど、ヒーローになれたらそのうちいつか来れんだろ」
     キースの声にそうだな、と返したディノがにひ、と笑う。希望に満ちた笑顔だった。その笑顔をいつまでも隣で見ていたい。キースはそう思いながら、帰ろう、と伸ばしてきたディノの手を迷わずとった。寒空に雪が舞い始めていた。

     ひとりぼっちの子供は、もういない。



    ■■■


    最後までお読みいただきありがとうございました!
    よければキャプションのシチュ募集にもご協力いただけると嬉しいです
    Tap to full screen .Repost is prohibited
    ❤❤👏💖💖💖💖💖💖❤💖👏👏👏😭👏👏👏👏👏👏👏👏👏👏🙏👏👏👏☺💞🙏👏👏👏😍👍👍👍👍❤❤❤👍❤👍😭👏👏❤💖😍🙏☺👍👍👏👏👏
    Let's send reactions!
    Replies from the creator

    horizon1222

    DONEモブ女は見た!!新婚さんなあのヒーロー達!!
    という感じの(どんな感じ?)薄~いカプ未満の話です。一応キスディノ
    ディノにお迎えにきてほしくなって書いたよろよろとモノレールに乗り込み、座席に座ったところで私はようやく一息をついた。
    月末。金曜日。トドメに怒涛の繁忙期。しかしなんとか積み上がった仕事にケリをつけられた。明日の休みはもう何がなんでも絶対に昼まで寝るぞ、そんな意識で最後の力を振り絞りなんとか帰路についている。
    (あ~色々溜まってる……)
    スマホのディスプレイに表示されているメッセージアプリの通知を機械的に開いてチェックし、しかし私の指はメッセージの返信ボタンではなくSNSのアイコンをタップしていた。エリオス∞チャンネル、HELIOSに所属のヒーロー達が発信している投稿を追う。
    (しばらく見てなかったうちに、投稿増えてるな~)
    推しという程明確に誰かを応援しているわけでないし、それほど熱心に追っているわけではない。それでも強いて言うなら、ウエストセクター担当の研修チーム箱推し。イエローウエストは学生の頃しょっちゅう遊びに行っていた街だからという、浅い身内贔屓だ。ウエストセクターのメンター二人は私と同い年で、ヒーローとしてデビューした頃から見知っていたからなんとなく親近感があった。
    4426

    recommended works