恋がうまれた日.
ファイナルでのパフォーマンスの準備と新しいアルバムの準備が並行して進んでいた。デビュー以来こんなにも忙しいのは初めてで、身体は疲れてるのに頭が冴えて眠れない。スマホへと手を伸ばして時間を確認する、同室のメンバーたちから聞こえる寝息で深い時間だと思ったのに日付は変わる前だった。画面の光が漏れてしまうのを気にして頭から布団を被る、目を閉じて無理矢理にでも寝てしまおうか。
明日のアラームは掛けたっけ、確認のためにもう一度スマホの画面をみる。昼間の撮影待ちの時間で減らしたメッセージアプリの通知の数字が目の前で増えた。気になって開くと一番上に表示されたのはウンジからの個人チャットだった。
(こんばんは)
(起きてる?)
タミナのグループチャットはあったけど個人的に連絡が来るなんて初めてで、すぐ返事をしなければと慌てて指を滑らした。
(こんばんは起きてます)
既読がついたと思ったら通話のコール画面が表示される。スマホを取り落としそうになるのを抑えて、ベッドをそっと抜け出す。部屋を出て廊下を抜けてリビングへ向かう間に切れてしまう、暗いリビングの明かりを点けずに窓辺へと寄った。夜目が効かなくても明かり取りの窓からの月の光が入る、ウンジのアイコンをタップして電話をかけた。
「すぐに出れなくてすいません」
『こっちこそごめんね、寝てた?』
「寝てはなかったんですけど」
ベッドには入ってたと言ったら気を遣わせてしまうだろうか、ウンジの声が優しくて電話の先の表情まで想像してしまう。少し前にコメンタリー動画を撮る為にウンジの事務所を訪ねた、日にちはそんなに経ってないのにファイナルで逢えるのを心待ちにしていた自分もいて。
「何かありましたか?」
用件を聞かずにいつまでも話していたいけど、ウンジの時間を独り占めに出来るほど親しくはなかった。近くなのか救急車のサイレンが窓の外から聞こえた、電話の向こうでも同じ音がする。
「オンニの方も救急車ですか?うちの方も」
『や……同じ救急車だよ、いまイヴのとこの宿舎の近くまで来てて』
「え」
『出てこれたりしない?少しだけでも』
逢いたいと言われて心臓が高鳴る、このときめきが何なのか知りたくて私もと返事をした。
「こっち!」
車を背にしてウンジが手をあげた。バケットハットとマスクで顔がみえないけど、クロップドТシャツからのぞくウエストが長い手足がそうだと確信させる。ユニットの練習のときにどうしても目で追ってしまっていた、しなやかな身体から漏れる色気にあてられたのかもしれない。今だってそうシンプルな服装が恐ろしいほど似合っていて目が離せない。
「おじゃまします」
車の後部座席に乗り込むとウンジも隣に座る。パジャマを脱いで羽織ったパーカー、ジーンズに履き替えるだけにした待たせたくなかったから。大差ない格好なのに自分がみすぼらしく思えて、パーカーの袖で隠れたネイルが一番きれいな気がしてもぞもぞと指先を出した。
「呼び出してごめんね」
「ぜんぜん……」
車のカギがかかる音がした、車内にふたりっきりなのだと強く意識してしまう。はじめてじゃないのに緊張がひどい、気の利いた返しをと考えても浮かばなくてつまらないと思われたくないなんてそんなことばかり。帽子を外してマスクをとるウンジが髪をかきあげて、シャンプー?香水?甘い匂いがふわっと漂う。
「髪色変えたんだね」
「あ、はい」
ニット帽に押し込んだ髪、カムバック控えてるんだっけとウンジが笑いかけてくれた。グループを私を気にかけてもらえてる気がしてくすぐったい気持ちになる。
「何色にしたの?」
「見ますか……?」
染まりすぎた赤髪を見せるのは何だか恥ずかしくて、でもウンジが振ってくれた話題をそこで途切れさせたくなかった。ニット帽を外して、乱れた髪をくしゃりと手櫛で整える。スモークがかかった窓ガラスに安心する、ファンにはまだ内緒の色。
「まだファンにはみせてないの?」
「はい」
「わたしがいちばん?うれしい」
悪戯っぽく笑うウンジがきれいだねと毛先を指で掬っていく。言葉も振る舞いもきれいなのはウンジの方で、心臓がもちそうにない。いとこみたいだと言われて、妹みたいだと似てると自分では思ってなかった。だってこんなにも違う、目が合う度に自覚する。
「そうだ、呼び出したのに」
あっと声をあげて助手席に後ろから手を伸ばす、座席に置いてあったのかな?紙袋を自身の膝に載せてウンジがこちらへと身体をさらに向けてくる。
「イヴお誕生日おめでとう」
「え!わ!ありがとうございますっ」
「当日じゃなくてごめんね」
紙袋から花束が出てくる、ショートタイプのそれを花嫁のブーケのように胸元で抱えて渡される。ウンジの笑顔をみて完敗だと思った。確かに誕生日はもう過ぎていて、でも祝ってもらえるなんて思ってもいなかった。心臓がうるさいほど鳴ってもう崖っぷちぎりぎり。
「もうひとつあるんだけど」
小さな紙袋はみたことあったコスメブランドで、受け取ったそれの中身をみると細長い箱にリボンがかけられていた。手に取ってそれを解いていく、真っ赤なシルクリボン。
「リップだ」
「イヴが持ってないのだといいんだけど」
箱から手のひらにコロンと転がる口紅、コスメが好きでとりわけリップ類には目がなくて。ウンジが自分のプレゼントに選んでくれたことが、嬉しくて堪らないのにうまく言葉が出なくて固まってしまう。
「やっぱり持ってるやつ?」
「持ってないです……」
「よかった〜」
眉を下げて不安げな表情からぱあっと明るい人懐こい笑顔になった。かわいいと思った、優しくて頼りになる年上かと思えばこうやって子犬のように尻尾を振ってくる。甘えたいし甘えさせたい、そんな欲まで出てくるのだから不思議だった。
「ファイナルでさ逢えるからそのときでもって思ったんだけど」
「ゆっくり渡す時間あるかなーとか、日にち結構過ぎちゃうなーとか」
私もだけどゆっくりのんびり話すウンジのトーンが心地良くて、頷いて聞いていた。今日この時間は別に特別じゃないと分かっているのに、言葉の端々に好意を探してしまう。
「イヴのこと考えてたら、顔がみたくなっちゃって」
後輩として可愛がってくれてるだけ、思えば思うほど募っていく。マスクを外してすっぴんをさらす、彩ってない唇でウンジに笑いかけた。
「オンニ塗って欲しいです」
リップを渡してわがままを言った。ウンジが選んだ色をどうしても身につけたかった、その手で染めて欲しくなった。
「こっちみて」
リップの蓋の音がして、顎にふれた指先に意識がいく。ウンジの真剣な眼差しに囚われて、この時間が終わらないで欲しいなんて陳腐なことを考えてしまう。
「きれいな唇」
塗り始める前にふにとリップを持つ指で触れられた。何気ないその仕草にきゅんとして、同時になんて罪づくりなひとだろうと恨めしくも思ってしまう。
「ん、やっぱりよく似合う」
塗り終わったのか顎先を持ったままの指で左右を向かせられる。頬にかかった髪を直されてなすがままの私、感情を全部さらっていかないで。
「オンニッ……」
「また今度ごはんでもいこう」
切実さが呼ぶ声に滲んでしまった、その時してきてねと鼻先をつままれる。ズルくて優しい私の好きなひと、背伸びしても届かないあなたを振り向かせるにはどうしたらいいのだろう。