燦々と陽の光が降り注ぐ南の空は高度を下げるとあっという間に機体の内部が灼熱と化す。
汗が飛行帽に吸い込まれていき頭がジメジメと蒸す不快感に苛立ちを感じ始めた頃、着艦の順番が回ってきてホッとしたのも束の間、ワイヤーにフックが掛からず今日も着艦のやり直しをする羽目になった。
二度目にして無事に着艦し機体から降りると共に訓練へ出た同期の佐野が待ち構えている。
「相変わらず鍵谷は着艦が下手くそだな!」
煙草を吐き出しながら大笑いする佐野が差し出してきた煙草をありがたく頂戴し火をつけると、数時間ぶりの煙草が身体に染み渡った。
「かぁーうめえ! …あの甲板員の狙ってる女が俺に惚れちまったんだよ。だから地味な嫌がらせしてくるんだ。」
なんて事はない冗談を言うと「鍵谷は昔から着艦が下手だったろう、言い訳すんな」と肩を押される。
甲板下の搭乗員控室に繋がる階段を降りているとふとあの甲板員の馴染みの女の顔が思い浮かんだ。
「帰りもタウイタウイ寄港するかね? 本土帰る前にミッちゃんに挨拶してぇや。」
ミッちゃんは妹の歳とさほど変わらない朝鮮人の女だ。
「貴様いつもピー屋に通い詰めてるがよく金が持つな。」
佐野が呆れた声が後ろから聞こえてくる。
「いんや、俺ぁ金払ったことねーよ。いつも控えの間に誘われんだ。なんてこたねぇよ、羊羹やキャラメルあげたり話に付き合ってもらってるだけだ。」
搭乗員には機上携行食がふんだんに配布されているが、俺は甘いものは食べない事が多い。余らせていたものをなんとなしにピー屋裏で休んでいた奴さんに渡してからは寄港中の一ヶ月間良い話し相手になってくれたものだった。
「甲板員の嫌がらせって話、信じてやるよ、貴様は嫌がらせされる相応のことをしている。」
「だから違ぇって!」
ふざけた会話ができる佐野とは居心地が良く、気がつけば二人で煙草を吹かしている事が多かった。予科練も同期だったことから、一度部隊は離れた事はあれど気の知れた仲で任務でも阿吽の呼吸で連携が取れる数少ない信頼できる男だ。
マリアナ沖での大規模作戦に共に向かえると解った時は安堵をしたものだった。
空母大鳳は竣工間もない最新鋭の空母で、今回のあ号作戦が初陣となる。甲板は今までの板張りとは違い装甲で覆われており、大日本帝国海軍史上最高の不沈艦として謳われている最新鋭の空母に乗れたことにも舞い上がっていた。
しかし
「鍵谷、俺控えに回されちまった。」
黒板の前で呆然としていると後ろから佐野な声をかけられる。
甲板に置かれた黒板に記された編成の一覧に佐野の名は無かった。
肩を抱くと「お前とだったら敵無しだったんだがなぁ…」と俯く佐野が小さくつぶやく。
「次の作戦もあるから温存しておけって事だ。なぁに、今回の作戦は日本の圧勝だ。何せ四〇〇機以上で行くんだ。相手さん尻尾巻いて逃げ帰って終わりだろうよ。」
そう思っていたし、そう聞かされていた。
戦闘機から順に発艦し、部隊の編成が揃うまで大鳳上空で旋回をしていると隣に浮かぶ空母瑞鶴、翔鶴からも次々と発艦していく戦闘機はまるで蚊柱のようだった。
最後に艦攻が発艦をすると編隊を組んだその最中だった。海の中を二本の航跡が横切ると大鳳の側面にぶち当たる。
「魚雷!?」
大鳳の側面の海は黒く濁り燃料が漏れている様を後ろ目に見ながら編隊は進撃を始めた。
「佐野…いや、不沈艦の大鳳だ。大丈夫。」
後ろ髪引かれる思いだったが、自分に言い聞かせるように呟いた。
戦いは散々だった。こちらの圧勝と聞かされていたにも関わらず、四〇〇を超える編隊よりもさらに多い数で敵は待ち伏せており、見方機が次々と油を含んだ真綿に火をつけたように燃え落ちていく。
気がつくと俺の零だけが空を飛んでいた。
一機で敵に突っ込んでも無駄死にしかないことに諦めを感じ、大鳳に帰艦を判断するも大鳳も翔鶴、瑞鶴すらどこまで飛んでも見当たらない。
燃料もあと僅かとなり、このまま不時着してフカの餌になるくるいなら海面に突っ込むかと覚悟をした時に雑音しか拾わなかった無線が友軍の電信を拾う事ができ、半壊した空母千代田に辿り着く事ができた。
そこで聞かされた大鳳の沈没。
本土に戻ってからも生存者を調べて回ったが、佐野の名前はそこには無かった。
参考文献
太平洋戦争大全「海空編」(太平洋戦争研究会)
NHKアーカイブス「ゼロ戦で最後まで戦った」