黒に咲く〜第1話御影 蒼一(みかげ そういち):小さなマフィア組織「御影組」の若旦那。由緒ある血筋と穏やかな性格の中に、冷徹な芯を秘める。
* **黒瀬 玲司(くろせ れいじ):御影組の幹部であり、蒼一の右腕。幼少から共に育った幼馴染。表では忠実な部下、二人きりでは……。
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第1話:朝、右腕が呼びに来る
薄曇りの朝だった。
灰色の光が、分厚いカーテンの隙間からうっすらと差し込んでいる。部屋の中には、微かな塵の舞う気配さえ感じられるほどの静けさが支配していた。
寝台の上、御影蒼一は深く眠っていた。
昨夜の会合が長引いた。組の若頭らを相手に、立場だけでは到底通らぬ話をまとめあげるのは、体力も気力も要る。幾つかの盃を交わしたせいもあり、彼の身体はまだ夜の余韻に囚われているようだった。
――コン、コン。
控えめなノックが響いた。
「……若。朝です。会議まで、あと三十分となります」
扉の向こうから聞こえてきた声は、深く落ち着いた男の声だった。どこか鋭さを含みながらも、言葉遣いには過不足がない。
返事はない。寝台の上の蒼一は、まるでその声さえ夢の一部と勘違いしているようだった。
数秒の静寂ののち、重い木製の扉が軋む音とともに、男は静かに部屋へと入ってくる。黒いスーツに身を包み、長い髪を一つに束ねたその男――黒瀬玲司は、足音すら立てぬように蒼一へと近づいた。
「……失礼します」
短くそう告げてから、玲司はため息をつく。
寝台の上、蒼一はうつ伏せに近い体勢で眠っていた。額にかかる髪をそのままに、穏やかすぎる寝息を立てている。
玲司の視線が、静かに蒼一の顔へと注がれる。
「……寝顔だけは、昔から変わりませんね」
低く、ほとんど独り言のように呟いたその声に、どこか諦念にも似た親しみが滲んでいた。
布団の端をそっと引き、玲司はふたたび声をかける。
「若。……起きてください。今日の会議、幹部衆が全員揃っております」
しかし蒼一のまぶたは、ぴくりとも動かない。
玲司は数秒黙したまま見下ろし、やがて静かに片膝をついた。寝台と同じ目線に降り、そっとその名を呼ぶ。
「……蒼一」
それは、部下が上に向ける呼び名ではない。
役職や立場の枷を外し、ただ一人の男が、一人の幼馴染を呼ぶ声音だった。
「……蒼一。起きろ。俺が何度、呼んだと思ってる」
玲司はそのまま、少しだけ身を乗り出し、蒼一の額にかかる髪を、手でそっと払いのけた。
長く伸びた睫毛の下。まぶたが、わずかに震えた。