黒に咲く〜第4話第4話:会議室へ向かう途中、誰にも聞かれないように
会議の時間が迫っていた。
御影組の本拠地として使われている屋敷の廊下は、朝の張りつめた空気に包まれている。下の者たちが忙しなく動く音、遠くから聞こえる携帯の着信音、足音――それらのすべてが、この世界に生きる者の緊張を物語っていた。
そんな中を、蒼一と玲司は並んで歩いていた。
廊下を進む蒼一の背筋は伸び、寝起きの影は微塵も残っていない。先ほどまで布団の中にいたとは思えぬほど、すでに“御影家の若”の顔になっている。
その横を歩く玲司は、目線をまっすぐに向けたまま、無駄のない歩調で歩いていた。
蒼一と並ぶのは、幹部としての立場上当然のように見える。
だが、誰よりもその距離に神経を払っているのは、玲司自身だった。
人目を避けるため、言葉は交わさない。
それが、二人の間に長く存在してきた暗黙の了解だった。
だが――
「……ありがとう」
ふいに、蒼一が低く呟いた。
まるで独り言のように、玲司のすぐ横で。
玲司の目が、わずかに動く。
「何のことですか?」
「ネクタイ。起こしてくれたのも。……お前がいなかったら、俺たぶんそのまま寝てた」
「それは、ただの職務です。御影組幹部として」
「……玲司としては?」
足を止めず、声も潜めたまま。
だが、その一言には、明らかに境界を揺さぶる熱があった。
玲司は答えなかった。
ただ数歩、黙って進んだ後――ぽつりと口を開いた。
「玲司として、ですね」
声は低く、どこか少しだけ、苦笑を滲ませて。
「そうですね……。本音を言えば、今日の会議がなかったら、もう少し寝顔を見ていたかったです」
蒼一の歩調が、ほんのわずかだけ緩む。
すぐに戻ったが、その一瞬を玲司は逃さなかった。
「冗談ですよ、若」
「……そうか?」
そう言いながら、蒼一の横顔にはわずかに影が差していた。
そして、その影の中にほんの一つ、玲司にしか分からない微笑が宿っていた。
目の前に、会議室の重厚な扉が見えてきた。
「……じゃあ、頼む。今日も、俺の右腕として」
蒼一の声は、表向きにはただの指示だった。
だがその裏に、幼馴染としての信頼と、言葉にならない何かが込められていた。
「ええ。……いつだって、傍に」
玲司はそう答え、静かに会議室の扉を開いた。
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