Over. over over.ーBrad Sideー
まるで悪夢だ。
目の前で起きている事は現実だと必死で言い聞かせているのに、感情がそれを否定しようとする。
捲れ上がって破損した地面、紙クズのように空を舞う車、ぶつかり合っては砕け散る建物、怯える人々の叫び声。街路樹などはもはや形を成さず、賑やかだった街は見る影もない。あらゆる物が。潰れて、壊れていく。
これは、いったい何だ。
まるで、地獄だ。
その中心に、キースがいる。
「…っ、ぅ、ぁあっ…ぁああアァアァアア!!」
頭を抱え、髪を掻きむしり、目から、鼻から流れ出る血を拭うことも出来ず、悲痛な叫び声を上げ続ける友の姿はとても見ていられるものではなかった。
「っ…キース!!」
「やめろ!ブラッド!!それ以上近づいたら、お前まで…!」
飛び出して行きそうになった俺の腕をジェイが必死に掴み止めた。今のキースは能力の制御が出来ていない。容易に近づけば、止める前にどうなるか。その先を想像しそうになってゾッとした。
では、それならどうすればいい。俺達の力では止められない。能力の及ぶ範囲の外でキースの身を案じるのが精一杯だ。ジェイも、俺とディノを飛び込んで行かないようす必死に止める傍で、四方八方から飛んで来る車や瓦礫から市民を庇い続けている。
どうして、こんなことが。どうして、お前が。考えれば考えるほど、焦りと混乱が増していく。
暴走したサブスタンスが起こした爆発事故だった。
最初に現場に到着した俺たちは、現場の安全確保と市民の避難誘導を先ず優先しろ、とのジェイの指示に従い、周囲に逃げ遅れた市民がいないかの確認作業にあたっていた。
「…ったく…まるで不発弾だな。」
苦々しい顔をしたキースが瓦礫をどかしながらぼやいた。
「建設現場にサブスタンスが埋まっていた、と言うのは良くあることだが…これほどの規模の爆発を引き起こすとはな…」
街の中心部ではなかったものの、サブスタンスが埋まっていた場所から半径100メートルほどの建物の殆どが暴発の衝撃で倒壊しかけている。
原因となっていたサブスタンスは既に回収が完了したが、二次災害が起きる可能性は大いにあった。
「はー…キリがねぇな…瓦礫が多すぎる。」
いつものようにやる気のない声色に反して、キースの顔には疲労が見えていた。ただでさえキースの能力は身体への負荷が大きい。先程から瓦礫の撤去に能力を行使し通しの状態だ。
「キース、一度休憩を…」
そう声をかけようとした時だ。
少し先を歩いていたディノが何かに気づいて顔を上げ、弾かれたように駆け出した。
「おい、ディノ?!」
「…!!ブラッド!キース!子供の声がする!!」
ディノが指し示したのは倒壊し、隣接する建物を支えに持ち堪えている状態のビルの根元。
耳をすませば、微かに泣き声が聞こえた。
「…まだ、生きているな。」
「ねぇ!大丈夫?!今、助けるからね!」
ディノが声をかけると、弱々しく返事をした。怪我をしているかも知れない。早く救出しなければ。しかし、子供がいるのは瓦礫で塞がれた奥だ。ここからでは姿さえ確認ができない。
「…ブラッド、オレが浮かした瓦礫を固定できるか?」
少しでいい。子供を助け出せる隙間さえ作ることが出来れば、ディノが子供を引っ張り出す。とキースは言う。確かに、俺たちの能力と今のこの状況を考慮した場合にはそれが最善だ。だが…
「キース、お前は少し能力を使い過ぎだ。これ以上はお前の身体も持たない。…ジェイを呼んで助けを…」
「んなこと言ってる場合じゃねぇだろ。…ヤバい時はお前がサポートしてくれりゃなんとかなる。」
だろ?と俺を見据える一対のペリドットは強い意志の光を放っていた。いつもの不真面目な態度に隠れたものが見えるたび、俺はこのキース・マックスという男が本当に信頼に足る男なのだと自覚する。
「…そうだな。わかった。」
「よし。…ディノ!隙間が空いたらすぐに引っぱり出してくれ!」
ディノも力強く頷く。
俺たちなら大丈夫だ。ほんの少しだ、ディノが子供を救出し、最後はキースと俺が離脱する時間を稼げればいい。
「いくぞ。」
「…ああ。」
横に並び立ち、瓦礫の状態を見据える。負荷がかかっている場所、崩落しそうな箇所を確認し、キースへ指示を出していく。
キースが能力を扱う手に少しずつ力を込める。
浮いて行く瓦礫の奥に、子供の姿が見えた。周囲の壁が崩れないよう、俺はそこら中に散らばる鉄筋を再構成し、支えを作っていく。
慎重に、慎重に。少し間違えれば、皆諸共だ。
「ディノ!届くか?!」
「うん…‥あと少し…!捕まえた!」
ディノの手が子供に届き、引き寄せた。良かった。運良く体を挟まれたりはしていない。
「…よし。このまま、あと少し……」
が、最悪の事態は起こった。
倒壊ギリギリのビルを支えていた建物の方が耐えきれず、ミリミリ、メキメキ、と嫌な音を立て出した。
駄目だ、潰れる。
「ディノ!!早く離れろ!!」
キースの叫びをかき消すような轟音を立てて、無情にも建物は子供と俺たちにめがけて降り注いだ。
「ックソ…!!!」
苦しげな声が聞こえて、ハッと目を開ける。痛みも、怪我もない。濛々とした砂埃が視界を覆い尽くしている。今のは、キースの声だったか?
「っはやく。にげ、ろっ…!」
耳に伝わる声が震えている。目を上げて見えたのは、ほとんどビル丸ごと一棟分の瓦礫をキースが一人で受け止めている光景だった。
「っ…!キース!!」
「いい、から…っ!!ディノ!お前はそのガキなるべく遠くに連れてけ!!」
背後を振り返ると子供はディノに抱き抱えられている。良かった、無事だ。
「でも…!!」
「いいから!!行け!!」
「っ…うん!わかった!!」
ディノのその返事で、我に返った。呆けるな。まだ、俺にもやるべき事がある。手に力を込め、すぐさまディノの行く先の瓦礫を破砕する。後ろでは、キースが必死に堪えている。逃げ道を作るのは俺の役目だ。
子供を抱きかかえたディノが、崩落の想定被害範囲の外に出るまで。それが済んだら、俺の能力でキースを引き寄せ離脱させる。
次の行動で間に合うかどうか、ディノの姿を追いながら頭を巡らせていた、その時。
視界の外のキースが、悲痛な声をあげた。しまった。もう限界なのか、このまま取り残してしまう訳にはいかない、それだけは駄目だ。キースが崩落に巻き込まれる前に、と能力を発動しながら、声の方を振り返る。
が、視界に映った景色は想像した物とはまるで違っていた。
崩れたビルはもうそこにはなかった。キースの頭上を覆っていた筈のそれは、粉々に吹き飛んで、踊る様に宙を舞っている。
街そのものを巻き込みながら。
ーJay Sideー
10期のルーキー達が受け持っていた現場で崩落事故が起きたと報告を受けた時、何も考えられず弾かれた様に走り出していた。
無事でいてくれ。とか、あの子達なら、とそばにいなかった俺のせいで。だとかそんな言葉がグルグルと頭の中を回っている。
「ジェイ!!」
「ディノ!!…良かった、無事だったんだな!」
子供を抱えたディノが俺を見つけ駆け寄ってきた。子供は怯え切っていたが、擦り傷以外には大きな怪我は見受けられない。3人が、救ったのか。
「良くやったな、お前たち。…キースと、ブラッドはどうした?」
「っ…ジェイ!!キースを…!キースを助けて!!」
ディノは必死な表情で、来た方向を指差す。
そこに立ち尽くすブラッドと、その先に見えた物を、俺はにわかには信じられなかった。
「キース……ッ!!」
「やめろ!ブラッド!!それ以上近づいたら、お前まで…!」
街が丸ごと飛び交っている中心部へ、必死に呼びかけるブラッドを掴み止め、引き摺り戻した。
「…っジェイ、すまない、俺が…判断を誤った…」
「大丈夫だ、状況はディノから聞いた。…ブラッド、お前は悪くない。」
ブラッドもまだルーキーだ。大切な友人の状況に取り乱し、自分を責めるその背中を、落ち着かせる様に支えた。
今のキースは、恐らくはオーバーフロウに近い状態だ。元々サブスタンスの力を使いこなす事に関してはキースは誰よりも長けていた。俺はここまでキースが力に呑まれ、能力を暴走させるのを初めて目の当たりにしたが…こんなにも「脅威」そのものなのか。
爆発事故を起こしたサブスタンスよりもその能力の及ぶ被害範囲は大きくないものの、キースは視界に入る全ての物を、滅茶苦茶に壊していく。そして恐らく、俺も、ブラッドやディノの事も認識できていないだろう。
市民は既に避難させているが、それでも瓦礫や車が、俺たちや、市民の方へ容赦なく飛んでくる。
「キースの能力を無効化するには、視界を奪うしかない…だが…」
キースの能力が及ぶ範囲内には、近づくこともままならない。このままでは、インビジブルフォースを最大出力で使い続けているキースの身体の方が保たなくなる。それは、だめだ。絶対に。そうなる前に、早く止める方法を…
「ジェイ!!危ない!!」
そうディノの声に振り返ると眼前に看板が迫っていた
「っ……!!」
すんでのところで弾き返す。危なかった、完全に死角から飛んできた。ディノの声が無ければ直撃していた…。市民の方へは飛んでいないか確認をして、身構え直す。ぼんやり考えている暇もないな。
ブラッドと、ディノ。二人のサポートをしながら、どうにかしてキースを止めなければ…。
「ジェイ、ディノ。…頼みがある。」
その声に振り向くと、覚悟を決めたブラッドの瞳が真っ直ぐに俺とディノを見据えていた。
ーKeith Sideー
頭が痛ぇ、割れそうだ。これはなんなんだ。
子供を瓦礫から守るために、ビル一棟を受け止めた。そこまでは、覚えてた。
ディノが子供を抱えて離れるところを見届けた瞬間。頭の奥の方でブツリ、と音が聞こえた。そこからは、絶え間のない痛みと、目の前で起こっていることへの恐怖だけだった。
オレの能力で、オレの意思とは関係なく、勝手に街が壊れていく。やめろ、やめてくれ。目を閉じろ、閉じろ。そう体に命令しても、断続的な痛みが目を閉じることさえ許さない。もう、自分の目に何が見えているかもわからない。何もコントロール出来ない。誰か、助けてくれ。
このままじゃ、何もかもめちゃくちゃになっちまう。ディノやジェイ…ブラッドまで、失う事になるかもしれない。
嫌だ。
それだけは、絶対に。
足元がグラグラと揺れている様な感覚。まともに立ってもいられない。なぁ、誰か。
何かに縋るように伸ばした手は何も掴めずに空を切る。
…ブラッド。
思わず心で呼んだのは、口煩い同期の名前。お前はオレに忠告してくれたよな。悪い、怒ってんのかな。また、小言言われんのかな。
それでもいい。それでもいいから。
お前なら出来るだろ。オレを殺してでも止めてくれよ。
「 」
喉が裂けんばかりに、その名前を呼んだ。つもりだった。声は声にならなかった。
何でだ、畜生。応じてくれ頼む。なぁ、見てるだろブラッド。何をしてもいい、止めてくれ。
「キース!!!!!」
めちゃくちゃな頭の中を割開くような、お前の声が響いた。その声のする方へ顔を向けたその瞬間、ガァン、という衝撃と、重い痛み。なんだ、何も見えない。世界が急に真っ暗になって、同時にオレの意識もブツリ、と途切れた。
ーDino Sideー
「頼みがある」とブラッドが言った。
『俺を、キースの背後まで投げ飛ばしてくれ。』その言葉に、俺とジェイは思わず顔を見合わせた。
正面からキースに近づけないのなら、死角から近づいて、能力でキースの視界を塞ぐ。
ブラッドの作戦を聞いて、俺もジェイもしばらく黙り込んでしまった。ブラッド1人に危険な役目はさせられない、とかうまくいく保証がない、だとか、一瞬のうちにたくさんたくさん、頭の中を言葉が巡った。それは、きっとジェイもおんなじだったんだろう。
だけど、ブラッドの真っ直ぐ俺たちを見る目が、絶対に大丈夫だ、絶対にキースを助けるって気持ちに満ちていたから、俺たちは頷いた。
「よし、いいぞ!来い!ブラッド!」
しっかりと組んだジェイと俺の腕を、ブラッドが
踏み込んだタイミングで「せーの!!」と力の限り腕を振り上げる。ブラッドの体が高く、高く跳んだ。俺たちのいる場所から、キースのいる位置までは40メートルほど。
よし、狙い通りだ。キースの後方、10メートルくらいの場所にブラッドは降りた。それをを目で見送ったあと、俺たちはキースの方へ向き直った。
「キース!!もう少しだけ!頑張れ!!」
「気をしっかり持て!キース!」
きっと俺の声だって、もうキースには届いていないんだろう。だけど、ジェイも、俺も喉が張り裂けそうなくらいキースに向かってがんばれって叫び続けた。
こんなことしかできなくてごめん。
大丈夫だ。今ブラッドがお前を助けるから。
だからお願いだ、キース。あと少しだけ頑張ってくれ。
キースの背後に降り立ったブラッドが、力を集中し始める。
チャンスは一回だけ。
もしも失敗してあの距離でキースの視覚に捉えられたら、今度はブラッドが危ない。その時は絶対に俺とジェイが助けに飛び込む。誰も犠牲にさせはしない。
「……キース!!!!!」
ブラッドが、声の限りにキースの名前を呼んだ。
そこからは一瞬で。キースの顔面に、ブラッドが作った鉄板が思いっきり激突したら、形を変えてキースの顔を覆い尽くしていった。
それまで空を舞っていた街は急に時間が止まったように動きを止めて、真っ直ぐ落下し始めた。
「!ディノ!少し離れるんだ!!」
「えっ?!」
ジェイが叫んだのと同時くらいに、俺の足元20センチくらいの場所に、タクシーが落ちてきた。
あわてて降り注ぐ瓦礫を避けながら、鎮まるのを待った。その間も、砂埃の向こうにキースとブラッドが見えるまでの間、ずっとソワソワドキドキしてた。
しばらくして、霧が晴れるように景色がはっきりしていく。
仰向けに倒れたキースを抱き抱えたブラッドが安心したように笑って、それから弱々しく挙げられたキースの右手が下手くそなピースサインを作ったのを見た瞬間、俺は弾けるように駆け出していた。
目の奥が熱くて、鼻がツンとしながら、思い切り、2人の名前を叫んだんだ。