Contract of…「…なー、ブラッド。」
「なんだ。」
と返事をしながらソファと腰掛けているブラッドの足を背もたれに寄りかかるキースの柔らかな髪を片手でくしゃ、と少し握り込む。「んん。」と喉の奥を鳴らしてさらに体重をかけてくるキースを膝で押し戻すと、不満そうにソファの座面に座り直して、もう一度「なぁ。」
と呼びかけてきた。
「だから、なんだ。」
読んでいた書類から目を上げ、キースの方へ顔を向けると。視線が合うのを確認したあと今度はブラッドの肩に軽く頭を乗せて「それ、何?」とブラッドが読んでいた書類を指し示した。
「…来期の人員配置案だ。」
今現在、自分達が所属する13期研修チームは当然終わりが来て、その先がある。また新たなルーキー達を迎え、今の13期のルーキー達も「一人前と」して、それぞれのヒーローを歩んでいくことになる。
その為には、入念な準備とそれを実現するための計画も必要になる。メンターリーダーであるブラッドには、次期の人員配置を決められる権限も、見定める目も備わっている。だからこそ、未来を考える役目も回ってくる。
「……ふーん…なんか、大変だなぁ。メンターリーダー様はよっ…と!」
そう言って身を起こしたキースがブラッドの手から書類を取り上げる。
「っ!何をする…!」
取り返そうと手を伸ばすブラッドの届かない高さに書類はフワフワと浮遊している。諦めたように伸ばした手を下ろしたブラッドは抗議の目をキースに向けるが、その向けられた本人は勝ち誇ったように笑っている。
「終わりだ、終わり。…何もオレんちで読まなくたっていいだろ。」
「…機密事項だ。」
「だったら尚更ここに持ち込むなっつーの…」
ため息を吐いたキースが右手の人差し指をクイ、と下へ向けるとそれまでめちゃめちゃに宙を舞っていた紙が一瞬のうちに整列をして、テーブルの上に規則正しく重なっていき、あっという間に几帳面に重ねられた紙束になった。
「…それは……すまない。」
キースの言い分は確かに当然だった。ブラッドがキースに寄せた信用と多少の甘えからの事であるのは自覚はあったが、いざ怒られてみると確かに「今日」ではなかったな、と少し反省しての謝罪だ。
すっかり冷めてしまったコーヒーに手を伸ばそうとするとそれより先に「淹れなおすよ。」とキースが立ち上がってコーヒーマグを攫って行った。
ブラッドの珍しく素直な謝罪あってか、少し上機嫌な様子でポットにお湯を注ぐ。
立ち上る湯気を目で追うように高い天井を見つめたキースが口を開く。
「……にしても、あっという間に3年なんだな。」
「…そうだな。」
「5年後…まぁ〜あと5年くらいは流石にまだ引退はしないよな。」
キースが淹れ直したコーヒーを手にソファへと戻ってくる。
「…おそらくはな。」
「10年は?10年後っつったら…今のジェイの歳だって超えてるだろ。」
「…現役は退いているかも知れないが、エリオスにはまだ居るだろうな。」
「あー…まぁ、お前はな。」
「お前もだ。」
「ェエ〜…オレは早めにおだやか〜な余生を送りたいんだって…」
「メジャーヒーローにまでなっておいて、そんな事で済むか。…なんにせよお前も俺も、この先しばらくは離しては貰えないだろうな。」
目まぐるしい日は続くだろう。まだ訪れてない未来の日々を想って、少しだけ頬を緩めて淹れ直してもらったコーヒーを口へと運ぶと、ふわりと華やかな香りが広がった。
「…ブランデー、か。」
「お。流石に気づいたか、まぁ、ロワイヤルなんて出来ねぇけど、寝しなの一杯に丁度いいだろ。」
「お前が飲みたかっただけではないのか?」
「……へへ…まぁ、そうとも言うけど。」
「…だが、美味いな。」
キースはこういうさり気ない気遣いに長けている。人をよく見ているということもそうだろうが、彼自身が培ってきたものは度々ブラッドを喜ばせてくれる。
「20年後…は、今は想像もつかないな。」
「20年後っつったら…もう50…くらいか?」
流石になぁ。と言いながらキースはマグを傾けながら、エリオスだってそん時あるか分からないだろ。と言う。確かにそうだ、いつか「ヒーロー」と言う存在もこのニューミリオンにとって不要になる時が来るのかも知れない。
「まぁ…そん時は、ゆっくり過ごすよ。酒飲んでのんびりしたい。」
「…それは願望だろう。仕事はしろ。」
「なら、店でも開くか?経営はお前に任せるけど」
「…何故俺なんだ。」
「いやぁ、経営とか会計とか面倒だし…どうだ?3食賄い付き。」
「…そんなもので釣ろうとするな。」
「週に2日は和食でもいいけど。」
「…………。」
「釣られてんじゃねぇか。」
思わずキースが破顔すると、ブラッドは少し不満げな顔で
「そのくらいの特権はあっても良いだろう。」
と、拗ねたように返してからふと自分の時計を見てから
「…まぁ、そうだな。どうせなら」
と言葉を続け、顔を向けたキースを迎えるように引き寄せて口づけをした。
「…プレゼント代わりに今ここで労働契約を結んでやっても構わんが。」
「っか〜……相変わらず、ロマンもへったくれもねぇな。」
呆れたようなため息と文句を吐いて、離れたブラッドの身体を捕まえ、もう一度深く口づける。
「…せめて、プロポーズだろ。」
「…そんな話はしていなかったが。」
「かわいげねぇな。…まぁ、20年後の労働契約でもいいけどな。」
そしたらいつだって、誰よりも一番近い場所がお前の特等席だ。賄いが毎日和食になったって、釣り合わないほどのプレゼントになる。
「…誕生日おめでとう、キース。」
額を寄せ合って、生まれてきた日を喜び合う。10年後も、20年後もその先も手放すつもりはこれっぽっちも持ち合わせていない。
重ねた掌から伝わる温度を素直に愛おしいと感じられる今を何よりも大切だと、そう思う。