桜の盛りも大分過ぎ、葉が目立つようになった桜の枝がそよ風に揺れている。誰かの笑い声が遠くから聞こえてくる中、自室で本をぱらぱらとめくっていた小竜は、本を閉じて軽く伸びをした。
今日は久しぶりの非番。特にすることがあるわけでもない。片付けでもしようかと思ったが、部屋を見回しても片づける必要があるほど散らかってもいなかった。小竜の部屋は細々とした物は多いが、性分なのか常にある程度は整理整頓されている。
(うーん、暇だなあ)
何もしないのもなんだか勿体ない気がするが、連日の出陣の影響か、なんだかどこかふらっと旅に出たいとも思えない。正直に言って、この日の小竜は少し疲れが溜まっていた。
(あ、そうだ)
適当に開けた引き出しの中を見て、小竜は今日の行先を決め、引き出しの中から小瓶を一つ取り出すと、自室を後にした。
廊下を奥へと進んでいくと、次第に人声も聞こえなくなってきた。そういえばこのあたりの部屋の刀は皆出陣中か、と、今日の部隊編成を思い出しながら、小竜は廊下の突き当りを左に曲がって、さらに奥へとゆっくり歩いていった。
渡り廊下を渡った先に、小竜の今日の目的地はあった。
「獅子王。いるかい?」
部屋の外から声をかけるが、返答はない。彼も今日は非番のはずだけれど、当てが外れてしまったかな。そう思いつつ、もう一度声をかけてみると、今度はこちらに来る足音が聞こえ、すぐに扉が開かれた。
「小竜! 悪いな、すぐ気づかなくて」
「いや、いいんだよ。こちらこそ、約束もしてないのに来て悪いね」
一応そう付け加えると、獅子王は何言ってんだよ、といった風に笑った。
「いや、お前俺の部屋来るときいつもこうじゃん」
「まあね。君も今日は非番だろ?」
「そー。一日暇なのは結構久々かもな」
「お互い最近は毎日出陣してたからねえ」
君も流石に疲れてるんじゃないかい、と訊いてみると、獅子王はまあな、と曖昧に答えた後、小竜を見上げるとにっと笑った。
「でも今日は休みでちょうどよかったぜ。お前も見にこいよ」
遠慮なく小竜の腕を引っ張って自室に入れた獅子王は、部屋の反対側にある縁側のほうへと小竜を連れて行った。
「ほら、ここ」
腕を掴んだのと反対の手で獅子王が指さしたのは、縁側を下りたらすぐのところに植えられている大きな木の足元で咲いている花だった。
「これは……牡丹かい?」
まだ背丈は低いが、二つの蕾が花開いていた。八重になった真っ白な花びらがふわりと広がる様は見事で、堂々とした姿だった。
「正解! ちょうど俺の部屋のとこにあるから、いつ咲くか鵺とよく眺めてたんだ。今日初めて咲いたんだよ。綺麗だろ?」
そう言って縁側に腰かけた獅子王は、嬉し気に牡丹を眺めていた。
小竜もその横に腰を下ろして、改めて牡丹に目を向ける。
「牡丹というとピンク色のイメージがあるけれど、白い牡丹もいいものだね」
「だろ? 俺はこの白いのが気に入ってんだ。それに名前も良いんだぜ」
「へえ。なんていうんだい?」
「白王獅子。色の白に王様の王、それに獅子王の獅子な」
白王獅子。なるほど確かに、この部屋の前に咲く花としてぴったりの名だ。
「なるほど」
それだけ返して、小竜は静かに白牡丹と獅子王を交互に眺めていた。獅子王は飽きずに牡丹を見つめている。その眼差しはいつもの快活さは控えめに、静けさを湛えていた。
心地よい風が、二振りの髪と牡丹の花を僅かに揺らしている。
小竜は何度か瞬きをして、深く息を吸った。穏やかなひとときだった。獅子王の部屋で過ごす、静かな時間が存外小竜は気に入っていた。
手土産に持ってきた金平糖の小瓶は、あとで室内に戻ったら渡そうか。その頃には彼の相棒である鵺も部屋に戻ってくるかもしれない。鵺も金平糖が気に入るだろうか。
しかしひとまず、今はこのまま、この獅子の名を冠した花と刀と共に過ごそう、と一人心の中で呟いて、小竜は獅子王の隣で春の庭を見渡した。