バウムクーヘン 真田が今日結婚した。
幸村よりも過ごした時間や付き合いの短い女と。少し照れながら「婚約者だ」と真田から紹介された頃から比べると、ずいぶんと幸村の気持ちも落ち着いてきたものだ。
鞄から友人代表スピーチの原稿を取り出して、破く。誇らしげな顔で目を潤ませて幸村のスピーチを聞く真田の様子を思い出しながら、小さくなった紙をゴミ箱に投げ入れていく。
卓上にあった「幸村 精市さま」と書かれた名札と裏に書かれたメッセージを取り出して、破く。新郎新婦からの手書きメッセージとのことだが、内容は読んでいない。きっと幸村にとってどうしようもないことが書かれているのだろうから。
披露宴のメニュー表を取り出して、破き捨てる。真田と彼女の好物が詰め合わせられた献立を思い出した。さっき食べたものがせりあがってくるのを感じてトイレに駆け込む。
感情と胃袋のものをすべて吐き出すころには、幸村の腹の内もおさまってきた。真田に罪はないが、きっと幸村は一生真田を許すことはできないのだろう。それでもいい。
「はぁ、お腹空いたな」
こんな時間も営業している店はあるだろうか。できれば焼き魚が食べたい。そう思って、夜の繁華街に向かった。
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真田が配偶者と別れた。
たった一年足らずで。少し掠れた鈍く疲れの滲んだ声で「久しぶりに食事にでもいかないか」と真田から言われたときには、何があったのかとずいぶんと心配をしたものだ。
「浮気が原因?」
こくりと真田は頷く。
「……寂しかった、のだそうだ」
結婚式の日、清純な白いドレスに身を包んだ彼女に持った印象は"真面目そう"。そんな彼女が浮気理由の常套句を使うというのは、一年前の幸村は想像だにしないことだっただろう。
「『あなたは幸村、幸村、幸村。いつもそればっかり』」
真田がおそらく元妻のセリフをなぞるようにつぶやく。そして、「そう、言われてしまった」と言って幸村の方を見る。まるで許しを請うような、諦めているような。今まで意志をもって皇帝のごとく自分の進むべき道を決めてきた真田だったが、進むべき方角が分からず、さまよっているかのような表情だ。真田はただ、幸村の発する次の言葉を待っている。そこに真田の意志はない。あの女が真田をこうしてしまったのか、と思うとひどく癪に障った。
その日は、どうやって帰ったか、ずっと浮遊感があり覚えていない。今配偶者のいない真田。元妻に『幸村ばっかり』と言われ、幸村を強く意識された状態の真田。今の真田は簡単に幸村の手元に落ちてくるだろう。だが、「俺ならお前にそんな思いをさせることはなかったのに」とは、言えなかった。なぜなら、幸村は真田が許せないからだ。
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真田と付き合うことになった。
あれから結局のところ一カ月もしないうちに。少し前に酒に酔った勢いで「俺は一生独り身かもね」と言ったところ、真田が真っ赤な顔をして「俺がいるではないか」と言ってきたときには驚いたものだ。
真田は、ことあるごとに幸村に「好き」「お前じゃなきゃダメ」と言わせようとしてくる。
最初に真田に「お前じゃなきゃダメだ」と言ったときの真田の顔ときたら。信じられない光景を目にした、といわんばかりの表情で固まってしまったので、口の端にキスしてみたら真っ赤になって怒り始めた。それから何かにつけて幸村が「好きだよ」と言うまで「俺のことが……その……」と聞いてきたりする。
この間も、幸村がちょっと意地悪をして「好き」と言わなかっただけで、不安なのか、昼も夜も幸村に尽くしてくれた。「俺はこんなに幸村の役に立つのだぞ」とアピールしてきた。そして最後には目に涙をたくさん貯めて、「俺のことがもう好きではないのか」と言ってきたので、少しいじめすぎたと反省したものだ。だって幸村は真田のことを許していないのだ。そう簡単にアメをやっては、真田も反省しないだろう。
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こんな真田、らしくないって思うだろうか? 恋愛的な面だけとはいえ、真田の高潔な精神は前妻によって壊された。実に腹立たしいことだが、それは事実。でも、幸村はどんな真田だって愛している。初恋がやっと手元まで堕ちてきたのだ。
ほら、GPSで真田の居場所を確認すると、幸村の家に向かっているようだ。真田は最近、一人でいるのが落ち着かないのかよく幸村の家に来る。おおかた今日も前妻に言われたことを思い出して、不安定になっているのだろう。そして今日も訊ねてくるのだ。「幸村。お前は、俺のことを好いているのか」と。
俺はいくらお前の情緒が不安定だろうが、俺の愛情を過剰に求めてこようが、お前のことを愛するよ。真田。でも、俺は一度でも選択を誤ったお前を許さない。せいぜい俺に依存するといいよ。