【鬼円】花火見に行く話 ぼこっ。頭に受けた衝撃に倒れかけて、あやういところで踏ん張った。ボールを蹴った染岡が心配半分、呆れ半分と言った表情で声をかけてくる。
「おいおい!大丈夫か?」
「あ、平気平気!悪い、ぼーっとしてて」
「しっかりしろよ、集中しねえと怪我するぞ」
染岡の指摘はもっともだ。苦笑いを浮かべて頷き、改めて構え直す。今度はきっちり染岡のシュートを受け止めながら、このままじゃまずいよな、と、ひとりひそかにため息を吐いた。
『好きな人が、同じように自分のことを好きかもしれない、っていうときにも使うかな』
少し前だ。いろいろあって、鬼道の別荘にひとりで遊びに行った日のこと。『脈がある』という言葉の意味を、父ちゃんに尋ねたときの回答が、それからずっと、頭のなかをぐるぐると巡り続けている。
好き?鬼道が俺を?それで、俺も鬼道のことが好きかもしれない?
もちろん、鬼道のことは大好きだ。大切な仲間で、友達で。……でもたぶん、そういうことじゃない、と思う。これは。だって友達の意味だったら、今さらそんなことは言わないはずだ。俺にだって、そのくらいのことはわかる。
「……どう、円堂!」
「……わー!は、はい!?」
「いつまで着替えてるんだ、もうみんな帰ったぞ?」
「あ」
声をかけてくれたのは風丸だった。すっかり制服姿に着替えていて、部室の中はがらんとしている。俺はといえば、まだユニフォームの上をどうにか脱いだところだった。
「悪い悪い、戸締りしとくから先帰っててくれよ」
「……なにか悩んでるのか?」
「え!?」
なんでわかるんだろう、と驚いていると、風丸がくすりと笑った。「円堂はわかりやすいからな」と言われてしまって、情けない気持ちでいっぱいになる。仲間に心配かけてどうするんだよ、俺はキャプテンなのに。
「ごめんな、大事な部活の時間に」
「まあ、お前だって一応人間だからな。そういう日もあるだろ」
「一応ってなんだよ!」
「ははは」
怒るふりをすると、ひらりと身を翻して荷物をつかんだ。入り口のほうに向かいながら、
「まあ、円堂らしく正面からぶつかっていくしかないんじゃないか?じゃあ、また明日な」
「ああ……ありがとな!」
部室のドアが閉まるのを見届けてから、もそもそと着替えを続ける。外に出て戸締りをするころには、もうとっぷりと日が暮れていた。
帰り道を、とぼとぼ歩く。風丸の言う通りだ。ただ、正面からぶつかりたくても、今週は家の用事で鬼道は部活を休んでいた。でもよく考えてみたら、復帰したところで部活中に切り出せるような話題でもない。『鬼道って俺のこと好きなのか?』だなんて。
ふと顔をあげると、町内会の掲示板にポスターがかかっている。毎日見ているのに、視線がやけに惹きつけられた。稲妻町恒例の花火大会のポスターだ。開催は今週の土曜日。これかもしれない、と思った。鬼道はもともと帝国学園にいたから、今まではきっと行ったことがないはずだ。純粋に見せたい、とも思うし、こないだのようにふたりきりで出かけたら、みんないるところでは話しにくいことも話せるかもしれない。
早速携帯電話を取り出して、ぽちぽちとメッセージを打ち込む。『あさって、花火大会行かないか?』悩んだけど、文章はそれだけにした。普段あんまりメール自体打たないし、打つときも誤字したまま送っちゃったりして適当なのに、なかなか送信ボタンが押せなくて。散歩をしていた犬に後ろから「ワン!」と吠えられて、びっくりした勢いでようやくボタンを押せたくらいだった。送信完了画面が表示される。もうなかったことにはできない。なんだか無性に叫び出したいような気持ちになって、一目散に家に帰った。
ご飯を食べているときも、寝る前も携帯をチラチラ見てしまったけど、返信はない。ぼすっと枕に顔をうずめて、その日はそのまま寝てしまった。
翌日。起きた瞬間に携帯を見たら、一件のメッセージが届いていた。慌てて開くと、鬼道からだった。『少し遅れるかもしれないが構わないか?』と書いてある。届いた時間を見ると23時を越えていた。忙しいんだな、と申し訳ない気持ちになりながら、それでも都合をつけてくれるらしいことが、意外なくらいうれしかった。
花火の前に本当は、出店をめぐったりするのもいいな、と思っていた。でも鬼道が来られそうな時間を考えると、到着は打ち上げの中盤にさしかかりそうで。出店を回るのは難しそうだから、直接鉄塔広場で待ち合わせをすることにした。花火がよく見えて、人もいなくて、自慢の穴場だ。……ワンパターンかな、と少し気になるが。そんなことが気になるのも、生まれて初めてのことだった。
「かーちゃん。明日さ、ちょっと早めに夕飯食べたい。そんで飯食ったら花火見に行ってくる」
「あら、風丸くんたちと?夕飯食べたら、屋台であんまり食べられないんじゃない?」
「だ、大丈夫!屋台、混むし」
「そう……?あ、浴衣着てく?」
せっかく買ったのに、あんたほとんど着ないんだから!と言われて。確かに、動きにくいから、すすんで着たいとは思わない。でも鬼道はどうなんだろう?てぃーぴーおーに合わせる、とか言ってたことがあるから、もしかして?いや、用事があって遅れるって言ってるのに、わざわざ着替えたりできないよな。
「……守、どうしたの?」
「あ。えっと、考えとく!」
また鬼道のことを考えてぼーっとしてしまった。こんなことをしていたら遅刻してしまう。一旦服装のことは置いておいて、急いで朝ごはんをかきこんだ。
その日、なんとか学校には間に合った。休み時間、トイレに行く途中、思い切りノビをする。今日で鬼道が部活を休んでから5日目になる。大型連休のときだって夏休みだって、なんだかんだ部活で顔を合わせていたから、こんなに顔を見ていないのも珍しい。つい廊下をきょろきょろとしてしまう。明日には会えるのに、我ながらおかしかった。
「鬼道くん」
飛び込んできた名前に、ピタッと足が止まる。ちょうど鬼道のクラスの前だった。開きっぱなしのドアから後ろ姿の鬼道が見える。両手に大量のノートを抱えた女子に手を差し出しているのがわかった。
「先生のところに持っていけばいいんだな?手伝おう」
「あ、ありがとう…」
女子はうつむいて、恥ずかしそうな嬉しそうな顔をしている。俺は鬼道がドアのほうを振り返る前に急いでトイレに向かった。本当の本当に、何やってんだろう?俺は。
トイレから戻ったのはチャイムがなるギリギリだった。自分の席に歩いていくと、真後ろの半田が俺を見てギョッとした顔をした。
「おい、どうしたんだよ。急になんかゲッソリしてるけど」
「いや、俺、こんなだったっけ?と思って…」
「はあ〜?」
モヤモヤした罪悪感に押しつぶされそうになりながら着席する。半田が後ろから、笑い混じりのため息をつくのが聞こえた。
「まあ、今週なんか、部活でも変だもんな。らしくないってゆーか」
「うう……悪い……」
「別に、責めてるわけじゃねーよ」
チャイムは鳴り終わったのに、先生がまだ来ない。俺はしょんぼりとしたまま後ろの席を見た。半田はいつもと変わらない、少しふざけてるときの顔でこっちを見ている。
「なんかさ。フットボールフロンティアで優勝して、エイリアンをやっつけて、世界でも一番になってさ。円堂って、なんか、ものすごいヤツ!って感じに見られるようになっちゃったじゃん?」
俺はますます弱って眉を下げた。正直言って、思い当たることは、ある。周りの反応が変わったな、とか。俺はそんな、立派な人じゃないのにな、っていうことが。ときどき。でも。
「俺はただ……」
「わかってるよ。ほんとはただの、サッカー好きの中学生だろ」
だから、シシュンキっぽい悩みがあったって、別にいいんじゃないか?半田が言い終わるか終わらないかのタイミングで、先生が慌てた様子で教室に入ってきた。俺が前を向きながら「……ありがとな、半田」とつぶやくと、返事の代わりにドンと背中をグーで押された。
日が落ちて、多少暑さがやわらいだ道を慣れない下駄で歩く。早めに到着した鉄塔広場には珍しく、他の人の姿がちらほら見られた。屋台通りやメインの観覧席からは離れているから、混んでいる、とまではいかないけれど。クラスメイトやサッカー部のみんながいないかちょっと気になっていたが、知っている顔はいないみたいだ。ほっとして、いつものタイヤを吊るした木のそば、柵のところに寄りかかる。結局、かーちゃんの猛プッシュもあって浴衣を着てきてしまった。『みんなは着て来ないの?』って聞かれて、別に『鬼道と2人だからいいんだ』って言えばいいのに。どうしてか言いにくくて。
遠くからうっすらと、花火の開始を告げるアナウンスが聞こえる。柵を掴みながら空を見上げると、一発目の花火がひゅるひゅると光る尾を引きながらのぼっていき、てっぺんのところでぱっと弾けた。続けざまにいくつもの光る尾がのぼっては弾ける。
「うわ〜…」
1人なのに、思わず声が漏れた。そういえば、ずーっと部活部活で、こんなふうに花火をまじまじと見るのなんて久しぶりのことのような気がする。一緒に行っても、みんなで屋台を食べ歩いたり、わいわいしている思い出が強くて。鬼道と話す口実にちょうどいい、なんて考えだったけど、じっくり見られてよかったかもしれない。
早く鬼道にも見せてやりたい。でも実は、肝心なことをまだ決めていなかった。
初めは、『鬼道って、俺のこと好きなのか?』って訊くつもりだった。だけどそれって、YESだった場合にも、NOだった場合にも、俺はどうするんだろう?鬼道は、俺にとって、すごく大切な存在だ。ライバルだったけど、チームメイトになって、たくさんのことを一緒に乗り越えてきた。俺がダメなときはいつだって、見えないところで鬼道が支えてくれてたし、鬼道が抱えてる荷物は、嫌だって言われようと、俺が半分持つんだって決めた。この関係がずっと続いてほしいと思う。でも、それが少しだけ、難しくなってきてしまった。
次から次へと、いろんな形の花火が弾けては消えていく。煙のにおいが、打ち上げ場から遠いここにまで届いてくる。できればゆっくりめにしてほしい。そろそろ鬼道が言っていた時間になりそうだけど、まだ広場には姿が見えなかった。
用事が長引いてるのかもしれない。そういえば、花火だから道が混んでいるのかも。やっぱり日をずらせばよかったかな。そんなことを思ってぼーっと空を眺めていたら、いつのまにか打ち上げから1時間が経とうとしていた。そろそろ花火が終わる時間だ。『続いてが最後の演目です』というアナウンスが風に乗って聞こえてくる。でっかい花火がドーン、ドーンと震えるような音を立てて上がって行って。
「円堂」
本当に、これまでで一番大きい花火が打ち上がったときだ。空一面を赤や黄色、緑やピンクの色とりどりの光が埋め尽くした瞬間。振り向くと、鬼道が肩で息をしながら立っていた。上着を脱いだタキシード姿で、薄暗くてもわかるくらい汗だくで、シャツが肌にはりついている。浴衣ではないだろうと予想してたものの、こんなによそゆきの格好で現れるとは思わなかった。何も言っていなかったけど、きっと父ちゃんのパーティーとか、そういう用事だったんだろう。すっごく急いでくれたんだな、っていうのが、一目見てわかった。鬼道だな、と思ったら、なんかそれだけで、胸のあたりが、ぐっと、つまってしまって。
「すまない、遅れた」
「…………………」
「間に合わなかったな」
言われてみると、花火の音はもうやんでいた。周りの人が楽しそうに、でも名残惜しそうに帰っていく。一瞬時間が止まったような気がして言葉が出せなかったけど、鬼道が申し訳なさげに眉を下げているのに気づいて、首をぶんぶん横に振った。
「間に合ったよ。見ただろ?さっきの!今日の中で、一番でっかい花火だったぜ」
「……そうか」
鬼道が少しだけ笑って、「浴衣」と口にした。俺は自分の服装のことをすっかり忘れてたから、指摘されて慌ててしまった。
「あ。これは、え〜と、変かな、やっぱ」
妙に照れくさくてそんなふうに言うと、鬼道は「いいや」とやさしく首を振った。
「似合ってる」
「う、えと、あ…りがとな」
続いてこっちに足を進めようとしたけど、ためらったあと止まってしまった。「どうした?」尋ねると、「途中で車を降りて、走ってきたからな」と、珍しく袖で顎を拭っている。汗をかいているのを気にしてるのか。
「そんなの、お互い部活でいつも汗だくだろ」
気にするなよ、と言いたかったけど、鬼道は静かに否定した。
「今日は"いつも"じゃないだろう。……俺に訊きたいことがあったんじゃないのか?」
鬼道はもう、俺がなんで花火なんかに誘ったか、全部わかってるみたいだった。他に花火を見に来ていた人たちはみんな帰って、ここにいるのは俺たちふたりだけ。鬼道って俺のこと好きなのか?脈があるって意味を教えてもらったんだけど。少し前から、態度が違くなかったか?俺もなんだか最近おかしくってさ。鬼道のことばっかり、ずっと、考えてて。
いろいろ、ほんとに、あったけど。訊きたいことも、話したいことも。でも。
「あのさ、俺。お前のことが、好き」
「……………」
「……………だと、思う」
はっきり言おうと思ってたのに、鬼道の驚いてるっぽい雰囲気を感じて、つい、自信のなさが顔を出してしまった。サッカーでは、こんなことないのに。
これが今までの、鬼道のことが大事だって気持ちと違うのか。正直まだよくわからない。でもさあでも、鬼道って俺のこと好きなのか?って答えがもしNOだったとしたら、俺、やだなって思ったんだ。
「……驚いたな」
やっぱり俺の勘違いだったんだろうか。口に出した言葉はもう取り消せない。一点差、残り時間の少ないときのPK戦を見ているような気持ちだった。けど鬼道はそのまま、「先を越されるとは思わなかった」と続けた。
「え。それは……」
「俺は、『だと思う』とは、つける必要がないが」
鬼道が、口の端をつりあげる。それからふとトーンを落として、「好きだ、円堂。お前のことが」とささやいた。そうかもしれないって思ってたにもかかわらず、その言葉を聞いた瞬間、花火があがったときみたいに、目の前がきらきら、ちかちかして。
これから、俺たち、どうなるんだろう?これまでと何か変わっていくのかな。でも、きっと変わらないこともある。俺が鬼道を大切で、鬼道もたぶん、同じだってこと。
「……………」
「……どうした?酸素の少ない、金魚みたいな顔をして」
「だ、誰が金魚だよ!ええと、じゃああの、とりあえず……」
握手しようぜ、と手を差し出すと、鬼道がぽかんとしたのがわかった。それからくしゃくしゃ、と表情を崩して、ようやく近づいてくると、まっすぐ俺の手を握ってくれた。
おわり