羽化「あっ………………」
息をのむ音。こくり、と上下する喉。見開かれた瞳。「うそ…………まって、どうしよ、あっ、大変、あっ」 手で覆われた口元から、興奮した囁き声が次々あふれ出す。
「すっごい……ね、クロード見て、こんな風になっちゃうんだ」
紅潮した頬、感極まったように潤む瞳。「あとちょっと……もうちょっと…………あ、」
ひときわ高い声を出してしばらく沈黙を保った後、彼女は「羽化したーーー!!!」と元気に叫んだ。可愛いがデカすぎるその声量を至近距離でもろに食らったクロードは飛び上がり、よろけて、挙句の果てに足首を思いっきり捻る羽目になってしまった。
「あっあっ飛んでっちゃった蝶々! すごいすごいすごい、私羽化の瞬間見たの初めて!ほんとにちょうど最後の瞬間に立ち会えたんだね!? うわ〜…………かんどう…………生命の神秘…………………あれっ? クロードどうしたの?具合悪い?」
「…………いや……なんでも……」
羽化寸前の蝶を見て興奮するお前の顔と声に邪な感情が芽生えてしまったとは口が裂けても言えないため、クロードは悶絶しながら首を振るのが精一杯だった。晴れやかな道中の昼下がり、太陽を背負った少女が心配そうにクロードを覗き込んでくる。ああ可愛いな、と思うのと同時、八つ当たりめいた考えも脳裏をよぎる。
イヤそもそもこんなに明るい真っ昼間の下であんな囁き方してくる方がダメだろ。ダメなことない。ダメのは十割十分俺だ。
相反する思考と痛みに苦しんでいると、しゃがんだ彼女が神妙な顔でクロードの足首を撫でてくれた。
「ぐきってしちゃったの?」
「ああ………………」
「足って長すぎても大変なんだね…ごめんね、蝶によそみしてて」
包帯あったかな…と荷物の中を探り出したので、クロードは止めた。申し訳なさすぎて。
「そうなの?でもまだつらそう…ほかに痛いところはない?」
「頭かな…」
「あ、あたま?」
痛いというか痛んでいる。彼女のこととなると、クロードの脳のあらゆるところに何故か不具合が頻発してしまうのである。
小さなすべすべの手で優しく頭を撫でられて、さっきクソデカボイスで吹き飛ばされたはずの煩悩がまた新たに沸き起こってくるのを感じた。クロードは静かに絶望する。どうなってんだ俺は。
「よしよし。クロード、どう?他にも痛いとこある?」
それはもう、常時、心臓が。
刑務の旅からけっこう長いこと一緒にいると言うのに、情けないところだらしないところを見たり見られたりしているのに、それでも毎日毎秒新鮮に、彼女の瞳に射抜かれるだけで、言葉が出なくなる。
お前はただ笑っているだけなのに。
お前がただ笑っている、それだけで。
自分は好きな相手に対しても節度を保てるタイプだと思っていたが、どうやらぜんぜん違ったらしい。こんなにも情緒が乱されるなんて聞いてない。
いつこの思いを打ち明けよう。そもそも下心をもってそばにいる男のことを彼女は受け入れてくれるのだろうか。拒絶されたらどうすればいい?潔く死ぬか。
彼女は、そんな男の悶々とした考えなど露知らず痛いの痛いのとんでけ〜と無邪気に頭を撫でていた。