手を離す愛しているものがあったら、自由にしてあげなさい。
もし帰ってくればあなたのもの。
帰ってこなければ、はじめからあなたのものではなかったのだ。
その一節をじっくり反芻してから、本をばたん、と閉じた。
そうしてその動作はもちろん、私を足の間にすっぽり入れて横抱きの姿勢で抱え込んでいるカイゼにも見えている。
「……もう読まないのか?」
それならもう眠ろうかとでも言いたげな指先で耳や前髪をいじられて、くすぐったくてふふ、と笑ってしまう。
「待って、待って。……あのねカイゼ」
「何だ?」
「私のこと離して」
「嫌だ」
うーんこれは言い方が悪かったかも。
ぎゅうぎゅうに抱き込まれて、ついでに顔とか首にちゅっちゅちゅっちゅされて、待ってってばー!とひとしきり暴れて大騒ぎする。カイゼってばほんとに、すぐ私のこと好きにするんだから。
よいしょ、と体の向きを変えて、カイゼに正面から向き合う。
これ以上ないくらい密着してるのに、油断のならないカイゼが更にくっつけてこようとする唇を、人差し指でとどめる。
「今読んでた本にね?」
「うん」
「書いてあったの。『愛してるものがあったら自由にしてあげなさい、帰ってきたらあなたのもの、帰ってこなければ最初からあなたのものではなかったのだ』って」
カイゼはなんだか渋い表情になった。私はこの、「私に突拍子もないことを言われて苦悩するカイゼの顔」も大好きなので、にこにこしてしまう。
「ね、私のこと離してみて。できる」
「…………………………」
それはもちろんなんでも好きなことを好きなようにすればいいし、 好きなことを好きなようにしている様を見るのが好きなわけだが、それは半径一メートル以内にいるのが前提の話であって、そこへ急に「離す」などという最悪のオプションを後付けで出されると甚だ困る。
通常の五倍くらいの沈黙と、その沈黙が孕む苦悩を読み取って、私はドキドキする。
別に答えてもらわなくたっていい。離しても離してくれなくてもいい。
命題に対して苦悩してくれること、それ自体が、あなたが私を尊重している証だって分かるから。
あなたと私は別の人間で、多分本当はお互いにぜんぶを知りたがっているけれどそれがむずかしいことも分かっていて、だから覗くでもなく暴くでもなく、計れない領域は計れない領域のままに愛そうねって思っていて、それで十分。それ以上も、以下も、以外も、ない。
カイゼはまだ苦悩しているのでなんだかおかしくなって、私は鼻先を首にすりよせた。
「離してくれる?離してくれない?」
「………………」
カイゼは無言で私の肩を掴んで、そうっと突き放した。
あ、離してくれるんだ。意外なような、納得なような、さみしいような。
でもすぐに「…もういいか?」と言って焦ったように私をぎゅっと抱き寄せたので、笑ってしまった。自由期間、短すぎ。でもこれでいいね。だって私も、もしカイゼが自由にしてくれても、別に何処にも行かないもん。行かないから帰ってくることもない。私がいるのは、ずっとここだけ。