サクラの木の下 その日、二人が出会ったのは真夜中の墓地だった。
「……なぜ、おまえが」
「いやいや、ファウストこそ」
真っ黒な世界に溶け込む黒のローブ、色あせる白の白衣。気まずそうに目を逸らしたファウストは、刺々しく問いかけた。
フィガロは、困ったように笑うだけだ。手に持ったランタンの光を弱めて、ファウストを見つめる。視線は合わない、いや、合わせないようにしているのかもしれない。
「……散歩だ」
「あはは。俺もだよ」
ざああ、と木々が揺れる。大きな月が雲に隠され、石の墓標に影を作り出す。
しばらく見つめていれば、陰りは徐々に薄れていった。雲の流れが早いらしい。
「……ずいぶんな場所に来るんだな」
「きみもね」
苦々しい顔をしながら、ファウストは薄い唇を甘く噛む。フィガロは、それが都合が悪いときの仕草であることを、もちろん知っていた。
魔法舎の近くに、大きな木が生えた。たくさんの薄紅の色の花を携えたそれは、おおよそ厄災の影響だろう。
街の人々は気味悪がりつつも、どこかその神秘的な美しさに惹かれていた。
風の強い日には、花びらがひらひらと舞う。一枚、また一枚、手を伸ばせどヒラヒラと飛んでいってしまう。散りゆく花の姿は、大層綺麗だった。
もちろん、賢者の魔法使いにも摩訶不思議な木の話が耳に入る。箒を走らせ、空中から見た薄紅の花を、賢者はサクラに似ていると言った。
サクラは、賢者の国では有名な花らしい。春の風物詩のようなもので、多くの人間がこの木の下で酒を飲み、美味しいご飯を食べるらしい。
じゃあ、やっちゃおう!
くるりと箒で一回転をしたムルに、賢者の顔はぱっと明るくなる。そこから話は盛り上がり、すぐに決行されることになったのだ。
厄災の影響を受けた巨大な植物に近づきすぎるなど、ファウストからすれば言語道断だ。しかし、彼らの盛り上がりを見ていれば、それを不粋に指摘するようなことはできなかった。
だから、ファウストはひと足先にここに来たのだ。まさか、フィガロがいるとは思ってもいなかったけれど。
「じゃあ一緒に行こうか」
「は? 断る」
光の速さで拒否をするファウストに、フィガロは困ったように笑う。
「いいじゃない。二人の方がちゃんと確認できるし」
「……何の話だか」
「うーん、そろそろ素直になったら?」
眉をひそめたファウストは、無言で歩き出す。その後ろを、フィガロはゆったりとした足取りでついていく。一度、ファウストは振り返ったが、彼は何も言わなかった。
サクラに似た花は、夜になると光るらしい。青白く光る花弁は、木々から離れ、そしてゆっくりと風に乗せられていく。魔力をうっすらと帯びた花びらは、地面に落ちる前には輝きを失う。木の下には、たくさんの薄紅の花が溜まっていた。
同じぐらい、よくないものの気配もする。
ファウストは、片手を上げて魔道具を飛び出す。フィガロは、腕を組みながらにこやかに地面を見つめていた。
「手伝った方がいい?」
「うるさい。僕がやる」
ごぽり、と筒状に花びらたちが沈んだ。呻き声が聞こえてくる。
そして、腕が一本、地面から現れた。四つん這いになりながら這い出たソレは、人のように手が二本、足が二本、頭が一つある。しかし、全身はまるで汚いオイルで包まれたように真っ黒で、ポタポタと黒い液体が滴り落ちていた。その度にジュウ、と地面が焼かれ、小さな煙を作り出す。
哀れな亡骸は、ファウストの方へゆっくりと向かっていく。ゔ、ゔぁ、と呻き声を上げながらも、愚直に目の前に突き進んでいった。
「すぐに楽にしてやる」
ひゅう、と後ろから陽気な口笛が聞こえてくる。ファウストは眉をひそめ、そして腕を高く振り上げた。
「《サティルクナート・ムルクリード》」
青い光が、黒い化け物を包み込む。悶え苦しむ声を上げながら、化け物はサクラの花びらの上をのたうち回る。その度に焼け焦げたような不快な匂いが辺りを包み込んでいく。
しばらくして、ソレは動きを止めた。ファウストの魔法をただ享受するかのように、苦痛の叫びを上げながら、身体をゆらゆらと揺らす。そして、青い炎に焼かれながら、枝のような腕をゆっくりと天に掲げる。
まるで、祈りを捧げているかのようだった。
早朝、気持ちの良い朝。
賢者とその一行は、ネロから渡されたバスケットを持ち、中庭に集まっていた。
「楽しみですね、賢者様!」
ミチルとルチルの笑顔に、賢者はゆっくりと頷く。不機嫌なミスラはふぁとあくびをして、スノウとホワイトがくるくると周った。ムルが突然花火を上げ、ネロがギョッとした目で見つめる。シノやカイン、レノックスは爽やかな笑みを浮かべお互いの鍛錬の感想を言い合っていた。
フィガロは寝坊、ファウストは同行を拒否した。いつものことなので、特に皆気にした様子はない。
賢者の元気な掛け声に、魔法使いたちはそれぞれらしい返事をする。バスケットを揺らしながら、彼らは箒に乗った。
澄んだ風に、サクラが揺れる。
とても綺麗で、美しい場所だった。