最後の日 もういいかなと思った。
あと十分もすればファウストが部屋に呼びにくる。少し前までは自分から顔を出していたけれど、今はもうそんな気力は無くなった。ファウストが気を遣って呼びに来てくれることだけが小さな安心だった。側から見れば少しだけ惨めに見える気がする。
けれど、昨日ファウストは来なかった。事前に彼から聞いていたけれど、いざ朝を迎えて、他の者が控えめに扉を叩いて。その瞬間、心の糸がプツンと切れてしまった。だから、適当な理由をつけて部屋から出なかった。
今日一日、フィガロがいなくても問題は起こらない。きっと、これからもそうだろう。
自分は革命軍に必要ない。当たり前だが、己のようなお客さんがいなくても困ることはないのだ。もともと分かっていた、そして昨日でちゃんと証明された。
誰かに必要にされていることが嬉しかった。誰かの唯一になれた気がしていた。けれどそれは自分だけだったらしい。現実を知った。
急に虚しくなり、フィガロは静かにため息を吐く。
修行中、ずっとファウストはフィガロを求めていた。ああ、そうだ、いつだって誰かに求められてきた。だから自分から求めることが苦手で、求められなくなったときにどうしたらいいのか分からない。
指先一つで小さな荷物は片付ける。短期間で幾つもの場所に移動してきた。慣れない生活もフィガロにとっては正直ストレスだった。己は案外繊細だったらしい。
基本的な生活用品は揃っております。どうぞ身軽でいらっしゃってください。そんな風に言われたけれど、大魔法使いのフィガロには庶民が使うものと相性が悪かった。
この部屋、いや場所もそうだ。一番広くて綺麗な場所だけれど、それよりもファウストと隣の方が良かった。
この場所に来て、フィガロはいつも輪の外からファウストを見ていた。戦いに勝利して仲間と喜びを分かち合うときも、人々を鼓舞するときも、先導して戦地へ向かうときも。ずっと後方から彼を見つめていた。
フィガロは輪の中に入れない。偉大な魔法使いは人間が積み上げてきた小さな勝利を一瞬で無に返す力を持っているのだ。ファウストがそれを望んでいないことを、フィガロは重々承知していた。
理想の師匠でいたかった。
少し前まではずっと隣にいた初めての弟子。そんな彼の本当の場所はきっとここなのだろう。時折見せる屈託のない笑顔がそれを証明している。
そして、自分は一生その場所には近づくことができない。頑張って寄り添おうと努力したけれど、正直もう限界だった。
それなら、いっそのこと。
勝利も目前、一人で生きていけるぐらいには魔法は教え込んだ。彼を慕うたくさんの仲間もいる。きっと、もう自分がいなくても生きていけるだろう。
これでいい、これでいいのだ。
呪文を一声、部屋を綺麗に整える。置き手紙を残そうとして、けれど言葉がまとまらなくて諦めた。
ピント張ったシーツを軽く撫で、フィガロは扉を開く。一瞬よぎる未練は見ないふりをして、手元に箒を出した。
ここにはもう、二度と戻らない。
箒で飛び立つフィガロを追いかける者は誰もいなかった。
「フィガロ様……?」
本を片手にファウストは扉を叩く。
応える者は、もういない。