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    9s86u

    @9s86u

    おはなおいしい

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    モブ霊

    アンビエント 家に帰る途中だった。
     街灯の続く歩き慣れた一本道が、今夜の霊幻にはやけに長く感じた。
     子供の頃に考えたルールを思い出すくらいに。
     ――あかりとあかりのあいだ、暗いかげのなかを歩くときは、息を止めること。
     横断歩道の黒いところを踏んだら死ぬ、と言う遊びで周りが遊んでいた頃、霊幻が独りで帰る道すがら決めていたルールだった。
     影の中で息をすると捕まって見えなくなってしまうと、不穏な理由もついている。
     子供の頃は、何故だかそれを信じて恐れていた記憶がある。何に捕まってしまうのか、大人になって思い出せば、まったく意味の分からないルールだった。
     それでも、この世には科学で解明できないことが沢山あることを霊幻は知っている。
     それに理由をつけて、名前をつけて、思考し、振る舞う。すると、分からない者たちの目には、霊幻が世紀の天才霊能力者に見えてくる。
     別に騙しているとは思わない。ただ人より思考力が優れているだけ。想像力が豊かとも言える。
     道先には街灯がまだ続いていた。飴色の灯りと灯りの間、深淵のように沈む影に心が動く。
     そこに何が潜んでいると言うのか。霊幻は自然と息を止めて影に入った。
     灯りの下よりも、心なしか肌寒い。色の効果だろう。暖色系の光は日光に似ているから。
     辺りを見渡せば、住宅の灯りは一つ残らず消えている。平日の夜なんてこんなものだろう。週の半ば、明日も仕事があるのだから。
     腕時計を見れば、いつの間にか針はニ時を指していた。事務所を出たときはまだ八時くらいだったはずだ。そろそろ電池切れなのだろう。忘れるくらい久しく電池交換をしていなかったから。
     灯りの下まで歩き、一息ついた。がっかりしている自分に霊幻は苦笑する。もしかしたら、子供の頃の自分は何かを見たのかも知れないと、淡い期待があったからだ。
     もう忘れることにしよう。一人分の靴音を響かせながら霊幻は静かな道を歩き出した。
     一日にマッサージ案件を五回も受けたせいで、肩が重い。くたびれた体を引きずりながら、どれも羽振りのいい客ばかりで精を出しすぎてしまったと後悔した。
     おかげで三日分の売上予算は賄えてしまうほどで、明日は臨時休業にしてもいいなと思った。
     久しぶりにゆっくり過ごすのも悪くない。
     そうと決まれば、霊幻はおもむろにケイタイを取り出した。画面の時計は九時すぎを表示していて、やっぱり腕時計が悪かったんだなと思った。
     家に着く前に弟子へ連絡しておこう。たまには部活の皆と遊びにでも行ってくればいい。
     そんな軽い気持ちで電話をかけた。
    「もしもーしモブくん? 俺だけど。いや、仕事のことじゃなくて……まあ仕事のことでもあるか。え? 聞き取りづらい? 俺は聞こえてるから、オマエんちの電波が悪いんじゃね? だからー、今から来いって話じゃなくて……どこって、家に帰るところだよ。ん? エクボはいねえよ。見えてないだけって可能性もあるけど……それでさ、明日、来なくていいから――って、」
     ……切られた。アイツんち電波悪すぎないか。
     話の途中だったが、かけ直す気もなれない。
     顔を上げると、道の先が見えないほど続く光景に目眩がした。今まで歩いてき風景が一向に変わらないと気がついてしまった。
     一体いつから、こうなった?
     街灯の下で歩みを止め、霊幻は考える。
     耳の奥からボーッと低い音が鳴り、何かの近づく気配がした。しかし足音も、這いずる音も一切聞こえない。
     実体がないのだろうか。見えないことには塩をかけることは難しい。霊幻は静かに呼吸し、気取られないよう、そっと懐から手鏡を取り出した。
     背後が見えるよう角度を調整し、鏡越しに後ろを確認すれば、そこには何も映らなかった。
     瞬間、ピシッと鏡に亀裂が入る。
     霊幻が驚きのあまり思わず手を離してしまい、足元で手鏡が砕けた。破片がコンクリートの上に散らばる。飴色の灯りに反射して光る中で、影が蠢くのを見た。
     一応、塩を握りしめて構えるが、一向にこちらへ危害を加えてこない。霊幻はようやく理解した。
     ――あかりとあかりのあいだ、暗いかげのなかを歩くときは、息を止めること。
     子供の自分が考えたルール通りだ。
     霊幻は落ち着いて一息つく。ステルスゲームと同じだ。以前プレイしたこともある。
     要は、敵に見つからないよう進めばいい。そうだろう、スネーク?
     塩をしまった霊幻は勢いよく振り返り、暗闇を睨みつける。何にも見えやしないが、こう言うのはメンタルが肝心だ。ゲームと違うのは、ゲームオーバーが命に関わるってことくらいで。
     おいおい、VRMMOの世界に閉じ込められたわけでもあるまいし。
     ……って、VRとは? と、突然浮かんだ単語に疑問を抱きながらも、こんな状況で普通にいられるわけがないからと気にしないことにする。
     先の電話で、やけに心配そうに居場所を訊いてきた弟子のことを思い、今から来いと言っておけばよかったと、たらればなことに後悔を感じた。
     もう一度かけてみるかとケイタイを開けば圏外で、画面に映る時刻は二時。ひえ、と上げそうになる声をどうにか飲み込んだ。
     ……どうやらこれは、世紀の天才霊能力者・霊幻新隆にしか解決出来ないようだ!
     スキップして行くくらいの余裕はある。霊幻は手のひらの汗を握りしめた。
     なんせ、次の灯りまで息を止めて歩くだけなのだから。
     それだけを考え、霊幻は暗闇に一歩踏み出す。
     灯りから灯りへ、どんどん進んでいくも終わりが見えない。先を急ごうと歩みが速くなってゆく。
    「っ、…………はぁ、はぁ、はっ」
     灯りの下で深呼吸し、落ち着いたらまたすぐに歩き出す。呼吸が乱れそうになると、口に手を当てて抑えた。
    「う……っ」
     どこかに行き着くようすもない。いつまで歩き続ければいいのか、他に出口はあるのか。先の見えない不安が足元から湧き、思うように動かなくなってくる。
     早く灯りの下へ入ろうと霊幻が足を伸ばせば、急に目の前の灯りが消えた。
     霊幻は考えるより先に、もう一個先の灯りを追いかけようと走り出す。
     しかし残酷なことに、無理やり電源を抜かれたように目の前の灯りは次々と消えてゆく。
     足がもつれ、転びそうになりながら駆ける。
     息ができないまま走り続け、破裂しそうな胸の苦しみにもがく。
     乾いた唇を噛んで噤んだ。口を抑えた指先は熱を失い、両脚は震え、限界だった。
    「う……っん、……は、……っ!」
     口から漏れる息が、止められない。暗闇の中、霊幻が転ぶように座り込んだ。
    「はぁー……っ、はー、はー……はぁー……」
     口は空気を求めて開き、息をするたびに膨らむ肺に痛みを覚える。肩を大きく上下させ、求めるだけ呼吸を繰り返した。
     ああ、気持ちがいい。
     ――と、そこで我に返った。
     息をしてしまった。息をしてしまった。息をしてしまった……!
     びくっと体が勝手に震え、焦りが背筋を駆け上がる。口元を手で覆い、ひゅっと喉が締まった。
     酷い耳鳴りがする。放送終了後の砂嵐みたいな、ザラザラとした不快な音が鳴り止まない。
     空間が歪むような不協和音が反響し、耳の奥が破裂しそうなほど苦しくて霊幻は頭を振った。
     目の前を何かが通り過ぎる。暴れ狂う心臓を押さえ込むようにうずくまった。
     乾いていたはずの唇が湿っている。それが自分から流れる血であることを霊幻は痺れた舌で感じた。
     これ、もう死ぬだろうなと、隣に立つ冷静な自分が肩を組んでくる。なんて馴れ馴れしいヤツだ。
     不思議と、死への恐怖はなかった。
     息を止めないとどうなるのか、そんな子供の頃に想像したことがどんな結果を迎えるか。霊幻は今、純粋に興味があった。
     何かは姿を見せない。もしかしたら、思っていたより低級なヤツだったりして……。
     落ち着きを取り戻した霊幻は地面に大の字になって寝転がった。
     冷たくも熱くもない地表に、もうここは現実世界ではないのだろうか。霊幻がネクタイを緩め、シャツのボタンをひとつ外し、胸元をくつろげる。胸の痛みが楽になったような気がした。
     肉体の苦痛が薄れると、心に余裕も出てくる。煩わしい耳鳴りも、意識を向ける先を変えれば、遠くで聞こえてくる程度に感じた。
     何にもないのも退屈で、案外このまま眠ることも出来そうだと試しに霊幻が瞼を閉じてみた。

     瞼の裏で光を見た。反響する音の中で、誰かの声がする。鍵穴を覗くような思いで霊幻が声に集中すると、今度は、はっきりと聞こえてくる。
    「……師匠、師匠!」
     モブの声だった。向こうはかなり焦っているらしい。そんな声を聞きながら、霊幻は体の力が抜けるのを感じた。
    「大丈夫ですか、師匠! 返事をしてください!」
     目を閉じた先から差し込む光が眩しい。どう言う理屈なのかは考えるだけ無駄だった。
    「よう、モブ」
     暗闇の中、大の字で寝転がりながら霊幻は瞼の裏にいるモブに声をかけた。
    「あんたなにをしたんだ!」
    「え、……多分、息を吸った、から?」
     分かりやすいほど呆れた溜息が聞こえてくる。
    「とにかく、目を開けてくれますか?」
    「目?」
     開けてみても変わらぬ暗闇が広がっていた。
    「暗いんだけど……」
    「目を閉じながら喋ってるからですよ」
    「は?」
    「……目が開かないんですか?」
    「えーっと、」
     瞼を閉じても光を感じるだけで、何も見えないことには変わりがない。
     霊幻は眉間に皺を寄せ、光の先を見ようとする。ピントを合わせるように一点に集中し、物体をとらえようとした。
    「……うーん、ダメだ。難しい」
    「分かりました。それじゃ立てますか?」
    「ああ」
     立ち上がると、ふらつく背中を支えるてくれるぬくもりを感じた。
    「動けそうですね。じゃあ、このまま事務所に行きます」
     腕を掴まれた感覚の後に引っ張られる。どうやらモブが触れているようだ。
     目を閉じても開いても、霊幻には向こうは見えないが、向こうは霊幻のことが見えているらしい。別の世界に来たのかと思ったが、繋がっているのだろうか。
    「どうなってんだこれ」
    「僕にも分かりませんが、師匠は道のド真ん中で倒れていましたよ。なにがあったんですか?」
    「まあ色々あったが、俺の力で持ち堪えた」
    「そうですか」
     興味がなさそうな返事をされても、人と話せている状況に霊幻の表情が緩む。いつの間にか耳鳴りは止み、不快な音も聞こえなくなった。
     ただ目を開いていると自分が暗闇にいることは変わりはないが、瞼の裏に感じる光が自然と不安をなくしてくれた。
     あたたかな陽だまりのようなそれは、光源と言うより、隣にいるモブからあふれる超能力的なものに感じた。

     モブの誘導で歩きつづけると、無事事務所に着いたらしい。霊幻には前後左右も分からない空間に立っていることには変わりはないが、椅子に座らせてもらうことで立体物を感じることができた。
    「どうしましょう。このままだと普通の生活もできそうにありませんよね……」
    「案外、寝たらどうにかなるんじゃないのか」
     無言が返ってくる。目が見えないとやりにくい。
     冗談だと口にすれば、にべもない返事が聞こえた。どんな反応をしているのか分からなくて困る。
    「あ、師匠。怪我してるじゃないですか」
    「え、どこ?」
     モブに言われて自分の体を触れてみても、痛むところはない。
    「唇が切れてます」
    「これか、」
     指先で軽く押すと、下唇に鋭い痛みが走った。乾いた血を舌先で舐めとれば、また微かに滲んでくる。
    「んなの唾つけときゃあ治る」
    「そうですか……」
     下唇を舐めてなんとなしに言うが、針で刺されるような痛みに霊幻は顔をしかめた。
     両肩に感じた重みにつられ、霊幻が顔をあげる。やわらかさを口先に感じた。
     ズキリと、唇が痛む。
    「ぃ、っ……!」
     反射的に目を閉じて肩をすくめる。ぺろりと舐められたところで、ようやくそれがモブのだと知った。見えない中、自分が何をされているのかを想像したくなかった。
    「ししょう、」
     緊張した声がとても小さく、舌足らずに震える。チクッと唇に痛みが走り、また舐められたのだと分かった。
    「……美味しいもんじゃないぞ」
     止めろと拒絶するには、何もかもが見えなさすぎる。
     ……お前は今、どんな顔をしているんだ?
    「美味しいから、してるんじゃありません、」
     そう答えながらモブの控えめな舌が懸命に唇を舐めてくる。
    「唾をつければ治ると言ったが、お前のじゃない」
    「分かってます」
     なら、止めてくれ。
     そう言ってやろうか考えて口を開けていれば、何を勘違いしたのか舌を入れられた。
    「……っ、あふ、」
     モブが寄りかかってきて、唇がくっついて、傷口がビリビリする。霊幻は引き離そうと腕を伸ばすも、何故か相手をとらえることが出来ない。
     小さな舌が自分を捕まえようとしてくる。熱いモブの舌先で頬の裏をえぐられ、上顎に擦りついてくるたび、体は面白いくらいびくびくと震えた。
     全てを振り払いたくて霊幻はもがいた。
    「ぁう、……ん……っ、もぶ」
     顔を上げ、息がしたいと口を開く。離れたと思った舌をぢゅっと吸われ、甘い刺激に腰が揺れる。
    「ひ、……ーーっ!」
     ズキズキするのは唇だけだろうか。もうどこが麻痺しているのか分からず目眩がした。
     今までなんともなかったはずなのに。
     一体いつから、こうだった?
    「ししょー…………れいげん、ししょ、」
     囁く幼い声に劣情が込めらる。これが初めてではない。
     耳鳴りがぶり返し、反響した音が暗闇で広がる。辺りに響く不協和音は霊幻を責める。不器用に指先で喉元を撫でられ、逃げ場を失った霊幻は強く目蓋を閉じた。
     それでも光はずっと照り続け、眩しくてたまらない。これはもう、目を背けることが出来ないと霊幻は悟った。
    「……――師匠、ごめんなさい。僕、師匠が、」
    「謝るな」
     次に目を開けた時、霊幻の視界に映ったのは今にも泣きそうな弟子の姿だった。
    「……俺が悪かった。お前のこと、ちゃんと見てなかった」
    「えっ、見えてるんですか?」
    「え? いや、そう言うことじゃなくて……まあそう言うことでもあるか」
    「よ、よかったー……」
     深い息を吐いたモブが倒れ込んでくる。どうやらデスクの上に乗っていたらしい。靴を脱いではいるようだが、ここは俺のデスクだぞ?
     この弟子をどうしたものかと霊幻が唸っていると、モブが飛び跳ねるように退いた。
    「すみません!」
    「ん? ああ、もうデスクの上には乗るなよ」
    「分かりました、ってそうじゃなくて!」
     顔を真っ赤にしたモブが言い淀む。そうじゃないのは分かっていても、さっきのことは霊のなんかアレみたいなアレだったからもういいんじゃないかと、霊幻は目が見えるようになったことで解決したことにしたくなった。
    「あー……もう今日は霊とかなんかアレがアレで、俺はとても疲れたから、また今度な。モブも明日学校だろ? 早く帰って寝ろよー」
     向こうからはなにか言いたげな視線を感じるが、良い子は早く寝なさいbotになった霊幻はモブを事務所から追い出した。
     ドアを閉めて、ようやく静かになった部屋で霊幻が大きく息を吐く。これからのことを考え、頭を抱えた。見なかったことにして逃げ回っていたツケを払う時がきたと。
     如何なる文句を並べたところで、真実に勝るものはないと霊幻は知っている。
     これにどんな理由を、名前をつけようか。今後の振る舞い次第では、相手を不幸にしてしまう。考えろ。リスク回避の最適解は……――
     霊幻が無意識に口元へ手を伸ばす。散々いじられた咥内がむずがゆく、口寂しさが悩ましい。
     じんわりと、また唇から血が滲んだ。


    (アンビエント)

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