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    mhyk_arigato

    パッションと性欲の捌け口

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    mhyk_arigato

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    賢者♂とシャイロック

    世界に宿る痛み 窓ガラス越しに鳥のさえずりだけが響く、昼過ぎの食堂。
     二十一人の賢者の魔法使いを抱える魔法舎はいつだって賑やかだ。寝静まった深夜でさえ、突然爆音と共に戦いが始まることもあるし、穏やかな夜だとしてもそれだけの人数の気配がひしめいていれば音のない賑やかさがある。
     そんな魔法舎に慣れていれば、ほとんど人のいない今日の静けさは耳につくほどだった。空気もまどろんで、流れる時間がやけにゆっくり感じられる。俺に精霊を感じ取ることはできないが、彼らさえ木漏れ日の下でうたた寝をしていそうだ。

     何もない宙を眺めてぼーっとしていた俺の思考を現実に引き戻したのは、食堂の扉の開く音だった。瞬間、今が真昼間であることを忘れるほど、閉じられた夜の気配を纏った魔法使いが姿を現した。
     あくびをする姿さえ上品で艶っぽく見えるのだから不思議だ。思わずじっと見ていたことが彼にはバレバレのようで、そっと微笑まれて片目を閉じられる。なんだかおいたがバレた犬のような気持ちになってしまう。

    「こんにちは、シャイロック。昨日は夜ふかしをしていたんですか?」
    「昨晩は早めに店じまいにして、自室でとっておきのワインを開けていました。お気に入りのグラスで少しずつ飲んでいたつもりですが、楽しい時間というのは過ぎるのが早いものですね。名残惜しくて随分と夜に縋ってしまいました」

     太陽が昇れば否が応でも前日の死を思い知り、今日に切り替わったことを自覚する。それは人も動物も同じだろう。しかしシャイロックは言葉の通り、まだ夜を引きずっているようだった。心なしか、彼の指先に気だるさが残っているような気がした。
     シャイロックは俺しかいない食堂を見渡して、静けさを歓迎しているのか、物足りなく感じているのか分からない声色で他の魔法使いの所在を尋ねた。

     東と南の魔法使いは合同で東の国のとある街で起こった異変の解決にあたっている。クロエとラスティカは中央の市場に買い物に出掛けており、ムルは常の自由奔放さで蝶を追いかけてミスラの空間の扉に入ってしまい、現在の居場所は不明だ。
     アーサーは城での業務が忙しく、騎士であるカインも彼の傍についている。集団生活とは縁遠い北の魔法使いは魔法舎を出て各々好きな場所で時間を過ごしているだろう。現在魔法舎にいる魔法使いは、自室で文字の勉強をしているリケと、同じく自室で過ごしているオズだけだ。

    「賢者様はどうして食堂に? 昼食の時間は過ぎているようですが」
    「実は、今日一日休暇を頂いているんです。ただ、何をすればいいか思いつかなくて、ここでぼーっとしていました」

     趣味のないサラリーマンのようなことを言ってしまったな、と自分の現状を危うく思っている中で、シャイロックは顎に手を当てて少し考えるそぶりを見せた。そして、そっと手を差し伸べ、恭しく一礼して、俺に赤い視線を投げかける。

    「賢者様、よろしければあなたの時間を私に頂けませんか」

     願ってもない申し出だった。もちろん、俺に首を横に振る選択肢はない。どぎまぎしながら、その手を取るだけだ。



     シャイロックの飛行は、彼の人となりを表すようにゆったりとしていてとても安定している。魔法使いによっては振り落とされないように集中しなければならない時もあるので、シャイロックとの飛行では周囲の景色や風をゆったりと楽しむことができた。
     西の塔から出発してしばらく箒を飛ばした頃、透き通るようだった空気が徐々に変化していくのが感じられた。息を吸い込めば油の匂いがする。シャイロックがどこを目指しているのか、ふと思い至った場所が目的地だとは信じられずに、思わずシャイロックの横顔に視線を投げかける。答えはなかった。

     眼下に見えてきたのは以前任務で訪れたことのある、西の国のラングレヌス島だった。魔法科学装置を利用した兵器の生産地、殺戮の母体とも呼べる島。以前見た時よりも、一段と密集した煙突の群れが、競い合うように黒い煙を吐き出していた。

    「……少し、意外でした。シャイロックは、あまりこの場所に来たがらないと思っていたので」
    「お世辞にも好ましい景色とは言えませんね」

     細められた目が、試すように俺を見た。あなたは、と声もなく問われる。あなたはこの景色を、どう思いますか。
     他人に奉仕する時間を早々に打ち切り、自らの為に酒を飲み、夜を引きずって現れたシャイロック。引きずっていたのは夜だけではない。今日のシャイロックは、少しだけいつもとは違うのかもしれないと、その時ようやく思い至った。

     目を閉じる。シャイロックは魔法科学の発展した今の西の国があまり好きではないと言う。空気は汚れ、動植物の生き生きとした姿が失われた、魔法科学に蹂躙された土地だと。

    「……俺は、嫌いではないのかもしれません」

     兵器の開発だけに力を注ぐラングレヌス島は別として、俺からすれば西の国でさえ故郷に比べれば十分緑が多く、発展途上に見える。科学の真髄は、こんなものではない。子供から老人まで機械を生活の中に組み込んだ社会は、この程度では終われない。

    「マナ石を動力にしてはいませんでしたが、別のエネルギーを使う、魔法科学よりももっと発展した技術が俺の世界にはありました。ボタンひとつで何万曲という曲を聴くことができて、遠くの人と声や映像が交換できました。鉄の乗り物が大地を、空を駆けて、数十秒温めるだけで出来たてと同じような料理を食べることだって可能でした」

     それが良いことか悪いことかなんて、本当の意味で意識していたことが果たしてあっただろうか。度々取り上げられる環境汚染のニュースを、俺はどれだけ真剣に聞いていただろう。当たり前に手に入った様々な科学の恩恵に対して、疑問や感謝をどれだけ抱けただろう。

    「俺は、そういう世界から来ました」
    「あなたは、その世界が好きでしたか?」
    「好きでした。嫌いになんてなれない。シャイロックから見れば醜くて退屈で、怠惰で無責任な世界でも、あそこが俺の生まれた場所ですから」
    「賢者様の世界のことは分かりませんが、私は賢者様のことが好きですよ」

     この話はひとまずそこで終わりのようだった。シャイロックは囁くように呪文を唱える。すると、それまでの俺たちの装いが瞬く間に変わった。

    「わ! 懐かしい。ラングレヌス島に来る時、クロエに作ってもらった服ですね」
    「せっかくのクロエからの素敵な贈り物です、たまには袖を通してあげなければ、服が泣いてしまいます」

     ラングレヌス島は警備が厳重で魔法使いですら入ることに苦労する場所だ。当時任務で訪れた時は、研修生という体で潜入を試みたのだ。
     服にはその時の思い出が詰まっている。魔法でも翼でもなく、科学の力で空を飛んだ飛行軍艦の最期の姿は、今も目に焼き付いている。

     シャイロックがゆっくりと人気のない路地裏に箒を下ろした。バレたらどうしよう、と不安がっているのは俺だけのようで、シャイロックは箒を煙にしてどこかに消して、迷いのない足取りで進んでいく。俺はなるべく周囲を気にしながら、心なしか足音を小さくしてシャイロックの後に続いた。

     ふと、掠れた鼻歌が、無機質な音の隙間を流れてくる。釣られるようにして顔を上げ、音の出どころを無意識に探る。
     音の主はあまり歌がうまくないのかもしれない。元の曲を俺は知らないけれど、時折明らかに音が外れる時があった。何度も繰り返されるサビに終わりは見えず、きっとその先を忘れてしまったのだろうと思った。

     歌に導かれるようにして、配管で覆われた迷路のような路地を進んでいく。終わらない歌の続きを引き受けるように、シャイロックが口先で透明な旋律を奏でる。シャイロックの歌声が聞こえたのか、音の主はぴたりと歌うのをやめた。
     ひとつ角を曲がると小さな工場が見えた。入り口近くに停めてある台車に背を預け、工具片手に機械をいじっている男が、音の主のようだ。

    「懐かしい歌ですね」
    「魔法使いか」
    「おや、分かるのですか」

     男の目には嫌悪があった。この島を見渡すシャイロックの瞳の奥にも、ずっとその色がある。
     不法侵入で軍部に突き出されたらどうしよう、と顔を真っ青に不安がる俺をよそに、男はすぐに興味を失うようにふいと視線を逸らした。それからぽつりと、誰に聞かせるでもない呟きを落としていく。

    「俺のじいさんの、さらにじいさんが好きだった歌らしい」
    「二百年ほど前に流行っていた曲ですね。私の店でも、たまに流すことがあります」
    「じいさんはおろか親父も死んでるからな。続きが分からなくても、訊ける相手がいねえ。曲名だって知らねえ。ずっと、モヤモヤしてたんだ」
    「お役に立てたのなら何よりです」

     俺の心配をよそに、男とシャイロックはそれからいくつか言葉を交わしていた。男はどうやら、魔法使いのことをよく思っていないにもかかわらず、魔法使いの侵入を大事にする気がないようだった。

     喧騒と活気から遠ざけられるように、周囲には男以外の人影はない。工場もほとんど使われていないのか、機械の熱と胎動が感じられなかった。
     常に新しいものを創造するこの都市において、ここは少しだけ古びていて、物悲しい。

     緊張がやわらいでくると、途端身を突き刺す寒さに身震いする。普段であれば機械で熱された空気が喉を塞いでいたのだろうが、冬の空気がその熱を根こそぎ奪い取っているようだった。
     色あせた機械の町に、真っ白な粉がぱらぱらと降り注ぐ。いつの間にか雪が降るまで気温が下がっていたらしい。俺は無意識のうちに両手をすり合わせて、はあ、と息を吹きかけた。

    「そっちのあんたは人間か」
    「え、あ、はい」

     男はポケットから何かを取り出すと、こちらを見もせずにそれを放り投げた。俺は慌てて手を伸ばし、勢いで前につんのめった体をなんとか支えながらそれを両手で掴んだ。手の中のものと男を見比べる。男は錆びた工具を手の中で弄んでいた。

    「空気に触れて鉄が錆びる原理を応用した。反応を早める為に粉になるまで砕いたマナ石と鉄粉を不織布に包んで……」

     男の話は耳に入ってこなかった。受け取ってすぐには気づかなかったが、それを握りしめていればそのぬくもりに気づく。見た目だって、ほとんど同じだ。

    「カイロだ!」

     俺は感動のままに声を上げた。遠い故郷の冬の日が蘇る。カイロをポケットに忍ばせて歩いた夜道を、街頭の青白い光が照らしている。そのうち雪が降り出して、寒さから逃れるようにマフラーに顔を埋めて、足を早めて帰路につく。手首にはコンビニのビニール袋、中には肉まんが入っている。
     じわりと、手のひらから感じるぬくもりと同じように、視界が滲んだ。思い出の中には、どうしたって寂しさがある。
     感情の波をやり過ごして、寂しさの代わりに、寒さに逆らうように生じるその温かさへの嬉しさと感動を分かち合いたくて、俺はシャイロックを見上げた。

    「シャイロック! ほら、あったかいですよ」

     俺の視線に気づいたシャイロックは狐のように目を細めた。ゆらりと揺らめく、赤ワインの水面を思わせる瞳。彼のまなざしに優しさがないわけではない。けれど、漂う無関心がそれを笑みと認識させない。舞い上がりすぎた自分を恥じるより先に、男の声がことさらに冷たく響いた。

    「無駄さ。そいつらに人間の言葉が通じるものか」

     咄嗟に「いいえ、」と声が出る。通じなかったのは言葉ではなく、俺の世界の知識だ。けれどなぜか、俺はそんなことはありませんとは続けられなかった。俺の世界の知識が通じないのは、男だって同じ。それに俺は、俺の世界にあったものがこの世界にあった感動ではなく、ただ、これが温かいことが嬉しかったから、シャイロックの名を呼んだのだ。

    「俺たちがこんなもので喜んでいる理由を、その魔法使いは欠片も理解しちゃいねえ。長く生きてる分、予想することはできるだろうが、本質的な理解には及ばない」

     シャイロックは男の言葉を、肯定も否定もしなかった。ただ、いつものように柔らかく妖艶な笑みを浮かべているだけ。きっとシャイロックは猫が戯れているのを眺める時も同じ表情をしているだろう。重たく感じられる沈黙をどう処理すればいいか分からず、俺は途方に暮れた。
     男は緩慢な動作で台車に預けていた体を、灰色に曇った空の下に晒した。

    「俺がこれを作ろうと思ったのは、大陸全土を大寒波が襲った四年前だ。
     路地裏で死にかけてるような浮浪者に、その寒さに耐えられるだけの体力も、あったかい服もあるわけがない。雪の下にいくつも死体が埋もれて、いつまでも腐らなかった。
     俺ごときに何かできると思ったわけじゃねえ。死んでいく子供を助ける偽善を可能にする金さえ、俺にはなかった。それでも、何もしないままではいられなかった。寒さに震える人々が、少しでもその寒さから逃げられるように。俺はそれだけを考えた」

     俺は手の中を見下ろした。仄かな温かみ。男の努力の結果が、ここにある。産み落とされたばかりの発明品。この世界で、これにまだ名前はないのだという。
     男は服に皺が寄ることなど気にせず、まるでその奥の心臓が痛むのだというように、きつく服を握りしめた。

    「魔法使いには決して分からないだろう」

     ――親を喪った少女が、抜けた歯の覗く口元で、声もなく笑った。

    「寒さで真っ赤になった指先を寄せて、小さな熱を握りしめた少女の、その尊さを」

     瞬間、俺の胸に吹き付けたのは、同情心だ。この世界に来るまで意識すらしたことのなかった同族に対する無条件の親愛。物心ついた時から当然のように持っていた人としての倫理観が、その少女を哀れだと言って嘆くのだ。心まで凍り付きそうになる寒さを知っている。この世界に来て、寒さに命を脅かされたこともある。小さな女の子が、寒さの中で何を思っていたかを考えるだけで胸が苦しくなる。

    「指先ひとつで炎の海を生み出せるおまえたちには、決して分からない。温かいだけで、涙が出る人間の気持ちなんて」

     嫌悪と諦めのまま、男は言う。
     賢者として魔法使いと接することになってから、彼らが抱える強さや孤独に打ちのめされることは多々あった。決して理解できない魔法使いの価値観に、どうすれば寄り添えるのか、賢者の書と睨み合いながら考えた夜はもう両の指では数えきれない。
     人間が魔法使いを嘘つきだと言うように。魔法使いが人間は約束を守らないと諦めているように。俺たちの間には隔たりがある。たった一凛の花に愛を囁き続けて石になる魔法使いを、人間は理解できない。魔法使いもまた、火にも満たない小さなぬくもりで心を揺らす人間のことが、分からないのかもしれない。だからシャイロックはあんなにも作り物めいた表情で、カイロに喜ぶ俺を見ていたのだ。

     彼は今、どんな顔をしているだろう。男の話を聞いて、シャイロックは何を思っただろう。

     俺たちは決して同じ時間を歩めない。同じものを見ているようで、まったく別のものを見ている。それでも知りたいと思ったから、言葉を尽くしてみんなと接してきたつもりだ。俺はまだシャイロックについて分からないことばかりだけど。
     それでも最近、分かってきたことがあるとすれば、シャイロックの内に秘められた心は炎のようにひどく激しく鮮やかであるということ。何気なく伏せたまつ毛の震えには歓びが、弧を描いた口元には憎悪が、柔らかく吐き出された紫煙には怒りがある。彼の赤い瞳の奥に今、揺らめいている感情は、

    「情熱的な方」

     恋に似ている。

     それまでどこか退屈そうに煙をふかしていたシャイロックは、男の話が終わる頃には唇からキセルを離していた。

    「あなたの科学には、痛みがある」
    「痛み?」
    「あなたの発明品を受け取って笑った少女の姿は、あなたに純粋な喜びや、達成感だけを与えたわけではなかったはずです」

     男が何かを言いかける前に、シャイロックが続けた。

    「胸をかきむしるほどの衝動があったのでしょう。それは魔法使いが魔法を紡ぐ時に使う心に限りなく近い。あなたは魔法の代わりに心で科学を紡いだ」

     木々のざわめきも鳥の歌声も、海のさざなみも聞こえない。鋭い音を立てて煙が上がる。空は青を忘れて久しく、重たい雲に覆われている。絶え間なくぶつかる金属の音。科学の都市を背に、シャイロックは軽蔑と哀れみを乗せた表情で眉根を寄せた。

    「世に放てばそれはいずれあなたの手を離れていく。そうなればもう、歯止めはききません。あなたの発明品を使う誰かは、あなたの痛みも知らずに、そのぬくもりを享受する、あなたの努力を消費するのです。身勝手に、無感動に、何の対価もなく」

     雪が降っている。科学の都市の暴発した熱を鎮めるように、降り続いている。雪が、シャイロックのまつ毛を彩った。

    「私はそれがひどく、腹立たしい」

     男はなんだか毒気を抜かれたような顔をして、それから緊張に強張っていた肩から力を抜いて、少しだけ猫背になった。手の中の工具を見下ろして、「それでも、この世界に何か残したかったんだ」と、風に紛れるような声で言うのだ。
     男はそれから何も言わず俺たちに背を向けた。俺には二人の会話に口出しできる権利はないのかもしれないけど、それでも消化しきれていない感情のまま叫んだ。

    「どうして!」

     心で科学を紡いだというシャイロックの言葉通り、男は見ず知らずの俺たちに心の一部を見せてくれた。魔法のような科学を可能にする、心を。

    「どうしてこの話を、俺たちにしてくれたんですか?」
    「……さっき話した女の子、引き取り先が見つかったんだ」

     振り返った男は、その時初めて、少しだけ表情を緩めた。

    「昨日、新しい家族と、南の国に行ったよ」

     貧困から、孤独から、寒さから離れて、南の国に。
     男はそう言って、今度こそ機械と科学の向こうへ消えていった。

     人の手を介さず、マナ石で常に駆動し続ける機械の立てる音が、静寂を許さない。急き立てるように音が追いかけてくる中で、俺たちは男の背が見えなくなるまでその場を動けなかった。
     俺が動き出せたのは、隣でシャイロックが苦しげに呻いて膝をついた時だった。

    「シャイロック!?」
    「……っ、本当に、厄介なものを、残してくれたものです」

     ジリジリと、<大いなる厄災>の傷の影響でシャイロックの心臓が燃えていた。音を立てて燃え盛る炎に煽られて、周囲の雪が地面に降り積もる前に溶けていく。
     どうすればいいか分からないでいる俺を、それでも安心させるように、シャイロックは微笑んだ。心臓を押さえている方とは逆の手を、俺に向かって差し出す。

    「手を、握っていただけますか」

     言葉が終わる前に、俺はその手を取った。余裕なく、俺の手は痛いぐらいの力で握りしめられる。シャイロックの手からは血の気が引いて、真っ白になっていた。

     ――雪に埋もれた町。指先を真っ赤にした、少女の笑顔。抜けた乳歯。もう戻らない誰か。故郷。海の碧と、葡萄畑。彼の美しい手が、紅葉のように小さかった頃。

     誰もが何かを失って、過去を置き去りに、痛みを抱えて、それでも生きている。人間も、魔法使いも。
     俺はたまらなくなって、同じだけの痛みを返せるように、シャイロックの手を強く握り返した。
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