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    EAst3368

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    読みたくて自分で描いたささろシリーズ

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    ささろ、付き合ってない、モブ出る/お互いピン芸人だったif(📮リクより)/【TW】 dub- con、ペットの死(軽微な描写)

    ##文

    芸人達のジレンマ 白膠木簓が優勝する、と皆んな分かっていた。ぎらぎらに輝くド派手な装飾の重みで今にも崩壊しそうなスタジオセットのド真ん中、金色のステージに立った七人のファイナリスト達は、それぞれに「緊張」のリアクションを表しながらも、片目で中央に立つ優勝確定の男を盗み見た。暗転したスタジオの中でもひときわ目を引く緑色の髪は、両手を合わせて祈りのポーズを取り、紫色のスーツに包まれた背中を丸め、発表の時を待っている。
    「ピン芸人グランプリ、栄えある優勝者は——」
     司会者である氷筋多聞の言葉に続いて、結果発表への期待を高めるドラムロールが響き渡る。天井からぶら下がったスポットライトがステージ上のピン芸人たちへ順番に光を当て——ドラムロールが止まると同時に、一人の姿を照らし出した。
    「白膠木簓!」
    名前を呼ばれた男は弾かれたように顔を上げ、両手の拳を振りながらステージ上で飛び上がったと思うと、膝から崩れ落ちた。
    「やっっった……!」
    眉を八の字に下げて笑う簓の姿に、暗がりに立つ敗者たちは拍手を送りながらも「よぉそんなピュアなリアクション出来るな」と内心悪態をついた。大型モニターに映し出される投票結果は、案の定視聴者票も審査員票も白膠木簓が圧勝していたことを告げている。
     そもそもネタの時点で、笑いの量が段違いだったのだ——他の芸人たちが収録の途中から、来年の出場について考え始めるほどに結果は明らかだった。彼らの目下の願いは、優勝者インタビューで簓が「二連覇を狙う」などとアホな宣言をしてくれるなという一点に集中している。
    「白膠木、おめでとう」
    未だ床に尻もちを付いている簓へ、司会者が手を差し伸べる。簓は興奮冷めやらぬ様子で立ち上がり、そのまま優勝者トロフィーと賞金五百万円のパネルを受け取った。弱冠二十二歳、最年少優勝者の若々しい頬は喜びに紅く染まり、いつも笑顔を絶やさぬ瞳はきらきらと輝いている。
    「優勝の喜びを一番に伝えたい人は誰ですかー?」
    アナウンサーが向けたマイクを、簓は惚けた顔で見つめた。金色の紙吹雪が舞い上がり、まるで計算されていたかのように、簓の汗ばんだ鼻先にペタリと貼り付いた。徹頭徹尾、笑いの神は白膠木簓に微笑むのである。客席から黄色い歓声と笑い声が同時に上がる。簓はカメラに向き直ると満面の笑みを浮かべて言った。
    「俺の……愛する相方に伝えたいです!優勝したでーっ!」



    「……って、呼ばれとるで、ツツジ」
     サキイカをかじりながら後ろを振り返ったトウゴは、橙色の瞳に大粒の涙を浮かべてテレビ画面を見つめている盧笙に気が付くと、思い切り眉間に皺を寄せた。テレビからは『お前、ピン芸人やろー!』という総ツッコミを受けた簓がカラカラと笑う声が聞こえて来る。そのまま大会テーマソングが大音量で流れ出し、司会者の慌ただしいシメの挨拶とともにカップラーメンのCMへと切り替わった。
     番組終了を見届けた盧笙は、一度小さくしゃくり上げたと同時にコタツに突っ伏して泣き出した。オレのアパートで寝落ちされんのは困る、とトウゴは助け舟を求めて相方のニイナへと視線を送る。彼女は号泣する盧笙の様子は気にも止めず、缶ビール片手に携帯画面をスクロールしていた。
    「トレンド入りしてるじゃん。ハッシュタグ・ヌルサラ、ハッシュタグ・イマジナリー相方。ウケる」
    「またか、イマジナリー相方。ヌルデの定番ギャグやと思われとるな」
    トウゴとニイナは顔を見合わせると、世間からは白膠木簓の想像上の生き物だと思われている男——躑躅森盧笙へと視線を向けた。

     白膠木簓とロショーツツジモリはピン芸人である。NOC時代から続く二人の奇妙な関係を知るのは、同期生であるトウゴとニイナ——漫才コンビ「弾丸ジャンク」の二人——だけだった。
     養成所に通っていた当時、クラス分けで同じC組に振り分けられた弾丸ジャンクと盧笙は、三人でよく連んでいた。売れる見込みの無い奴らが集められると噂の落ちこぼれクラスに振り分けられた芸人の卵たちは、早々にやる気を失うか、講師陣の評価なんて関係ないと一層気合いを入れるかの二択で、盧笙たち三人は後者の中でもとくにガッツがある点で馬が合ったのだ。
     授業後には牛丼屋に通ってネタ出しをし、トウゴの安アパートでバラエティ番組を片っ端から講評し、同じコンビニをバイト先に選んで金を貯めながら、時々駅前の広場で「合同ライブ」を開催して、いつか訪れるであろう売れる日を夢見て過ごしていた。
     そうして忙しない日々を送っていたある夕方——たしか茹だるように暑い日だった。NOCのエアコンの効きがイマイチなことを愚痴りながら三人が廊下を歩いていると、「盧笙!」というよく通る声とともに白膠木簓が現れたのだ。
     S組の男は当然のように三人の間に割って入り、盧笙に親しげに話しかけた。腕を引かれた盧笙も、気安い様子で返事を返している。トウゴとニイナは困惑を隠せなかった。長年知る近しい友人が、実は有名人と知り合いだったことが判明したような気まずさを感じた。事実、簓は劇場や深夜番組に出演し始めたことでほとんど養成所に通っていないエリートで、世間的にはすでに有名人の部類に入る芸人だったのだ。
    「何?ふたり、知り合い?」
    苦笑いを浮かべたニイナが盧笙と簓を交互に指差して尋ねれば、盧笙は「知らん。なんか付いてくるようになった」と首を傾げ、簓はその背後でただニコニコと微笑んでいる。
    「ついてきたーって、幽霊かい」
    トウゴは茶化したが、彼の笑顔は簓の発する奇妙な威圧感に引きつっていた。

     あの夏の日から、盧笙と簓はずっと一緒に居る。
    「あいつ……よぉやったなぁ……」
    鼻をすすった盧笙がようやく顔を上げた。コタツの天板は涙だか鼻水だか分からないもので濡れていて、トウゴは無言でティッシュ箱を投げつけた。
    「ぶっちゃけさぁ、結果発表でそんな緊張してたのツツジとヌルデくらいだよね」
    ニイナが片手で空き缶を握り潰して笑う。トウゴも同意見だった。八百長や出来レースでは決して無いものの、今年は最初から番宣の方向性も「新進気鋭の若手・白膠木簓は優勝なるか」という編集がなされ、インターネットの一部では消化試合とまで言われていた大会だった。
    「相変わらずヌルデは涼しーい顔でネタやってたしな。あいつ緊張とかするんか?」
    あくび混じりにトウゴが指摘すれば、勢いよく鼻をかんだ盧笙が「ドアホ!」と声をあげる。
    「お前らは何も分かっとらん……あいつの努力を……」
    盧笙は丸めたティッシュペーパーを放り投げ——六畳の小さなリビングの隅にあるゴミ箱の縁に当たって床に落ちた——フラフラと立ち上がると漫才師二人を見下ろした。盧笙はアルコールが入ると声が格段にデカくなる。トウゴは両隣の住人へ、脳内で謝罪の言葉を述べた。
    「決勝のネタ、見たか⁉︎ 新ネタやねん、あれっ」
    「あーたしかにライブでもテレビでも観たことなかったかも」
    ニイナは相槌を打ちながらトウゴと目を合わせる。いつもの講義が始まったぞ、と二人は諦めることにした。
    「せやろ?しかもなぁ、昨日の夜にボケ二個増やしてんで、あいつ……昨日の夜やで⁉︎ しかも、二個!分かるか?」
    「すごいなぁ、ヌルデは常に自分と闘ってんねや」
    「その通り!!」
    満足げな白膠木評論家へ、トウゴが「ヌルデって、ほーんまに努力家やなぁ」と、お決まりのフレーズを先んじて言ってやれば、盧笙は腕を組んで深く頷いた。
    「俺は簓を近くで見てきたから分かる……立派な芸人になるで、あいつは……」
    「そうかぁ、良かったなぁ」
    「私たちも同期が成功して嬉しいなぁ」
    口々に同意を示すと、盧笙は「分かればよろしい」と言わんばかりに二人を見渡した後、「トイレ」と呟いてリビングを出て行った。
     六畳間に残された二人は新しい缶ビールを開けると、それぞれ口に運ぶ。コタツの上に放置していたせいで温くなったビールは苦味ばかりが感じられた。
    「……自分が準々決勝で敗退した大会なんに、よぉあそこまで感動できるわ」
    トウゴが小声で言った。
    「ヌルデも嫌味とか一切無いっぽいのが、また怖いよな」
    ニイナも冷凍の枝豆をつまんでため息をつく。
     あの養成所の夏の日から、盧笙と簓はずっと一緒に居るのだ。簓が売れっ子街道を破竹の勢いで上り詰め、一方の盧笙が地下芸人への階段をゆるやかに下って行ってもなお、二人の仲は不思議と円満なのである。常人には到底理解出来ん、とトウゴとニイナは結論付けていた。
     トイレから戻ってきた盧笙は、いつの間にか革のジャケットを着込んでマフラーを巻いていた。フローリングに散らばっていたネタ帳と財布をいそいそとかき集めて鞄に仕舞っている。
    「帰るん?」
    トウゴが訊ねると、盧笙は「おう」と右手に持った携帯を軽く掲げた。
    「簓、帰ってくるらしいから」
    「ハァ?」
    トウゴは仰け反り、ニイナはビールを軽く噴き出した。
    「あのぉー、優勝者様は、この後に動画サイトの生配信と、局の打ち上げがあるんじゃないんですか?」
    口を拭ったニイナが挙手をする。盧笙はティッシュで涙を拭いながら頷いた。
    「そうなんやけど、合間ぬって帰ってくるらしいねん」
    「なんでやねん。ヌルデはツツジのことホンマに好きやな」
    トウゴの言葉に盧笙は唇をモゴモゴと動かして、赤面した顔を仰ぐ。
    「俺、目ェ赤なってないか?泣いたってバレたないから」
    「平気じゃない?知らんけど」
    ニイナが投げやりに答える。トウゴは頬杖をついて盧笙を見上げた。
    「ちゅーか、ヌルデがそんな急いで帰ってくるってことは、またコンビ組んでくれーって頼まれるんとちゃうん?」
    盧笙は「うーん」と曖昧な返事をしながら、テーブル上に並んだ未開封のビール缶を見つめた。
    「ツツジ、何でコンビ組まへんの?」
    「ヌルデと組んだらビンボー脱出じゃん」
    ニイナは缶ビールを二つ、盧笙に渡してやった。盧笙は貴重な食糧をありがたく鞄に入れる。トウゴもポテトチップスの袋を差し出しながら言う。
    「せやで、ツツジがちょっと誘ったらイケるって」
    「そうそう、試しに一発ヤッてみたら?」
    「お前ら何の話しとんねん、お笑いの話やんな?」
     盧笙は眉根を寄せてツッコミを入れてから、「あいつとコンビ組むとかは考えてないねん」ときっぱり言い切った。トウゴとニイナは肩をすくめる。簓と盧笙の不思議な点はもう一つあって、どうやら簓は漫才コンビを組みたがっているが、盧笙の方が頑なに断り続けているらしい、ということだった。
     簓から直接話を聞いたことは無いため、彼の誘いがどこまで本気か分からないが、度々テレビで相方宣言をするくらいだ。盧笙が首を縦に振りさえすれば、明日の芸能ニュースは「白膠木簓が漫才コンビ結成」で埋まるに違いない。しかし当の盧笙本人に全くその気は無く、弾丸ジャンクとしては同期の脅威となるであろう漫才コンビが夢物語で終わっていることに感謝しながら、簓へと密かに同情の念を送るほかない。
     身支度を終えた盧笙は「ほな、また明日劇場で」と言い残すと早足で玄関へと向かって行った——が、途中でリビングへ引き返してきて、鋭い目元を緩めると「やっぱりサキイカもくれ、簓が好きやから」とはにかんだ。呆れた二人は「もう全部持って行け!」とテーブル上のツマミをありったけ盧笙の鞄に詰め込んでやったのだった。


     寒空の下、息を切らして安アパートに帰ってきた盧笙は、玄関に転がり込むと上着も脱がずにテレビの電源を入れた。リモコンを操作して、地上波放送から動画配信サイトに切り替える。ちょうど「ピン芸人グランプリ後夜祭」と銘打った生放送が始まったところだった。間に合った、と盧笙は微笑んで、畳の上にあぐらをかいた。
     築五十年、年季の入った1DKの和室の中で、このテレビだけは最新型である。養成所を卒業した記念に簓が買ってきた物だった。テレビの後ろの白い塗壁には簓の単独ライブのポスター——事務所胆入りのデザイナーが手掛けたB2サイズ——と、盧笙の出演した合同ライブのチラシ——手製のA4サイズコピー用紙——が並べて貼ってあり、その隙間を埋めるように、簓がコンビニで印刷してきたプライベート写真の数々が画鋲で飾ってあった。写真には簓と盧笙が水着姿で並んで写っているものもあれば、チープなサンタ帽を被った盧笙がカメラに向かって笑っているものもある。
     盧笙は小さくくしゃみをして、コタツのスイッチを入れた。テレビ画面では、スポンサーの商品が並んだスタジオのソファに座った簓が、朗らかにインタビューに答えている。
     しばらく画面に集中していた盧笙は不意に後ろを振り返ると、部屋の隅に鎮座したプラスチックのケージに向かって「もんじゃ、お前のご主人やで、見るか?」と声をかけた。カサカサという音をたてて、巣箱からハムスターが顔を出す。盧笙がケージから出してやろうと近付くと、オレンジ色の回し車の陰にひょいと隠れてしまった。このハムスターを飼っているのも簓である——簓がしている贅沢といえば、最新型テレビとハムスターくらいなものだった。
     テレビや劇場に引っ張りだこの芸人が、こんな慎ましい生活をしているとは、世間は思いもよらないだろう。簓はいくら仕事で稼いでも、暮らしや身なりを良くしようという気が全く無いらしく、住んでいる場所も養成所時代に盧笙と共に借りたこの安アパートから変えようとしなかった。当然、盧笙は何度も「もっとセキュリティの良いところに住んだらどうだ」と提案したが、簓は「俺はこのアパートが気に入っとんねん」の一点張りだった。着るものですら、未だにノーブランドのスウェットやワイシャツを盧笙と共有している有様である。最近になってやっと、ファッション誌の仕事を取りたい事務所からの言い付けで、テレビ局に行く時にはそれなりにブランド物を身に付けるようになったが、本人は渋々といった様子だった。簓の意志があまりに固いので、盧笙もとやかく口を挟むのを諦めたところである。
     コタツを抜け出した盧笙はケージの隣に腰を下ろすと、テレビの中で完璧な笑顔を絶やさない簓を見つめた。結局のところ、どこに住むかも何を着るかも本人の自由だ。しかし、どうして簓が今の生活を選んでいるのか、盧笙にはよく分からなかった。彼が望めば、高層マンションに住むことも、ブランド品を身に付けて遊び歩くことも出来るはずなのに——考えあぐねた盧笙は、きっと簓はおとぎ話の中のお姫様たちが城の暮らしに飽きて冒険に出たがったり、隣国の王子たちではなく城下町の貧しい庶民との恋愛に燃え上がったりするような、そういう域に達してしまったんやろうな、と無理矢理に結論付けることで自分を納得させていた。このハムスターも、お供の動物か何かなのだ、きっと。おとぎ話のプリンセスは、動物と心を通わせるのがセオリーである。
     盧笙はハムスターのもんじゃ——正しくは二代目もんじゃ——を覗き込んだ。先代と違い、二代目は盧笙にも簓にもあまり懐いていなかった。二匹とも、先輩芸人の幼い息子が飼っているハムスターが、予想外に産んだ子どもたちを譲り受けたものだった。
     数年前に、深夜の収録終わりに帰宅した簓が、小さな紙箱に入ったハムスターを見せてきた時、盧笙はたいそう驚いた。簓は生き物を好んだり、ましてやペットを飼ったりするタイプでは無いと思い込んでいたからだ。
     「自分でちゃんと世話するから」と、親に駄々をこねる子どものような口調で言って、綿の間から覗く薄茶色の尻尾をつつく簓を、盧笙は目を丸くして見つめた。
    「小学生の頃に飼いたかったの思い出してん」
    そう言って小さく笑った簓の横顔に、盧笙は「このアパートはペット禁止」という言葉を飲み込んだ。「もんじゃ」と命名したのは盧笙である。簓が嫌いな食べ物の名前をつけてやったのは、出会ってからずっと盧笙、盧笙、とやかましかった男が初めて見せた自分以外の対象への好意に、少し嫉妬したからだった。
     
     一時間の生放送は、途中からMCの先輩芸人よりも場を回し始めた簓の技量もあって、大盛り上がりで幕を閉じた。盧笙は冷たい畳の上で大きく伸びをすると、簓へ「打ち上げにはきちんと参加すること」とメッセージを送った後に、眠る支度をしようと押入れから布団を一組取り出す。
     簓は「帰ってくる」と言っていたが、そう簡単に抜け出せるはずが無い。優勝発表から分刻みのスケジュールが始まり、怒涛の仕事ラッシュから解放されるのはきっと明後日の朝くらいになるだろう。
     盧笙は敷布団に横になるとネタ帳を取り出し、明日のステージでやるネタを選ぶことにする。パラパラとめくっているうちに、トウゴの「ツツジがちょっと誘ったらイケるって」という言葉を思い出した。
     コンビなあ。盧笙は枕に顔をうずめるとため息をついた。簓が盧笙をコンビに誘っていることを知っているのは弾丸ジャンクの二人だけだった。そうでなかったら、鳴かず飛ばずの数多の芸人たちにいつ後ろから刺し殺されてもおかしくない。殺されないとしても、「あの白膠木簓からコンビ誘われてんのに、お前は断っとんのか、どうなっとんねん」と詰め寄られるに決まっている。
     しかし困ったことに、簓とコンビを組みたいという気持ちはちっとも湧いてこなかった。そもそも笑いの方向性が違うのだ——俺は身一つでステージに立って語りたいタイプで、簓のように漫談からフリップ芸にコントまで器用にこなせる器ではない。盧笙は仰向けになって蛍光灯にネタ帳をかざした。
     一般的に芸人の成功は、売れてテレビにたくさん出て、生業として成立させることなんだろうなというのは理解していた。しかしそのために自分のやりたいことを我慢した上で、簓を利用するような狡猾さを、若い盧笙は持ち合わせていなかったのだ。几帳面な文字が並んだノートを顔の上に乗せて目を閉じる。瞼の裏でチカチカと瞬く蛍光灯の名残は、ステージから見渡す客席に少し似ていた。
     その時、外から聞こえてきたカン、カン、という音に盧笙は飛び起きた。階段を蹴る軽快な足音は紛れもなく簓のものである。盧笙が玄関を振り返ると同時に、ガチャリと鍵の回る音がした。
    「盧笙ーっ!」
    テレビ用の発声が抜け切らない大音量に、盧笙は慌てて唇に人差し指を当てて見せる。壁が薄い深夜の安アパートに、その声色は明るすぎる。簓はハッと息をのんで口をつぐんだ。
    「おかえり」
    盧笙がわざと小さく囁けば、簓も「ただいまぁ」と低い声で答えた。革靴を乱雑に脱ぎ捨てると、大股で盧笙へと近付く。煎餅布団の上に、ピカピカに輝くトロフィーと五百万円の文字が印字されたパネルを放り出したと思うと、勢いよく盧笙に抱き着いた。盧笙はよろめきながら受け止めて、ワックスで固められた髪を撫でた。
    「なあなあ、観とった?」
    「うん、おめでとう」
    簓は盧笙の肩口で笑って、「盧笙に祝われんのが一番嬉しい」と額を擦り付ける。
    「お前が一番おもしろかったで」
    「ほんまに?」
    盧笙の言葉に、簓は顔を上げると真剣な眼差しで続けた。
    「ほな俺とコンビ組んでくれる?」
    糸目の奥で輝く黄金色の瞳を見つめて、盧笙は微笑んだ。
    「それは嫌や」
    「ガーン!なんでやねん!」
    項垂れる簓の肩を、盧笙は「毎回よぉ飽きひんな」と軽く叩いた。
    「なんでやなんでや!劇場のMVPも各社お笑い賞にすべらへん話のMVPも大喜利番組の優勝も獲って、そんでとうとうピン芸人グランプリも優勝したのに、なんで⁉︎」
    「すごいなぁ」
    「ラジオレギュラーも、地方局の冠もあるのに……深夜やけど……」
    「若手のピンとしてそんだけ売れてて何が不満なんやお前」
    盧笙は呆れ混じりに笑って、布団の上で横倒しになっていたトロフィーを手に取った。ずしりと重い金色は、この小さなアパートの箪笥の上、窮屈なスペースに間もなく押し込まれることになる。輝く表面に映る自分の顔を眺めていると、頬に簓の左手が添えられた。
    「俺まだ盧笙にふさわしい男になれてない?」
    低い声で問うて首を傾けた簓を、盧笙は黙って見つめ返した。一枚の敷布団の上に膝をついて向かい合った二人は、しばらく視線を絡めていたが、やがて盧笙の方が口を開く。
    「じゅうぶんふさわしいで」
    でもコンビ組むかは別や、と盧笙は優しく言って、簓の身体に両腕を回した。紫色の上等なジャケットは、長い賞レースを共に駆け抜けて、少しくたびれてしまった気がする。
     簓は抱擁を静かに受け止めながらしばらく黙っていたが、身をよじって腕の中を抜け出すと、盧笙の顔を正面から見据えた。薄い窓ガラスを、夜風がガタガタと叩いている。「盧笙」と簓は震える声で名前を呼んで、痩せた両手で盧笙の肩を掴む。盧笙がぱちりと瞬きをする間に、簓は顔をちょっと傾け、自分の唇で盧笙の口元に軽く触れた。
     ほんの一瞬のことだった。顔を離した簓は不安げに目を泳がせると、
    「優勝したら盧笙にチューしようって決めててん」
    と呟き、赤面して瞳を伏せた。さっきまでテレビに映っていた堂々とした芸人はどこへやら、一張羅の中でどんどん縮んでいきそうな男を、盧笙はポカンとした顔で眺めた。
    「お前、それをモチベーションにしてたんか」
    「うん」
    「怒られんで」
    「誰が怒ろうと、知らんわ、俺の勝手や」
    耳まで赤くした簓は手の甲で鼻先を擦った。メイクが落ちる、と盧笙は腕を掴んで制止する。背後からカサコソと微かな物音が聞こえた。
    「もんじゃは怒っとるで」
    「なんでやねん」
    盧笙の言葉に簓はくつくつと笑い、まだ赤みの差す目元を、おずおずと盧笙へ向けた。
    「盧笙は怒っとる?」
    「俺?」
    「キスされるの嫌やった?」
    語尾を掻き消すように、簓の携帯の着信音がけたたましく鳴り始めた。おおかた、アパートの外に待たせているタクシーの中でマネージャーが痺れを切らしたのだろう。簓も盧笙も携帯の方は振り返らずに、互いの瞳を見つめていた。
     小さな安アパートと、壁に貼られた写真に、ケージの中のハムスター、それから相方になってくれという問答の、堂々巡りの名状し難い寂しさに出口を見出すならこの道に思えた。
     着信音が鳴り止み静まり返った部屋に、盧笙の「怒らへんよ」という柔らかい声が響いた。
    「ほんまに?」
    「ああ、でも一つ言うとくとな」
    盧笙はふたりの間に置いてあった金メッキのトロフィーを脇に退けて、簓の手を取った。
    「一代目もんじゃが死んでお前が大泣きしてる時にキスされたって、俺は良かった」
    盧笙が目を細めると、簓は唇をわななかせて「その話はせぇへんって約束やん!」と声を上げた後、盧笙の肩を拳で軽くどついた。
    「ごめん」
    盧笙は笑いながら謝って、「でも大事なことやから」と付け足した。唇を尖らせて拗ねる簓の頬を戯れにつねった時、再び携帯電話から着信音が鳴り、今度は二人ともそちらに目を向けた。
    「あーあ、マネージャーも怒っとるわ」
     簓は鳴りっぱなしの携帯をズボンのポケットに押し込みながら立ち上がった。盧笙も玄関まで送ってやろうと後に続く。ドアを開ければ、深夜の大阪の空気は凍り付くほど寒く、二人は身震いした。白く丸い月が見下ろす正面の道路には、一台のタクシーが簓を急かすようにハザードランプを点滅させながら停車している。
     三和土で立ち止まった簓の背中は、決勝戦のスタジオに向かった時の姿よりもいくぶん広く、力強く見えた。今朝までは感じていなかった胸のざわめきに、ああ愛情というのはこういう感覚なんやなと、盧笙はぼんやりと感じ入る。
    「大会で獲った賞金なぁ」
    簓が盧笙を振り返った。吐息が白くなってドアの隙間から溶け出していく。
    「ずっと貯めとるん、なんでか知りたい?」
    「なんでや」
    自分の両肩を抱いた盧笙が訊ねると、簓はいたずらっぽく笑った。
    「いつか盧笙とふたりで月に行くため!」
    「アホやなぁ」
    盧笙は大きく息を吐き出すと腹の底から声を上げて笑い「ほら、みんな待っとるで、行ってこい」と、まだ名残惜しそうにこちらを振り返る簓の背に両手を添えて、星空の下へと送り出したのだった。

     
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