星と手のひら「うわ、守沢先輩、手冷た……」
「む、そうか? しかし心はいつでも熱く燃えているぞ!」
「あんたはほんとに冬でも暑苦しいな……」
守沢先輩の手が思ったよりもひどく冷たかったのに驚いて、偶然触れた手を跳び跳ねるみたいに引っ込めた。いたたまれないような気分でもうすっかり日の落ちた濃紫の空をあおぐと、 凍った空気が部活終わりの火照った体をやすやすと冷やしていった。
「高峯の手は、でかいな!」
「そうですかね……」
「おっ、そうだ!手相をみてやろう♪」
子供のような笑顔をほろりと溢すと、まじまじと俺の手を見た。その大きな目が硝子玉みたいにまんまるで、ひやりとした。それは緊張に似た鼓動で、たぶんさっき守沢先輩の手に触れたときから続いていた。
「高峯は生命線が短いな!」
「うわっ触らないでくださいよ。それにそんなの俺でも分かる……」
「まあ、そう言わないでくれ!」
「あんたはどうなんですか」
「俺の手相か? 生命線は長いぞ」
守沢先輩は右手のひらを突き出し、もう片方の手を腰に当ててふははと笑った。なるほど確かに生命線は長い。でも、それよりも。
「守沢先輩、皺?っていうか線が多いっスね」
「うん? そうだろうか、あまり気にしたことなかったな」
「もしかして意外と繊細なんですか。死ぬほど似合わない……」
「む、なんだそれは?」
「皺がたくさんあるひとは、そうだって言いませんか」
「ううむ、聞いたことはないが……そうかもしれんな」
守沢先輩は少し考え込んで、正義を貫くためには繊細なハートだって必要だからな、と茶化した。
「嘘だ……」
「嘘じゃないぞ。……ああでも、急に寒くなったし、少し感傷的になったりはしているかもしれないな」
もうすぐ卒業だしな、という言葉をすんでのところで飲み込んだのがわかってしまった。守沢先輩はゆるく笑った。目を、逸らせなかった。そうしてしまえば、一生、核心のことばを隠して、先輩にくだらないちゃちなことばの欠片ばかり投げつけておわっていくような気がした。
「先輩、卒業しても、アイドル続けるんですか」
「そうだな、そのつもりだ!アイドルも、ヒーローも」
「守沢先輩」
「なんだ高峯?」
大切なことばのために息を吸って、そうしてまた迷って、 ゆっくり息を吐いた。守沢先輩、そんな冷たい手で、生きていけるんですか。生命線が長くったって、繊細なんでしょう。夢ノ咲ほど、流星隊ほど、世界はあんたを受け入れてはくれないかもしれないんですよ。きっともっとどうしようもなく、孤独ですよ。ねえ。
「はっはっは、大丈夫だ!」
「先輩」
「言っただろう、心はいつでも熱く燃えていると!」
「ああ、もう。そうじゃなくて……」
「大丈夫だ。絶対」
ふいに、真剣な眼差しで俺の瞳を射抜く。柔らかく歪む口元に、たっぷりの自信とわずかな虚勢を貼り付けて。
「……先輩、俺、」
好きです。
一瞬、音が止む。一瞬だった。すぐに、止まった時間を動かすみたいに、高峯がそんなことを言ってくれるなんてなぁっ☆嬉しい、俺は嬉しいぞ!とかなんとか言いながら、先輩は俺の頭をわしわし撫でた。続く言葉に耳を塞ぐように、或いは言い聞かせるように。
「うわっやめろ……!」
「俺も、お前が、流星隊が、大好きだ……☆」
にかりと笑う。指し示す「すき」の意味が俺と先輩をどうしようもなく隔てた。ひどく、遠い、距離。それは星が出始めたつめたい空のように、清々しい先輩の声音が、嫌でも物語っている壁だった。ああ、もう、いいや。なんだっていい。
「芸能界、誰もあんたのことなんか知らないですよ」
「だろうな。でも、案外それも悪くない!新ヒーロー、芸能界に爆誕だっ☆」
「なんスか、それ……」
「高峯、がんばれよ」
はい、はい、と頷きながらも、守沢先輩のいない流星隊を、うまく思い描けはしなかった。
「おっ、すっかり暗いな。日が短くなったな!帰るか!」
「……そうですね」
「高峯、こんな時間まで付き合わせてしまったし、ジュースでも買ってやろう♪」
「……じゃあ、アイスコーヒーがいいです」
「アイス!?さ、寒くないか?お前がいいならそれでいいが……」
真っ暗な帰り道に煌々とひかる自動販売機で、守沢先輩は冷たいコーヒーと、温かいココアを買う。ぽつりと佇むさみしい自動販売機は、人が離れていったあとどれくらいの孤独にたえるのだろうと、ぼんやりと思った。
投げて寄越された、さっき手に触れたのとよく似た温度の苦いコーヒーをごくりと飲む。忘れないように、きっと、 この冷たさを、忘れないように。
「うん、寒い!寒いだろ高峯!」
「そうですね」
「……流星隊の今後の活躍に俺がいないのは、なんというか、やはり寂しいな。考えてみたら」
でも、だから、と守沢先輩は真剣な眼差しを斜め上に投げた。つられて俺もその視線を追いかけると、オリオン座があった。北斗七星があった。見事な、星空があった。
「ずっと見てるぞ。困ったらいつでも頼ってくれ。ヒーローにヒーローがいたっていい」
「……あんたも」
にこりと、わらう。握りしめていたココアから片手を離して、俺の手にふれた。そうして俺の指を伸ばして大きさを比べるみたいにぴったりと重ね合わせて、またすぐにひらりと逃げる。ココアから移った温度でその手のひらはぬるい。ココアから白い湯気が出ていっては消えていく、その繰り返しを夢のよう に見ていた。
「皺合わせ、しあわせだ!俺はどうやら皺が多いらしいから、きっと人よりしあわせも多いっ☆お裾分けだ!」
「……くだらな」
先輩はココアを啜りながら、卒業までまだまだあるがな!と照れたように笑った。最後じゃない、最後じゃない、と頭のなかで反芻する。それでも、どうしたって自分のすきと守沢先輩のすきがぴったりと合わさることはないのだと、確かな予感がそこにあった。
「じゃあな高峯!気をつけるんだぞ!」
「はいはい、さよなら先輩」
また、あした。守沢先輩がひらひら手を振った。もう少しでこれも言えなくなるのかと、なにもない実感を噛み締めたふりをして小さく会釈する。冷たいコーヒーはいつもより濃く、舌に苦味を残していった。