手を変え品を変え 七種茨はあんずのことが好きである。あわよくばお付き合いをしたいし、他の男への興味なんてさっぱり失って自分だけにメロメロになって欲しいと思っている。まあ彼女は根っからのプロデューサーなので、後半部分はどう足掻いても叶わないだろうと思っているけれど。
幸いなことに顔には自信があった。地位も財産も不満を持たれるほど低くはないし、彼女の大好きなアイドルとしても申し分ない逸材だと思う。生まれと育ちだけが欠点だが、彼女は家柄で異性の良し悪しを判断するような人間ではないのでそこもさして気にする必要はない。
だがしかし、こんなにいい男が時にさりげなく、時に大胆に好意をアピールしているというのに、彼女ときたら靡く様子がさっぱりなかった。自分に何か不満があるのか、そもそも異性として意識されていないのか。プロデューサーとしてアイドルとくっつくわけにはいかないと自制しているのか。
理由はどうあれ、このまま効果のないアプローチを仕掛け続けても何も得られないと考えた茨が手を伸ばしたのはなんとインターネット上に溢れる恋愛指南サイトだった。格好つけてみたところで茨だって恋愛初心者である。本来ならどこの誰がどんな根拠で書いたのかもわからないブログの記事なんて鵜呑みにしない。だが今回茨が新たな知見を得たかった分野においては、書籍もネットも信憑性はさして変わらないだろうと判断した。
倒産寸前の企業をいくつも押し付けられた時も、自分をアイドルとして売り出そうとした時も、いつだって勉強と行動を重ねてきた。その結果として今、複数の企業を安定して経営し、トップアイドルとも言われるEdenの一員としてそこに存在しているのだ。臥薪嘗胆。突撃、侵略、制覇である。難攻不落と称されたかのプロデューサーのことも、知恵と熱意とほんの少しの意地で、絶対に落としてやると胸に誓っていた。
飲み干されたグラスが机に置かれる。残された氷がぶつかり合って小気味良い音を立てた。
指南サイトのアドバイスのおかげか茨の努力の成果か(多分後者だ)、茨とあんずは時々ふたりで酒を酌み交わし、どうでもいい愚痴や小さい悩みを吐き合える仲にまで進展していた。無論、あんずは酒に飲まれたりはしないので、何かが起こった試しは一度も無いが。
メニューとって。仕事中よりも少し気の抜けた声音で声をかけられる。彼女のグラスが空になったばかりなので、机の端から薄いドリンクメニューを選んで手渡した。度数の低い甘ったるいカクテルと数品のつまみを追加で注文すると、彼女は小さくため息をこぼした。
今日のあんずさんはいつもよりペースが早い。昔は警戒されていたのかほとんどグラスを空にすることなく、ジョッキになみなみ注がれたビールを小動物の水分補給のようにちびちび飲み進めていたのに。警戒すべき相手として認識されなくなったことに満足し、思わずほくそ笑む。彼女は男性に飲みに誘われた時、夜の時間や二人きりの空間を避けるようにしていることを知っている。
「茨くん、担当変わってくれたりしない?」
「無理ですね。変わって差し上げたい気持ちは山々ですが」
本日のトークテーマは最近彼女に熱をあげている男についてだった。あんずさんに一任したコズプロのアイドルと企業がタイアップしたコラボ商品販売の企画チームの一員である、先方の企業の若い企画営業職の男だった。案件の相談を理由に連絡先を教えてしまって以降、頻繁に食事に誘われるようになったのだとか。最初は打ち合わせや企画相談だという誘い文句を真に受けていた彼女も、ようやく彼の誘いに他意が含まれていること気が付いたらしい。
——だからあれほど、ホールハンズ以外のチャットツールは使うなと言っているのに。
「……あなたどうせ、変わるって言っても断るでしょう」
「それは、そうだけど。いいでしょ愚痴くらい」
彼女の中の己の立場はだんだんと向上している。本音を語ることができ、冗談をこぼせる程には。そんじょそこらの男共よりも、彼女の恋人に数歩近い距離に立てているはずだ。ただし彼女自身の都合より仕事を優先してしまうその性格は一朝一夕ではどうしようもなさそうだ。彼女に言い寄る男を弾く壁としては申し分のない強度の代物だが、自分が彼女を口説き落とすにあたっては少々厄介な存在である。
「……いっそのこと、試しに付き合ってみてはいかがです?あんずさんならば仕事と恋愛の両立もそう難しいことではないでしょう」
その進言の半分は賭けだった。「それもそうかも」と言われてしまう可能性もゼロではないが、あんずに「顔が好みじゃない」だとか「私の仕事にもっと理解のある人がいい」といったような自分に都合のいい言葉を吐いてほしかった。あの男を比較対象にして、もっといえば踏み台にして、自分が恋人になり得る男か彼女の中で審査してほしかった。
あんずは大きな瞳をぱっちりと見開いて、こちらを見つめてくる。その提案は想定外だという顔だ。
吉と出るか、凶と出るか。賭け事はあまり好まず確実に自分の思い通りにできる土台を固めてからコマを動かす性分なので、あまりこのような緊張感は味わったことがなかった。彼女にはいつも、自分のやりくちが通用しない。生唾を飲み込んだ音がいやに大きく頭に響いた。
彼女の唇がゆっくりと動く。落ち着いたピンク色が目に毒だった。
「……茨くんならわかってくれるんじゃないかなって思うんだけど」
そうだ。自分ならわかってやれる。あなたの仕事への熱意も、性格も、異性の好みも。だから自分を、選んでほしい。
「私に付き合ってくださいって言ってくる人がタイプじゃないんだよなあ」
出た目は大凶だった。最悪の回答である。
ちくしょう。誰だよ他の男性からアタックされている話をしてくる!?それはあなたと付き合いたいという遠回しなアピール!とか言った奴。ふざけんな適当なこと言いやがって。
「……あんずさんの人生に恋は不要、ということですか?仕事を伴侶として生きていこう、と?」
「んん、そんなに独り身貫きたいって心に決めてるわけじゃないんだけど……。たとえば茨くんはさあ、誰か女の人に、あなたのことが好きだから自分のために仕事の時間や休養の時間、スキルアップとかの勉強の時間を自分との時間に当ててください、って言われてはいいいですよってなる?」
なる。なるんだよクソ。確かにそんじょそこらの女に時間を割くのは無駄以外の何者でもないだろうが、あなたが俺に時間を割いてほしいというのならば残業も飲み会もなんだろうと投げ打ってやるのに。というか今だって、俺のギッチギチなスケジュールをどうにかやりくりして食事の時間を作ってるだろうが。わかってないのかその意味が。
捲し立ててやりたいが今言うのは悪手だろう。顔に笑みを貼りつけたまま確かにそうですねぇ!と心にもない相槌を打つ。
「その人のためなら仕事がどうなろうと惜しくないって思えるほど好きな人ができたら話は別なんだろうけど。今のところ、私の人生はプロデューサー業が最優先項目だから」
だから俺なら、あなたにそんなことで頭を悩まさせたりしないのに。
飲みかけだったビールを煽る。熱心に読み込んだ恋愛指南サイトの情報は何の役にも役にも立たなさそうなことがわかった。というかこの女が、一般的な女性と同じような価値観で生きているわけがなかった。ターゲットの認識が甘かった、俺のミスだ。
拗ねたように口を尖らせながら枝豆をつまむ彼女に、ふつふつと怒りが込み上げてくる。
本当に手のかかる女だ。いいでしょう。自分はあなたのタイプの男性でありあなたの良き理解者なので、あなたへ交際を申し込むのはやめてあげます。またアプローチの方法を変えるまで。
もっとあなたとの時間を増やして、あなたの時間を自分のために割かせて。たとえ最優先でなくとも、自分の存在があなたの人生にとって不可欠な存在になるまで絡み付いてやる。そうしていつか、あなたの方から付き合ってくださいと言わせてやるのだ。絶対に。
臥薪嘗胆。突撃、侵略、制覇である。難攻不落と称されたかのプロデューサーのことも、知恵と熱意とありったけの意地で、絶対に落としてやると胸に誓っている。