せめてひとよのかれむぐら「きみと再び見えるだなんて、随分と都合のいい夢じゃないか」
は、と乾いた笑いの欠片とともにその唇から洩れ出た言葉に、ああ、これは確かにあの刀だと確信する。かつて、暫くの間、同じ家にあった太刀の付喪神。
「…そうだな。いつかは醒める夢だ」
同意の言葉にぱちりと双つの黄水晶が瞬く。それを置き去りにして、大倶利伽羅は審神者の元へと足を向けた。
「自分の手足で動けるというのもなかなか不思議なものだな」
面を通した審神者の隣には旧知の刀。一通りの説明を受けたのちに、その旧知に連れてこられたのは板張りの道場であった。木刀が一本、投げて寄越される。
「真剣じゃあないのかい」
「ここは抜刀禁止だ」
「そりゃあ残念」
「…はじめは此処で手合わせだ。その器に慣れろ。刀を握るのはそれからだ」
「きみが稽古をつけてくれるって?」
同じように木刀を手にした相手にうっすらと笑って問いかける。ふんと鼻を鳴らした大倶利伽羅が、一間ばかり離れた位置でゆるりと足を止めた。
「そう思うなら、来い」
「はっ、いいねぇ。驚かせてくれよ」
言うなり、床を蹴り出して距離を詰める。振り抜く右腕。打ち合わされた木刀が、かぁんと音を立てる。そのまま立て続けに数合。何度目かに受け流され、空いた胴へと蹴りを入れられた。
「どうした、驚いたか」
「まさか!」
頭上から降ってくる声に跳ね起き、次を仕掛ける。笑いもしない大倶利伽羅の口元。それが妙に癪に障った。
強かに打ち据えられ、蹴り飛ばされ、床に転がされること数回。木刀を握る握力さえなくなったところで、大倶利伽羅からため息が漏れた。突き付けられていた剣先が視界から退く。
「なんだ、とどめは刺さないのか」
「…手合わせだからな」
「そうかい。つまらねぇな」
「…なら、とっとと刀を握れるようになれ」
ごろりと足先で蹴り転がされ、俯せた首根っこを掴むように上体を引き起こされる。べたりと板間に座り込めば、するりと手が離れていった。そのまま、用は済んだとばかりに木刀を片して道場を出ていく大倶利伽羅はこちらを振り返らない。
「おい、伽羅坊!」
呼ばう声も聞き流されて置いてけぼりを食らう。息の切れた身体はろくに動きもしない。むすりと腹の奥に溜まる不愉快。ままならぬ人の身の如何に煩わしいことか。
ようやく演練への参加が許されたのはそこからさらに数日の後のこと。
「敗けてこい。それでいい」
対戦相手は単独編成。こちらは大倶利伽羅との二口編成だが、大倶利伽羅は特に手出しをするつもりはない様子だ。興味がないとでも言うようにそんな言葉が放り投げられる。相手との練度差を考えれば、火を見るより明らかではあるが、敗けてこいとは随分な挨拶である。
「やる気がねぇなぁ」
「俺はあんたの御目付役にいるだけだからな」
「…そうかい」
鼻白んでみせたところで、大倶利伽羅の態度に変わりはなく、それならばそれで都合がいいかと考え直す。
「…あんたのやりたいようにやれ」
「ああ、そうするさ」
すらりと鞘から刀身を抜き放ち、対戦相手と対峙する。そうして開始の合図とともに一足を踏み込んだ。
「…俺の勝ちか」
血振りののちに鞘へと納められる刀。地面に転がったままその様を眺めていれば、終了の合図が耳に届いた。同時に、ぱっくりと開いていたはずの傷口がきれいに消え失せる。
「…お?」
「おい、いつまで転がっている。帰るぞ」
ごつりと鐺で額を小突かれ、上体を跳ね起こす。ぺたぺたと斬られたはずの胴をさわって確かめてみるも、そこには傷ひとつ見当たらなかった。
「演練での負傷は終了時に自動修復される。…あんたにしたらつまらないだろうがな」
「…ああ、確かにつまらんな」
のそりと立ち上がりながら大倶利伽羅の言葉に肯く。
「鈍らになった気分だ」
「…なら、戦場に出れるように精進するんだな」
「精進…精進ねぇ…」
不満を滲ませる声音に大倶利伽羅がこちらを一瞥する。
「きみが相手をしてくれるのかい」
「お断りだ」
「そうかい。つまらねぇな」
にべもない返答にため息をひとつ。そうして、足を緩める様子もない大倶利伽羅の後を追った。
出陣を許されたのはそこから更にしばらくの後。しかしながら、レベル上げを目的とした高レベル者複数との出陣では刀を振るう機会もほぼないに等しい。これならば演練のほうがまだマシではなかったかと思い始めたところで、大倶利伽羅と二口での出陣を申し渡された。
「きみはまた御目付け役かい」
「…あんたが退屈していると進言しただけだ」
「…そりゃ、よく御存知で」
「あんたは存外わかりやすいからな」
「そうかい、そうかい」
「斬れなくて鬱憤が溜まっているんだろう」
ぽい、と出陣ゲートの鍵が投げ渡される。
「隊長はあんただ」
「二口で隊長も何もあったもんじゃないだろ」
「…そういう仕組みだからな」
ため息混じりに返される言葉。それに対して少しばかり不満を覚えながら、ゲートへと鍵をかざす。承認を告げる音声と稼働音。
「…あんたの好きなように斬ればいい。敵だろうが、俺だろうが、あんただろうが」
ゲートへと足を踏み出した背後で聞こえた声に、振り返ることは出来なかった。
「…お?」
視界に入ったのは見覚えのある天井。
「…手入れが終わるにはまだかかるぞ」
すぐ隣から聞こえたそんな言葉に、首をめぐらせてそちらを見遣る。敷布団の上に座り、暇つぶしであろう小さな本に視線を落とした大倶利伽羅の姿。その腕や顔に貼りつけられた被覆材に、ああそうかと、ようやく状況を飲み込んだ気がした。
「きみが連れて帰ってきたのかい」
「…隊長が重傷になれば強制的に帰還させられる」
「…ああ、なるほど」
「残念だったな」
「何がだい」
「俺が知らないとでも?」
本から離れた大倶利伽羅の双眸がこちらを捉える。脇へと追いやられる書籍。そのまま大倶利伽羅は上体を捻り、こちらへと身をのり出す。
「あんたはわかりやすい。昔から」
「…おい、伽羅坊」
半ば圧し掛かるように見下ろされ、低い声が洩れる。ひやりとした色を湛えた眼差し。
「諦めろ。あんたは、勝手には死ねない」
見下ろす視線の先で、ぴり、と鶴丸の表情が固まる。金属の色をした眼差しがこちらを捉え、ああ、ようやく目が合った、と思う。
「…あんたが倦んでいるのは知っている。が、それを許してやることは出来ない」
薄い掛布を剥ぎ、寝衣の上から鶴丸の肩口へと触れる。そこにあったはずの傷をなぞるように胸を斜めに走り、脇腹まで。
「それが嫌なら、俺を斬れ」
驚いたように見開かれる眸。その表情に知らず口角が上がる。
「俺を斬れるくらいになってみろ」
「…きみ…」
「それまであんたは死ねない。俺が、認めない」