おままごと。/りつみか、2-Bみか「みかりん、これあげる」
そう言って机の上に最初に置かれたのは、ティーポットだった。みかがぱちぱちと瞬きをしている間に、ソーサー、ティーカップと次々に置かれて行く。
「んあ、かわええ~。これどないしたん?」
「撮影で使ったんだけど、人形サイズだなって思って。要らなかったら捨てて」
「え、捨てるなんて勿体ないやん! ほな、マド姉にあげてもええ?」
キラキラしたら瞳で顔を上げて聞いてくるので、どうぞと微笑む。最初からそのつもりだった。そうでなければわざわざスタッフから譲り受け、学校まで持って来たりしない。
珍しく凛月が起きている昼休み。みかの席に置かれて行く人間が使うには小さな陶器のティーセットを、無事に割らずに渡せたと真緒も覗き込む。ついお節介を焼いて昨日の夜プチプチでくるんだのは真緒だ。
指先で摘まんで感嘆の声を上げるみかに微笑ましくなる。こんなに嬉しそうに悪気のない顔で渡されたら、きっとお師さんこと斎宮宗も、宗のあの人形も。喜んで受け取ってくれるに違いない。
「あ~、喉が渇いたなぁ~……」
みかを眺めて細くなっていた凛月の目が、ちらりと真緒を見た。
意味深なその視線に何か言いたそうだと見つめ返すと、おれ何か買うてこよか? とみかが頭をこてんと倒して聞いてくる。
「ううん、大丈夫。でも、こう……美味しい紅茶を誰か淹れてくれないかなぁ~……な~んて」
みかには微笑んで返す凛月は、それでもニヤニヤしながら真緒と、ついでとばかりに後ろにいた弓弦を見た。
凛月の言いたい事がわからないのか、みかが不思議そうに先程とは反対の方へ頭を倒す。その間に、真緒も弓弦も何となく察したらしい。
「それでしたら、わたくしが」
口許を緩めて弓弦が前へ出た。
まだ理解していないみかへ微笑み返すと、腰を屈めて腕を伸ばしてくる。
長い指先が、陶器のティーポットを摘まんだ。
普段とは大きさが異なるのに、それでもまるで本物の茶器を扱うように慣れた手つきで弓弦は紅茶を淹れ始める。
みかの宝石のような琥珀色と瑠璃色の瞳が、まん丸の形でその動きを追っている。
さながらそれは動くものをいちいち目で追ってしまう仔猫を彷彿とさせ、真緒はほくそ笑む。その隣では期待通りの動きをしてくれる弓弦を満足そうに、凛月が肘をついて眺めていた。
「お待たせいたしました」
ティーカップにきちんと紅茶を注いだらしい弓弦が、凛月の前にカップとソーサーを置く。
うむ、ご苦労。とやけにドヤ顔で、凛月はティーカップを持ち上げた。その間も次のカップへと、小さなティーポットからは見えない紅茶が注がれていく。
指一本すら入らない小さな持ち手を指先で摘まんでいる紅茶部の部員は、香りを楽しんでからカップを傾ける仕草をした。ようやく何がしたいかわかったらしいみかが、吹き出した。
「えぇえええ~、急におままごと始めんとってや~っ」
「う~~~ん。相変わらずうちの執事が淹れてくれた紅茶は絶品だねぇ~」
「お褒めにあずかり光栄でございます、旦那様」
「何キャラ!? しかも凛月くんが旦那様なん!?」
やけに低い声でゆったりと紅茶を楽しむ凛月に、真面目な顔で弓弦が頭を下げる。
突然の設定にツッコんでいる間にも、紅茶を注いだカップは真緒と、そしてみかの前にも置かれていく。
「そう。ま~くんはお母さんで、みかりんは子ども。んで、ゆづゆづはうちの執事」
「俺お母さんなのかよ!」
順番に指差していくのでおもわず抗議する真緒だが、凛月だけでなく弓弦とみかも、お母さんですね、お母さんやね。と妙に納得している。
「あら? 何かしら。……お茶会?」
教室に戻ってくるなり、みかの席で皆が何かしていると気になったのか嵐も寄ってきた。
家族構成をみかから聞き、アタシは? と楽しそうに尋ねてくる。
「え、うんと~……、…………隣の家の人?」
「ちょっとぉ~! 何でアタシは家族じゃないのよ~!!」
面倒くさそうに答える凛月の言葉に速攻文句を言う嵐の前にも、ティーカップが置かれた。
唇を尖らせながらも仲間に入れてもらえた事にご満悦な嵐は、弓弦にありがとうと言って紅茶を飲む仕種をする。
カップとソーサーは四つ。ちょうど弓弦を除く四人にお茶が振る舞われた形になる。小さな持ち手を摘まみ、みかもカップを持ち上げた。
何も入っていない小さなカップの底を見ながら、意外やなぁ~……と呟く。
「おれは妹たちとよぉやっとったけど、みんな男の子やのにおままごととか意外やわ~……」
嵐はわかるとしても、他の三人がこんなに自然におままごとをしている事が意外でついそのまま言葉にしていた。
小さいカップなのについいつものように両手で持って紅茶を飲むふりをすれば、皆が若干の苦笑いを浮かべた。
「坊っちゃまのご兄妹は、昔からよく遊んでおられましたので」
「あ、せや。桃李くん妹ちゃんおるもんね」
弓弦の説明にうんうんと頷いて笑えば、言った本人は苦笑いのままだ。
ただでさえ可愛い兄妹がおままごとをする光景なんて、想像するだけで微笑ましい。弓弦ならば確実に喜ぶかと思ったのに。
首を傾げたみかの表情から察したのか、愛らしさでは乗り越えられない程の不当な要求をされるのですよ……と、どこか遠くを見つめて呟く弓弦に真緒が盛大に賛同した。
「わかる……。うちも妹がいるからさ、昔はよく付き合わされたよ……」
「何故かやたら兄者をお父さんにしたがるんだよね~。お父さんっていうか、夫役? 昔の兄者はあんまり付き合ってくれなかったし、俺たちしかいなかったら単身赴任って設定にまでしてたしね~」
「あら、その気持ちわかるわ~。いくら小さくても、オンナはオンナってことよ♪」
肩を竦める幼馴染みの二人に、クスクスと嵐が笑う。
今ほどではないにしても、たとえ小学生、中学生の時分であっても。幼い女の子から見た朔間零という隣のお兄さんは、さぞや大人びて格好良い色男に見えた事だろう。
どこの家もおままごとをやる時の女の子は真剣だ。下手に逆らってはいけない。言われた通りの役に徹する事こそ付き合わされた人間の最大のミッションである。
みかもよく妹達とおままごとをしたけれど、今日はお父さん。今日はお兄ちゃん。今日は赤ちゃん、今日は近所の八百屋さん、魚屋さんと、役回りは様々だった。
そんな歳でよく知っていたと感心するような、妙にリアルな設定も突然飛び出してきたりする遊び、それがおままごとである。そんな事を思い出していると、横で嵐が静かにカップを机に置いた。
「……アタシには羨ましいけどね。おままごとに付き合ってくれる子が近くにいてくれたってのは」
続けてそう微笑む顔がどこか寂しそうに見えたのは、みかだけではなかったらしい。真緒も弓弦も嵐の名前を小さく呟き、少し俯く。
そんな空気を察したのか、凛月がパンッパンッと唐突に手を叩いた。音に驚く面々など気にせず、弓弦を呼ぶ。
「ゆづゆづ、ナッちゃんにどんどんおかわりあげて。あとしょうがないからナッちゃんは隣人から、みかりんの歳の離れたお姉さんに昇格してしんぜよう」
あくまでドヤ顔で言うので、嵐も再び、ちょっとぉ~! と唇を尖らせる。が、その顔はもう笑っている。
「みかちゃんのお姉ちゃんなのは嬉しいけど、『歳の離れた』って部分いるかしら!?」
「いるね。だってみかりんは、ちっちゃい子だから」
わざと膨れっ面を作りながら指摘すると、さらにドヤ顔で返されて横にいたみかの方が驚いた。
「んあ!? そうやったん!?」
「そ。みかりんは、可愛い可愛い、我が家のちっちゃい子なの」
すっとんきょうな声を上げるみかを、目を細めて凛月が見つめてくる。
「だから、な~んにもしなくて良いんだよ」
微笑んで言われる言葉に、みかの動きが止まった。
「人の為に働かなくても良いし、お菓子ばっか食べたがっても良いよ。我儘もいっぱい言って欲しいし、嫌な事はしたくなくても当たり前。子どもは、すくすく育ってくれるだけで良いんだから」
静かに紡がれるのは、みかにとっては予想もしなかった言葉の数々。
大きく見開かれている二つの色の瞳が揺れる。その瞳に、優しく微笑む凛月が映っている。
凛月は知っているのだろうか。ずっと、自分は大きい子なのだから我儘を言ってはいけないと、甘えたい事も嫌な事も隠して妹や弟達の面倒を見ていたみかの事を。
嵐には少しは漏らした事があっただろうか。いや、だがそこまで詳しくは言った事はないはずだ。
動揺してさらに揺れたみかの瞳は、徐々に表面が潤んでくる。そんなみかに、凛月の赤い瞳が細くなった。
「みかりん、いいこいいこ。一緒にお昼寝しようか~」
手を伸ばして頭を撫で、そのまま腕を回してみかの頭を抱き込むと、横にいた嵐も潤んだ瞳で自分の頬に手のひらを当てた。
「あ~ん! アタシも一緒にお昼寝するわ~!」
「そうだな。子どもはそれで良いよな! でもご飯の前にお菓子食べるのは、ご飯が入らなくなるから怒るぞ~!」
お姉さんとお母さんも頭を撫で始めて、執事が口許を隠して笑っている。
毛布を持って来ましょう、と凛月がお昼寝した時用の毛布を取りにロッカーへと向かう。
腕の力を緩めて俯いた顔を覗き込めば、頬を染めて眉毛を下げたみかが、「んぁ……んぁ……」と小さく声を漏らしている。
どうしたら良いかわからないといった顔のみかに、皆がさらに微笑んだ。
「良いよ。お父さんに何でも言ってみて。みかりんの我儘聞きたいな~」
濡れ羽色の髪に頬を当て、肩を指でゆっくり撫でる。
前髪の隙間から上目遣いで皆の顔を見てくるみかに、うん? と真緒も嵐も頭を撫でて優しく首を傾げる。
二人の顔を見ていた視線が泳ぐ。
琥珀色と瑠璃色の色の瞳がまた揺れて、軽く開きかけた唇を一度閉じて。
あちこちに目線を動かしてから、うんと……と、みかは赤い顔で俯いた。
「ほな……。たまにでええから……またこないして、おままごとしてほしい……」
蚊の鳴くような小さな声で、ボソボソと。
一分程経ってからようやくそう呟いたみかに、その場にいた四人は目許や口許を一斉に押さえた。
「ちょ……、うちの子ほんと可愛い……」
「何だこれ……尊い……」
「何でも好きなもの買ってあげるわ……」
「尊みでわたくし達を殺すおつもりですね……」
涙目で呟く四人に、んああ……! 調子のってごめんなぁ……! と慌てて眉毛を下げて泣きそうな顔になるみかは、さらに周りを涙目にしている。
愛しさで堪らずみかを抱き締める四人と、肉団子と化している中心から苦しいと声が漏れる中。やがて廊下から騒がしい足音と唸り声が聞こえ始めた。
「オィィ! リッチ~、てめ~!! 欲しがってた炭酸飲料、この学校の自販機にも購買にもないやつじゃね~か……!!」
勢いよく開けられた教室の扉と共に、怒鳴り声の晃牙が入ってくる。
肉団子状態の五人を見て、何してんだ!! と叫ぶその手にはしっかりコンビニの袋が握られている。
その袋の存在にすぐに全員気づいて、おもわず吹き出した。
「あ。散歩に行ってそのまま置いてきちゃった犬が帰ってきた……」
しれっと言う凛月の言葉に、さらに皆が笑う。
犬も家族やけど……! 家族やけど……!! と泣き笑いをするみかの声に、犬じゃね~! 狼だ!! という晃牙の声が重なる、昼下がりの教室だった。