本になりそこねた、なるみかです。 この部屋には今、さほど大きくはないテディベアが二つある。
二体? 二匹? 数え方の単位はどうかしら。熊だとすると二頭だし、でもぬいぐるみだから二体かしら……?
でもきっと、人形も家族だと思っているあの子には。
ふたり、って数え方になるんでしょうね。きっと。
「みかちゃん、まだ三人が来るまで時間がありそうだし……少し寝たら?」
マグカップを置きながら、小さく船をこいでいる姿に声を掛けると慌てて目許を擦ってまっすぐに座り直す。
白くて細い手の下で何回か瞬きを繰り返し、空色と金色の瞳がこちらを見上げてきた。
「んぁ……、だいじょうぶやで~」
そう笑うけれど、まだぼんやりとした瞳なのは変わりない。
卒業まであと少しというある一日。
進級した当初はほぼ毎時間、休み時間になる度にうちの教室の入口で「なるちゃんいてますか……?」ってもじもじしていたみかちゃんは、だんだんと自分のクラスに馴染んでこちらの教室にやってくる回数が減っていったけれど。それでもやっぱりうちのクラスの常連さんである事には変わりなくて、皆が快く迎え入れてくれていた。
当日はバースデーイベントがあるけれど、翌日はちょうど三年生の登校日で授業が早めに終わるから、「三月四日はなるちゃんのお誕生日会しよ!」とアタシの席まで来てくれたみかちゃんに言われて驚いた。提案してきたのが学校でそんな言い方だったから、てっきり教室や学院のどこかでしてくれるのかと思えば、星奏館のみかちゃんと凛月ちゃんの部屋でと言われてさらにびっくり。
おまけに二人の部屋だし同窓会のような気持ちも兼ねて二年生の時のクラスメイトの皆でお誕生日会をしてくれるのだと言われて、わざわざ皆が? 集まってくれるの? と口を半開きにして教室内を見れば、去年も今年も同じクラスだった二人はニヤニヤ笑っていたり、親指を立てていたり。
まさか皆でお誕生日会だなんて、そんな子どもの頃のようなイベントを高校の卒業前に出来ると思ってなくて年甲斐もなくひそかにワクワクしてしまったけれど。
「そうそう、俺もちょっとお昼寝したいし。みかりんも一緒に寝よ~」
「凛月くんはいつでもお昼寝したいだけやんかーっ」
欠伸をする凛月ちゃんが、みかちゃんの腕を掴んだまま寝転ぼうとする。
文句を言うみかちゃんはぶーたれてはいるものの、意外と力ずくな凛月ちゃんの手により、呆気なく毛足の長いラグの上に一緒に横たわらされてしまった。
起き上がろうとするみかちゃんを凛月ちゃんががっしり抱き枕にするので、苦笑しながら毛布を取りに立ち上がる。
「あかんて~! おれまで寝てもうたら、なるちゃんがひとりになってまうやん~っ」
「よーしよーし、はい、みかりん。ねんねん~ころ~り~よ~~」
抵抗をものともせず、じたばたするみかちゃんの背中を凛月ちゃんの手がポンポンと叩いて行く。
今時その子守唄もどうなのとツッコみたいのを我慢しながらも、でも歌声が優しいのはさすがよね……と思いつつ、そんな凛月ちゃんに任せてベッドから毛布を取ってくる。
時間にすれば三十秒もなかった気がするけれど、戻ってみればもうみかちゃんは半分夢の中にいて、何か言っている声ももはや言葉にはなっていない。
すぐ横に膝をついて、そっと毛布を掛ける。手を伸ばして最近あまりケアをしていなさそうな微かにパサついている髪を撫でていると、程なくして規則正しい寝息に変わった。
「……んじゃ。ナッちゃん、おやすみ~……」
みかちゃんが眠った事を確認した凛月ちゃんも、こちらを見て口許を緩めるともう一度欠伸をして目を閉じた。
おやすみ三秒の凛月ちゃんはともかくとして、やはりすぐに眠りに落ちたみかちゃんの目許を、起こさないように静かに指でなぞる。
閉ざされた瞼の縁の、濃く長い睫毛のすぐ下には、うっすらと隈が出来ている。
その白い寝顔を見て、小さくため息を吐いて二人から離れた。
当初、開催場所は手芸部の部室を予定していたらしいお誕生日会は、アタシに話を切り出す前にこの部屋での開催に変更されたんだって凛月ちゃんに聞いた。何故なら今現在手芸部の部室は、文字通り足の踏み場もない程にトルソーや簡易の作業台、布地や素材やらが入った箱や袋で埋め尽くされているから。
この一年、特にこの半年くらいは、みかちゃんは多忙を極めていた。自身の単独の仕事も増えたし、それとは別に学院内では主に創ちゃんと共に、衣装作りを頼まれる事が多かった。
去年までは鬼龍先輩も、手芸部にはそれこそ『お師さん』こと斎宮先輩も、青葉先輩もいた。
衣装は販売しているものだったり外注や校内バイトや、他にも知り合いのデザイナー等にお願いするユニットだっている。特に今年からはESもできたのでアイドルの仕事をしていればそれなりの制度や資金も用意されている。
でもそれはあくまで、アイドルの仕事ができていれば、という話。当然そういったものが使えない子だって大勢いて、『お師さん』の血を見事に受け継いでしまったのか、みかちゃんは自分が関わるライブの時にはこだわりを持って一緒にやるユニットや仲が良いユニットの衣装も、はたまた去年のRa*bitsのように出来立てホヤホヤで困っているユニットの分だって頼まれたら何でも作ろうとしていた。
その集大成が、今度の返礼祭の衣装。
もう卒業なのだから、後輩達に任せれば良いのに。最後だからこそ、みんなに喜んで欲しいと次から次へと頼まれれば受けてしまっているらしい。
あんたの体は一つしかないのよと苦言を漏らしても、へらへら笑って「そうやねんけどなぁ~」って、本当に分かってんのかしら。
誰がどう見てもろくに寝てもいなさそうだし、一応登校日がかぶった日には無理矢理にでも何かを食べさせようと差し入れしたりはしているけど。心配だからちょくちょく様子を見に行っていたら手芸部の後輩達にも何故か懐かれてしまって、部員でもないのに夏くらいには部室の合鍵まで貰ったりして。
現在、大きな仕事が入っててしばらくこっちには帰って来れない斎宮先輩には、最近のこの様子をひそかにいろいろ報告してるけど……。ってとこまで思って、そういえばちょうど一年前もアタシ同じような事してたわ……と泣きたくなってきちゃう。
人数分の紅茶を淹れたけど二人ともしばらくこのままだろうしと、寝ている塊をぼんやり眺める。
今のうちに寝て良いって言おうが皆が来るからってどうせ自分からは寝ないだろうし、ベッドだといかにも寝かせようとしてるのがバレバレだしで、たしかに凛月ちゃんの機転の利かせ方はGJだわ。ただ、ほんとにあんたも一緒に寝ちゃうのね……ってとこだけど。アタシのお誕生日会じゃなかったのかしら。
………………うん、暇。
みかちゃんのご希望通り、今日は奇跡的に元2-Bの皆が全員集まれる事になった。アタシ達と同じく登校していた真緒ちゃんと弓弦ちゃんは生徒会の最後の仕事とばかりに返礼祭の打ち合わせに顔を出してから来てくれるし、晃牙ちゃんは昼から仕事だけどそこまで時間はかからないみたいで収録が終わったらすぐ帰って来てくれるらしい。
元々夕方から開始予定だったので、帰りにちょっと何か食べておく? とか、そんな感じになった。三人で制服姿で一緒に下校するのなんて最後かも知れないから、記念にプリも撮ったし買い食いもしてきた。昔に比べればちゃんとした量を食べるみかちゃんを見て、何だか凛月ちゃんとニコニコしちゃったけど。
お腹が膨れたらそりゃあ眠くもなるわよね。ただでさえ寝てないんだから。……当然のように凛月ちゃんの事ではないから、念のため。
何もする事がないので、同じくお昼寝でもしようかしらと伸びをして、ふと。誰もが一度は見た事があるであろう某ホビーメーカーのロゴが書かれた紙袋が目に入る。
さっき帰りがけに事務所に顔を出した時に渡された、KnightsとValkyrieが参加している今度発売される新作ゲームの献品だった。
主な対象は小学生。今や小中学生に大人気になったValkyrieを、ぜひゲームのオリジナルキャラクターのモデルにとの事で企画段階からみかちゃんが関わっている。
元々はカードゲームで、四月からはテレビアニメが放送される予定。先行する形で、今月の十四日、ホワイトデーにこのゲームが発売になる。今後の展開によってはアニメにも登場するかも知れないとの事だし、五月に発売のカードゲームの新弾のパックにはValkyrieをモデルにしたキャラのカードもあるらしい。
Valkyrieが敵側なのは納得だけど、今回の主人公側の話が制作陣から出た時にみかちゃんが提案してみたそう。主人公側ならやっぱり、光属性とか騎士とかがかっこええんちゃう!? と。それから騎士といえば、みたいにKnightsにも話が来て、あれよあれよと共同で参加する事になっていた。
アイドルが声も担当して、広報にも関わる事に対して案の定ゲームマニアの皆様やアンチアイドルな人間からは批判の声が上がったものの、
「騎士とかめっちゃかっこええやん? 憧れるわ~……。……あっ! いや! 悪役やって、かっこええし楽しいんやで!?」
と、キラキラした瞳で自らノリツッコミもしつつポヤポヤとインタビューに答えていたみかちゃんのイノセントっぷりも話題になり、アンチ派の相当数が保護者のような目で見てくれるようになったとの噂。どういう事なのよ……平和な世の中ね……。ゲーム誌のレビューも上々で、予約数も当初の見込みの倍近くにはなっているらしい。
ちなみに制作発表の段階で、ルートによってはValkyrieも仲間になるかもという情報が制作会社側からすでに公表されていたのでValkyrieファンの子ども達も安心し、特典が違う店舗別の予約ではKnightsのポスターがつく店では女性客の予約が多く、Valkyrieのポスターがつく店では小中学生の予約が多いそう。
開けてもいなかった事に気づいて、紙袋を手に取る。店舗特典とは別にランダム封入のブロマイドがあり、一応すでにブロマイドをパッケージされた未開封状態のゲームとは別に、全員分のブロマイドもセットで入れてくれていた。
自らが声を担当したキャラのコスプレをしたメンバーの写真の中、Valkyrieはやはり雰囲気から違う。
お師さんはおれよりもっと似合うはずやねん! と必死にみかちゃんが説得してようやく斎宮先輩も参加してくれたはずなのに、かなりノリノリな感じで写っているのがさりげなくウケる……もとい、楽しそうで何よりだわ……。
斎宮先輩は今回の仕事をみかちゃん一人のものだと思っていたらしいけれど、みかちゃんはあくまでこれはValkyrieに来た依頼なのでお師さんありきだと考えていて。
このゲームに関しては本当に、先輩はみかちゃんに頼まれたから参加したというだけのスタンスで、ただ一つを除いて口出しはしなかった。
でもその唯一口出しした内容っていうのが、
「子ども向けに作るのなら、子どもに親近感を与える衣装にすべきだろう」
という言葉で、何の事かと思ったらみかちゃんの衣装はせめて脛くらいは出せという、ぶっちゃけ半ズボンにしろという、よりによってそこ!? とツッコまざるを得ない事だけだった。
ゲームのパッケージを破り、ケースを開く。
どうせならランダムブロマイドはみかちゃんが出てくれたら、一枚は手帳にでも挟んで歩けるかしらと思いながら中身の見えない銀色のビニール袋を開けると、中から出てきたのは漆黒の闇の帝王……つまり、斎宮先輩。つい舌打ちしてしまったのは仕方ないわよね……。
その不敵な笑みに、いろいろな事を見透かされているようで肩を落としてブロマイドをケースの中に戻した。
発売前にプレイ出来るのは関係者の特権とはいえ、そもそもゲーム機本体を持っていないし。寮の中なら誰かは持っていそうだけど、そこまでしてプレイしたい訳でもないし。
一式を元のようにホビーメーカーの紙袋に戻して、ソファに座っているテディベア達の横に座った。
緑色のリボンの子と、ピンク色のリボンの子。前にプリティ5の皆で出掛けた時に、五人でお揃いで買ったぬいぐるみだった。
この部屋に遊びに来る時には連れてきてってみかちゃんが言っていたので、いつ頃からかアタシとセットでお邪魔するようになった。色違いのリボンはみかちゃんからのプレゼント。
衣装の時や人に着せる時には曲がらず結べるのに、何故か普段自分のものに蝶々結びをすると縦結びになってしまうみかちゃんが結んだリボンを着けて、緑のリボンの子が誇らしいような顔でこっちを見ている気がする。
ピンクのリボンはアタシのくまちゃんにって結んでくれたので、ちゃんと綺麗な蝶々結びになっている。アタシが緑のリボンの子が良いってワガママを言って、くまちゃんごと交換してもらった。だからこの子は元々はみかちゃんのテディベアだった子。ドヤ顔のところ悪いけど、あんたのリボン縦結びのままよ?
どうにも抜けているのがみかちゃんらしくて、緑のリボンの子だけ抱っこして静かに寝息を立てている姿に目をやる。
…………随分、立派になっちゃって。
昔と違って、自分の足で立ち上がり、自分の目で物事を見て。自分で考えたものを作って、泣きごとを言わなくなったのは良い事なんだろうけど。
でもやっぱり、寂しいじゃない。
頼ってくれないのは寂しいと思ってしまうのに、アタシと違って卒業しても、この一年普段違う国にいて離れ離れになっていても、それでもやはりずっと心は近くにいた『お師さん』に、どこか面白くないと感じている自分が嫌になる。
どうやったって、この子の一番にはなれないんだって。
分かってるのに。分かってるんだけど。
ぎゅって抱き締めるテディベアのリボンが、指の近くで揺れた。
今後ずっとではないかもって話だけど、仕事の度に帰って来るとも言っているけど、夢ノ咲を卒業したらみかちゃんもフランスに行く。二人揃ったValkylieは最強だろうし、仕事の幅も広がるでしょう。名実ともに活動拠点は向こうになるんだと思う。
アタシが何をしたって、どこへ行ったって、きっとみかちゃんが後を追って来てくれるなんて事はない。
小さい頃に一度だけ出会った、神様みたいな人を追って来たように。忙しい中、地道にフランス語も勉強をして、外国にいる斎宮先輩の後を追って同じ学校に行くように。
そんな風に、アタシの後を追って来てくれる事はないんだって。分かってはいるのに、それが羨ましくて仕方ない。そしてそんな事を思う自分が嫌になる。
アタシの事を嫌いになんて、なりたくない。
なのに、やっぱり何度も思ってしまう。斎宮先輩の事を羨ましいと思う気持ちも、『お師さん』の事しか見えないみかちゃんに渦巻くこの感情も。前々から時折嫌になる事はあったけれど、卒業を前にした今、ここにきてかなりそれが顕著になっている気がする。
こんなの、誰かに言われるまでもなく名称は知っている。
嫉妬。それ以外の名前なんてないじゃない。
醜い感情にため息が出て、俯いて腕の中のテディベアに顔を埋める。ふかふかの毛並みが頬に当たる。
ねぇ、あんた分かってんの? 元々みかちゃんのものだったぬいぐるみに、つい恨みごとを言いたくなってくる。
仲の良い、大好きなお友達だけど。これからも。その先もずっと。一緒にいたいくらいに大好きなのに。それ以上にもっともっと好きなのはアタシだけなんだろうなって、そう思うと哀しくなってくる。それが本当に嫌になったりする。
「…………嫌なら、別にいいじゃん」
ふと、聞き慣れた声がすぐ近くから聞こえた。
「え……」
顔を上げるより先に、腕の中のぬいぐるみの頭を鷲掴みにしてきた手が、そのまま持ち上げて行く。
するりと腕の中から抜けていくぬくもりに、はっとして慌ててその体を掴もうとしたけれど、柔らかい毛並みはすでに目の前の人物に奪われていた。
「凛月ちゃん……?」
間近にある紅い瞳。見慣れたその顔も、よく知ったもの。
けれど、いつ着替えたのか着ているのは以前映画で身につけていたような黒い衣装で。全員が揃ったら制服姿で写真を撮ろうとしていたけど、それまではいいかって帰ってすぐに部屋着になっていたはずなのに。
ぱちくりと瞬きをしている間に凛月ちゃんがニヤリと笑う。次の瞬間、バサッッ、と大きな音と共に突風が吹いて、おもわず目を瞑った。
「一人で自己嫌悪に陥ってるだけなら、これはいらないよね」
少し離れたところから声がして、何とか目を凝らすと。
何か黒いものが、動いているのが見えた。その向こうには凛月ちゃんが立っている。背中から伸びているコウモリのような黒い翼が、今にも飛び立ちそうに揺れていた。
「だから、俺がもらっちゃお」
そう笑う腕には、緑のリボンのテディベア。心細そうな丸い目が、あらぬ所を見つめている。
「何でよっ!? 返しなさい!」
「や〜だ〜」
「凛月ちゃん!! ちょっと! 待ちなさいよっ!!」
腕を伸ばすけど、ひらりとかわされる。クスクス笑いながら凛月ちゃんはそのまま後ろへと下がって行く。
まだ日が傾く前の寮の部屋の中にいたはずなのに、いつの間にか外にいた。おまけに辺りはもう真っ暗で、こんなに大きい月は見た事がないってくらいの真ん丸な月が夜空に浮かんでいる。
ほぼ足は動かしていないのに、凛月ちゃんはアタシの追走から逃げている。どうやら翼のおかげで低空飛行しているのだと分かって、ムキになってこちらもだんだん全力疾走になってきた。
……要らないわけないじゃない。
何の為に、みかちゃんのものと交換してもらったと思ってるの。
凛月ちゃんに抱っこされている黒目がちな丸い目を見て、握った手に力がこもる。
それでもなかなか縮まらない距離に、自分でも焦りが見え始めたのが分かっていた。
追いかけっこをしている間に、暗い森の中へ来ていた。両側から聳える黒い影。鬱蒼とした背の高い木々が、今にも覆いかぶさるように枝と葉を伸ばしている。
もしここにみかちゃんがいたら、きっと何も見えないんでしょうね。以前までなら怖がってすぐに弱々しく名前を呼んでくれて、手を繋いであげたら絶対離さないみたいに握り返してくれたのに。暗がりだと何も見えないみかちゃんを想って、少し寂しくなってきた。
テディベアは、寂しがり屋で泣き虫だったあの子の代わり。立派になった新しい帝王様の、かつての姿。
今さらどの面下げて言えるのよ。
もっと、泣いても良いのよって、そう言いたいのに。自分の足で立ち上がったかつてのお人形さんは、寂しがりやなカラスちゃんは、今では立派になってしまって。つよく、たくましく、美しく羽ばたいていて、地上にいるアタシなんて追いつけないくらい、眩しいから。
……アタシなんて、もう必要ないのよ。
そう心の中で呟いたら、急に拓けた場所へ出た。一本だけ伸びた高い木のてっぺんに、凛月ちゃんが座っている。真後ろには大きな月があって、まるでお月様を従えてるみたいに見える。
「遅いよ、ナッちゃん〜」
多少飽きたみたいな顔の凛月ちゃんは、膝の上にテディベアを乗せている。
「嘘でしょ……。あんな高いところまで行けるワケないじゃない……」
凛月ちゃんが座っている木は、かなりの高さまで枝や窪みのような何かつかまれそうなものはない。それに枝といっても細く長い枝しかなくて、到底人間の重さに耐えられそうな太さにも見えない。飛んでるくらいだから、あの凛月ちゃんは重みなんてかけていないのかも知れない。その証拠に座っている枝は重さでしなってもいなかった。
膝の上にいるテディベアを見つめる。早く助けてあげなきゃ、とそこまで思って、はたと気付く。
助ける……? 本当に? あの子にとって、これは助ける事になるのかしら……?
頭を過ぎった考えに、つい唇を噛んでいた。
本当は。あのテディベアだって、アタシといない方が幸せなんじゃないかしら。現に、凛月ちゃんとなら。最初は寮で誰かと住むなんて大丈夫やろか……って心配していたくせに、同室が凛月ちゃんで元々仲が良かったしテンポが似ていたからか、みかちゃんはすぐ馴染んじゃって。アタシが心配する事なんて何もなかった。
そう思ってしまうと、もうダメ。どんどん悪い考えになってきてしまう。
……みかちゃんと同じように。
あのテディベアだって、アタシといない方が良いんじゃ……。
「そんな事ねぇよ」
ネガティブにも程があるような事を考えていたら、突然背中をバンッと叩かれた。驚いて小さく悲鳴を上げながら振り返れば、いつの間に来ていたのか晃牙ちゃんが立っている。
「むしろてめ〜らがキャッキャしてない方が落ち着かないっつーかよ……」
辟易とした顔を装いつつ、首を回してコキコキ鳴らしている。そんな晃牙ちゃんは、肩当てと手甲、マントのようなローブを着けていて、まるでファンタジーものの傭兵か何かのような格好をしていた。
アタシを見て何か言いたげな顔をしつつ、開きかけた唇を一度閉じて背の高い木の上の凛月ちゃんを見上げてから一つ息を吐く。
「……なんつーか、いつも人には助言とかしてくるくせによ、自分の時は動けねぇ奴っているんだよな」
独り言のように呟く声が誰に向かって言ったものかよく分からなくて、え? と聞き返したら、盛大に舌打ちして睨んでくる。あ、アタシに言ってたの? 全然分からなかったわ……ごめんなさいね……。
「どうせ大丈夫って他人が言っても信じね〜んだろ。めんどくせぇ」
また大きくため息を吐いて肩を竦めた晃牙ちゃんは、それでもすぐにご機嫌を直したのか一瞬の間を空けてから口角が上がり始めた。
「ま、詰んだ時は、お助けキャラがアイテムやヒントをくれるってのが大体のパターンだろ!」
そう言ってふんぞり返ると、握った拳をアタシの目の前に伸ばしてくる。
唐突な展開に目を丸くしているアタシの前で、手首を回して手のひら側を上へ向けた。ゆっくり開いていく指の隙間からは光が溢れていて、完全に開ききると、手のひらには赤い羽共同募金をした時に貰えるくらいの大きさの、光る羽根が乗っていた。
「しょうがね〜からな、『勇気の翼』をやる。俺様の優しさに感謝しろよっ!」
唖然としている間にその羽根を押しつけられ、満足そうに笑う晃牙ちゃんの姿が薄くなっていく。えっ、やだ、死んじゃうの!? って慌てたら、声に出した訳でもないのに「死なね〜わ!!」とキレ気味の声を残して、晃牙ちゃんは完全に消えていた。
何だったのかしら……。と展開の速さについていけなくて、とりあえず手の中の羽根を見つめる。
こんなちっぽけな羽根を一枚だけ貰っても……と、せっかくくれた晃牙ちゃんには悪いけど使い道が分からなさすぎて途方に暮れてしまう。
でも、いいのかしら……。
こんなアタシでも、まだみかちゃんと一緒にいたいって……思ってもいいのかしら……。
「わたくしから見ても、お二人の仲はとてもよろしくて。他人には入り込む余地などなかったのですよ」
落ち着いた耳障りの良い声が、斜め後ろからした。
今度はそこまで驚かずに済んで、振り返る先にはいつものように微笑んでいる弓弦ちゃんが立っていた。さっきの晃牙ちゃんと違い、神父さんが着ているキャソックのような服装だった。弓弦ちゃんにはものすごくよく似合っていて、っぽいわ〜。こういうキャラ、いそうだわ〜。と無駄に感心してしまった。
「比べる必要などありませんよ。元・帝王さまと鳴上さまとでは、役割が違いますから」
優しい声で言ってくれる弓弦ちゃんの言葉は、何だかすんなり入ってくる。優しいだけじゃなくて毒も吐くから、大事な時には案外嘘は言わないものね。建前は大量に言ってくれるけど。
まるで神父さんが相談に乗ってくれているみたいで少しおかしくなってきちゃった。ゲームとか漫画とかのキャラだったら、確実に人も悪魔も殺してそうな極悪神父のような気がするからそこも面白いポイントに入っちゃうし。
「なので、ご安心ください。影片さまも鳴上さまのことを大切に思っておられますので」
「でも……。アタシとみかちゃんじゃ、『大切』の意味が違うんじゃないかしら……」
「大丈夫です」
やけに自信満々で続けるから、そうは言っても……と尻込みし始めたら、やたらはっきり言いきられる。
何でそんなに言いきれるの? って思って見つめ返したら、よく見れば笑顔の弓弦ちゃんの目は笑っていない。そして、
「今のうちにお気持ちをきちんとお伝えすべきです。……いざとなったら、上手く丸め込んで言質をとってしまいましょう」
低い声で付け足された言葉が衝撃的すぎて絶句している間に、SNSなどで大勢の人間に証人になってもらうというのも手です。とさらに続いて、本気で極悪神父だったと戦慄する。
上手くリアクションが取れないアタシの手を取って、弓弦ちゃんが何かを握らせた。
「わたくしからは、『知恵の翼』を授けましょう」
光輝くものは、さっきの晃牙ちゃんのものとは違う色に光る小さな羽根。
とんだ悪知恵じゃない……。と渇いた笑いしか出来ないアタシに、弓弦ちゃんは今度は心の底から楽しそうに目を細めて、微笑んで消えて行った。
いよいよもって、晃牙ちゃんが言ったみたいな展開になってきた気がする。
きっとお助けキャラが、おそらく攻略に使える……かも知れない……謎の羽根を渡してくれるらしい。どうやって、何に使うのかさっぱり分からないものばかりだけど。
でも、晃牙ちゃん、弓弦ちゃんときたら。もし登場人物が今日のお誕生日会のメンバーなのだとしたら。次に来るのは……。
「俺からしたら、何で無理だと思うのかなって方がわかんないんだけどな」
予想した通りの声に振り向けば、いたのはやっぱり真緒ちゃんで。長いローブを身につけてはいるけれど、その中はだいぶ軽装。大きな石のついた杖のようなものを持っているから、さしずめ魔法使いってとこかしら。
真緒ちゃんはアタシをじっと見て、眉毛をハの字にして少しだけ苦笑いをした。トリスタとはいろいろあったし何だかんだで付き合いも長いし、クラスメイトでもあったんだからすぐ分かる。気を遣ってくれている時の顔だわ。
「……まぁ、でも……そうだよな」
わずかに視線を逸らした真緒ちゃんが呟く。
「今までの関係が崩れるのも嫌なんだよな。俺だってお前の立場だったら、言い出す事も出来ないかも」
自分の事のように悩んでくれるのがくすぐったい。本当に優しいんだから。だからモテるのよ? 本人にその自覚がないし幼馴染みのお世話ばっかしてるから、気付かずにスルーしてたりして鈍感にも程があるけど。
アタシに自信を持って何かを伝えられないらしい真緒ちゃんは、一度木のてっぺんを見上げる。真緒ちゃんに気付いた凛月ちゃんがさりげなく手を振っているのが、アタシとしたら腹が立つわ〜……。
そんな凛月ちゃんには手を振り返さないで、ポツリと小さな声がする。
「……だけど、今までみたいに学校に行ったら教室や廊下で会えるって。そういうのも、もうなくなるんだよな……」
その声に、きゅって。胸が痛むから、視線も下がってしまう。
分かってた事なのに。
きっと一番考えないようにしていた事を、改めて他の人に言われるとそれが現実となって押し寄せてきてしまって、急に泣きたくなってくる。
学生じゃなくなるって、どういう事なんだろう。ってずっと思ってた。すでに在学中からお仕事をしていて、アイドルやモデルって肩書きから『高校生』って肩書きがなくなるだけなんて思っていたのに。実際は全然それだけじゃない。
今日だって、三年生の今のクラスでもない、二年生の時のクラスの皆で集まろうってだけでこんなに楽しみだった。きっと学生っていう括りにはクラスとか部活とか、いろんな括りがあって。それが煩わしい時だって沢山あるけど、それでもそういった括りが本当になくなってしまった時。アタシ達は、一人で、個々の『自分』ってものだけで、戦って行かなきゃいけなくなるんだと思う。
一年生の時には大嫌いだった学校生活が楽しくなったのも。少しずつ自分らしさを出せるようになってきたのも。みかちゃんがいてくれたから。みかちゃんとお友達になれたから。
お互いお仕事で来れない時もあるし、アタシだって毎日登校してる訳じゃなかったけど。それでも、夢ノ咲に行けばみかちゃんに会えるって、そう思うだけで登校するのが楽しくなったから。
「大丈夫だって!」
そんな日々がなくなるんだって。そう思って不安になってきたのを見て取ったのか、明るい声に肩を軽く叩かれる。
「……お前が一番、二年の時のあのクラスでこれを持ってたって、俺は思うからさ」
握った真緒ちゃんの指の隙間から溢れる光。キラキラ眩しい金色の光は、ライブの時のアタシを応援してくれるペンライトの光の色みたいだった。
初めて自分から手を差し出すと、真緒ちゃんが満面の笑みで指を解く。
「俺からは、『希望の翼』を渡すな!」
ふわり、と眩しい光がアタシの手のひらに乗る。それを見届けて、真緒ちゃんの姿も消えていった。もう片方の手も上げて、両方の手のひらを並べて開く。
アタシの手には、三枚の羽根。どれも指の長さにも満たないような小さな羽根。
キラキラ輝いて、とっても綺麗。綺麗、……なんだけど……。
「これでどうしろって言うのよ……」
キラキラで喜ぶのなんてスバルちゃんくらいよ? と相変わらず使い道も分からない羽根を眺める。
飛ぶにしてもこれっぽっちの量と大きさじゃあねぇ……。圧倒的にファンタジー世界に向かないであろう現実的な発想しか出来ない自分が恨めしい。眺めていたところで形状が変わる訳でもないらしい。
「叫んでみたら~?」
う〜ん……って唸りかけたら呑気な声が頭上から聞こえて、元凶であり目標物からの言葉におもわず目が据わる。
「魔女っ子バトルアニメみたいにさ〜。そしたら変身できたりして、飛べるかもよ~?」
ニヤケながら見下ろしてくる顔が憎たらしいったらない。今すぐにでもデコピンしてやりたくなっちゃう。
それでもこの登場人物の中では一番非現実的であろう人間に言われたら、案外……なくもないのかも……? と思えてくる。
手の中の三つの羽根を見つめる。
たとえ太陽や月ほどの高さまでは行けなくても、あの木の高さくらいまでなら飛べるのかも知れない。
頭の中で、昔隠れて見ていた女の子向けアニメの変身シーンを思い浮かべる。瞼を閉じ、一つ深呼吸をしてから羽根を乗せた両手を高く掲げた。
「──勇気よ!」
頭の中で、光り輝くリボンに包まれる自分を想像する。
「知恵よ! 希望よ……っ!」
アタシの周りを飛んでいたリボンが、腕や脚にと次々に巻きついていく。
空中で回るアタシの身体は、シルエットになっている。順番にリボンが形となり、アームカバーやブーツへと変化していく。そして眩しい光の中、華麗に変身……、
………………なんて、する訳がなかった。
「〜〜ッッ、恥ずかしいわよっっ!!」
ひょっとしたらいけるかもとか思ったアタシが馬鹿だった。何一つ変わっていない自分の姿と風景に絶望しつつ、あんなテキトーな凛月ちゃんの言葉を間に受けて大真面目に叫んでしまった事が恥ずかしくて仕方ない。
羞恥心で死にそうなアタシを見て実に楽しそうに凛月ちゃんは笑っている。一縷の望みをかけてこっちは恥ずかしいのも我慢して叫ぶだけ叫んでみたのに、この仕打ち。あんた、ほんっっっといつか痛い目を見せてやるから覚えときなさい。
……だけど、と。手の中の羽根をもう一度見る。
もし本当に、この羽根で飛ぶ事が出来たなら。
濡れ羽色の艶めく羽根でどこまでも飛ぶあの子に、追いつけなくても。それでも、少しくらいは。少しの間くらいは、すぐ近くを一緒に飛べるかも。
顔を上げ、真っ直ぐ行く先を見つめる琥珀色と瑠璃色の煌めきを思い浮かべていると、「あっ……」と小さい声が頭上からした。
視線を上げると、欠伸でもしていたのか涙目な凛月ちゃんが、伸ばしていた両腕を慌てて下ろしているところだった。
何が、と思っている間に凛月ちゃんの膝の上のテディベアが斜めになっている。伸ばした指先はわずかに間に合わなかったようで、掴んだ形の手も虚しく茶色いぬいぐるみが膝の上から転がり落ちて行く。
枝に当たり、さらに角度を変える。落ちて行く先を見れば、もう脚は走り出していた。
高い木の後ろは崖になっている。何とか……、何とか。どうか。落ちる前に。
「ナッちゃん……っ!!」
精一杯腕を伸ばす。凛月ちゃんの叫ぶ声が聞こえた。
気がつけば足の下には地面の感触がなくなっていたのは分かった。それでも、まだ手を伸ばす。指の隙間からすり抜けた羽根が、輝き出してアタシの肩の後ろへ流れていく。
──翼は、バッサバッサと羽ばたけた。
音と共に、背中で翼が動いている感覚がある。自分の身体が浮いたのは分かって、今のうちにとテディベア引き寄せる。
こんなアタシでも、飛ぶ事ができた。信じられないけど、今。アタシ、……飛んでる。嘘でしょ……?
でも、これなら。一緒に飛んで行けるのかしら。アタシも、一緒に。キラキラ眩しい瞳で未来を見つめ始めたあの子と、一緒に飛んで行けるのかしら。
みかちゃん、と腕の中にしっかりと柔らかい感触を抱き締めた瞬間、ガクンと身体が傾く。
「ナッちゃん、早く戻って!!」
急に重力を感じ始めた身体が落ちて行く。背中から崖の中を落ちて行くアタシがそのまま上を見上げると、必死に腕を伸ばしている凛月ちゃんがいて。
……ああ。やっぱりアタシは飛べないのね……って、分かってた事だから何だかこんな時なのに、ちょっとだけ笑えた。
腕の中にいるテディベアのリボンが解けていって、リボンも落ちているんでしょうけど、アタシより軽いからまるで浮いているように離れて行く。緑色のリボンが揺らめいて、それが何故か泣きそうだなんて思えておもわず手を伸ばした。
「……っ、……っ、なるちゃん!!」
…………ホラ、泣きそうでしょ……?
見下ろす二つの色の瞳は表面が潤んで揺れている。心配そうな顔で呼ぶ声に、こっちも泣きそうになりながら微笑んだ。
手を伸ばせば、いつだって届いて抱き締められた薄っぺらい身体。
摘んだら大福みたいに伸びる、白くて柔らかいほっぺ。メンテナンスなんてしてもらわなくても、忙しくて寝不足だろうと、大してケアしてなくたっていつもすべすべなのも知ってる。
立派になったと思ってたけど……、案外すぐに涙目になっちゃうから、全然変わってなんていないのかも。
腕を上げて、その頬を両手で包む。そのまま引き寄せて、半開きの唇に唇を押し当てた。
「……みかちゃん、好きよ。……大好き」
わずかに離した唇の隙間で囁くと、琥珀色と瑠璃色が真ん丸になる。
やけにリアルな夢ね、と思ってふと、手のひらの下の頬が熱くなってきた事にようやく気付いてアタシも目が真ん丸になってきた。
「あのさ……、嵐……。悪いんだけど……」
そして遠慮がちに聞こえる声に、目の前のみかちゃんが完全に涙目になっている。
ふるふる震えながら、白いほっぺは桃のように色を変えていく。その時点で、もうこれは本物って分かっちゃったわよね。
「…………俺達も……いるんだけど……」
「アラやだっ!」
恥ずかしそうに顔を赤くして唸る真緒ちゃんの声に、わざとらしく口許を手で隠して声を上げる。
「んああああっ! なるちゃんの、アホ〜〜っ!!」
ポカポカと全然痛くない感じで叩いてくるみかちゃんに爆笑して身体を横へ向けてみた。いつの間にかソファーで寝てしまったみたいで、晃牙ちゃんも弓弦ちゃんも来ていた。
そして腕の中には。
緑色の縦結びのリボンを着けて、誇らしげにアタシを見上げるテディベアがちゃんといた事に安心する。
時間は進んでいくけれど、でもきっと、大丈夫。
そうアタシとテディベアに言い聞かせて、ゆっくり起き上がった。
アタシが寝ている間に、どうやら誕生日パーティーの準備は進んでいたみたい。
壁や窓にはさっきまではなかったはずの折り紙で作った鎖や、小さめのバルーン、ガーランド。本当に子どもの頃のお誕生日会を思い出すような飾り付けに顔が綻ぶ。
きっと折り紙の鎖はみかちゃんが作ってくれたんだろうと思って聞いてみたら「大神くんやで!」と何故かみかちゃんがドヤ顔で胸を張るから吹き出しちゃった。しかも作ったらしい本人は赤い顔で必死に否定してるし。
「なるちゃん。ぎゅってしてた子、貸してや」
ピンクのリボンのテディベアを抱いたみかちゃんがもう片方の手を伸ばしてくるので、何かするのかしらとキョトンとしながら緑色のリボンの子を差し出す。
みかちゃんが後ろを向いて何かをしている間に、晃牙ちゃんと真緒ちゃんがテキパキと壁際に折り畳みテーブルと収納グッズの箱のようなものを組み立てていく。そこにテーブルクロスを掛けるように鮮やかな動きで弓弦ちゃんが赤い布を掛けた。
え、何……? 急に何!? と見守っていると、さらにその上に弓弦ちゃんはいろいろな物を置いていく。晃牙ちゃんと真緒ちゃんはみかちゃんのベッド周りからぬいぐるみをいくつか持ってきている。
あきらかに手作りの、厚紙や折り紙で作ったものは一番上の段の後ろに屏風、両端にぼんぼり。これってまさか……? と思っていたら、じゃーん! って声と一緒にみかちゃんが振り返った。
「んふふ〜。お内裏さまとお雛さまやで〜っ」
みかちゃんが抱っこしているのは、おそらくピンクのリボンだった子。十二単衣のような服を着ていて、そんなみかちゃんの膝の上にはお殿様のような衣装の、たぶん緑色のリボンだった子。予想通りに、この子たちをお雛様にしてくれていたみたい。
「え〜っ! やだぁ〜、かわいい〜っ!」
「正確には男雛と女雛ですね。お内裏さまとはお殿さまとお姫さまお二人揃っての事ですし、お雛さまもお二人の事ですから……」
「マジか!? って、いや、そういう能書きはいいんだよっ!」
「あ、影片っ……、慎重にな……?」
ただでさえ可愛い子たちがさらに可愛くしてもらって、本人たちも何だか嬉しそう。アタシが両手で頬を押さえてときめいていると、おめかししてもらった二人は誇らしげな顔のまま即席の雛壇へと抱っこされていく。
一番上の段にまず男雛テディベアちゃんを乗せようとするみかちゃんは、両手でそーっと乗せようとしている。そのみかちゃんをいつでも支えられるようにか、周りの飾りを押さえるためか、両手を構えてみかちゃんを囲んで待機している三人の様子も面白くて、すかさずスマホで撮ってみた。
写真で撮ってたけどみかちゃんと三人の動きが楽しくて途中から動画にしてみた。無事にお殿様とお姫様を置き終えたみかちゃんに拍手を送りつつ、下の段には特には衣装もなくただのみかちゃんのお友達なちょっとどこかコワイぬいぐるみ達が置かれて行く。三人官女や大臣なんだろうけど、そこは雑にただの数合わせみたいなところがウケるわ〜。
笑ってその様子を見ていたら、ケーキを取りに行っていたらしい凛月ちゃんも戻ってきて出来上がったばかりのお雛様を満足げに見ている。「よしよし」って頷いてるけど、凛月ちゃんは何もやってないじゃない。
「くまちゃんちょうど二人おったし、なるちゃんほんまはお雛様とか飾りたいんやろ?」
サプライズ大成功とばかりにみかちゃんがアタシの近くまで来て笑うのが本当に可愛い。テディベアも手作りお雛様も、この子も。本当に本当に、可愛い。
「憧れだわ~……。でも、昔から理解してもらえなかったし……、今もアタシだけの部屋じゃないし……」
こんなに可愛いものに囲まれて幸せ。たとえ、小さい頃からどんなに欲しがったって、どんなに憧れたって。決して手に入らないものだったとしても。
肩を竦めて小さく微笑うと、少しだけ寂しそうな顔をしたみかちゃんの頭とついでにアタシの頭も順番に小突かれた。
「そんなん、今さら気にしなくたってい〜だろが」
晃牙ちゃんはそう言うと、鼻で笑ってふんぞり返る。
「置きたきゃ言えば良いんだよ、お雛様置いて良いかって。別に嫌がりゃあしねぇだろ。まぁ、今から飾ったんじゃ行き遅れるかもしんね〜けど?」
ニヤリと笑って付け足すのが、一言多いわよ。……とは思うけど、何てことないように言ってくれるのはすごい。全然大した事じゃないって、そう言いきってくれるのがどんなに心強いか。いい男よね〜。
「一般的には啓蟄の日に片付けるのが良いとされております。今年は三月五日ですね。ですので、まだ間に合うかと」
「南雲なら許してくれるって!」
「おんっ! HiMERUさんも優しいから、ええよってきっと言うてくれるわ〜」
ローテーブルにお皿やグラスを並べながら微笑む弓弦ちゃんと真緒ちゃん。みかちゃんも何度も頷いてくれる。
クスッて笑う声にその隣を見れば、凛月ちゃんが赤い瞳を細めてアタシを見ていた。
「……ナッちゃんは、難しく考えすぎなんだよ」
そう呟く凛月ちゃんのところへ寄って行ったみかちゃんも、二つの色の瞳を細めてこちらに振り向く。
「みんな、そのままのなるちゃんが好きなんやで」
二匹の子猫が並んで笑っているみたい。
優しい声で笑うみかちゃんが、凛月ちゃんが持つ両手で抱えるくらいの大きさの箱の蓋を掴んで、せーのっという声と共に持ち上げた。
「お誕生日おめでとうーっ!!」
楽しそうな声と共にお披露目されるバースデーケーキ。
皆の笑う顔。
何て最高のバースデーパーティーなの……と泣きそうになった瞬間、目に見えた光景におもわず違う意味で泣きそうになり悲鳴を上げてしまった。
「ひな祭りケーキ風をベースに、俺とみかりんで飾り付けをしたスペシャルバースデーケーキだよ〜」
「イヤァァァァァァーーッッ!?」
「ちょ、煙……っ!? 煙出てんぞ、てめ〜ら!?」
「グロい! グロいから……っ!!」
箱の中から出てきたのは、可愛さと正反対に見えるおぞましい見た目の、ケーキ……!? ケーキなの、これ!? と我が目を疑いたくなるような、謎の物体だった。
どう見ても今すぐ動き出しそうな、何かの映画に出てきてもおかしくなさそうなよく分からない生物にも見えるそのケーキは、ドス黒い紫色と食欲を失くすような鮮やかな青色。何味? って聞いてみれば二人で「イチゴ味」って可愛らしく声を揃えて言われて、苺……!? と晃牙ちゃんがアタシの代わりに目玉を飛び出しそうなくらい驚いてくれた。
ローソクを立てる時に、絶対生きてるわよね? という音……いや、声……? を上げてるし、何かしら……。何の儀式が行われてるのかしら……。真緒ちゃんさえ青褪めてるのよ……?
ワクワクした表情で見つめるみかちゃんがいなければ、立てられたローソクの火を吹き消すのすら躊躇ったと思う。
嬉しくない訳ではないし、お誕生日会も本当に楽しいから目の前のケーキの形状はともかくとしてニッコリ笑う。笑った直後に何かケーキから聞こえた気がするけどそれでも笑顔はキープ。女優魂をナメてもらっては困るわ。
皆が笑顔でひとまず写真を撮る。それからフーッと一気に火を吹き消して、クラッカーを一斉に鳴らされた。この辺はフツーにバースデーパーティーっぽくて安心する。楽しい。……何度も言うけど、ケーキの形状はともかくとして。
そしてアタシ達はパーティーを続行していたけど、各々がSNSに上げた写真を見て。その頃、ネット上が恐怖のどん底に叩き落とされていたなんて事は、後から知った事だった。
弓弦ちゃんが切り分けてくれる間も、生き物かしら……と不安になる程に、鳴き声のような音を立ていて、それをものともせずケーキナイフで切り分ける弓弦ちゃんは、さながら生きている何かの動物を捌いている料理人か、ただの猟奇殺人鬼のようで。あ、それこそさっきの……人を殺しそうな神父さんなんじゃ……。なんて事を思っているのを分かってるのかどうなのか、笑顔でケーキの乗った小皿を渡される。
「……味は相変わらず美味くてびびるよな……」
「ほんっと、それなのよね……」
何の罰ゲームなの……という悲壮な顔で一口食べた真緒ちゃんと、二人で唸る。美味しい……。こんな事ってある……? この見た目なのに、有名パティシエが作るケーキよりよっぽど美味しいんじゃないかしらって、素直に思う。
アタシ達の会話を聞いて、意を決して一口ようやく食べた晃牙ちゃんもすぐに目を輝かせてガツガツ食べ始める。そんな様子を見てから、笑って凛月ちゃんも弓弦ちゃんも、みかちゃんもケーキを食べ始めた。
「…………こうして、誰かのお誕生日はまたみんなでお祝いしたいわぁ……」
ポツリと呟く声に皆が見れば、みかちゃんが幸せそうに、けれどどこか寂しそうにケーキに目を落としていて。
おもわず目を合わせてしまうアタシ達が何も言わないからか、前髪の隙間から金色と空色が様子を窺ってくる。そう思うのは自分だけなのだろうかって、不安になっているのか、ハの字になった眉毛で二つの色の瞳が揺れた。
「俺もだよっっ!! 賛成だっ!!」
「するに決まってんだろ〜が!!」
真緒ちゃんと晃牙ちゃんがガシガシ頭を撫でて、アタシと凛月ちゃんと弓弦ちゃんもほっぺを突っついたり肩を撫でまくる。それでようやく、泣きそうな顔のままみかちゃんが笑う。
絶対よ? この中で一番集まれなさそうなの、あんたなんだから。この中の誰かのお誕生日会をする時には、絶対帰ってきなさいよ?
泣き笑いの子につられて鼻の奥がツンってしてきた気がして、ふとお雛様のテディベアちゃんたちを見る。
……そうよね。せっかくなら、湿っぽくならないで楽しい方が良いわよね。
「来年のアタシのお誕生日は、リアルお雛様やりましょうよ」
唐突に提案すると、「は!?」って晃牙ちゃんがすぐ反応してくれるのが面白い。
「アタシがお姫様で、みかちゃんがお殿様ね」
「てめ~そっちかよ!?」
「あと三人官女とか右大臣左大臣とか、足りないところはKnightsの皆とか『お師さん』とかを連れてきたら良いかしら」
「ほう? バラエティ番組の企画として良いのでは?」
嫌そうな顔できちんとツッコミを入れてくれる晃牙ちゃんに気を良くして続ければ、弓弦ちゃんも目許を緩めて言ってくれる。
一年後の事なんて、まだ分からないけど。
それこそ、この先全員がアイドルをいつまで続けられるかなんて、分からないけど。
「じゃあ、今度プロデューサーに聞いてみようぜ!」
楽しそうに笑う真緒ちゃんに、凛月ちゃんも頷く。唐突な提案に目を丸くしていたみかちゃんの顔が、パァって明るくなった。
……それでも皆がこうして笑っていて欲しい。いつまでも仲良しな、友達でいて欲しい。
いつまでも。何年経っても。
たとえ、アイドルじゃなくなっても。
「なるちゃんのお雛様、綺麗やろなぁ~」
そしてその時には、毎日会えなくても良いから。
やっぱりこの子には、隣にいて欲しいと、そう願う誕生日だったわ。
おしまい。
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半分くらい書いてた話に無理くり辻褄を合わせた感じなので、なんかすんません。
これを書き始めた頃はESなんてものができると思わなかったし、寮に入るなんて思わなかったし、
みかちゃんは卒業したらお師を追ってフランスに行くんやろな〜って思いながらも
何より卒業するなんて!進級するなんて!!
思ってもいませんでした!!!!びっくりしちゃったね!!!!!
こんなところで何ですが、今回Webオンリーに遊びに来ていただいた皆様、
本当に本当に、ありがとうございました!!
いろんなみかちゃん受けを摂取できて幸せです!!
おつかれさまでした!!。゚(゚´Д`゚)゚。